大久保佳代子は、愛知県の渥美半島にある田舎町に生まれた。
父親は大久保家の長男で、中学校卒業後に入った会社を定年まで勤め上げた寡黙な男。
毎日、同じ時間に起き、同じご飯(バターを塗ったパン&コーヒー)を食べ、会社に行って、どこにも寄らずに同じ時間(17時過ぎ)に帰宅し、同じ時間(22時頃)に寝るという生活を繰り返していたので、幼い大久保佳代子は、
「生きていて何が楽しんだろう」
と思った。
そしてスーパーでパート勤めをする母親は、
「勝手にしゃべり、文句ばっかりいう」
3歳上の兄は、
「お調子者」
という家族構成。
そんな大久保家の長女、大久保佳代子は、自分が生まれた頃に嫁姑問題が悪化。
そのため3歳上の兄は色々なものを買ってもらっていたが、大久保佳代子が祖父母の寵愛を受ける機会が激減。
近所のおばちゃんに
「お母さんに似てきたね」
といわれると母親が、
「違う!違う!
この子は父親似なの」
と全力で否定したり、父親に頻繁に
「女は愛嬌」
といわれ、大久保佳代子は自分の容姿に不安を抱いた。
実家は渥美半島の海の近くにあり、堤防で釣り糸を垂れればキスやアジなどが釣れた。
近所の魚屋に並ぶ魚も安くて新鮮で、愛知県東三河のソウルフード「イワシ玉」も売っていて、
「出来立てがメチャクチャ美味しい」
と学校が終わると魚屋に直行。
「東京の女の子たちが原宿でクレープ食べているとき、私は魚屋でいわし玉食ってました」
土曜日の昼食は母親が仕事にいく前につくった冷たいおにぎりや冷えたご飯に、のりたまやゆかりなどのふりかけを食べていたため、現在でも
「パサパサの冷メシにふりかけをかけて歯茎に当たって痛いのが好き」
魚だけでなく味噌汁の出汁に使う煮干しを愛犬、ホイットマンと一緒に食べて育った大久保佳代子は、小学校5年生のとき、音楽室の掃除中にビアノを移動させていて、足の指を挟んで複雑骨折。
医師に
「障害が残って、一生走るときに支障が出るかもしれない」
といわれて40日間入院したが、マラソン大会で11位になり
「奇跡」
といわれ、大人になって「27時間テレビ」の88kmマラソンも無事に完走。
ちなみにホイットマンは、柴犬が野犬に犯されてできたオスの雑種で、最初は外で飼っていたが
「寒いから」
「雨だから」
と何かと理由をつけて室内に入れ、最終的に父親の座布団が定位置になった。
小学校の同級生は、住んでいる地域が山か街かで分かれ、
「山の子」
である大久保佳代子はリレーを裸足で走ったことがあった。
「街の子」である光浦靖子とは、小学校1年生のときに初めて出会い、同じ中学、同じ高校に通うことになるが、光浦靖子は大久保佳代子のことを
「私より人から好かれる」
と思っていた。
大久保佳代子が「街の子」であるたまちゃんの誕生日会にいったとき、出てきた料理は「手巻きサンドウィッチ」
テーブルの上に並んだ具材を自分でパンにはさんで食べるというだけでも斬新なのに、カラフルな具材をサランラップを使ってくるむとキャンディのようで大久保佳代子は衝撃を受けた。
そして後日控えている自分の誕生日会に不安を感じたが、その日、母親は「手巻き寿司」を用意。
しかしキュウリがスティックではなく輪切りになっていたり、お箸がうどん屋や寿司屋などバラバラの店名が書かれた、出前でもらった割り箸で
「なんで」
と思いながら、割りばしから袋を外した。
ひな祭りに飾られるひな人形はガラスケースに入った小さなもので、初めて友達の家で7段飾りの立派なものをみて
「ガラスに入ってない」
と驚き、家に帰ると
「これだけじゃさみしい」
とまったく関係のない人形をガラスの中に入れ、夜ご飯のおでんの後、スーパーに勤める母親がノルマ的に買わされた菱形の雛祭りケーキと雛あられを食べた。
「雛人形をしまい忘れると婚期が遅れる」といわれるが、現在でも独身である大久保佳代子は
「子供の頃、数日間放置してあった!」
と結婚できない理由をなすりつけ、まったく飾られることなく実家の倉庫に眠っている雛人形を
「今頃、髪の毛が伸びてるかもしれない」
と恐れている。
夏祭りで「カラーひよこ」や「オレンジマウス(オレンジ色をしたネズミ)」を
「自分で面倒をみる」
という約束で買ってもらい、家で育てたが、ニワトリは小屋を脱走して裏山で野犬に襲われるという最期を遂げ、「力(リキ)」と名づけたネズミは、飼っていた2階のベランダで
「アオダイショウをみた」
という父親の証言を最後に行方不明。
クリスマスは、おもちゃ屋につれていってもらい、
「好きなもの選んでいいよ。
3千円までね」
という母親の夢もデリカシーもない一言に負けず、寝る前に買ってもらったプレゼントを自分で枕元に置いて、次の日の朝、
「わあ、サンタさんだ」
と喜び、自分で選んだものなのに
「何が入ってるんだろう」
といいながら開封した。
「幼い頃は自己肯定感が高めの女の子だったんですよ。
友達や先輩からは「カバ子」という明らかにネガティブなあだ名で呼ばれているのに、それを人気者の証しとオリジナル変換して落ち込むどころか「自分はクラスのマスコットガールだ」と思い込んでいましたから。
そんなポジティブ精神を貫くことができたのは、他人と自分を比べないというか、その前に自分をしっかりみないというか、気づかないふりをするというか……
自分で自分を追い詰めないのって大切な気がするんですよ。
例えばマスコットガールだと思うのもその1つだよね。
冷静に考えれば「カバ子」というあだ名も変だし、好きな男子を見つめれば消しゴムを投げられるし、休み時間に自分の机が校庭に出されていたこともある。
でもそこと向き合ってしまうとネガティブな「私なんて」スイッチが入ってしまう。
だからこそ、そこからは目をそらして
「私がカバ子と呼ばれて振り向けばみんな喜ぶし、私の一挙手一投足で周りの友達は笑ってくれる。
ある意味、これって人気者だよね?」
っていいところだけをピックアップして生きてました」
暗記が得意で、小学校で珠算2段を取得取。
毎週、テレビで歌番組「ザ・ベストテン」でダイジェストで流れる20~11位の順位をノートにメモ。
例えば中森明菜の「飾りじゃないのよ涙は」は、「かざ」「あきな」とメモし、後で清書。
翌日、それをみんなにみせた。
「何のために?
わからない(笑)
暗記が関係あるかわかりませんが、そういう細かくコツコツやる作業が好きでした」
中学生になるとシブがき隊時代の薬丸裕英のワイルドさにハマり、津川雅彦が演じたラブシーンに衝撃を受けた。
そして1番好きだったのは、ビートたけし。
雑誌、レコードを全部買い、今でも人生で1番大切な曲は「OK!マリアンヌ」
「男のアイドルとしてみてた。
本当に男としてイケメンじゃない?
