山里亮太は、鹿児島県生まれの千葉県育ち。
小学校1年生のとき、ドラッグストアのマツモトキヨシで働く母親が、
「昨日入ってきた薬大出の若い子の時給がお母さんの2倍ももらっているの。
お母さんのほうが仕事できるのに」
とグチったことをきっかけに、
「夢は薬剤師」
となり、その年のクリスマスは、アルコールランプとフラスコをリクエスト。
サンタクロースは靴下の中に、それを入れてくれたが使い方がわからず、お湯を沸かしただけ。
しかし薬剤師という夢は、ずっと心の中に持ち続けた。
小学校5年生のとき、モノマネタレントのコロッケの大ファンになり、特に好きだった千昌夫のモノマネをひたすら練習。
家族にウケ、親せきにもウケ、祖母からおひねりをもらう息子をみて、母親は、テレビ番組の子役のオーディションに勝手に応募。
思春期真っ只中だった山里亮太は、
「イヤッ」
といったが、
「ポケバイ買ってあげる」
「いつでもカレーをつくってあげる」
といわれたのでオーディションを受けることにした。
当日、会場にいくと自分以外、劇団や事務所に所属している子供ばかり。
みんな常連らしく、面接の練習をしたり、バレエやダンスを踊っていたりしていて、千昌夫のモノマネの引っさげてやってきた山里亮太は、
「勝てるわけがない」
母親たちも、いかにも都会的な洗練された服を着ていて、互いに情報交換をしており、山里亮太の母親も
「うちはお金をかけてないから負けて当然」
と覚悟。
しかし
「千昌夫 vs 高見山」
をやった山里亮太は合格し、「青いぜ ラブゲーム」という子供同士のお見合い番組に出演。
撮影が無事終了すると、母親は息子のテレビデビューを喜んだが、その後、ポケバイの話は一切しなかった。
中学時代、成績優秀だった山里亮太は、千葉経済大学附属高校に進学し、強豪のバスケットボール部に入った。
初恋は、高校1年生。
クラスのヒロインで多くの男子の憧れの的だった女の子に恋し、告白を決意。
原付バイクに乗って彼女のもとへ向かい、彼女が好きなドリカムの「未来予想図Ⅱ」の歌詞、
「ブレーキングランプ5回点滅、ア・イ・シ・テ・ルのサイン」
を実行。
しかしヤンキーの兄が改造を施した原付バイクは超爆音で、愛を伝えるどころか不快感に与えただけだった。
高校2年生は文系か理系かを選択し、それに伴ってクラス替えが行われる。
薬剤師になるためには理系を選ばなければならなかったが、大好きなヒロインが文系を希望しているのを知り、ためらわずに文系をチョイス。
しかし大好きなヒロインは、文系2を選んでいて、何も知らずに文系1に印を入れた山里亮太は、同じクラスどころか違う校舎になってしまった。
さらにしばらく経った学校帰り、イケメンサッカー部と手をつなぐヒロインを目撃。
こうして初恋と薬剤師の夢は終わった。
高校3年生になり、薬剤師という夢を失った山里亮太は将来に迷った。
「普通の仕事はしたくない」
「モテたい」
と思いながら、求人誌で珍しい仕事、かっこいい仕事、モテそうな仕事を探したが、コレッと思うものはなかった。
そんなとき親友のなめちゃんに
「山ちゃん、時々おもしろいこというからお笑いやってみたら」
といわれ、妙に納得。
お笑い芸人を目指すことにした。
バスケットボール部は練習を1度もサボらずに皆勤賞だったが試合には1度も出たことがなかった。
しかし高校最後の試合、試合残り時間20秒でレギュラーの後輩がケガをし、監督に
「山里行けるか?」
といわれ、
(みていてくれたんだ)
と感動。
笑顔をかみ殺しながらジャージを脱ぎ、バスケットシューズのヒモを締め直し、コートへ。
そのとき監督に
「山里、ボールには触るなよ!」
といわれ、大声で
「はい、ゲームには関わりません!」
と答え、ラストプレーで、仲間が自分のことを思って出してくれたパスをよけてしまった。
東京にも吉本興業の養成所であるNSCはあったが、それを知らず、お笑い=大阪と思っていた山里亮太は、母親に
「高校を出たらすぐに大阪に行きたい」
と打ち明けた。
「そんなの無理だからやめなさい。
第一あんたはそんなに面白くない」
といわれ、
(まさかの全否定!)
