山里亮太は、鹿児島県生まれの千葉県育ち。
小学校1年生のとき、ドラッグストアのマツモトキヨシで働く母親が、
「昨日入ってきた薬大出の若い子の時給がお母さんの2倍ももらっているの。
お母さんのほうが仕事できるのに」
とグチったことをきっかけに、
「夢は薬剤師」
となり、その年のクリスマスは、アルコールランプとフラスコをリクエスト。
サンタクロースは靴下の中に、それを入れてくれたが使い方がわからず、お湯を沸かしただけ。
しかし薬剤師という夢は、ずっと心の中に持ち続けた。
小学校5年生のとき、モノマネタレントのコロッケの大ファンになり、特に好きだった千昌夫のモノマネをひたすら練習。
家族にウケ、親せきにもウケ、祖母からおひねりをもらう息子をみて、母親は、テレビ番組の子役のオーディションに勝手に応募。
思春期真っ只中だった山里亮太は、
「イヤッ」
といったが、
「ポケバイ買ってあげる」
「いつでもカレーをつくってあげる」
といわれたのでオーディションを受けることにした。
当日、会場にいくと自分以外、劇団や事務所に所属している子供ばかり。
みんな常連らしく、面接の練習をしたり、バレエやダンスを踊っていたりしていて、千昌夫のモノマネの引っさげてやってきた山里亮太は、
「勝てるわけがない」
母親たちも、いかにも都会的な洗練された服を着ていて、互いに情報交換をしており、山里亮太の母親も
「うちはお金をかけてないから負けて当然」
と覚悟。
しかし
「千昌夫 vs 高見山」
をやった山里亮太は合格し、「青いぜ ラブゲーム」という子供同士のお見合い番組に出演。
撮影が無事終了すると、母親は息子のテレビデビューを喜んだが、その後、ポケバイの話は一切しなかった。
中学時代、成績優秀だった山里亮太は、千葉経済大学附属高校に進学し、強豪のバスケットボール部に入った。
初恋は、高校1年生。
クラスのヒロインで多くの男子の憧れの的だった女の子に恋し、告白を決意。
原付バイクに乗って彼女のもとへ向かい、彼女が好きなドリカムの「未来予想図Ⅱ」の歌詞、
「ブレーキングランプ5回点滅、ア・イ・シ・テ・ルのサイン」
を実行。
しかしヤンキーの兄が改造を施した原付バイクは超爆音で、愛を伝えるどころか不快感に与えただけだった。
高校2年生は文系か理系かを選択し、それに伴ってクラス替えが行われる。
薬剤師になるためには理系を選ばなければならなかったが、大好きなヒロインが文系を希望しているのを知り、ためらわずに文系をチョイス。
しかし大好きなヒロインは、文系2を選んでいて、何も知らずに文系1に印を入れた山里亮太は、同じクラスどころか違う校舎になってしまった。
さらにしばらく経った学校帰り、イケメンサッカー部と手をつなぐヒロインを目撃。
こうして初恋と薬剤師の夢は終わった。
高校3年生になり、薬剤師という夢を失った山里亮太は将来に迷った。
「普通の仕事はしたくない」
「モテたい」
と思いながら、求人誌で珍しい仕事、かっこいい仕事、モテそうな仕事を探したが、コレッと思うものはなかった。
そんなとき親友のなめちゃんに
「山ちゃん、時々おもしろいこというからお笑いやってみたら」
といわれ、妙に納得。
お笑い芸人を目指すことにした。
バスケットボール部は練習を1度もサボらずに皆勤賞だったが試合には1度も出たことがなかった。
しかし高校最後の試合、試合残り時間20秒でレギュラーの後輩がケガをし、監督に
「山里行けるか?」
といわれ、
(みていてくれたんだ)
と感動。
笑顔をかみ殺しながらジャージを脱ぎ、バスケットシューズのヒモを締め直し、コートへ。
そのとき監督に
「山里、ボールには触るなよ!」
といわれ、大声で
「はい、ゲームには関わりません!」
と答え、ラストプレーで、仲間が自分のことを思って出してくれたパスをよけてしまった。
東京にも吉本興業の養成所であるNSCはあったが、それを知らず、お笑い=大阪と思っていた山里亮太は、母親に
「高校を出たらすぐに大阪に行きたい」
と打ち明けた。
「そんなの無理だからやめなさい。
第一あんたはそんなに面白くない」
といわれ、
(まさかの全否定!)
