横山ノックは、月亭八方が弟子入りした年に参議院議員に初当選。
ハゲ頭にピンクカール、口をとがらせてタコ踊りをする横山ノックが大好きだった20歳の月亭八方は、16歳上の横山ノックに、
「君は誰のお弟子さんや?」
と聞かれ、アガリまくった。
すると横山ノックは、懐からカードケースを取り出し、まるで子供のような無邪気な顔で
「これが新幹線の無料パス
これは国会議事堂の立ち入り禁止の区域でも入っていけるパスや」
といいながら、畳の上にカードを並べていき、そしてカードケースごと忘れていった。
気づいた月亭八方が、あわてて届けると
「お前んとこに忘れてたんか。
あちこち探してたとこや」
といわれ、
(あちこちでみせてたんか)
と思った。
「あれほど話が合うというか気が合う相手はいなかった。
なんでウマが合ったのかホンマ不思議」
という月亭八方と横山ノックの話は尽きず、2人共、酒が飲めないのでコーヒーやお茶だけで何時間でも話し続け、2人で旅行に出かけると、ずっとしゃべりっ放し。
最初、緊張しながら、
「ノック師匠」
「ノック先生」
と呼んでいた月亭八方だったが、やがて
「ノックさん」
になり、最終的に
「タコ」
「ハゲ」
「オッサン」
と呼ぶほど仲良くなった。
月亭八方は、23歳のときに結婚した。
相手の父親は、元大衆演劇の役者で大型スーパーでイベントを行う興行師。
月亭八方は、堺市のニチイで行われた興行に出たとき、自分より3歳年下の娘、三千代に出会った。
三千代は、平日、日本の大手アパレル会社、オンワード樫山のアドバイザーとして働き、土日の休日は父親の手伝っていた。
何回か顔を合わせるうちに月亭八方が食事に誘い、すぐにつき合い始めた。
父親に交際に反対された三千代は、大喧嘩の末、月亭八方の実家に転がり込み、2階で一緒に暮らすようになった。
こうして同棲が始まったが、階下に住む母親は、気が気ではなかった。
「アンタ、よそさんの娘さんは花瓶やないねんから、割ってしもうた、すんません、買い直して返しますわというわけにはいかへんで。
どうすんねん?」
「結婚するんやがな」
「それやったら、はよしい」
しかし月亭八方には
(結婚したらアイドルとして人気が落ちる)
(他の女の子と遊べなくなる)
という邪念があり、結婚はしなかった。
そうしている間に三千代が妊娠。
母親に
「別れるんやったら堕ろしたらええ。
別れへんのやったら産みなさい」
三千代に
「私は産みたい」
といわれ、月亭八方は実は戸惑っていたが、
「そりゃそうや」
とカッコをつけて、結婚。
長女が産まれたとき、母親は
「アンタがこの世におるんは私のおかげやで」
といい、月亭八方は、危惧していたように劇場やテレビ局で入り待ち、出待ちをしてくれる女の子や、
「キャーキャー」
という歓声が消えた。
新婚旅行はハワイに行ったが、それは2人目で長男の「八光」が産まれた後だった。
「今ならヘタしたら10万円前後でいけるみたいやけど、4泊6日の旅行費用は1人35万円、2人で70万円もかかった。
もちろん飛行機はエコノミーで泊ったのは安ホテル。
ワイキキのビーチから2本ほど入ったところにあり、窓からは建物の隙間から少~しだけ海がみえました。」
25歳で初めて車を購入した月亭八方は、26歳で映画「男はつらいよ 寅次郎子守唄」に出演。
シリーズ14作目のマドンナは、十朱幸代。
撮影は、佐賀県唐津市と神奈川県鎌倉市にある松竹大船撮影所で行われた。
山田洋次監督は、大の落語好きで、新宿の紀伊国屋ホールで開かれた笑福亭仁鶴の独演会を渥美清と共に観にいって、前座に上がった月亭八方に初遭遇し、数ヵ月後、吉本興業を通して映画出演をオファー。
「ボクの役は、嫁はんに逃げられて乳飲み子を背負う、頼りない若い亭主、佐藤幸夫。
九州、唐津にやってきた寅さんに子供を押しつけるエエかげんな男です。
でもそれが「寅次郎子守唄」と映画のタイトルになってるくらい重要な役。
ずいぶん経ってから「関西一の無責任男」と呼ばれるようになりましたが、山田監督はボクの高座を観て、ボクの本質的なところを直感されはったのかもしれませんね」
月亭八方は、大阪から東京に出て、湘南電車(現:東海道線)に1時間ほど乗って大船駅へ。