色気があって、いい車乗って、お姉ちゃん抱いて。
オールナイト(ビートたけしのオールナイトニッポン)の翌日はたけしさんの口調が乗り移って、ブスな女の子たちと一緒に笑って過ごしてましたよ。
ひどいことをいって、逆に笑いにしてあげようっていう感覚は、たけしさんから与えられたものだと思います。
フライデー襲撃事件の後、ファンクラブの情報から、嘆願書っていうの?、裁判所に出すと刑が軽くなるっていうから学年中に「名前と住所と拇印押して」っていって集めました」
そして32歳のとき、テレビ朝日の「名医とつながる!!たけしの家庭の医学」で初めてビートたけしと共演。
「ひな壇で座らせてもらって。
全然、私のことなんか認識もしてないし。
そしたらパッと目が合って『お姉ちゃんはどう思うの?』って。
お姉ちゃんっていわれて、私のこと、お姉ちゃんって呼んでるぅ~と思って、うれしかった!」
山のふもとに住む大久保佳代子は、中学生になると祭りが行われる神社に立つやぐらと浴衣を着た女の香りにエロスを感じ始め、
「街の祭りでは、すごくいやらしいこといが起きている」
という噂を聞き、妄想を膨らませていた。
実際は祭りの雰囲気に乗じた男女が告白したりデートしたりするだけだったが、街の子だった光浦靖子は、待てど暮らせど誰にも誘われず、やっと声をかけてきたのが大久保佳代子のイトコで、
「人生最大の屈辱」
といっている。
大久保佳代子は、大人になると東京の下町の祭りに参加。
ハッピ姿で神輿を担ぎ、周りから水をかけられてビショビショになり、
「残ったのはメイクが落ちてブスになった私」
オネエ友達に誘われて男性器を奉る「かなまら祭」を観にいき、男性器の形をした飴を購入。
しばらく部屋に飾っていたが、
「食べてみようかな」
と思い、部屋で1人なめてみたが、悲しくなって捨てた。
ある日、抑えきれない性欲を発散させるため、
「引き出しとかベッドの下をみるとだいたいエッチなのが出てくる」
という3歳上の兄の部屋を物色。
以前、主に男子大学生をターゲットととしたファッションや恋愛マニュアルを扱った情報誌「Hot-Dog PRESS」があり、エッチな記事をみて興奮したが、このときはラベルに「武田信玄」と書かれたビデオテープを発見。
ビデオデッキに入れてみると見事なエロビデオ。
誰もいないリビングで鼻息を荒くしてみていると、タイミング悪く帰宅した兄とまさかの鉢合わせ。
「お兄ちゃんが帰ってきて。
私がこうやって興奮してみているのを、パッとみたら、斜め上からみてたんですよ」
大久保佳代子は、何事も無かったかのようにビデオを停止。
そしてリビングを立ち去ったが、興奮している姿をみられてしまい、以後、15年間、兄とは自然な会話がなくなった。
武田信玄事件の後、兄妹の間には気まずい空気が流れ続けたが、雪解けのきっかけは酒だった。
2人とも酒が好きで、帰省する度に自然と一緒に飲むようになり、気づけばよい飲み仲間に。
大久保佳代子は、家庭を持ち、子供を大学まで進学させた兄を尊敬していた。
ツイッターのアイコンに自分とのツーショット画像を使っていたり、女芸人仲間から
「大久保さんのお兄さんからツイッターをフォローされました」
と報告を受けたり、気を遣ってフォローを返した女芸人と知らぬ間に自分を飛び越えて連絡を取り合っていたりしていても、
「佳代子をよろしくお願いしますって応援してくれてんだ」
と信じていたが、アイドルグループ「恵比寿マスカット」のメンバーをフォローしていたり、
「レギュラー番組減ったな」
「あの番組視聴率悪かったな」
といわれると微妙な気持ちに。
岐阜県の愛知銀行中津川支店の支店長をやっている兄に電話で、
「岐阜県の中津川市で1日警察署長をやってくれ」
と頼まれ、
「縁もゆかりもないし嫌だよ」
と1度は断ったが、
「警察官と知り合いになって、妹が大久保佳代子っていっちゃったから」
といわれ、
「わかったよ」
と承諾。
こうして岐阜県警中津川署の1日警察署著をやることになった大久保佳代子は、宮ノ腰署長から委嘱状と「1日警察署長」のたすきが手渡され、制服姿で敬礼。
その後、ステージ上で兄とトークを行うことになり、、
「佳代子の制服姿どう思います?」
と聴衆に話す兄をみて
(嫌いだわ~)
と思ったが、その後に行われたパレードで振り込め詐欺防止について人々に
「怪しいお金の話やメールがあったら家族を含め、誰かに相談しましょう」
と注意喚起した。
高校では、大学進学を目指す生徒を集めた「選抜クラス」に。
同じ小学校、中学校に通った光浦靖子と初めて同じクラスになり、
「クラスの男子なんかいっこも面白くない」
「私たちの方が面白いよね」
といいながら、テレビやラジオで得たネタで大爆笑をとった。
「高校時代、ビジュアルでいうと中の下くらいの女子5、5人でくだらないことばかりしていました。
「廊下で1人タンゴ」とか。
光浦さんがプロデューサーで、私が実行役。
半分イジられる感じですかね。
で、仲間うちで笑うっていう。
モテるわけないし、男子とは口をきかなかった。
学校の「オモロいやつら」というポジションというわけでもなかったですね。
お笑いといえば、ひょうきん族。
たけしさんのファンでした。
バンドブームでブルーハーツやユニコーンが好きだった。
休み時間に学校を抜け出して、公衆電話から「ぴあ」に電話してライブのチケット買おうとしたのを見つかって怒られたとか、遅刻しそうになると校門のところにカウントダウンしている先生がいてゲンコツもらったとか、まあオーソドックスな昔の田舎町の高校生」
大好きなブルーハーツの「世界のまん中」という曲を聴いて、
「私のまん中は愛知県田原市じゃない。
この場所に自由はない。
こんな鳥かごにいちゃだめだ」
と渥美半島から脱出を望み、W浅野(浅野温子さん&浅野ゆう子)のトレンディドラマを観て、
「大人になったら東京の華やかなマスコミ業界で働いて、そこで出会った男性と結婚して、。共働きをしながら素敵なマンションで暮らしている」
という理想を描き、
「東京にいけばライブハウスがあって、ワハハ本舗があって、こっちで経験できないものがたくさんある」
と東京に憧れる大久保佳代子は、父親に
「大学に行きたいんだったら国立じゃないとダメだぞ」
といわれ、
「東京に行くために大学入らなきゃ」
と決意。
受験勉強のために運動部には入らず、天文地学部に入った。
そこでは夏、校舎の屋上に寝転がり、流れ星を見つけた人が手を挙げて
「流れました」
と伝え、誰かが記録するという活動が行われていた。
勉強は、塾や予備校はないので近くの文化会館の図書室に行くか家でやるかしかなく、意志の強さが必要だったが、
「父譲りのこうと決めたらやる性格」
「暗記は得意」
という2つの武器で立ち向かった。
「理系のアプローチはできないので出そうな問題を何回も解いて暗記する。
ほぼ暗記科目だと思って、この問題はこう、と解き方のパターンを覚える。
だからあまり面白くはなくて、修業みたいなもの。
1日6時間やると決めて、決めたらやらないのが嫌なんです。
でもなかなかキツいじゃないですか。
泣けてきて「もうヤダ」って。
起爆剤の1つは、ブルーハーツ。
それでもダメだとお母さんに「寝とって受かると思ってんの!」っていわれて、「10分休んでただけじゃん!」って泣きながら怒って、ハーフーって息をつきながら机に戻る。
そんな毎日の中で、友達と約束していることが1つありました。
「午前1時に電話し合おうね」と決めていたんです。
同じグループにいた近所の関さん。
1日交代でかけていました。
当然、親は寝てるから、お互い電話の前で待っていて「チン」の瞬間に受話器を取る。
「もしもし起きてた?」
「起きてたよ」
「やる気ないよね」
少しだけ、学校の話や先生の話をして
「あと何時間やる?」
「2時までやろうかな」
「じゃそうしよっか」って。
この電話は、すごく励みになりました。
孤独な受験勉強で、「1人じゃない」って思えたのは、関さんのおかげです」
いよいよ大学受験シーズンが迫ってくると、
「お茶の水、難しそうだな。
東京都立大、学芸大、ギリギリ落ちたらどうしよう。
じゃあ横浜?