と驚きながら、どうしてもお笑い芸人になりたいと食い下がった。
すると母親は
「関西の人10人に聞いて10人が知っている大学に入れたら大阪に行っていい」
という条件を出してきた。
山里亮太は、関西の有名大学をリサーチ。
「関関同立」と呼ばれる関西の難関私立大学の一角、関西大学に目をつけた。
関西大学は「関大」の愛称で親しまれ、大阪府に4つのキャンパスを持つマンモス大学で、サークルの種類や数も多く、11月に開かれる学園祭は関西で最も盛り上がるといわれていた。
山里亮太は、
「いかにも好きなことに没頭できて、目立つことができそう!」
と憧れたが、不合格。
専門学校や大学に進学が決まって遊びまくる同級生に殺意を抱きながら高校を卒業し、浪人生活に突入。
朝7時から千葉駅前で2時間ほどテッシュ配りのアルバイトをして、予備校に行って22時まで勉強し、家に帰っても、また勉強という日々を繰り返し、このときの
「わからないことはひたすら書いて体で覚える」
という勉強法は、芸人になってからもネタ帳で活きた。
1年間、アルバイトと勉強を繰り返し
「結局、浪人した1年間で、英語がとにかく伸びました。
日本史は弱かったですが、受験を迎える心境は現役の時と全然違いましたね。
センター試験も受けましたが、英語は解き方も法則も頭に入っているからほぼ満点でした」
という山里亮太は、見事、関西大学に合格。
大阪に行くまでの間、大阪弁のCDを買い、毎日、
「なんでやねん」
「ちがうか」
「なんでやねん」
と英会話のように練習し、芸人になった自分、テレビに出ている自分、たくさんの女性に声をかけられて困る自分を想像した。
そしてすでに
「おかん」
と呼んでいた母親と一緒に大阪へ。
伊丹空港に着くと電車に乗り換えて梅田へ。
周りはハイテンションで大阪弁をしゃべる人ばかりで、初めてみるお笑いの聖地のパワーに、
「本当にお笑いなんかできるのか?」
「ここに来たのは間違いだった」
と自信を喪失。
「お母さん」
と呼ぶようになった母親とお好み焼き屋に入り、店員に注文を聞かれると、うつむいたまま、無言でメニュー表を指さし、確認されると黙ってうなずいた。
しかし関大前駅から徒歩5分、メインキャンパスである千里山キャンパスの正門に着くと
「これが夢みてた大学だ!」
と喜びがこみ上げ、不安は一気に消えた。
学生寮に入ることを希望していたので、その面接を受けるために大きな正門を通過。
きれいな芝生の庭、グラウンド、学舎、図書館、体育館、シンフォニーホールなどがあり、ワクワクしながら面接会場へ。
そして男女共寮である「秀麗寮」の面接を受け、面接後、その結果を待ちながら、これから起こる寮内での恋、おしゃれな大学生活を想像した。
結果は掲示板に発表されたが、秀麗寮の入寮者の欄には自分の名前はなく、
「あった!」
と見つけたとき、そこには「北斗寮」と書かれてあった。
北斗寮は、秀麗寮だけでは収容人員が少なくなって新たに建てられた男子寮。
4階建、240人収容の寮室棟と2階建ての共用棟から成る建物だった。
入寮初日、古びた北斗寮のホールに各地方からやってきた50人くらいの新入生が集合。
みんなが出身地などを話し合う中、人見知りの山里亮太はホールの隅っこで1人、ゲームボーイ。
やがて寮の先輩たちがやってきた。
金属バットを持った先輩もいたが、全員がニコニコしており、そんな先輩たちの指示で、新入生は整列。