9時から始まる撮影に向け、8時半にはスタンバイ。
テレビの生放送や収録と違って映画の撮影は時間がかかった。
撮影所は知らない人ばかりで、関西弁を話すのは自分1人だけ。
孤独感を感じることもあったが、佐藤蟻次郎に話しかけられたり、倍賞千恵子にコーヒーを入れてもらったり、渥美清に食堂に誘われたり、自分から逃げた嫁を演じる春川まさみに相談したりしながら
「俺、映画スターみたいや」
と歓喜。
佐藤幸夫役の月亭八方は、子供を寅さんに押しつけるが、その後、子供を案じて上京。
とらやを訪ね、
「あの、子供を実は・・・」
と事情を話すのだが
「あの」
で声を張り上げすぎてNG。
「出てるような出ていないようなか細い不安げな声でお願いします」
といわれ、声を絞って
「あの」
といって1歩前に足を踏み出すと
「カメラ外れるから動かないでください」
といわれNG。
山田洋次監督は、カメラ位置や絵コンテなどすべて事前に決めていて、基本的に役者のアドリブは許さず、何度も撮り直しを行った。
アドリブで生きてきた月亭八方にとって衝撃的な世界だった。
国民的映画に出演し、お笑いの仕事も次から次に入ってきて、32歳の月亭八方は、月収が100万円を超えた。
師匠に
「飲む打つ買うは芸の肥やし」
と教わり、酒は飲めず
「打つ・買う」
の2拍子で芸を邁進させてきた月亭八方は、長男の出産をマージャンで忘れたり、浮気でケジラミをうつされ妻に剃毛してもらったりしていたが、この頃からギャンブルにのめり込んでいった。
麻雀、競馬、競輪、競艇、その他あらゆる賭け事に首を突っ込み、、
「負けが込むと大金を叩いて大逆転を狙ってしまう。
勝ったら勝ったで調子に乗って次の勝負に大金を突っ込む」
という月亭八方は、
「借金しても10日後には何十倍にもなってる」
と闇金融から10日で1割という高金利で金を借り、
「たった1年で借金の山。
さらに借金は雪だるま式に膨れ上がった」
やがて闇金融が貸し渋るほど月亭八方の借金はどうにもならなくなる。
回収できない場合、銀行ならば法的に訴えるなどの合法的な手段があるが、闇金融業者は元々、違法行為をしているので、そういったことができない。
だから非合法な手で使って月亭八方に迫り、
「とりあえず家を買え」
という悪魔のささやきと頭金として数十万円を貸し、14000万円の住宅ローンの書類を作成し、銀行に申請させた。
吉本興業から月に100万円以上もらっている月亭八方は、銀行の審査を通過。
400万円を闇金融に渡した。
400万円のうち、100万円は手数料で、300万円を返済したことになった。
同じ手口で闇金融業者にいわれるがまま、あちこちでローンを組み、結果、月々の返済額が増え、内緒にしていた嫁にもバレてしまい、怒られた。
嫁は、
「アンタはエヘッて頭かいてご飯食べられるかもしれん。
けどウチは、エヘッて頭かいてご飯食べられん」
といって北新地のラウンジで働き始めた。
月亭八方は、吉本興業の給料だけで借金を返すの無理なので、ミナミでスナックを始めることにした。
居抜きの物件を内装工事もせずに、契約期間が始まった、その日からすぐに営業を開始。
店名は
「SOS」
嫁をママに、まだ売れていなかったザ・ぼんちのおさむを日雇いウエイターに、月亭八方自身も働いた。
開店初日、お祝いボトルがたくさん入って、200万円の売り上げ。
「こんなボロい商売やったんや
この分やと楽勝で借金を返していける」
とほくそ笑んだが、翌日は80万円、3日目は60万円、4日目は20万円と低下。
やがて開店景気が落ち着くと、1日数十人しか客が来なくなった。
「えらいこっちゃ。
なんぼ足りん?」
酒屋の支払いや家賃のために、再び闇金融から借金。
開店2年後には、毎日、闇金融が集金に来るようになった。
通っているうちに、もうどうにもならないとわかった闇金融業者は、
「手形にしたらエエやん」
と悪魔のささやき。
「手形で支払えば、ちょこっと利息や手数料がつくけど、3ヵ月先まで実際の支払いを延ばせる」
日々の支払いに苦しんでいた月亭八方は、
「紙切れ1つでそんなことできるなんて魔法みたいやん」