筑波は遠いし」
と東京を中心に国立で入れるところを探し、最終的に千葉市稲毛区にある千葉大文学部に落ち着き、
「キレイに都落ち」
詰め込むように勉強したことは千葉大学に合格した瞬間、全部抜けた。
「受験勉強は苦痛でした。
ただ、おじさんみたいですが、いまだに「努力して時間をかけたものは、ある程度報われる」と信じています。
今、お笑いの世界でも閃きとか発想とかは、基本ない人間だと思っています。
でもお題がわかっていれば「今日は3時間考える」って決めて考えます。
2時間やってあきらめるんじゃなく3時間たったときに出てくるんじゃないかと考える。
時間を決めて勉強していた受験勉強みたいに。
やればやるだけ、結果が出た記憶からでしょうね。
色んなパターンがたまっていけば、ある意味、公式みたいになることもある。
受験じゃないんで、変えないとあきられますけど。
目標に向かって、苦痛でもがむしゃらにやらないといけないときはあります。
受験生のみなさんは、たぶん今がそのがんばり時。
何時までやったら好きなアーティストの曲を聞こう。
10分だけねとか。
煮詰まったらいやらしい動画をみようとかうまく息抜きしてください。
私もお兄ちゃんの部屋でエロ本探してました。
気を抜く時間を少しだけつくって、後はがむしゃらにがんばる。
そうすれば、その先に必ず楽しいことが待ってます」
大学に進学し、1人暮らししたての頃、
「人を疑わない子だった」
という大久保佳代子は、街を歩いていると知らない女性から
「絵みていきませんか?」
と声をかけられ、いわれるがままついていき、さらに
「 どの絵が1番いい?」
といわれ
「 これです」
というと 、その絵と一緒に部屋の隅っこに連れていかれた。
そしてしつこく購入を勧められるという予想外の展開になったが、
「見栄を張って」
数十万円もする絵画を買うことになり、支払い方法について、
「月々5000円、75回払い」
といわれ
(そんなローンの回数あるんだ)
と思った。
愛知県に帰るときは、実家へのお土産として駅でケーキを購入。
店員が保冷剤を入れるために持ち運ぶ時間を聞かれると、本当は2~3時間かかるが、
「2~3時間っていうと、はるばる来た感とか、わざわざ来た感がある」
と
「10~20分」
と見栄を張り、家につくとケーキがドロドロになっていた。
猛勉強の末、愛知県渥美半島の外へ出た大久保佳代子は、
「好きなことや夢を見つけよう」
と大学生活をスタート。
花形といわれていたスカッシュサークルの新歓コンパに参加するも、男子は可愛い女子のテーブルに集中。
まるで空気のように扱われ、落ち込むより先に、
「ここは私の居場所ではない」
東京外国語大学インドネシア語学科に合格していた光浦靖子に誘われ、謎のお笑いサークルに参加してみると、花形サークルと比べると地味だが面白い人たちばかり。
「こっちのほうがイケてる」
と思い、早稲田大学のお笑いサークル「早稲田寄席演芸研究会」に入り、光浦靖子と「オアシズ」を結成した。
「お笑いが大好きで、1番リスペクトするものだと思っていた分、なれるわけないというか、なるものとは思ってなかった」
というが、早稲田大のお笑いサークルに入ったことで東京行きの夢は果たされた。
渥美半島で海の恩恵を存分に受けながら育った大久保佳代子だが、子供の頃の海水浴の思い出はワカメにまとわりつかれたりクラゲに刺された記憶だけで、ビキニ姿で海を楽しんだことなどなかったが、大学時代、光浦靖子を含めた千葉の地元の友達と海へ。
そしてバーベキューをしていると休暇中の自衛隊員にナンパされた。
「こちらも相当なブスが集まっていたけど、あちらも相当精力が有り余っていたんでしょうね」
ツーショットタイムとなり、大久保佳代子の相手は「班長」と呼ばれていた、
「40歳くらいのオッサン」
だったが、口説かれてまんざらでもない気持ちになった。
そのとき遠くをみると若い自衛隊員に手旗信号を教えてもらう光浦靖子がいた。
大久保佳代子は、この時期に脱毛を初経験。
「今って医療脱毛でピピピピってね、大きくやってくれるけど。
昔は毛穴1個1個をつぶしてくタイプで、すっごく痛いの」
というが
キャンペーンで12〜13万円で脱毛ができると書いてあったが、カウンセリングでワキをみられると
「ワキの毛穴の数と毛のポテンシャルがすごい」
といわれ、70万円という驚きの金額を提示され、
(軽自動車買えちゃう)
と思い、体だけでなく財布も大きなダメージを受けた。
現在ではVIO脱毛も完了し、
「味付けのりのよう」
になったという。
また大久保佳代子は、最初、家庭教師などのアルバイトをしていたが、千葉大学在学中にOL(オフィス・レディ)となった。
「たまたま引っ越し先の近くでいい仕事先が見つかって、OLになったんです。
いわゆる売れてない芸人さんがいろんな所でバイトしますよね。
そんな感じでオフィスワークを月〜金でやり始めて・・・
オープニングスタッフでゼロから始められることや、外に出ない仕事だったことも良かった」
その会社は、丁寧な研修があり、仕事は月曜から金曜まであり、大久保佳代子はパソコンのブラインドタッチもできるようになり、仲の良い同僚もでき、仕事は面白くなっていった。
やりがいを感じながら楽しく会社勤めを続け、やがてリーダー、スーパーバイザーと昇格。
新人の研修をしたり、シフトの調整をしたり、どんどん仕事を任されていった。
一方、お笑いも将来の成功を夢みて稽古に励み、相方の光浦靖子とは親兄弟より固い絆で結ばれていた。
大学4年生の夏、早稲田寄席演芸研究会の先輩に、
「お前ら面白いから1回事務所のオーディションに行ったら?」
といわれ、
「卒業記念に受けてみる?」
と人力舎のネタ見せオーディションを受けた。
その後、出演した学園祭で東京のテレビ局のディレクターにスカウトされた。
それはフジテレビの深夜バラエティ番組「新しい波」の伊戸川俊伸ディレクターで、大久保佳代子と光浦康子は、このナインティナイン、極楽とんぼ、よゐこなども出演する番組へ出演することが決まった。
それはブスを売りにしてブレイクするオアシズらしからぬシンデレラストーリーだった。
オアシズの初ライブに向け、準備を重ねる日々。
ある日、光浦靖子が稽古場にいると
「おはよう、やっちゃん」
といわれて振り向くと、そこには大久保佳代子。
そしてもう1人、男性が立っていた。
大久保佳代子が、
「あっ、紹介するね。
これっ、友達のシンペイ」
といった後、シンペイに
「よろしく」
といわれた光浦靖子は、その爽やかな笑顔に一目惚れ。
それまで恋愛経験が全くない光浦靖子にとって、これが生涯の初恋。
その後、寝ても覚めてもシンペイのことが頭から離れなくなった
生まれて初めての気持ちにどうしていいかわからず、勉強もまったく手につかなくなった光浦康子は、思い切って大久保佳代子に
「あのね、かよちゃん。
私、シンペイ君のこと好きになっちゃった」
と相談した。
「エッ、ホントに?」
大久保佳代子は、驚いた後、
「シンペイ、いい男だよ」