並んだ後も新入生の会話は続き、山里亮太の周囲でも声がしていた。
すると1人の先輩が、
「何タラタラしゃべってんだ!」
と怒号を上げた。
新入生がキョトンとしながらみると先輩たちの笑顔は消えていて、すぐに軍隊のように整列した。
やがて寮長が現れ、
「入寮のオリエンテーションをします」
といった。
山里亮太は、自己紹介をするのかと思ったが、始まったのは挨拶の練習。
1人に対して2人の先輩がつき、
「おはようございます」
というと両サイドから
「聞こえん」
「もっと腹から声を出せ」
「まだまだ出る」
「正座せいやコラァ!」
などといわれながら、新入生はひたすら大声で叫び続けた。
地獄の挨拶練習が2時間ほど続いた後、食事となり、食堂へ。
山里亮太は、緊張と動揺で、ほとんど食べられなかった。
続いて風呂へ移動し
「(人数が多いので)1人に与えられるシャワーの時間は5分」
と説明され
(刑務所24時だ)
と思ったが口には出せなかった。
風呂を出るとホールに戻って校歌、応援歌の練習が始まった。
その絶叫は、深夜まで続き、
(やっと終わりか)
と思ったとき、先輩が、
「明日、自己紹介とネタ見せをするから、しっかり考えて。
自信があるヤツはゆっくり寝ていいぞ」
といい、その日は新入生は全員、ホールに宿泊することになっていたが誰1人眠らずにネタを考えた。
「ネタ見せ」とは、何か面白いことをやってみせること。
寝ないまま、その時間がやってきた新入生は、まず出身地、出身高校、在籍する学部、学籍番号、そしてを自己紹介を絶叫し、その後、ネタ見せ。
腕立て伏せをしながら好きなAV女優の名を絶叫したり、故郷の温泉を体で表現したり、彼女との初体験を東北弁で再現するなど新入生は必死で行い、先輩は、ダメ出しをして合否を決めていった。
お笑いを目指して大阪にやってきた山里亮太にとって、初ネタ見せだったが、
「僕は芸人になるために、ここ関西大学にやってきました」
と自己紹介した後、ドラえもんが、のび太のどんな悩みにも千葉県の名産、落花生と醤油しか出さないというネタを絶叫。
まったくウケず、先輩に
「お前、ドラえもんの中でどんな道具が好きなんや?」
と聞かれ、
「タケコプターです」
と答えると
「じゃあ、タケコプターになってみろ」
といわれ、絶叫しながら全力でクルクル回り、なんとか合格した
秀麗寮の新入生もオリエンテーションの後、男女合同でホールに宿泊。
次の日は、朝はラジオ体操から始まり、歌唱指導が平和的に行われた。
一方、北斗寮の異常なオリエンテーションは4日間続き、逃げ出す新入生も出た。
北斗寮は、2段ベッドが2つある4人部屋が60部屋あり、各部屋に1年生から4年生まで各1人ずつ居住。
山里亮太は、部屋に入るとき、毎回、
「千葉県千葉市千葉経済大学付属高等学校出身、山里亮太です!
失礼します!」
といい、それも小声だと先輩に
「聞こえん!」
といわれるので、叫ぶようにいった。
寮費は、食事つきで月1万5000円。
基本的に学生によって運営される北斗寮は、規則と上下関係が厳しく、1年生から4年生まで細かく役割が決められていた。
また芸にも厳しく、寮祭、飲み会などことあるごとに
「なんか芸やれや」
といわれ、芸大会が始まり、おもしろくないと先輩は一升瓶を片手に
「つまらんのう!