と驚きながら、どうしてもお笑い芸人になりたいと食い下がった。
すると母親は
「関西の人10人に聞いて10人が知っている大学に入れたら大阪に行っていい」
という条件を出してきた。
山里亮太は、関西の有名大学をリサーチ。
「関関同立」と呼ばれる関西の難関私立大学の一角、関西大学に目をつけた。
関西大学は「関大」の愛称で親しまれ、大阪府に4つのキャンパスを持つマンモス大学で、サークルの種類や数も多く、11月に開かれる学園祭は関西で最も盛り上がるといわれていた。
山里亮太は、
「いかにも好きなことに没頭できて、目立つことができそう!」
と憧れたが、不合格。
専門学校や大学に進学が決まって遊びまくる同級生に殺意を抱きながら高校を卒業し、浪人生活に突入。
朝7時から千葉駅前で2時間ほどテッシュ配りのアルバイトをして、予備校に行って22時まで勉強し、家に帰っても、また勉強という日々を繰り返し、このときの
「わからないことはひたすら書いて体で覚える」
という勉強法は、芸人になってからもネタ帳で活きた。
1年間、アルバイトと勉強を繰り返し
「結局、浪人した1年間で、英語がとにかく伸びました。
日本史は弱かったですが、受験を迎える心境は現役の時と全然違いましたね。
センター試験も受けましたが、英語は解き方も法則も頭に入っているからほぼ満点でした」
という山里亮太は、見事、関西大学に合格。
大阪に行くまでの間、大阪弁のCDを買い、毎日、
「なんでやねん」
「ちがうか」
「なんでやねん」
と英会話のように練習し、芸人になった自分、テレビに出ている自分、たくさんの女性に声をかけられて困る自分を想像した。
そしてすでに
「おかん」
と呼んでいた母親と一緒に大阪へ。
伊丹空港に着くと電車に乗り換えて梅田へ。
周りはハイテンションで大阪弁をしゃべる人ばかりで、初めてみるお笑いの聖地のパワーに、
「本当にお笑いなんかできるのか?」
「ここに来たのは間違いだった」
と自信を喪失。
「お母さん」
と呼ぶようになった母親とお好み焼き屋に入り、店員に注文を聞かれると、うつむいたまま、無言でメニュー表を指さし、確認されると黙ってうなずいた。
しかし関大前駅から徒歩5分、メインキャンパスである千里山キャンパスの正門に着くと
「これが夢みてた大学だ!」
と喜びがこみ上げ、不安は一気に消えた。
学生寮に入ることを希望していたので、その面接を受けるために大きな正門を通過。
きれいな芝生の庭、グラウンド、学舎、図書館、体育館、シンフォニーホールなどがあり、ワクワクしながら面接会場へ。
そして男女共寮である「秀麗寮」の面接を受け、面接後、その結果を待ちながら、これから起こる寮内での恋、おしゃれな大学生活を想像した。
結果は掲示板に発表されたが、秀麗寮の入寮者の欄には自分の名前はなく、
「あった!」
と見つけたとき、そこには「北斗寮」と書かれてあった。
北斗寮は、秀麗寮だけでは収容人員が少なくなって新たに建てられた男子寮。
4階建、240人収容の寮室棟と2階建ての共用棟から成る建物だった。
入寮初日、古びた北斗寮のホールに各地方からやってきた50人くらいの新入生が集合。
みんなが出身地などを話し合う中、人見知りの山里亮太はホールの隅っこで1人、ゲームボーイ。
やがて寮の先輩たちがやってきた。
金属バットを持った先輩もいたが、全員がニコニコしており、そんな先輩たちの指示で、新入生は整列。
並んだ後も新入生の会話は続き、山里亮太の周囲でも声がしていた。
すると1人の先輩が、
「何タラタラしゃべってんだ!」
と怒号を上げた。
新入生がキョトンとしながらみると先輩たちの笑顔は消えていて、すぐに軍隊のように整列した。
やがて寮長が現れ、
「入寮のオリエンテーションをします」
といった。
山里亮太は、自己紹介をするのかと思ったが、始まったのは挨拶の練習。
1人に対して2人の先輩がつき、
「おはようございます」
というと両サイドから
「聞こえん」
「もっと腹から声を出せ」
「まだまだ出る」
「正座せいやコラァ!」
などといわれながら、新入生はひたすら大声で叫び続けた。
地獄の挨拶練習が2時間ほど続いた後、食事となり、食堂へ。
山里亮太は、緊張と動揺で、ほとんど食べられなかった。
続いて風呂へ移動し
「(人数が多いので)1人に与えられるシャワーの時間は5分」
と説明され
(刑務所24時だ)
と思ったが口には出せなかった。
風呂を出るとホールに戻って校歌、応援歌の練習が始まった。
その絶叫は、深夜まで続き、
(やっと終わりか)
と思ったとき、先輩が、
「明日、自己紹介とネタ見せをするから、しっかり考えて。
自信があるヤツはゆっくり寝ていいぞ」
といい、その日は新入生は全員、ホールに宿泊することになっていたが誰1人眠らずにネタを考えた。
「ネタ見せ」とは、何か面白いことをやってみせること。
寝ないまま、その時間がやってきた新入生は、まず出身地、出身高校、在籍する学部、学籍番号、そしてを自己紹介を絶叫し、その後、ネタ見せ。
腕立て伏せをしながら好きなAV女優の名を絶叫したり、故郷の温泉を体で表現したり、彼女との初体験を東北弁で再現するなど新入生は必死で行い、先輩は、ダメ出しをして合否を決めていった。
お笑いを目指して大阪にやってきた山里亮太にとって、初ネタ見せだったが、
「僕は芸人になるために、ここ関西大学にやってきました」
と自己紹介した後、ドラえもんが、のび太のどんな悩みにも千葉県の名産、落花生と醤油しか出さないというネタを絶叫。
まったくウケず、先輩に
「お前、ドラえもんの中でどんな道具が好きなんや?」
と聞かれ、
「タケコプターです」
と答えると
「じゃあ、タケコプターになってみろ」
といわれ、絶叫しながら全力でクルクル回り、なんとか合格した
秀麗寮の新入生もオリエンテーションの後、男女合同でホールに宿泊。
次の日は、朝はラジオ体操から始まり、歌唱指導が平和的に行われた。
一方、北斗寮の異常なオリエンテーションは4日間続き、逃げ出す新入生も出た。
北斗寮は、2段ベッドが2つある4人部屋が60部屋あり、各部屋に1年生から4年生まで各1人ずつ居住。
山里亮太は、部屋に入るとき、毎回、
「千葉県千葉市千葉経済大学付属高等学校出身、山里亮太です!