「お似合いだよ」
「告白しちゃいなよ」
と励まし、光浦靖子は、想いを打ち明けることを決意した。
そして思い切って告白してみるとシンペイは
「実は俺も初めて会ったときから光浦のことが気になっていたんだ」
こうして2人は恋人に。
光浦靖子は、
「やっこ」
「靖子」
と呼ばれながら、人生で最高の日々を過ごした。
大久保佳代子いわく、
「一応、芸名っていうことなんですけど、別に何もやってない人なんですけど」
というシンペイは、本名を名乗らない。
光浦靖子は、本当の名前を
「別のルートで入手した」
そして上野公園でデートしているとシンペイが
「あっ、ここ、俺ん家のお墓がある」
といい出し、
「ご先祖様に靖子を紹介したいんだ」
といわれ、うれしくなった光浦靖子は一緒にお墓参りに。
そこには本名とまったく違う苗字が刻まれた墓石があったが、
「新しい彼女の靖子です」
といって手を合わせて拝んだ。
ある日のデート中、服屋でグリーンのTシャツを見つけた光浦康子は、
「これよくない?」
とシンペイの体に押し当て、
「緑似合うかな?」
というシンペイに、
「絶対似合うよ」
といってプレゼントし、
(この幸せな瞬間が一生続きますように・・)
と祈った。
光浦靖子とシンペイと付き合って2ヵ月、オアシズは初めてのライブに向けて稽古を続けていた。
ある日、光浦靖子が稽古場で待っていると大久保佳代子が
「おっはよー」
といってやってきた。
「あっ、おはよう」
といって振り向いた光浦靖子は、目を疑った。
「ごめんね。
遅刻しちゃって。
電車が遅れちゃってさ」
という大久保佳代子が見覚えのある緑色のTシャツを着ていたのである。
(まさか、私がシンペイに買ってあげたTシャツ?
イヤイヤ、絶対偶然。
偶然に決まってる)
自分にいい聞かせていると大久保佳代子に
「どうかした?」
といわれ、
「ウウン。
アッ、稽古始めよっか」
胸騒ぎはおさまらないがライブに向けて準備を進めた。
しかし初めてのライブを明日に控えた夜、悪夢は現実のものとなった。
電話が鳴り
「はい、もしもし」
と出ると
「アッ、靖子?」
というシンペイの声。
「あっ、シンペイ。
どうしたの?」
「ああ、あのさあ・・・・
俺、いま佳代子の家に住んでるんだ」
光浦靖子は、その夜、朝まで一睡もせず泣き腫らした。
この事件の後、
「やっちゃん」
「かよちゃん」
と呼び合っていた2人は、
「光浦さん」
「大久保さん」
と呼ぶようになり、光浦靖子は恋愛を捨て、人生のすべてをお笑いに賭けた。
一方、大久保佳代子にとってもシンペイは初めての恋人。
好きになった理由を
「人のものってよくみえるじゃないですか」
という大久保佳代子だが、光浦靖子と2ヵ月交際したシンペイと結果的に5年間つき合い、
「もてあそばれた」
という。
「女に金を払わせない」
が口癖のシンペイは、日雇いで肉体労働のアルバイトの後、稼いだお金を持ってニッカポッカのまま、大久保佳代子を焼肉に連れていった。
そんな
「豪快かつトリッキー」
なシンペイに誕生日に自転車をプレゼントされた大久保佳代子は、
(いかにも中古っぽいな)
と思いつつもうれしく乗っていた。
すると警察に止められ、
『被害届出てます』
といわれ、
「もらった」
というと
『誰にもらったの?』
と追及され、
「今どこにいるかわからない」
と決して口割らず、結果、派出所から警察署まで連れて行かれた。
クリスマス当日、シンペイが急に
「ケンタッキーが食べたい」
といい出したため、大久保佳代子は買いに出かけたが、予約なしにケンタッキーフライドチキンは購入できず、仕方なくチキンナゲットを買って帰ると
「食べたかったのはこれじゃない」
とキレられ、ナゲットを投げつけられ、
(サンタクロースなんていない)
と思った。
ある朝、雨が降っていたので大久保佳代子は自分の部屋にシンペイを残して仕事へ。
そのとき普通のビニール傘と手元のボタンを押すと開くジャンプ傘があったので、ジャンプ傘を持って出かけた。
夕方、戻るとシンペイはおらず、ふすまに拳大の穴が空き、黒の太マジックで
「怒殺」
と書かれてあった。
それでも
「正直、いい男だった」
というシンペイに
「カヨ」
と呼ばれるとうれしく、
「八重歯がすごいかわいいから、笑われるとなんでも許しちゃう」
大久保佳代子は、小学生のときから習い事はサボらずに真面目に通い、地獄の受験勉強を経て大学に入り、OLの仕事も真面目にこなすなど、芸人になってもカフェで何時間もネタを考えて準備を欠かさないなど自分には厳しいが、彼氏には大甘。
また明るく健全な男を
「バカ」
と見下し、
「ワイルドな男がいい」
「細かい男はイヤ」
「ちょっと危険な香りがする麻薬みたいな男が好き」
という大久保佳代子は
「これじゃ幸せになれない」
とわかっていても社会性に欠ける男性とつき合い、
「彼の事理解できるのは私だけ」
「この人を何とかしてあげたい」
と思っていた。
そんな若い頃、陰のある男性に惹かれた大久保佳代子だったが、いつの間にか、好みのタイプは
「心身共に健康な男性」
に変化し、さらに歳を取ると
「床に落ちてるものを拾って食べられるような、生命力にあふれる男。
なんでもガツガツ食べる男ってアゴが発達して性欲も強そうだし」
とより健康を重視するようになった。
「昔は何を考えているのかわからない、ちゃんと働いているかすらわからない、麻薬のように危険な男に惹かれがちで。
それはもう何度も痛い目にあいました。
でもそんな恋愛遍歴を振り返ってみると強烈に思い出に残っているのってダメ男たちとの恋なんだよね。
イヤな思いもしたけど想像もできないほど刺激的な毎日は楽しかった。
その恋が正しいのか間違っているのか、決めるのは他の誰でもなく自分自身。
自分が「幸せ」と思えているうちはダメ男に恋していいんじゃないかなと思う。
大丈夫、その負のループにはいつか必ず終わりがくるから。
年齢を重ねるにつれ、気力も体力も老いにより低下。
関節は痛いし、すぐ疲れるし、ダメ男に振り回される余裕がなくなる。
自分のことだけで精いっぱいだからこそ、理想は危険な男ではなく手のかからない健康な男」と公言する日がいつかきっとやってくる」
1992年10月9日、フジテレビで「新しい波」という深夜バラエティ番組がスタート。
毎週、1~2組の若手芸人がネタとトークを披露するという新人発掘番組で、4人のディレクターは出演者を探さなければならなかった。
ディレクターの1人、片岡飛鳥は、大阪に飛び、松竹芸能所属のよゐこと出会った。
「初めて会った有野と濱口は、まともに挨拶もできないクセに、やたらとおしゃれな若者で、夜、飲み会でも酒をすすめたら「あ、僕らジュースでいいんで」って。
懐いてこない2人のことが逆に好きになって、すぐに「新しい波」に呼んだんです」
10月23日、「新しい波」の3回目の放送に、よゐこが出演。
片岡飛鳥が次に見つけたのが、ナインティナイン。
日本テレビの深夜番組「吉本天然素材」をみていて
「あの小っちゃい子供、誰?
