1986年、朝日放送で「ナイトinナイト」が放送開始。
「ナイトinナイト」は、月~木曜の深夜バラエティ番組枠の総称で、
月・火 桂三枝
水 桂春蝶(後にやしきたかじん→渡辺徹→高杢禎彦と山田雅人→板東英二)
木 月亭八方
が司会を務めた。
木曜日の「月亭八方の楽屋ニュース」は、超人気コーナーとなった。
「楽屋には愛がある。
楽屋には夢がある。
楽屋には希望がある。
そして楽屋には・・・・」
という怒鳴りで始まり、ニュース番組のヘッドラインのようにボードに見出しを羅列。
昭和の師匠たちの伝説を中心に、爆笑の楽屋ネタを次々と紹介。
「月亭八方の楽屋ニュース」は12年半続き、その後、月亭八方となるみが司会を務める「八方・なるみの演芸もん」の1コーナーとなってさらに1年間継続。
1999年、13年半におよぶ歴史は一旦幕を降ろしたが、2003年年末特番で今田耕司とコンビを組んで「八方・今田の楽屋ニュース」として復活。
毎年、12月の最終週に4時間前後の生放送として放送されている。
「この企画は、そもそもボクがこの世界に入って、落語家や芸人さんの楽屋で見聞きしたことが、とんでもなく面白く、誰かに話さずにいられないところから始まりました。
芸人の常識は世間の非常識。
楽屋で見聞きしたことすべて、世間からみたらめちゃくちゃ非常識。
しかも限度を超えてる。
だからおもしろうてたまらない」
月亭八方は、38歳から楽屋ニュースを始め、51歳まで継続し、55歳で復活させたが、その間、44歳から大学に通った。
小論文と面接の試験を受け、関西学院大学経済学部オープンカレッジコースに合格。
1限目の授業があるときは朝7時に起床して通学し、休講になるとゼミの仲間と麻雀。
嫁に何かいわれても
「学生のすることやん」
といい訳し、北新地のクラブで
「学割にしてくれ」
と学生証をみせると少し安くしてもらえた。
選んだ研究テーマは「国際社会と日本経済」
TPP(環太平洋戦略経済連携協定)や関税など経済問題を
「WTO(世界貿易機関)は、目先の自分の利益に追い求めすぎ。
欲をかくと何も手に入らん」
「物事は引きどころか肝心。
大阪では当たり前の値引きでも最終的にギリギリのところでお互いに引いて落としどころをつくる」
などと理解。
2年間の学びの集大成として書いた卒論は、外国人労働者問題の視点からお笑い産業の育成と発展をテーマにした。
「アジアから日本に出稼ぎに来るという自然な流れだが、日本政府は、単純労働者を入国させず、何らかの技能がないと労働ビザを下ろさなかった。
それで不法入国の外国人労働者が増えて問題になった。
このことを吉本の芸人と関連づけてみると、かつて大阪芸人にとって東京は海外みたいなもんやった。
ギャラも高くて仕事の効率もいいし、何やら華やかな雰囲気もある。
とりあえず出稼ぎにいってみたいし、定住したら、いい暮らしができるかもしれない。
東京進出を吉本興業が認めれば、いくらでも仕事はあるけど、認めないと仕事にあぶれて強制送還みたいなことになってしまう。
つまり吉本興業が認めるということは労働ビザみたいなもん。
そしてモノマネや鉄板ギャグ、突出したアドリブ力とか話芸とか技能を持っていれば吉本興業は認めてくれる」
この卒論は、NHKの「クローズアップ現在」でも取り上げられ、
「笑いの日本経済学~落語家月亭八方の卒業論文」
というタイトルで放送された。
その後、月亭八方は、大阪府立大学から非常勤講師の話が来て、大学で教える立場になった。
1992年、バルセロナオリンピックの前年、大阪ローカルの土曜夕方の特番でスペインへいった月亭八方は、工事現場を背に
「1年後、ここで開会式があります」
と真面目にレポートした後、
「まだ建設中いうけど大林組やったら3ヵ月でやるで」
「いや、鹿島やったら3日やな」
とボケた。
LOEWE(ロエベ)という有名ブランドの店に入って
「ロエベ?
ルイベちゃ?」
「そりゃ鮭やがな!」
と一人ノリツッコミ。
そして
「知り合いの女の子のお土産に、これと、これと・・・」
と1個数万円するバッグを5人分選ぶなど借金はあるとは思えない買いっぷりをみせた。
1980年代、お笑いブームの主役は漫才師だったが、アドリブやコメントに力がある月亭八方は、
「すてきな出逢い いい朝8時」
「花の駐在さん」
「あまからアベニュー」
「月亭八方の楽屋ニュース」
など10年以上、レギュラー出演。
落語からは遠ざかったが、落語家をやめようと思ったことは1度もなく、
「心は常に落語家」
で、その理由は
「落語が好きだから」
たまに高座に上がると
「普段から演ってないとできん」
と稽古不足を痛感し、師匠たちの落語を聞いて、改めて強い憧れを抱いた。
だから
「落語家としてではなく、客寄せパンダで呼ばれてる」
と思っても、頼まれれば出来るだけ高座に上がった。
ずっと他の落語家の落語会に出続け、
「八方師匠」
と呼ばれていたが、芸歴35年、齢50年半ばを過ぎて、自分の落語会、月亭一門の落語会をやりたくなった。
稽古の量と高座に上がる回数を増やして準備。
最初の
「月亭会」
は、2007年11月、月亭八方が59歳のときに開催された。