失礼します!」
といい、それも小声だと先輩に
「聞こえん!」
といわれるので、叫ぶようにいった。
寮費は、食事つきで月1万5000円。
基本的に学生によって運営される北斗寮は、規則と上下関係が厳しく、1年生から4年生まで細かく役割が決められていた。
また芸にも厳しく、寮祭、飲み会などことあるごとに
「なんか芸やれや」
といわれ、芸大会が始まり、おもしろくないと先輩は一升瓶を片手に
「つまらんのう!
もっと狂え!」
といった。
そんな男塾のような寮でありながら北斗寮には、
「先輩は後輩のために1週間に1回合コンをセッティングしないといけない」
というルールがあったため、山里亮太は週9回のコンパ漬けとなった。
ある先輩に
「合コンで1時間で60回。
つまり1分に1回笑わせたら、どんなモテない男でも抱ける」
といわれ、感動した山里亮太は、その言葉を胸に合コンへ向かい、女子が待つ部屋に入ると同時にアクション。
女子の自己紹介にも必ずコメントを挟み、田舎出身の女子には
「飛行機みると鳥の化け物だと思うでしょ?」
カラオケでは替え歌、ダンス、タンバリンと、とにかく必死に笑わせた。
すべては
「女を抱くんだ」
という目標のためだった。
雑誌で艶気が200%増すというスプレーを発見すると、1本1万円ほどで購入。
柑橘系の匂いがするスプレーを全身にかけて合コンにいったところ、女の子に
「酸っぱい」
といわれ、その後、全員から
「ビネガー」
とイジられた。
あるときは
「合コンを終わるまで女子にタバコを吸わせなかったら勝ち」
と決め、タバコを吸う暇もないほど笑わせ続けた。
店員がラストオーダーをとりに来たとき、
(勝った)
と思い、ハイテンションで女の子に、
「今日、楽しかったでしょ。
ずっと笑っててタバコ吸ってないでしょ」
と聞くと
「私たち、元々吸わないんで」
といわれ、さらに密かに
「ピエロ」
と呼ばれていたことが知った。
抱くどころか終電に乗るために消えていく女の子を見送った山里亮太は、ますます合コンに熱くなり、秀麗寮の前にいき、大声で
「僕たち童貞にABCを教えてくださーい」
と叫んだり、初恋のヒロインが子供ができて結婚したことを先輩に打ち明けて、
「よし、泣きにいこう」
といわれ、車で3時間かけて明石海峡大橋まで行ったりした。
大学2年生の終わり、同部屋の先輩に
「お前、何しに大阪に来たんだっけ?」
といわれ、大学生活が楽しすぎて、
「お笑いを目指すの、もういっか」
とも思っていた山里亮太は、NSCの面接を受けることにし、入学願書にPR欄に、
「自分は学生寮という特殊な環境に住んでいるので礼儀だけは誰にも負けません」
「心理学を大学で学んでいるので、みなさんの心の声が聞こえます」
と記入。
面接の日、大学の入学式以来、着ていなかったスーツに袖を通し、北斗寮の住人のほぼ全員から盛大な見送りを受けて出陣した。
面接は、20人1グループで行う集団面接で、コンビでネタをしたり、全身タイツに「スーツ」とマジックで書いて
「正装です」
という人や
「自分は天下獲るんで、ここで落としたら吉本は一生後悔すると思います」
と強気にいった後、江頭2:50のモノマネをする人、受験資格のある25歳だといい張って面接官にミカンを渡す老夫婦などがいた。
山里亮太は圧倒されながら、関西大学校歌を熱唱し、困ったような面接官の顔を目撃し、不合格を確信。
帰り道、
「あまりに面接官がナメたこといったんで殴ってやった」
「あそこは俺のいる場所じゃない」
などと落ちたときに仲間にいう言葉を考えながら帰宅。
果たして合格通知が来ないまま、先輩の卒業式を迎えた。
その日の飲み会で、自分の部屋の部屋長だった先輩が、
「自分はこの寮で、このメンバーと過ごしたことを誇りに思う」
とスピーチ。
「そして・・・」
といってカバンの中から紙を取り出し、
「自分の後輩が芸人のスタートラインに立った。
こんなうれしいことはない」
それはNSCの合格通知で、大きな拍手が起こった。
こうして山里亮太は、大学3年生になると同時にNSC大阪校の22期生になった。
NSCの同期は、600人以上いて、
「つぇーまん(1万円)、はい」
という講師に続いてに続いて
「つぇーまん」
「姉さん、はい」
「姉さん」
「りんご姉さん、この前はごちそうさまでした、はい」
という業界用語のレッスンなどもあったが、基本となるのは、
発声
ダンス
演技
ネタ見せ
という4つの授業。
周りにはすでにコンビだったり、新しくコンビを組んでネタづくりをやっていたが、人見知りの山里亮太は、なかなか声がかけられなかった。
そして北斗寮に帰るとお笑い好きの住人たち出迎えを受け、その日あった出来事を報告した。
山里亮太が思い描いた相方像は、「男前」
その理由は、
「笑いは自分で獲る。
相方はルックスの良さで客を引っ張ってくる男がいい」
だった。
人見知りから一念発起し、男前に声をかけ続け、見つかったのが、三重県から大阪へ来た1歳年下の水上君。
コンビ名は「侍パンチ」にし、山里亮太は、ネタを書きまくった。
