初代タイガーマスク(佐山聡)  本物の強さを追求し、 独自の格闘技理論を実践、 選挙では 「暴走族を撃ち殺せ!!」と叫んだ

初代タイガーマスク(佐山聡) 本物の強さを追求し、 独自の格闘技理論を実践、 選挙では 「暴走族を撃ち殺せ!!」と叫んだ

アントニオ猪木が異種格闘技戦を行い タイガーマスク(佐山聡)が修斗 前田日明がRINGSという総合格闘技を創り RINGSからK-1が生まれるきっかけとなった まさに日本の格闘技ブームの創世であった 中でもタイガーマスク(佐山聡)は一見、異端なまでに独自路線を貫いた その異常な意志の強さは 異常なほどの鍛錬があってこそなのだろう 間違いなく佐山聡は強い!


プロレスラー 佐山聡

佐山聡(新日本プロレス)vsマーク・コステロ(全米プロ空手ミドル級第1位)

1977年11月14日、
梶原一騎主催の「格闘技大戦争」の中で
佐山聡(新日本プロレス)vsマーク・コステロ(全米プロ空手ミドル級第1位)戦が行われた
佐山のセコンドには山本小鉄がつき
リング下ではアントニオ猪木、ストロング小林、ウィレム・ルスカらが観戦していた
まさにプロレスの威信をかけた試合だった
しかしこの試合は
両者ボクシンググローブ着用、寝技無しというプロレスラーには不利なルールだった

新日本プロレス道場

佐山は
アントニオ猪木を神のように崇拝していた
中学でレスリングや柔道を始め
高校1年のとき、アマチュアレスリングの大会で優勝
高校を中退し新日本プロレスに入門
プロレスを始めたのは17歳だった

「僕がいた頃の新日本の道場は、
まず山本小鉄さんの基本練習の厳しさがあり、
その上には『プロレスはストロングスタイルでなければならない』という猪木さんの思想があった
さらに毎年、数カ月から半年、カール・ゴッチさんが滞在する期間があって、
関節技とか寝技を指導する
それによって猪木さんの思想をさらに植え付けるというような、そういう場でしたよね
練習は過酷だったけれど大変だったとは思わない
むしろやりがいがあったし
楽しかった
それこそスパーリングだけで2時間とかやってましたからね
でも皆、負けず嫌いだし、お互い意地があるから2時間やっても極まらないんです
僕なんて歯が折れてもギブアップしなかったですから
スパーリング中は歯が折れた痛みも全然感じないんですよ
今思えば特殊な環境ですよね
じゃあ、なぜそこまでやっていたかといえば、
『プロレスはストロングスタイルでなければならない』という猪木さんの思想があったから
関節技や、ガチンコの部分はなぜあるのかっていうのが
もしかしたらレスラー自身もわかってなかったかもしれませんが
リング上で闘いを見せる上では必要なんだって、
そういう風に教え込まれてましたからね
みんな『俺たちがいちばん強い』と思ってましたし、
今考えると馬鹿げてると思うけど、
当時は、藤原さんたちと一緒に『俺たちってよ、世界で5本の指に入るよな』とか話してました」

(http://taishu.jp/16146.phpより)

目白ジム(黒崎建時道場)

上の選手になればなるほど、誰とスパーリングをやっても極まらない

「これに勝つには打撃を身につけるしかない」

佐山は新日本に黙ってキックボクシングの道場に通い出す

「今と違って当時はほかの道場に行っちゃいけないような空気がありましたからね
でもある日、
僕がキックの道場に通っていることが新日本にバレた
叱られるかなと思って覚悟していたら、
猪木さんは褒めてくれたんです
僕が強くなるためにやってることだったからでしょう」

(http://taishu.jp/16146.phpより)