大阪っぽくないなあ」
と興味を持ち、吉本興業に電話。
「ナインティーンとかいう名前のコンビに会いたい」
「ああ、ナインティナインやろ?」
東京でオーディションをすると聞いて、吉本は
「雨上がりじゃなくてナインティナイン?」
と驚いたが、大阪に住んでいた岡村もビックリしながらフジテレビへ。
面接が始まり、片岡飛鳥は書類に身長160㎝と書いてあるのをみて
「160もないでしょ?」
すると岡村はバツが悪そうにペコリ。
「156㎝しかないのに160㎝って書くって思春期丸出しでしょ。
矢部も爽やかでイケメンだったけど、服とかバッグとかビンボー丸出しだった」
12月23日、ナインティナインが「新しい波」の10回目の放送に出演。
1ヵ月後の1993年1月22日、オアシズが「新しい波」の13回目の放送に出演。
オアシズは、片岡飛鳥ではなく伊戸川俊伸ディレクターにスカウトされた。
学園祭に出ていているときにスカウトされ、ほぼ素人からテレビに出ることなるというシンデレラストーリーだった。
後に岡村隆史に
「伊戸川班のオアシズは花の飛鳥組の俺らとは出身の村が違う!」
とイジられると、
「伊戸川班のどこが悪いんだよ」
と胸を張った。
その後、「新しい波」には、第14回に極楽とんぼ、第15回にキャイ〜ンが出演した。
こうして女子大生コンビだったオアシズは、1992年にプロデビュー。
大学を卒業するかしないかの頃に人力舎に所属し、芸人としての活動をスタートさせた大久保佳代子は、就職活動はまったくしなかった。
周りから
「売れる保証なんてないのに千葉大卒のキャリアを捨てて芸能界に飛び込むのは怖くないの? 」
といわれたが、不安は一切なく
「せっかくのチャンス。
2年でもいいし、3年でもいい。
やってみてダメだったら就職活動をやり直せばいい」
と考えていた。
「新しい波」の司会は、新人アナウンサーの西山喜久恵。
早稲田大学の寄席演芸研究会のコンパで、上智大学生だった西山喜久恵に初めて出会った大久保佳代子と光浦靖子は、
「私たちブスは早稲田の男子から口をきいてもらうこともなく、1番端っこのブス席で飲んでたんです。
そしたら「今日はゲストとして、なんとフジテレビに内定を受けたアナウンサーが来ます」って西山さんが現れたんです」
「男子からバカみたいにチヤホヤされてたアンタには私たちブスの苦しみがわかってないから」
とまくしたて、西山喜久恵は
「いや、そんなことないです」
と否定したが、観ている者の多くは
「わかるはずがない」
と共感。
ブスの自虐ネタという新たなジャンルを開拓したオアシズは、やがて
「ブスだけど頭はいい」
「ブスだけど金は持ってる」
「ブスだけど性欲が強い」
という強烈なキャラに進化。
1993年4月、毎週木曜深夜、フジテレビで「とぶくすり」が放送開始。
「新しい波」に出演したナインティナイン、極楽とんぼ、よゐこ、光浦康子がレギュラーに抜擢されたが、大久保佳代子は
「笑えないブス」
という理由で外され、
「光浦さんはテレビ的なブスだけど、私は自分のことブスって思っていなかったから。
そういうのが1番タチが悪い」
と自己分析。
再びメンバーと合流するのは、6年後(1999年4月17日)の「めちゃ×2イケてるッ!」の出演時となる。
それまでの間、大久保佳代子は、オアシズとして単独ライブや営業、たまにラジオやテレビに出演。
相方の光浦康子がテレビで活躍するのをみながら、劇団の舞台に立ったり、男に狂ったり、親からの仕送りを劇団のために使ってしまったりしながらOLをしながら芸人を続けた。
「お笑いコンビの片方が先に売れていくのはよくあること」
と、いつか2人でブレイクする日を信じ、ジッと耐えていたが現実は厳しく、一向にコンビとしての仕事は増えない。
大久保佳代子は思い切って光浦靖子に電話をかけ、
「あっ、もしもし光浦さん。
最近やってないじゃん。
オアシズライブ。
そろそろ派手に1発やりますか!」
と提案するも仕事場にいるらしい光浦靖子に、
「いやースケジュールないしさ。
じゃあ、いま忙しいんで、また。
とりあえずナシってことで」
とまるで相手にされずに電話を切られ、コンビとしての将来に不安を覚えた。
芸人の仕事が激減した大久保佳代子は、節約をしながらOL生活を送りつつ、芸能人にはできない、自由な恋をした。
会社には必ずお茶碗1杯の白米をアルミホイルを巻いて持参し、昼食は、そのおにぎりとコンビニで買ったスープとペットボトルのお茶で済ませ、
「今日は250円しか使ってない」
と喜び、退社後、スーパーで野菜の値段の変動に一喜一憂しながら、半額シールや割引シールが貼られた商品を探し、キズものの野菜も
「食べちゃいば同じ」
とカゴへイン。
会社のドアノブを握ったとき、
「あっエロい」
と思ってしまう大久保佳代子は、男性の上司にパソコンの操作を教えてもらい、
「ここをクリックだよ」
といわれると
「私もクリックして」
15~16時くらいに階段を歩く自分をみて、パッと離れる不倫カップルを何度も目撃し、踊り場を
「やり場」
と命名。
一方、給湯室は
「女の聖域」
と呼んだ。
女子会で
『これまでどんなところでエッチしたことある?』
という話題になると
「幕張メッセ」
と答え、精液を
「栄養ドリンク」
と呼んで盛り上がったが、男性を含めた合コンでは、しゃべりすぎないように注意。
その理由は
「しゃべらない女の子の方がモテる。
しゃべらない方が、男はコイツ何考えてんだろ、コイツ何を思ってんだろ、裸どうなってんだろ、知りたい、知りたいとなる」
そしてトイレに行くときにボディタッチし、男性の反応をみて
(イケるか)
と探る。
触るのは平気だが自分が触られるのは苦手で、
「ビビッとなる過敏になって全身が性感帯になっちゃう」
カラオケにいって、
「今日何とかしてほしい」
と思うと、aikoの「カブトムシ」をリクエストし
「甘い匂いに誘われた私はカブトムシ~♪」
と歌った。
「好きなものをいつ食べるか。
最初に食べる人は自分の欲に正直で大胆な人。
最後に食べる人は慎重で堅実な人。
私は1発目から好きなものに飛びつく勇気はないが、タイミングを見計らいガブッといく」
「二日酔いになるくらい酔っぱらったら好きな男子にグイグイいけた」
「二日酔いという代償を払って恋愛を手に入れていた」
という大久保佳代子は、後日、
「駅前の歩道橋で年下男子のケツ追っかけまわしてましたよ」
といわれたり、ポケットから記憶にない人たちの名刺が出てきたり、撮った覚えのないツーショット写メがあったりした。
酒に酔って好きな男子の家に押しかけたものの、何も起こらず、始発に乗って爆睡。
気がつけば14時で、その間、電車は三鷹と千葉を何往復もしており、荷物はすべてなくなっていたこともあった。
二日酔いの朝は、紙パックの乳酸菌飲料「ピルクル」を一気飲み。
その後、インスタント天ぷらそば「緑のたぬき」をお湯少な目、味濃い目でつくり、ギトギトのスープまで飲み干し
「金使って何も覚えてない時間を過ごして、その代償がこの気持ち悪さか」
と落ち込んだ。
あるとき自分のことを好きといってくれる男性が現れ、カラオケの後、受け付けで支払いをしているとき、チュッと大久保佳代子のほっぺにキス。
大久保佳代子は、その男性に対しそれほどでもなかったが、頬がドクドク、ドクドクとしてきて、
「今夜は帰りたくない」
その後、
「チョメチョメ、チョメリンコみたいなことになった」
行為の最中は基本的に目をつむっているが、たまに開けて相手の様子をうかがい、常に自分が相手にどう見えているかを意識し、特に自信がある顎から首にかけてのラインをみせるようにする。
あるとき突然、彼氏が
「好きな子ができた」
と別れを告げて部屋を出ていったとき、大久保佳代子は追いかけ、人目もはばからずすがりつき、泣いて、
「とにかく部屋に戻ろう」
2人で部屋に戻ると
(お酒を飲んで感覚を麻痺させればどうにかなるんじゃないか)
と思い、飲ませたが、最終的に、
「佳代子といるとしんどい」
といわれ
(マジか。
こんなに金貸してるのに)
と思いながらサヨナラしたこともあった。
20代~30代前半、自分から嫌いになることはなく別れは必ず相手から切り出された大久保佳代子は、性欲がたまると近所のプールでがむしゃらにクロールを泳いだ。
ちなみに男性は
「ガッチガチが大事」
だという。
逆に女友達に彼氏ができると心がザワめき、
(どんな男なのか?)