もっと狂え!」
といった。
そんな男塾のような寮でありながら北斗寮には、
「先輩は後輩のために1週間に1回合コンをセッティングしないといけない」
というルールがあったため、山里亮太は週9回のコンパ漬けとなった。
ある先輩に
「合コンで1時間で60回。
つまり1分に1回笑わせたら、どんなモテない男でも抱ける」
といわれ、感動した山里亮太は、その言葉を胸に合コンへ向かい、女子が待つ部屋に入ると同時にアクション。
女子の自己紹介にも必ずコメントを挟み、田舎出身の女子には
「飛行機みると鳥の化け物だと思うでしょ?」
カラオケでは替え歌、ダンス、タンバリンと、とにかく必死に笑わせた。
すべては
「女を抱くんだ」
という目標のためだった。
雑誌で艶気が200%増すというスプレーを発見すると、1本1万円ほどで購入。
柑橘系の匂いがするスプレーを全身にかけて合コンにいったところ、女の子に
「酸っぱい」
といわれ、その後、全員から
「ビネガー」
とイジられた。
あるときは
「合コンを終わるまで女子にタバコを吸わせなかったら勝ち」
と決め、タバコを吸う暇もないほど笑わせ続けた。
店員がラストオーダーをとりに来たとき、
(勝った)
と思い、ハイテンションで女の子に、
「今日、楽しかったでしょ。
ずっと笑っててタバコ吸ってないでしょ」
と聞くと
「私たち、元々吸わないんで」
といわれ、さらに密かに
「ピエロ」
と呼ばれていたことが知った。
抱くどころか終電に乗るために消えていく女の子を見送った山里亮太は、ますます合コンに熱くなり、秀麗寮の前にいき、大声で
「僕たち童貞にABCを教えてくださーい」
と叫んだり、初恋のヒロインが子供ができて結婚したことを先輩に打ち明けて、
「よし、泣きにいこう」
といわれ、車で3時間かけて明石海峡大橋まで行ったりした。
大学2年生の終わり、同部屋の先輩に
「お前、何しに大阪に来たんだっけ?」
といわれ、大学生活が楽しすぎて、
「お笑いを目指すの、もういっか」
とも思っていた山里亮太は、NSCの面接を受けることにし、入学願書にPR欄に、
「自分は学生寮という特殊な環境に住んでいるので礼儀だけは誰にも負けません」
「心理学を大学で学んでいるので、みなさんの心の声が聞こえます」
と記入。
面接の日、大学の入学式以来、着ていなかったスーツに袖を通し、北斗寮の住人のほぼ全員から盛大な見送りを受けて出陣した。
面接は、20人1グループで行う集団面接で、コンビでネタをしたり、全身タイツに「スーツ」とマジックで書いて
「正装です」
という人や
「自分は天下獲るんで、ここで落としたら吉本は一生後悔すると思います」
と強気にいった後、江頭2:50のモノマネをする人、受験資格のある25歳だといい張って面接官にミカンを渡す老夫婦などがいた。
山里亮太は圧倒されながら、関西大学校歌を熱唱し、困ったような面接官の顔を目撃し、不合格を確信。
帰り道、
「あまりに面接官がナメたこといったんで殴ってやった」
「あそこは俺のいる場所じゃない」
などと落ちたときに仲間にいう言葉を考えながら帰宅。
果たして合格通知が来ないまま、先輩の卒業式を迎えた。
その日の飲み会で、自分の部屋の部屋長だった先輩が、
「自分はこの寮で、このメンバーと過ごしたことを誇りに思う」
とスピーチ。
「そして・・・」
といってカバンの中から紙を取り出し、
「自分の後輩が芸人のスタートラインに立った。
こんなうれしいことはない」
それはNSCの合格通知で、大きな拍手が起こった。
こうして山里亮太は、大学3年生になると同時にNSC大阪校の22期生になった。
NSCの同期は、600人以上いて、
「つぇーまん(1万円)、はい」
という講師に続いてに続いて
「つぇーまん」
「姉さん、はい」
「姉さん」
「りんご姉さん、この前はごちそうさまでした、はい」
という業界用語のレッスンなどもあったが、基本となるのは、
発声
ダンス
演技
ネタ見せ
という4つの授業。
周りにはすでにコンビだったり、新しくコンビを組んでネタづくりをやっていたが、人見知りの山里亮太は、なかなか声がかけられなかった。