といっっても最初は何が面白いかわからず、テレビに出ている芸人のしゃべりを必死に書いた。
そして毎日、水上君の家の近くの墓地でネタ合わせ。
途中、誰かがお参りに来ると恥ずかしいので知らない墓に
「師匠、なんで死んでしまったんですか」
と演技。
多くのコンビが二人三脚でネタをつくり上げる中、侍パンチは、山里亮太が完全に主導。
例えば
滑舌の悪く、ラ行が苦手だった水上君に、山里亮太は知らない人の墓石に座って、目の前に立たせ、
「ラ行いえや」
とひたすら巻き舌やラ行の発音練習させたり、キレのあるツッコミをさせるため、
「なんでやねん」
を3時間ひたすら練習させたり、自分が選んだお笑いビデオを数十本連続でみせたり、1日30個ブサイクいじりのワードを考えさせたりして、
侍パンチのネタ合わせをみた同期に、
「まるでカツアゲをしているようだ」
「水上君、引きずり回されてる」
といわれた。
こうして少し出遅れてコンビを組んだ「侍パンチ」は、毎日、ネタ合わせをしながら、
「まだ下手だから」
という理由で、授業でネタを見せることはなかった。
そこには
「面白くないと思われたくない」
という気持ちがあったが、必死で練習し、やがて
「今日の授業でネタをみせよう」
とネタ見せ授業デビューを決意。
練習していた公園からNSCに向かい、出場希望のホワイトボードに名前を書いた。
そして見慣れたコンビの後、侍パンチが初登場。
結果は、まったくウケなかった。
「みているのは同じ道を目指す人間。
そう簡単に笑いは起こらない」
と覚悟しつつも、密かに爆笑を期待していた山里亮太は落胆した。
NSCでは、1期生のダウンタウンから約10年後に9期生のナインティナインがブレイクしたことで「10年に1期黄金期が来る」
いう「10年説」というものがあった。
実際、NSC大阪校22期生およびNSC東京5期生は、キングコング、村本大輔(ウーマンラッシュアワー)、NON STYLE、なかやまきんに君、ネゴシックス、平成ノブシコブシ、久保田和靖(とろサーモン)、ダイアン、大西ライオンなどが在籍する当たり年だった。
山里亮太は、
「自分は天才かもしれない」
という期待を抱いていたが、このネタ見せの授業で、
「決して思いたくなかったが自分は特別じゃなかったと思ってしまった」
夏、4月からずっとNSC内でMVPに選ばれ続けていた2つのコンビが解散し、しかもそのコンビのボケ同士がコンビを組むという事件が起こった。
それが「キングコング」だった。
その後、キングコングは、毎回、ネタ見せの授業で講師と同期の笑いをかっさらい、在学中に「NHK上方漫才コンテスト」最優秀賞を獲るという快挙を成し遂げた。
「22期はホントにキングコングが好きなヤツが多くって、憧れの的なのよ。
めちゃくちゃ漫才を先生から評価されてるし、テレビも出てるし。
さらにムカつくのが、ちょっと良いヤツなの。
みんなが好きになる、あいつらだったらしょうがねぇかみたいな」
という山里亮太は、ネタ見せの授業でキングコングのときだけは絶対に笑わず、インターネットの掲示板に悪口を連日、投稿。
ギターを弾く西野亮廣を密かに
「スナフキン」
と呼び、
「スナフキン先生がまた来てらっしゃる」
などとをいい、ドトールコーヒーで、ネゴシックスを相手にキングコングの悪口いい、悪口をいっぱい書いたノートをわざと忘れて帰ったりした。
そして嫌がらせをしたことをキングコングに白状し、
「それ知ってたよ」
「エエよ。
俺がもしお前の立場だったら同じような事してたと思うし」
といって肩を叩かれ、
(俺は死ぬべきだ)
と思った。
それまで
「お笑いは天才が創る世界」
「必死、一生懸命はカッコ悪い」
と思っていた山里亮太は、
「天才はあきらめた」
と必死に一生懸命に努力するようになった。
授業は毎日出て、ネタ見せの授業はトップでみてもらい、終ったらすぐに質問し、帰ってネタ合わせ。
NSCでは「変わってる」はホメ言葉で、生まれた境遇や生き様が人と違うことは武器となる。
しかし伝説的な武勇伝も、人が驚くような人生体験も、複雑な家庭環境の経験もない山里亮太は、NSCから帰るとき、ブツブツいって、なにか書きながら外に出たり、ゲイの発展場にタイトなTシャツを着ていって、
「どれくらいで逆ナンされるか?」
を試したり、9・11テロの後、デモ行進に参加したりしてセルフプロデュース。
NSCに入って以来、大学ノートにネタや自分の好きな言葉、その日の出来事、妄想などを書き続け、現在では数百冊以上にのぼる。
「この前ノートを見返したら、僕、ガッキーと天保山でデートしてた。
ガッキーがジンベイザメ恐れちゃってね。
「大丈夫だよ、コイツ優しいんだよ」って。
だからガッキーが結婚したときは勝手に失恋した気分になりました。
そんなことを書いていたら、なんと「その妄想、本にしませんか?」とお話をいただいて、ドラマ化もされましたからね。
このノートが、意外とお守りみたいになっているんですよ。
明石家さんまさんの番組に呼ばれたときなんて震えるくらい緊張したけど、「でも僕、これだけやってきているし、これだけエピソード持ってるし、さんまさんと目が合っても5回までなら大丈夫な弾、持ってるし!」って」