と非常に気になった。
あるとき女友達に、
「彼のバンドがライブするから観に行こう」
と誘われ、会場の客が15人だと安堵した。
「友達の彼が素敵な男ではなく、少し残念な男であるほど安心する」
女友達にインド人の彼氏ができて一緒に飲み、少し真面目な話をしているとき、
「ドウニカナルヨ」
「イマガダイジ」
「ダイジョウブ、フカクカンガエナイ」
といわれると、
(お前は少し考えた方がいい!)
結婚式に呼ぶことはないが呼ばれることは多く、
「他人の幸せを祝うためにいくら金を使えばいいんだ。
取り返す日は来るのか?」
と思いながら祝儀を用意。
挨拶を頼まれると
「結婚には3つの袋が必要です。
小さな金玉袋と中くらいの金玉袋と大きな金玉袋です」
と下ネタを入れつつ、最後に、
「新郎の友達との出会いを期待してま~す」
そして
「元とってやる」
と延々とアルコールを流し込み、デキ上がると知らない人の会話に入り、テーブルからテーブルへ。
こうして結婚式では常に泥酔。
駅のホームで引き出物の巨大な鯛の形をしたアップルパイにかじりつき、次の日に起きて後悔に襲われ、頭を抱えると枕元に食いかけの鯛のアップルパイが転がっていたことがあった。
ある日、「めちゃ×2イケてるッ!」のスタッフがオアシズの単独ライブをみて、
「大久保って面白かったんだ」
と気づき、たまにめちゃイケにゲストとして出演するようになった。
すると視聴者にバカウケ。
片岡飛鳥は、
「当時の僕は、マンガみたいなブスだった光浦にだけ目を奪われて、目立たなかった大久保のは起用しなかったんです。
奮起した大久保は何年も遅れて「めちゃイケ」に合流するんですけど全然見る目ないんですね」
と反省。
1999年4月17日、大久保佳代子は、めちゃイケのレギュラーとなった。
「めちゃイケのレギュラーに入れてもらったのがちょうど30歳なんですよ。
だからまあ「とぶくすり』」から7、8年はあるのかな。
あの期間があって、あの入り方で良かったなと。
今こうやって振り返ってみるとそう思います」
大久保佳代子は、めちゃイケのレギュラーになってもOLの仕事を続け、それどころかOL兼芸人というキャラをネタとして使用。
北海道ロケで
「翌朝までに東京に戻らなければならない」
というナインティナインのために呼ばれた6人乗りのセスナ機に
「私も明日仕事があるので」
と便乗した。
大久保佳代子は、朝、番組の打ち合わせをして、それからOLの仕事をして、夜、収録ということもあったが、結局、30代後半まで14年にわたってOLを続けた。
「誰に知られるわけでも褒められるわけでもないし、小さかったけど、達成感や爽快感がありました。
ありがとうという声をもらえることもあった。
いい人間関係ができて、年の近い上司や同僚と飲みに行く楽しみも知りました。
しかも、OL時代に大切にしていたことは、バラエティーの世界でも求められることでした。
周りの人がどう思っているか、ちゃんと考えること。
先を読んで、物事を判断していくこと。
常識をちゃんと持っておくこと。
それこそ、非常識なことは、常識がわかっているからできるんです」
大久保佳代子は、先に売れた光浦靖子のことを
「面白さでは敵わないけど人間性は私の方が上」
と自負していた。
一方、
「眠れる獅子がやっと起きた」
と喜んでいた光浦靖子は、大久保佳代子が売れて、大きく取り上げられるようになると
「いや私の方が面白いはず」
「こんなに真面目に生きてきた私が負けるはずがない」
と腹を立てた。
ある日、光浦主催の女芸人の飲み会で、光浦靖子が
「女芸人っちゅうのは男の何倍も頑張らんとトップとれんダニ」
というと後輩は、
「さすが光浦さん‼」
とヨイショッ。
後輩芸人から尊敬されている光浦靖子は、大久保佳代子にとっても自慢の相方だった。
そして後輩に
「大久保さん、今日の服なんか色っぽい」
「なんか最近キレイになりましたね」
とホメられると、自分も少しいい気になった。
しかしそんな浮ついた大久保佳代子を光浦靖子は許さず、次の日、仕事場で会うと、
「大久保さんさ、その服、胸開けすぎじゃない。
芸人が色っぽくなってどうすんの。
男に媚び売っちゃダメだ」
そして仕事の移動中も
「大久保さんさ、最近エッチしてる?」
「なんで?」
「いい?
女芸人はエッチしちゃダメ。
変な色気が出ちゃうから」
さらに食事中、自分の弁当に入っているおかずを大久保佳代子に差し出し、
「はい、これも食べな。
今の体型、中途半端。
もっとブタみたいに太らないと面白くないダニ。
極楽(トンボ)の山本さん、みてみ。
太ったから売れたんだよ」
芸人たる者、女を捨て常に面白くあるべきと説く光浦靖子に大久保佳代子は、
「うん、私太る!」
と爆食いした。
そんな光浦靖子の言葉を信じた大久保佳代子を信じられない悲劇が襲う。
光浦靖子がスタッフに
「マジ!