山本小鉄

「(新日本プロレスの)道場には時々道場破りが来るんだけど
その相手をするのは佐山が担当で
佐山は全員を退けました
リアルファイトは前田も強かったけど
笑顔で人間の腕をへし折れるのは猪木以外では佐山だけでした」
(山本小鉄)

佐山聡(新日本プロレス)vsマーク・コステロ(全米プロ空手ミドル級第1位)

そんな経緯もあって
この試合に抜擢され
佐山はこの試合に備えて目白ジム(キックボクシングジム)でトレーニングを積み
92kgあった体重を77.5kgまで落とした

1R、
佐山は果敢にバックドロップ、反り投げなどの投げ技を繰り出した
2R以降、
マーク・コステロがパンチ・キック・膝蹴りと一方的に佐山を攻めまくり
佐山は毎ラウンド、ダウンしては立ち上がるを繰り返した
佐山はプロレスラーとしてのプライドで何とかKO負けこそ逃れたものの
7回ダウンを奪われるという屈辱的な判定負けを喫した
この試合に負けたことで佐山はより深く格闘技に傾倒していった
寮の自室に
「真の格闘技は、打撃に始まり、組み、投げ、最後に関節技で決まる」
という標語を貼りつけていた

海外武者修行

Satoru Sayama visita México

1978年、
佐山はメキシコへ渡り
体重が20kg近く減るほど慣れない環境や食生苦労しながら
「サトル・サヤマ」のリングネームで活躍
NWA世界ミドル級王座を獲得した

Sammy Lee in Europe.

1980年
佐山は
イギリスへ渡り
「ブルース・リーの従弟:サミー・リー」のリングネームで
サミー・リーは東洋武術を使うプロレスラーとして大活躍した

クイックキック・リー Kwik-Kik Lee

後にイギリスへ渡った前田日明は
「サミー・リーの弟:クイックキック・リー」のリングネームで活躍した

当時の試合の告知メディア

1981年、
佐山は会社(新日本プロレス)から
「タイガーマスクの映画を撮るので帰国して欲しい」
という連絡を受けた
佐山は(イギリスで)タイトルマッチが目前だったので断った
しかし
「1試合だけでいいから」
「アントニオ猪木の顔を潰さないで欲しい」
と説得されしぶしぶ帰国した

タイガーマスク誕生

「タイガーマスク」もスポ根アニメの巨匠、梶原一騎の作品

「タイガーマスクの発端は
テレビ朝日でアニメの「タイガーマスク二世」の放映をスタートさせることになった時、
(原作者の)梶原(一騎)先生が
「新日本プロレスでタイガーマスク二世を作れないものかな」という相談をテレビ朝日にしたんだよ
それでスポーツ局の方から私に「梶原先生に会ってもらえませんか?」って話が来たの
梶原先生とはたしか永田町のホテルニュージャパンで会ったんじゃないかな
猪木は梶原先生の条件を聞いてすぐに「佐山だ!」と思ったみたいだね」
(新間寿)
(http://sports.yahoo.co.jp/column/detail/201006230010-spnavi)

新間寿

新間寿は
新日本プロレス専務取締役兼営業本部長
(社長はアントニオ猪木)
中央大学に入学後、
柔道部に所属しつつ
日本プロレスの道場にボディビル練習生として通った
そこで豊登と知り合った
大学卒業後、マックスファクター(化粧品メーカー)でサラリーマンをしていたが
豊登、猪木と共に東京プロレスの立ち上げた
しかし東京プロレスは3ヶ月で倒産し
新間は小来川鉱山鉱夫、ダイナパワーセールスマン、寿屋パン店の経営を経て
そして新日本プロレスに入った