一方、男前だった水上君は、山里亮太の地獄のネタ合わせと追込みによって精神的に疲れ、髪が薄くなり、ホホはこけ、
「死神くん」
と呼ばれるようになっていた。
NSCの卒業直前、ネタ合わせしているときに水上君が
「もう許してくれ」
というと、山里亮太は激怒し、いつものように追い詰めるような説教を始めた。
水上君は、その途中で、
「解散してくれ」
とつぶやいた。
山里亮太は、必死に引き止めたが、時すでに遅し。
侍パンチは、卒業前に解散となった。
「足軽エンペラー」の解散を心配したNSCの講師に新しい相方候補を探してやろうといってもらい、山里亮太は、
「真面目に学校を休まず、熱心にメモを取りながら授業を受け、時給300円でNSC講師のアシスタントを積極的に行った結果だ」
と感激。
講師によってお見合い的な会が行われ、まずはお互い自己紹介。
新しい相方候補の名前は、西田富男。
山里亮太より、2歳下。
ガッシリした体型で男前。
兵庫県加西市出身。
実家は栗を剥く栗剥き器をつくる工場を経営。
元暴走族のリーダーでホストを経てお笑いの道に入り、気遣いができて先輩にもかわいがられていた。
初対面の山里亮太に、
「24時間お笑いのことだけ考えてほしい」
「ネタをしっかりやってほしい」
「常にカッコよくいてほしい」
などたくさんのリクエストを出され、西田富男は一言、
「がんばる」
そして、
「じゃあ自己紹介に」
といって、コサックダンスを踊りながらズボンチャックを開け閉めしながら
「コチャックダンス、アーハァー」
とやりはじめた。
それが必殺のギャグ、コチャックダンスだった。
2人は、すぐにコンビを組むことになり、次の日にネタ合わせをすることを約束。
ネタ合わせ初日、駐車場に集合し、山里亮太は自分が書いたネタを西田富男に渡し、その場で完璧に覚えることを要求。
そして水上君同様、厳しく指導。
「すまない」
西田富男が素直に謝ると
「もっと噛みついてこい」
といい、西田富男が噛みついてくると
「何もできないくせに文句いうな!」
コンビ名は、最初「侍パンチ」を継続しようと思い、水上君に、
「侍パンチって名前、新コンビで使っていい?」
すると1度も怒ったことがなかった水上くんが
「人間としてどうなん?」
とキレ気味でいったため、あきらめ、最終的に
「足軽エンペラー」
となり、侍から少し身分が落ちた。
例えば、病院ネタで
「すみません。
風邪ひいてしまいまして、熱っぽいんです」
(西田富男)
「冷やしたほうがいいなあ。
じゃあ、これ、オデコに貼って」
(山里亮太)
「なんですか?」
(西田富男)
「(常に寒いといわれる)デーブ・スペクターの写真です」
(山里亮太)
そんな山里亮太が書いたネタを、西田富男は、
「面白いね」
「天才だね」
とホメ、、もしウケないと
「客が悪い」
といい、山崎亮太が
「カレーが好き」
というと密かに近くのおいしいカレー屋を調べた。
山里亮太は、どんな無理難題にも笑顔で応えてくれる西田富男に
「信じられないくらいいいヤツ」
と感動。
あまりの心地よさに
「富男君が女だったら結婚するなあ」
というと西田富男はウロたえながら、
「イヤ、俺ダメだよ。
口クサいし」
といいながら、山里亮太のつくったネタを暗記した。
2人で話し合いながらネタをつくり、あえて台本のセリフを空欄にするコンビもあったが、西田富男は、アドリブは許されず、セリフを覚えられないと怒鳴られ、罵られた。
その他にもバイトを休まされたり、彼女とデートに予定を入れられたり、女性ファン獲得のため外見について細かく指示されたり、先輩芸人や吉本社員との関係づくりのために飲み会へ参加させられたりして、舞台でウケないと、
「なんでウケないんだ」
「他のヤツの漫才をみて笑ってる場合じゃないだろう」
と怒られた。
一方、山里亮太もウケなかったときは
「あそこ、早めに入っちゃった!」
とひとり反省し、劣等感に苛まれながら、ミスしたところを帰り道に練習。
大学3年生の3月、
「笑いの勉強」
と称して合コンをしながら遊びまくり、就職活動をしている同級生に
「いいなあ、お前はやりたいことがあって」
といわれながら、NSCの卒業公演に向けて必死に練習。
600人いた同期は100人以下になっており、生き残ったピン、コンビ、トリオ、約50組で、有料チケットを買った客の前で卒業公演を行うことになっていた。
ネタ時間は講師によって、1分、3分、5分に分けられ、それぞれ1分組、3分組、5分組と呼ばれ、5分組は5組だけ。
結成1ヵ月の足軽エンペラーは、5分組に入り、西田富男は、
「山ちゃん、さすがだよ。
山ちゃんのネタがよかったから」
山里亮太も、
「俺らならいけるな」
といって喜び合った。
しかし卒業公演当日、通常は先輩が務めるMCをキングコングが担当し、目の前で完璧に仕切られた山里亮太は強烈に嫉妬した。
「血のションベン出そうだったもん、悔しくて」
キングコングは同年8月にフジテレビの新人芸人発掘番組「新しい波8」に出演。