あの占い師は当たるって評判ダニ。
仕事運も男運も最高。
仕事は今調子いいから、あとは男だけダニ」
と話すを聞いて、
「男に媚びるな」
といい続けてきた相方の思わぬ一言に
(きっと一瞬の気の迷いだろう)
といい聞かせたが、1週間後、ラジオの仕事があり、
「おはよー」
と楽屋に入ってきた光浦靖子に、
「遅かったじゃん。
どうしたの」
といって、その顔を見た瞬間、言葉を失った。
あろうことか、光浦靖子は男にモテたいがためにエステサロンでまつ毛を植毛していた。
「プチ整形しちゃったダニ」
その瞬間、大久保佳代子の中で光浦靖子に抱いていた尊敬の念は音を立てて崩れていった。
ラジオ収録後、
「じゃあ、私と大久保さんどっちとつき合うっていったら私の人」
という光浦靖子に男性スタッフが困った顔で手を上げると、
「これは男できるのも時間の問題ダニ」
それをみて大久保佳代子はついにキレた。
「オイッ、なにがプチ整形だ。
私はアンタにいわれて地味な服着て、太るためにバクバクバクバク豚みてえに食わされて・・・
アンタが女芸人が股を開けば開くほど笑いが取れなくなるっていうから、エッチもしないでここまで来たのに」
その後、2人は醜い言い争いを開始。
「大久保さんは色気づいたらダメ」
「なんで?(怒)」
「色気がチョコチョコ出るブスは笑えないって。
私は大久保さんに早く立派な芸人になって欲しくて、笑えるブスになってって」
「私は笑えますよ。
笑えるブスです。
そんなこといったら、あなた、今や笑えないブスですよ。
キツいですよ、ホントに」
「私はいつでも笑えるブスですよ」
「いやいやかわいそう。
悲惨だもん」
「笑えるブスです!」
「笑えない‼」
「笑えるブスです‼」
「笑えない‼」
友人の結婚式に参加したとき、光浦靖子が20万円のシャネルのネックレスなど総額80万円の高級ブランド品で身を固めているのに対し、大久保佳代子の衣装さんからの借り物。
その後、オアシズとして仕事があった。
2人が出演した番組のプロデューサーは、人気番組「ロンドンハーツ」も担当していて、収録後、
「大久保さん、今度、格付けにも出てくださいよ」
といわれた。
光浦靖子も出演している「格付けしあう女たち」は、多くの女性芸人がそこからブレイクした人気コーナー。
「いやあ、大久保さんだったら面白くなると思うな」
というプロデューサーに
(やった!
これで私も人気女性タレントの仲間入りができる)
と思ったが、共に喜ぶべき相方の光浦靖子が
「いやあ、大久保さんは格付け出ても、どうせ一言もしゃべれんダニ」
と発言。
(ハッ?)
大久保佳代子が驚いていると
「光浦さんがそういうんだったら・・・やめときますか。
じゃっ、またよろしくお願いします。
お疲れ様」
といってプロデューサーは去り、相方の信じられない一言でチャンスは一瞬にして消え失せた。
さらに光浦康子に、
「無理なことを考えんほうがいいダニよ。
大久保さんも仕事は選ばにゃいかんよ」
といわれ、ついに大久保佳代子はキレた。
「仕事を選べ?
選ぶ仕事がないから困ってんでしょうが!
なんでお前ェに私の仕事を断る権利があるんだよ。
せっかくのチャンスを潰しやがって」
その後、2人は醜い言い争いを開始。
「お前に潰されてなかったら梨花のポジションは私だった」
「なんだ。
そのノープラン」
「テレビ観てて梨花のいうこと、いちいちうなずけますもん(怒)!
大体、最初コンビ組んだとき、私が先に売れて引き上げるからっていっただろ」
「引き上げただろ。
いろんな仕事振りましたよ。
愛のエプロン(料理バラエティ番組)でも、私土下座してペアマッチにしてくれって。
ダダズベリして私すら呼ばれんくなったもん。
自分がケガしたもん。
お前はすぐタレントのフリするけど素人だぞ」
りんご、グレープフルーツ、キャベツ、炭水化物カット、様々なダイエットに挑戦し、途中で挫折し、リバウンドを繰り返した来た大久保佳代子がスリムになれたきっかけは、失恋だった。
居酒屋で出会い、ビビビと感じたどストライクの男性とデートを重ね、
「これはイケる」
と思っていたが、突然、避けられるようになった。
何度誘っても断られ、最初は
「病院に行く」
「用事がある」
などとまともな理由だったが、やがて
「友達のネコにエサをあげにいく」
「水が届く」
など嘘丸出しとなり、恋は終了。
失恋後、何も食べられなくなった大久保佳代子は、ほぼアルコールだけで1ヵ月を過ごした。
すると何の苦労もしないまま、体重が2~3kg減った。
その瞬間、落ち込んでいた気持ちは消え、
「私ちょっといんじゃない」
と家の中を裸で歩き回った。
別れた男性から連絡が入っても
「抱かせませんから!」
と上から目線。
「見返してやる」
とさらにエクササイズを始め、
「抱かせたいと思わせる!
でも抱かせない!」
と念じながらダンベルを上げ下げ。
食生活にも気をつけ、目指すのは
「中間管理職のお疲れ気味のおじさまが抱きたいと思うカラダ。
やせすぎでも太りすぎでもない、ほどよく熟したいやらしいカラダ」
失恋をきっかけに手に入れたボディを維持すべく、節制し、体を鍛えることで意外な変化も起きた。
それは「妄想力」
若い頃、
「母親と一緒に引っ越しを手伝ってくれる男友達。
3人で引っ越しそばを食べにいき、そこで談笑中に母親が投げかけた「うちの佳代子をもらってくれない?」という冗談に、彼は「僕はいつでも準備できてるんですけどね」と笑う。
ふと流れる心地よい沈黙。
私は黙ってそばをすすり続ける」
など旺盛な妄想力を発揮して楽しんでいたが、年齢と共に衰え、
「ラインやメールのアドレスを交換するなど前向きな疑いがあれば・・」
「10%の可能性があれば・・・」
などと現実的で消極的な発想になっていた。
それがダイエットによって図々しい妄想力が復活。
「妄想って体力がないと、健康な肉体に健全な性欲が宿っていないとできない」
と悟った。
若き頃はガムシャラにやり、40代半ばになってある程度の目標を達成した大久保佳代子は、
「何のために生きてるんだろう」
「何のために仕事やってるんだろう」
と思うようになった。
「今まで頑張ってきたんだからボチボチゆっくりやっていこう」
という気持ちより、
「刻々と閉経の足音が近づいてくる」
「結婚もしていないし、仕事も思うようにできなくなると、その先は暗闇しかない!」
という危機感の方が強かった。
そんな自分の存在意義を悩んでいるとき、井森美幸に出会った。
今も昔も変わらず、共演者にイジられながら楽しそうに仕事をしている井森美幸をみて、
「井森さんの仕事のモチベーションって何ですか?」
と質問。
すると2歳上の井森美幸は、
「大久保ちゃん、なんでそんなこと聞くの?