グラン浜田

「後になって
(グラン)浜田が
「新間さん、何で俺を選んでくれなかったの?」って言ってきたから、
[お前のガニ股じゃあ、すぐに正体がバレちゃうよ]って
浜田は「いや、ガニ股は直しますよ」なんて言ってたけどね
タイガーマスクのプランが浮上してからデビューまで
裏ではかなりのドタバタだった
イギリスを発つっていう日に佐山がヒースロー空港から電話をかけてきて、
「新間さん、出国できないんです」って言うんだもん
佐山はちゃんと税金を払ってなかったんだよね
そこで佐山には1時間後にまた電話するように言って」
(新間寿)
(http://sports.yahoo.co.jp/column/detail/201006230010-spnavi)

福田赳夫

「私は福田先生(赳夫=第67代首相)の事務所に飛んで行ったわけ
それで事情を話したら外務省に連絡を入れてくれて
外務省を通じてイギリスの日本大使館が何もかもクリアしてくれたの
後に首相になる人の事務所が動いて
外務省が動いて
イギリス大使館が動いて帰国したんだから、
タイガーマスクのデビューは舞台裏も凄かったんだよ
それだけの裏の動きがあったのに
帰ってきた本人は
「新間さん、1試合だけですからね」って言うわけよ」
(新間寿)
(http://sports.yahoo.co.jp/column/detail/201006230010-spnavi)

タイガーマスク 降臨

いきなりタイガーマスクが・・・

プロレスのリングに立った

1981年4月23日、
蔵前国技館の新日本プロレスのリングに
突如、タイガーマスクが出現し
コーナートップに飛び乗り人差し指を上げた
そしてダイナマイト・キッドと戦った

タイガーマスクデビュー戦 相手はダイナマイト・キッド

「猪木に相談したら
「佐山だったらダイナマイト・キッドが1番いいだろ
ヨーロッパスタイルのレスリングもできるからな」って
でも私としたら心配でねぇ
2人は1度も対戦したことがないっていうし
果たして佐山がどんなファイトをするのか
キッドがどう受けてくれるか・・・・
そうしたら佐山のあの軽やかなステップから始まって
キッドも見事に対応してくれて
蔵前国技館は歓声に包まれて
「もうイギリスには帰すまい」と思ったよ
試合後、
観に来ていた梶原先生のところにスッ飛んで行って
控え室に来てもらって佐山に会わせたの
それから2日ぐらいして梶原先生の方から
「相談したいことがあるから飯でも食おう」って電話があってね
「これからもずっと出して欲しい
だからウチは黙ってタイガーマスクを提供したんだし
これからコマーシャルやいろんなイベントの話が来るだろうから
覚書を交わしてくれ」と
その時、梶原先生は
「本来ならウチに全部の権利があるんだけど、
アニメをテレビで放映してもらっているし、
あんなにいい選手だから
俺は7割、8割よこせとは言わないよ、50:50にしよう」って言ってくれたの」
(新間)
(http://sports.yahoo.co.jp/column/detail/201006230010-spnavi)

4次元プロレス、4次元殺法

タイガーマスクは
新日本プロレス伝統のストロングスタイルをベースに
全米プロ空手流の打撃技
ルチャリブレ(メキシカンプロレス)の空中殺法
を織り交ぜ
そのスタイルは「4次元プロレス」、「4次元殺法」と表現された
そして空前のタイガーマスクブームを巻き起こった
『ワールドプロレスリング』の視聴率は、ほぼ毎週25%を超え
地方興行は大入り満員が続いた

猪木の影

もう一つの闘い―血糖値596からの糖尿病克服記-アントニオ猪木

1982年、
猪木は
血糖値596の糖尿病にかかり、
インシュリン注射の力で治すのは自分の哲学に反すると言って
自然治癒で血糖値180まで下げ44日後にはカムバック戦を行った

生キャベツ丼

その方法は
どんぶり千切りキャベツを主食にし
「糖尿病で血糖値が上がった際、
氷風呂に入り全身の筋肉をガチガチと痙攣させ血糖を消費させるため」
と大量の氷を入れた水風呂に入った
(医師は「とんでもないことだ」と驚愕し「普通の人間は真似してはいけない」と語っている)

第1回IWGP優勝戦

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