そして北斗寮に帰るとお笑い好きの住人たち出迎えを受け、その日あった出来事を報告した。
山里亮太が思い描いた相方像は、「男前」
その理由は、
「笑いは自分で獲る。
相方はルックスの良さで客を引っ張ってくる男がいい」
だった。
人見知りから一念発起し、男前に声をかけ続け、見つかったのが、三重県から大阪へ来た1歳年下の水上君。
コンビ名は「侍パンチ」にし、山里亮太は、ネタを書きまくった。
といっっても最初は何が面白いかわからず、テレビに出ている芸人のしゃべりを必死に書いた。
そして毎日、水上君の家の近くの墓地でネタ合わせ。
途中、誰かがお参りに来ると恥ずかしいので知らない墓に
「師匠、なんで死んでしまったんですか」
と演技。
多くのコンビが二人三脚でネタをつくり上げる中、侍パンチは、山里亮太が完全に主導。
例えば
滑舌の悪く、ラ行が苦手だった水上君に、山里亮太は知らない人の墓石に座って、目の前に立たせ、
「ラ行いえや」
とひたすら巻き舌やラ行の発音練習させたり、キレのあるツッコミをさせるため、
「なんでやねん」
を3時間ひたすら練習させたり、自分が選んだお笑いビデオを数十本連続でみせたり、1日30個ブサイクいじりのワードを考えさせたりして、
侍パンチのネタ合わせをみた同期に、
「まるでカツアゲをしているようだ」
「水上君、引きずり回されてる」
といわれた。
こうして少し出遅れてコンビを組んだ「侍パンチ」は、毎日、ネタ合わせをしながら、
「まだ下手だから」
という理由で、授業でネタを見せることはなかった。
そこには
「面白くないと思われたくない」
という気持ちがあったが、必死で練習し、やがて
「今日の授業でネタをみせよう」
とネタ見せ授業デビューを決意。
練習していた公園からNSCに向かい、出場希望のホワイトボードに名前を書いた。
そして見慣れたコンビの後、侍パンチが初登場。
結果は、まったくウケなかった。
「みているのは同じ道を目指す人間。
そう簡単に笑いは起こらない」
と覚悟しつつも、密かに爆笑を期待していた山里亮太は落胆した。
NSCでは、1期生のダウンタウンから約10年後に9期生のナインティナインがブレイクしたことで「10年に1期黄金期が来る」
いう「10年説」というものがあった。
実際、NSC大阪校22期生およびNSC東京5期生は、キングコング、村本大輔(ウーマンラッシュアワー)、NON STYLE、なかやまきんに君、ネゴシックス、平成ノブシコブシ、久保田和靖(とろサーモン)、ダイアン、大西ライオンなどが在籍する当たり年だった。
山里亮太は、
「自分は天才かもしれない」
という期待を抱いていたが、このネタ見せの授業で、
「決して思いたくなかったが自分は特別じゃなかったと思ってしまった」
夏、4月からずっとNSC内でMVPに選ばれ続けていた2つのコンビが解散し、しかもそのコンビのボケ同士がコンビを組むという事件が起こった。
それが「キングコング」だった。
その後、キングコングは、毎回、ネタ見せの授業で講師と同期の笑いをかっさらい、在学中に「NHK上方漫才コンテスト」最優秀賞を獲るという快挙を成し遂げた。
「22期はホントにキングコングが好きなヤツが多くって、憧れの的なのよ。
めちゃくちゃ漫才を先生から評価されてるし、テレビも出てるし。
さらにムカつくのが、ちょっと良いヤツなの。
みんなが好きになる、あいつらだったらしょうがねぇかみたいな」
という山里亮太は、ネタ見せの授業でキングコングのときだけは絶対に笑わず、インターネットの掲示板に悪口を連日、投稿。
ギターを弾く西野亮廣を密かに
「スナフキン」
と呼び、
「スナフキン先生がまた来てらっしゃる」
などとをいい、ドトールコーヒーで、ネゴシックスを相手にキングコングの悪口いい、悪口をいっぱい書いたノートをわざと忘れて帰ったりした。
そして嫌がらせをしたことをキングコングに白状し、
「それ知ってたよ」
「エエよ。
俺がもしお前の立場だったら同じような事してたと思うし」