これが評価されて「はねるのトびら」のレギュラーに大抜擢されるなどスター街道を進んでいった。
一方、足軽エンペラーの基本的な仕事は、1日3000円の給料で行うNSCのアシスタント。
そのときNSCの制限年齢である25歳を明らかにオーバーしているのに25歳といい張り、自己紹介でハイクオリティなモノマネとしゃべりを行い、、
「将来、タモリさんとからみたい」
と大口を叩く女性と遭遇。
それが友近だった。
足軽エンペラーは、NSCのアシスタントをしながら、なんばグランド花月の向かいのビルの地下1階にある劇場「baseよしもと」のステージに立った。
baseよしもとは、
「プレステージ組」
「ガブンチョライブ組」
「タレントプロデュース組」
「イチオシ組」
の4段階で昇格していくシステム。
「プレステージ」は、素人も参加できるオーディションで、月3回、土曜日に行われ、それぞれ50組が出演。
出演は、実力順ではなく先着順で決まるので前日から並ぶ必要があった。
山里亮太は、その列の中で酒盛りをする4人を発見し、
「関わりたくない」
と思った。
それが笑い飯と千鳥だった。
「プレステージ」のエントリーが終わると2000円を払って500円のチケット4枚もらう。
これは売ってもよいが、売れなければ紙切れになった。
エントリーした50組は、鐘を鳴らされて舞台に出て、ネタを行い、審査員によって合格、不合格を決められる。
毎週5組が合格し、計15組が4週目の土曜日に行われる「プレステージ決勝」へ進出。
決勝は、客の投票で決まるため、山里亮太は、チケットぴあで買えるだけ買って、北斗寮で配った。
西田富男は、アルバイト先でホステスにチケットを渡したので、劇場は大量のホステスと香水の香りに包まれた。
楽屋で
「今日の客なんかおかしい」
といわれ、冷や汗をかきながら
「そうですね」
と相槌を打ちつつ、ステージへ。
しかし男性客と同伴で来ていたホステスが投票をせずに途中で店に出勤。
足軽エンペラーは勝てなかった。
「プレステージ組」
「ガブンチョライブ組」
「タレントプロデュース組」
「イチオシ組」
と勝ちあがっていくのは非常に困難だった。
①
まず「プレステージ決勝」で上位3組に入ると上位グループである「ガブンチョライブ組」10組との入れ替え戦、「ガブンチョWAR」が行われ、「ガブンチョWAR」の上位10組は「ガブンチョ組」となり、下位3組は「プレステージ組」に降格。
②
「ガブンチョ組」になると、毎週、baseよしもと行われているフットボールアワー、ブラックマヨネーズ、キングコングらが出演している、チケット代2000円の「ガブンチョライブ」に出演。
③
ここで結果を残せば入れ替え戦のない「タレントプロデュース組」に昇格し、単独ライブが行えるようになる。
④
さらに上位の「イチオシ組」になれば、吉本興業が優先的にテレビ等に売り込むことを約束。
もしそうなればプロの芸人と認められるのはもちろん、明日のスターとしての道も開ける。
しかし足軽エンペラーは、「ガブンチョWAR」止まり。
何度も「ガブンチョWAR」に挑戦したが、1度も勝つことはできなかった。
そんな月1~3回舞台に上がり、450~1350円のギャラをもらっていた足軽エンペラーにチャンスが訪れる。
毎週火曜日21時から全国区で放送されていた人気バラエティー番組「ガチンコ!」への出演オファーが舞い込んだのである。
メインMCは、ジャニーズ事務所の人気グループ、TOKIO。
街の不良が元世界チャンピオンの指導の下、プロボクサーを目指したり、がけっぷちのラーメン屋の店主が有名ラーメン店に弟子入りして再起を目指すなど、愛と感動、スパルタと暴力が入り混じった人気番組。
そんな番組の中で吉本興業の大先輩、オール巨人を講師に、名もなき若手芸人が日本一の漫才師を目指す「ガチンコ!漫才道」という企画が始まったのである。
山崎亮太は、プレステージに出るために訪れたbaseよしもとの楽屋で
「TBSガチンコ漫才道出場者オーディション」
という張り紙を発見。
そのときは舞台で頭がいっぱいだったので
「あのヤンキー番組か」
と思っただけだったが、ステージを終えて改めて張り紙をみると、西田富男に
「オーディション出るから」
といった。
オーディションの日取りが吉本興業から電話で伝えられると山里亮太はテンションを上げて、録り貯めた「ガチンコ」のビデオで研究。
西田富男に
「お笑いをナメた芸人になって」
と指示し、オーディションの返答例を書いた紙を渡した。
『どうぞ、お座りください』
「・・・・・・(大股で不愛想に足を開いて座る)」
『コンビ名は?』
「足軽エンペラーっす」
『あなたにとってお笑いとは?』
「しゃっべているだけで金がもらえるもの」
『相方のことをどう思いますか?』
「真面目過ぎ。
お笑いなんて一生懸命やったら笑えない」
という台本をつくってネタ合わせするように練習し、
「全体的に巻き舌な感じで」
「もっとダルそうにしゃべって」
「もっと元暴走族感を出して」
「どうする?