で、モチベーションって何?」
モヤモヤは吹き飛んだ。
昼は弁当かラーメンかうどん。
夜は外食化コンビニか簡単な自炊。
休日はノーメイク、ノーブラ、ノー風呂で1日ダラダラ過ごす大久保佳代子だが、恋人ができると生活は一変。
特に
「殿方が」
家に来るときは、
「これを食わせれば間違いない」
という勝負料理をつくる。
それは豚肉の生姜焼き、ポテトサラダ、そして特製稲荷寿司。
「プライベートな空間で食卓を囲むというエロスなひとときに、山盛りのお稲荷さんでさらにセクシャルな空気を漂わせる」
という稲荷寿司は、揚げに酢飯を詰めると米が透けてみえるほど大きい「ハムスター稲荷」
これまでふるまった恋人から
「不味い」
とも
「美味い」
ともいわれたこともなく
「あれ、もしかして美味しくない?」
と疑っていたが、バラエティ番組の女性芸人が弁当をつくる企画で他の弁当が空になったのにハムスター稲荷だけ残り、確信に。
その後、具や酢飯を改良するなどしたが、大きさだけは、
「上品なハツカネズミサイズにすることも考えましたが、やっぱりハムスターサイズだけは譲れない」
別れた恋人たちがハムスターをみる度に自分のことを思い出し、その瞬間、2人の距離がグッと縮まると信じている。
クリスマスの夜、仕事が終わった大久保佳代子は、いとうあさこに
「ドライブでもいっちゃいますか?」
といわれ、群馬方面へ。
目的もなく走り続けていたが、自然とパワースポットとして有名な神社へ。
すると自分たちを待っていたように雪が降りだし、
「ホワイトクリスマス?」
と何か良いことが起こる予感。
その後、温泉宿へ向かうと待っていたのは、
「クリスマスの夜にまさかの女2人で旅ですか?」
という嘲笑。
「せめて明石家サンタに報告を・・」
と思っていたが、それまでに酔い潰れて寝てしまった。
正義感が強くて優しいいとうあさこは、大久保佳代子が失恋すると自宅に保護し、
「いつでも泊まれるように」
とタオルやパジャマを入れた「佳代ちゃんボックス」をつくったこともあった。
しかし大久保佳代子は、いとうあさこが失恋したとき、繰り返される暗い話に、
「仕事がある」
とウソをついて脱出。
一方、いとうあさこが結婚することを恐れ、
「神様、そうなる前に佳代子に幸せを」
と祈っていた。
いとうあさこが24時間マラソンのチャリティーマラソンランナーに選ばれたときは喜んで応援したが、ハードな練習でみるみる痩せてきれいになっていくいとうあさこをみて、
「ヤバい。
このままだとモテちゃう」
と危機感を覚え
「大丈夫?
ちゃんと食べなきゃ」
と心配するフリをしながら
(太れ)
とコッテリとした料理を食べさせ、酒を飲ませた。
本番では親友として伴走しながら、
「ゴールしたら美味しいもの食べに行こう」
と声をかけ、実際、完走後、中華料理店へ。
その後も
「頑張ったご褒美」
と称して、養豚所のごとく高カロリー食を与え続け、いとうあさこの体重が戻り始めると
「安心、安心♡」
優しさか、あきらめか、家族は親せきから結婚の話題をフラれることがなくなり、友達の年賀状の家族写真に写る子供の姿に年月を感じながら、休日は、ノーメイク、ノーブラでソファーでひたすらダラダラ過ごし、気がつけば夕方。
「いつの間に?」
と驚き、あわてて女友達に電話をかけまくってご飯に行くか、誰も捕まらなければ冷蔵庫の余り物でつくった
「残飯飯」
を1人で食べる。
そんな生活がイヤになり、
「犬を飼いたい」
と思い始めて数年、引っ越すときはペット可物件を選び、酔えば閉店間際のペットショップで子犬を抱きしめたまま1時間以上居座り、たんぽぽの川村エミコに
「大久保さん、ダメですよ。
今は酔ってますから、酔ってますから」
と諭されたり、やはり1人暮らしで犬と暮らすのは大変なので躊躇が続いた。
しかし2016年、番組の企画で訪れたペットショップで、メスのチワックス(チワワとダックスのミックス犬)に出会い、
「ひと目見て抱っこしたとき、最初は震えていたけど、手を出したら顔を乗せてきた。
それがかわいくて。
私が守ってあげなきゃダメだと思いました」
と瞬時に心を奪われ、飼うことにした。
そして
「誰からも愛される子になりますように」
という願いを込めて
「パコ美」
と命名。
長女、パコ美との新生活は、早朝に起こされ、散歩に行き、白目をむいて暴れるパコ美の遊びにつき合い、ドッグフードをふやかして食事をつくり、大量のウンチと格闘するなど大変だったが、意外な変化が起こった。
「長年行き場を失っていた私の母性。
その注ぎ場所を見つかったせいか、パコ美と暮らすようになってから、更年期に怯え、イライラしがちだった情緒が安定し、満たされている自分を感じるように。
そのせいか、よく顔が優しくなったっていわわれるんです」
相方の光浦靖子も行き場をなくした母性がザワついたのか、タケノコご飯を炊いておにぎりを握って仕事場で配るという活動を行っていたので、理由を聞くと一言、
「人に優しくしたい」
夜中、3時間ごとに目が覚めていた大久保佳代子が、
「毎朝6時にパコ美が散歩に行こうって顔をなめてくるから起きる癖がついたんだよね」
というと、夜中まったく起きることなく7、8時間ブッ続けで眠れる光浦靖子は
「明らかに老化」
といった。
さらに密かに、
「また犬飼っちゃったんだというと誰かが必ず反応してくれる。
パコ美をきっかけに男性を会話が弾む、そんな嬉しい展開も♡」
と散歩中の偶然の出会いやパコ美をきっかけに男性と連絡先を交換することを期待。
かつて実家の愛犬、ホイットマンは、人間が食べる缶詰をご飯にかけて食べさせるなど甘やかしすぎて、栄養や健康の面でも反省する点が多かったので、大久保佳代子は、
「昭和のホイットマンと違い、平成のパコ美は厳しく健康に!」
と決めた。
しかし実家に預けると
「リンゴ買ってきたよ~」
とパコ美に話しかける母親、朝食のトーストを与える父親、そして驚くほど何でも食べるパコ美を目撃。
大久保佳代子もパコ美と暮らし始めて外食の回数が減り、家に帰るとパコ美をお供に晩酌。
隣に寄り添い、まばたきもせずにつぶらな瞳で見上げてくるパコ美に
「今日も大変だったよね」
「こんなことがあったんだけど、私は悪くないよね」
と一緒に枝豆をつまみながら話しかけていたが、やがてつまみはパコ美が食べられるものを選ぶように。
結果、チワックスの平均体重3kgだが、パコ美は、6.8kgに成長。
体が大きくなったせいであまり歩きたがらず、散歩にいってもすぐに帰りたいといいたげな表情で見上げてくるので抱き上げて散歩し、
「娘が太ったのは私のせい。
1人晩酌の寂しさのせい。
お父さんの分まで頑張って幸せにしてあげなくてはいけないという気持ちや留守番させてる罪悪感も手伝って、ごめんねとつい甘やかしてしまう母子家庭のせい。
パコ美はなに1つ悪くない、
すべては私が悪いんです」
と溺愛。
寝ていると腕枕をねだって懐に入り込み、上目づかいで凝視し、互いに見つめ合った瞬間、舌をニュルっと口の中に入れてきてくるパコ美に
「甘えん坊だし、頭がいい。
人間だったら、いい女」
と女子力の高さを見習う姿勢すらみせ、特に濃厚なディープキスに関しては
「口を閉じていても入れてくる」
とその唇を奪うテクニックに脱帽。
「ママのところにおいで」
「ママ、今からお仕事いってくるからね」
と話しかけ、
「パコ美ちゃんのママ」
といわれると
「こんな茶色い物体を産んだ覚えないわ」
とボケるがもちろん本心ではない。
後輩芸人に
「パコ美姉さん」
と呼ばれるパコ美に対し、いとうあさこは
「バアバが来たよ」
といって遊びに来てじゃれあい、髪の毛をむしり取られて帰っていった。