といって肩を叩かれ、
(俺は死ぬべきだ)
と思った。
それまで
「お笑いは天才が創る世界」
「必死、一生懸命はカッコ悪い」
と思っていた山里亮太は、
「天才はあきらめた」
と必死に一生懸命に努力するようになった。
授業は毎日出て、ネタ見せの授業はトップでみてもらい、終ったらすぐに質問し、帰ってネタ合わせ。
NSCでは「変わってる」はホメ言葉で、生まれた境遇や生き様が人と違うことは武器となる。
しかし伝説的な武勇伝も、人が驚くような人生体験も、複雑な家庭環境の経験もない山里亮太は、NSCから帰るとき、ブツブツいって、なにか書きながら外に出たり、ゲイの発展場にタイトなTシャツを着ていって、
「どれくらいで逆ナンされるか?」
を試したり、9・11テロの後、デモ行進に参加したりしてセルフプロデュース。
NSCに入って以来、大学ノートにネタや自分の好きな言葉、その日の出来事、妄想などを書き続け、現在では数百冊以上にのぼる。
「この前ノートを見返したら、僕、ガッキーと天保山でデートしてた。
ガッキーがジンベイザメ恐れちゃってね。
「大丈夫だよ、コイツ優しいんだよ」って。
だからガッキーが結婚したときは勝手に失恋した気分になりました。
そんなことを書いていたら、なんと「その妄想、本にしませんか?」とお話をいただいて、ドラマ化もされましたからね。
このノートが、意外とお守りみたいになっているんですよ。
明石家さんまさんの番組に呼ばれたときなんて震えるくらい緊張したけど、「でも僕、これだけやってきているし、これだけエピソード持ってるし、さんまさんと目が合っても5回までなら大丈夫な弾、持ってるし!」って」
一方、男前だった水上君は、山里亮太の地獄のネタ合わせと追込みによって精神的に疲れ、髪が薄くなり、ホホはこけ、
「死神くん」
と呼ばれるようになっていた。
NSCの卒業直前、ネタ合わせしているときに水上君が
「もう許してくれ」
というと、山里亮太は激怒し、いつものように追い詰めるような説教を始めた。
水上君は、その途中で、
「解散してくれ」
とつぶやいた。
山里亮太は、必死に引き止めたが、時すでに遅し。
侍パンチは、卒業前に解散となった。
「足軽エンペラー」の解散を心配したNSCの講師に新しい相方候補を探してやろうといってもらい、山里亮太は、
「真面目に学校を休まず、熱心にメモを取りながら授業を受け、時給300円でNSC講師のアシスタントを積極的に行った結果だ」
と感激。
講師によってお見合い的な会が行われ、まずはお互い自己紹介。
新しい相方候補の名前は、西田富男。
山里亮太より、2歳下。
ガッシリした体型で男前。
兵庫県加西市出身。
実家は栗を剥く栗剥き器をつくる工場を経営。
元暴走族のリーダーでホストを経てお笑いの道に入り、気遣いができて先輩にもかわいがられていた。
初対面の山里亮太に、
「24時間お笑いのことだけ考えてほしい」
「ネタをしっかりやってほしい」
「常にカッコよくいてほしい」
などたくさんのリクエストを出され、西田富男は一言、
「がんばる」
そして、
「じゃあ自己紹介に」
といって、コサックダンスを踊りながらズボンチャックを開け閉めしながら
「コチャックダンス、アーハァー」
とやりはじめた。
それが必殺のギャグ、コチャックダンスだった。
2人は、すぐにコンビを組むことになり、次の日にネタ合わせをすることを約束。
ネタ合わせ初日、駐車場に集合し、山里亮太は自分が書いたネタを西田富男に渡し、その場で完璧に覚えることを要求。
そして水上君同様、厳しく指導。
「すまない」
西田富男が素直に謝ると
「もっと噛みついてこい」
といい、西田富男が噛みついてくると
「何もできないくせに文句いうな!」
コンビ名は、最初「侍パンチ」を継続しようと思い、水上君に、
「侍パンチって名前、新コンビで使っていい?」
すると1度も怒ったことがなかった水上くんが
「人間としてどうなん?」
とキレ気味でいったため、あきらめ、最終的に
「足軽エンペラー」
となり、侍から少し身分が落ちた。