ガムかみながら行く?」
と指導。
オーディション当日、テレビ局のスタッフが5人ほどいる部屋に1組ずつ呼ばれると、まず
「足軽エンペラーです。
警察になりたくないというネタです。
よろしくお願いします」
といった後、3分ほどネタ見せをし、その後、面接となった。
『お座りください』
といわれると、西田富男はダルそうに足を広げて座り、口の中に入っていないガムをエアーでクチャクチャさせ、すべての答えをぶっきらぼうに行った。
次の日、いつものようにネタ合わせに向かう途中、携帯電話が鳴り、オーディション合格を知ると足軽エンペラーはコンビニにビールを買いに行った。
第1回目の収録で集められた数十組の中には、ブラックマヨネーズ、ナイツ、レギュラー、天津、又吉直樹など後の売れっ子もいた。
まずTOKIOが登場すると山里亮太はミーハー心でテンションアップ。
続いてオール巨人が企画の内容や趣旨を説明。
数回にわたって課題を行い、その度に数組ずつ落とされ、最終的に残った1組は優勝賞品として、10日間の単独ライブと冠番組がもらえるという破格の条件。
そして謳い文句は、
「日本一の漫才師の称号は誰の手に」
それを聞いて山里亮太のテンションはMAX。
「1番になったコンビ以外は漫才の世界から足を洗うように」
というオール巨人から与えられた最初の課題は、
「運」
クジを引いて当りなら次の課題に進める。
周りが一喜一憂していく中、ビビった山里亮太は
「富男君行って」
帰り道、当りを引いた西田富男にジュースをおごり
「もし外れてたら、山ちゃんどうしてた?」
と聞かれると、
「あ?」
またこの日、山崎亮太は収録中、オール巨人に
「お前、なんやその髪。
漫才やるんやったら、その髪いらんやろ。
明日変えてこい」
と注意された。
1週間後、2回目の収録が行われた。
この日の課題は、オール巨人にネタをみてもらうというものだった。
山里亮太は、
「これを使わない手はない」
と髪型を変えずに収録に参加。
するとオール巨人に
「お前、髪型変えるいうたやろ」
と怒られ
(本気で怒ってる…)
とビビりながら
「いや、毛先を遊ばしてきました」
とボケた。
しかしオール巨人は怒ったまま。
オンエアでは自分のボケがカットされ、怒られて一言もしゃべられなかったことになっていた。
3回目の収録の課題は、
「遊園地で一般のお客さんの前でネタ披露」
で、そのデキによって1組が落とされることを聞かされ、2回目の収録は終了。
足軽エンペラーはいつものように大阪に帰ったが、翌日のネタ合わせの風景を撮るためにスタッフが同行。
足軽エンペラーは、決めていた通りにギスギスした感じでネタ合わせをし、
「俺らが面白いと思っているネタをやればいい」
という西田富男に山里亮太は、
「お客様あっての芸人だろ。
俺たちは壁に向かって漫才してるんじゃない!」
というセリフを決めて、自分に酔った。
そして遊園地で収録の日、
「巨人師匠も昔オカッパだったし」
と思いながらも髪型をジェルでオールバックにして臨み、1番自身のあるネタを行い、見事に生き残った。
次の課題は
「お題漫才」
で、与えられた2つのお題で即興で漫才を行うというものだった。
収録当日、山里亮太は、タクシーの中でギックリ腰になった。
現場に着くと他のコンビは、立つのがやっとという山里亮太をみて心配するどころか、ニヤニヤ。
残る5組のうち、1組が落とされるという状況の中、山里亮太は
「傷を負いながらオーディションに臨む姿を撮ってもらおう」
と西田富男の肩を借りて、スタッフの周りをウロウロ。
しかし
「頑張ってください」
といわれただけで、本番がスタート。
足軽エンペラーは
「大統領選」
「DVD」
というお題を何とかやり終え、勝ち残った。
次は
「師匠たちの前でネタ見せ」
という過酷な課題だった。
山里亮太は
「オーソドックスな基本に忠実なネタでいこう」
と多用していた芸能人をディスるボケを捨て、見事、決勝進出。
最終回は、なんばグランド花月で行われると聞いて、もう気分はスターとなり、
「街を歩くと人だかりになる」
「アイドルと付き合う可能性もある」
「もうエロ本立ち読み禁止だな」
「彼女と歩くときは、彼女に数歩後ろを歩かさないと」
と楽しく妄想。
夜の9時のテレビに映る自分に酔いしれながら、合コンで一般女性を邪険に扱った。
そして最後の収録で、足軽エンペラーは見事に優勝し、日本一の漫才師の称号を手に入れた。
この時点で山里亮太は、まだ大学4年生。
「これでテレビ局から引っ張り凧だ」
「友達がいないけど笑っていいとも!の友達紹介はどうしよう」
などと浮かれまくった。
毎週、テレビ出演したおかげで父親に
「安定した仕事に・・」
といわなくなり、元ヤンで長距離トラックの運転手をしている兄には、ガチンコファイトクラブの出演者に会わせろといわれた。
大学に行けば、人だかりができ、写真を求められ、最初は、
「ええ?僕なんか」
といっていたが、
「ツーショット?
それともワンショット?」
と余裕でいえるようになった。
関西大学の同学部同級生に矢井田瞳がいた。
大学入学後、19歳でギターを弾き始め、まだデビューしていなかった矢井田瞳は、山里亮太のことを
「背も高いし、赤メガネかけて、おしゃれで吉本の養成所に行っているっていうのも有名で、すごい人気者でオーラもあって目立っていた」
と少し憧れ目線。
一方、大学4年生になって北斗寮の副寮長になり、NSCでもキングコングに次ぐ存在になり
「吉井和哉さんが着てそうな服着てた」
という山里亮太は、友人から矢井田瞳を紹介されたとき
「自分、音楽やってるんだってね。
どっかで会えたらいいね。
じゃあ」
と上から目線。
そして一緒にご飯に行きたいと誘われたが、その日の寮の昼ご飯がカレーで急いで帰らないとおかわりできない時間だったので
「今日はカレーだから」
とそっけない態度で寮に帰った。
そして足軽エンペラーがガチンコ漫才道で優勝した後、矢井田瞳はセカンドシングル「My Sweet Darlin'」が大ヒット。
山里亮太は、
「あのとき紳士的に挨拶できていたら、♪ダーリン、ダーリンが♪山ちゃん、山ちゃんになったのではないか?」
と後悔すると同時に本物のスターの出現に嫉妬。
矢井田瞳がボディガードをつけていると聞くと、後輩にスーツを着させ、自分を守らせた。
彼らのギャラは牛丼の並盛1杯だったが、後に矢井田瞳はボディガードなどつけていないことがわかり、
「大損した」
合コンでは、以前は自分の隣に席が譲り合われたり、座った女の子が苦虫を潰したような顔をして
「席替えターイム!」
叫んでいたのに、「ガチンコ!漫才道」優勝後は、
「キャーッ本物だー」
とボディタッチ。
自分の隣の席の取り合いになり、何をいってもウケて、フィーバー状態。
「長瀬の番号知ってるんだよね」
と携帯電話の画面をみせ、ますますキャーキャーいわれ、山崎亮太は
「これで一気に売れるんじゃないか!!」
と思った。
しかし「ガチンコ!漫才道」の優勝賞品である「冠番組」は、当初、深夜24時スタートだったものがが、27時スタートになり、さらに全国放送から関東ローカルに変更。
もう1つの賞品、「10日間の単独ライブ」は、初日こそ撮影があったために客がいたが、すぐにいなくなり、ADがサクラになり、足軽エンペラーはスタッフの前で漫才をやり続けた。
「ADさんが疲れて寝てる中で漫才やって、吉本の偉いさんが「ハクつけたるわ」って、中川家さん呼んでくれたの。
すげぇ中川家さんが辛そうにやってたの覚えてる」
そしてbaseよしもとの支配人に
「別にテレビで優勝したからって、お前らのこと認めたわけじゃないから」
といわれ、山里亮太は、
「一生忘れない」
と思いながら、またオーディションを受ける日々を過ごした。
あるとき山里亮太は、笑い飯と千鳥がインディーズライブ(事務所に関係なく行うライブ)で、
「またそんなしょうもないこというて!