と飛びつき、さらに闇金融業者から詳しく話を聞くと手形にすれば支払いを3ヵ月先に延ばせるだけでなく、手形割引というものにすると借金ができることがわかった。
手形を持つには銀行の口座が必要で厳しい審査があるが、闇金融業者は
「何とかなる」
とアドバイス。
仮に3ヵ月後、手形での支払額、また手形割引での借金額が口座になければ、手形は不渡りとなって店は倒産してしまうが、月亭八方は、
「そんな大層なことならんやろ」
とバンバン手形を切って、バンバン手形割引。
3ヵ月後、銀行口座にお金がないので、また借金。
また3ヵ月経っても利息や手数料を追加で払い、相手が納得すれば期限を延ばせることを教えてもらい、
「これをジャンプするいうんや」
といわれ、可能な限りジャンプ。
「先延ばしにしてるだけで住宅ローンと同じです。
ただ手形の場合、不渡りになる。
そして1回不渡りになったら、手形に信用がなくなって連鎖的に次々に不渡りになっていくんです。
気がついたらどんどん不渡りになって、不渡り手形の総額は、5000万円くらいにはなってたと思います」
月亭八方は、初めて不渡りになったと聞いたとき、真っ青になりながらも、腹の底では
(だからどやねん)
逃げることなどまったく考えず、毎日、やって来る借金取りに対応しながら、
(時間さえくれたら返すのに・・・)
と思っていた。
結局、スナックは閉店。
借金は始める前より増え、1億数千万円になった。
借金取りは、花月の楽屋にもやって来るようになり、月亭八方の窮状は、会社や仕事場、業界に一気に広まった。
「そんなつもりの高座名ちゃうけどホンマ八方ふさがりでした」
呆れたり、見放す人もいたが、救いの手を差し伸べる人間も何人かいた。
1979年12月10日、朝日放送で正月番組のリハーサル中、月亭八方は、突然、番組プロデューサーに
「ホテルプラザのバーで寛美さんが待たれてはるそうです」
といわれた。
それまで昭和の喜劇王、藤山寛美とあったのは1度だけ。
北新地のクラブで、西川きよし、坂田利夫、レッツゴーじゅんと一緒に5人で酒を飲んだことがあるだけだった。
月亭八方は、なぜ呼ばれたかわからないまま、朝日放送の横に建つホテルプラザへ。
バーに着くと藤山寛美はいきなり
「ここに1000万円入ってる。
いるだけ使ったらエエ」
と笑顔でいい、ボストンバッグをカウンターの上に置いた。
藤山寛美は、吉本興業のライバルである松竹芸能所属で、しかも1晩酒を飲んだだけの関係。
さすがに遠慮していると藤山寛美はバッグを持ち上げ、月亭八方に渡し、
「わたしには12億円の借金がある。
それに比べたら1000万円なんて小さいもんです。
それに12億1000万円に借金が増えたって、同じことやからね。
関西の芸人で手形で失敗するのはわたし1人で十分やろ」
といって笑った。
月亭八方は、その豪快さに驚きながら
(この金は絶対返さなアカン。
自信がないなら借りたらアカン)
と思い、とっさに
「吉本のほうで全部、保証してやってくれるそうなんです。
弁護士も入りますんで」
とウソをついた。
藤山寛美の眼光が一瞬鋭くなり、
(見抜いてはる!)
と縮み上がったが、藤山寛美は
「そうか」
といった。
翌日、月亭八方がなんば花月にいると、藤山寛美から道頓堀の中座の楽屋に来てほしいという連絡が入った。
月亭八方はあわてて直行。
そして座長部屋へ入ると、床一面に靴が並べてあった。
「足に合う靴を持っていきなさい」
優しい目で藤山寛美に促され、月亭八方は一足をもらって帰った。
「靴だったのは意味があったんやと思うんです。
足元をしっかりみなさという」
またある日、借金の元となったスナックの開店を手伝ったザ・ぼんちのおさむが、
「わずかですけど・・・」
といって銀行の封筒を渡してきた。
月亭八方は、
(やけに分厚いな)
と思いながら受け取り、
「お前になんの責任もないがな」
といいながら、中をみると200万円が入っていた。
普段から無駄遣いも贅沢もしないおさむは、
「銀行に入れてるだけですから、僕には必要ありません。
使ってください」
といった。
藤山寛美の1000万円には手が出なかった月亭八方だが、おさむの200万円は
「ありがたく使わせてもらうわ」