お前は足軽エンペラーか!!」
と足軽エンペラーのことをバカにするネタを行っているという噂を聞いた。
笑い飯と千鳥のネタをみたことがなかったが、自分たちと同じオーディションを受けているレベルの芸人に悪口をいわれ、
「なんてイヤな奴らがいるんだ」
と腹を立てた。
そして足軽エンペラーは、バッファロー吾郎主催の「爆笑新ネタフレッシュホームラン寄席」に出演。
「ネタは演じる人間が面白いと思うものをやればいい」
という硬派な芸風で芸人のリスペクトを集めるバッファロー吾郎。
そのバッファロー吾郎が面白いと思った芸人を発掘するというイベントが「爆笑新ネタフレッシュホームラン寄」だった。
山里亮太は、バッファロー吾郎のことを
「毛色は違うが尊敬している」
ホームラン寄席のことを
「このイベントに出ると関西では面白い芸人として認められたと胸を張っていえる」
と認識していたが、そこで笑い飯、千鳥と初共演。
自分をバカにしているコンビがドッカンドッカン笑いをとるのをみて
(2組ともメチャメチャ面白い)
とビックリしたが、盛り上がる会場の中で自分だけ笑うことができなかった。
イベント後、ますます距離を置くようになったが、バッファロー吾郎のイベントで再共演。
本番終わりの打ち上げで道路の排水溝に吐くほど大酒を飲み、急速に打ち解けた。
特に意気投合したのが千鳥の大悟で、それまでがウソのように、ほぼ毎日飲む仲に。
baseよしもとでレギュラーになっていた千鳥の出番が終わるのを待って飲みに行き、消費者金融にいって
「大丈夫や、臨時収入があったからな」
という大悟にオゴッてもらった。
このとき
「どうしたらああいうネタができるんですか?」
と質問。
「自分が客席にいたとして、その自分が観て笑うものをやってるだけや」
という答えに何をいったら客は笑うのかばかりを考えていた山里亮太は衝撃を受けた。
足軽エンペラーは、ある番組のオーディションに合格し、「ガチンコ!漫才道」以来、久しぶりにテレビ出演が決定した。
それは関西ローカルだが、大阪の若手芸人にとって憧れのネタ番組だった。
「絶対に失敗したくない」
山里亮太はネタ合わせに熱を入れ、連日、容赦なく西田富男を追い詰めた。
そしてネタ番組前日、いつものネタ合わせに西田富男が遅刻。
携帯電話も通じず、イライラしながら待っていると、20分遅れでやってきた西田富男は、
「ゴメン」
山里亮太は、躊躇なく怒号を響かせ、罵声を連発して畳みかけた。
情け容赦ない説教を
「ドンッ!」
という異音が止めた。
西田富男は壁を殴った拳を握ったまま、山里亮太を睨み
「殺すぞ、コラッ」
怒鳴り散らしていた山里亮太は、急激にトーンダウンし
「ネタ合わせなんだからそんなに怒るなよ」
西田富男の怒りは収まらず、近くにあった自転車を持ち上げ、投げた。
そしてついに
「もう無理や。
解散や」
と禁断の一言。
山里亮太は呆然となり
「じゃあ」
といって去っていく西田富男の背中に声にならない声で、
「待ってくれ・・・」
深い後悔に襲われ、しばらく動けなかった山里亮太は、その場で西田富男に何度も電話。
しかしつながらず、次に考えたのは明日の憧れのネタ番組のことだった。
出演を辞退するために吉本興業に電話しようとしたが、なかなかできない。
立ち尽くしていると西田富男から電話がかかってきた。
「もしもし」
「ごめん。
今まで足引っ張って、ごめん」
「・・・・・」
「山ちゃん、これからもお笑い続けるよな?
続けたほうがいい。
だから前日にテレビ出演をキャンセルするなんて悪い噂がつきまとったらダメだ。
最後の最後まで足を引っ張るのはイヤやから、明日を俺の最後のお笑いの日にするわ。
わがままいってごめん」
山里亮太は泣いていることがバレないように
「ああ」
と答えた。
最後の漫才は、大成功。
収録後の楽屋で
「もう1度やろう」
といおうとしたがいえず、足軽エンペラーは終わった。
山里亮太は、周囲に
「大丈夫、次は決まってるから」
とウソをつきながら、次の相方を模索。
人見知りで自分から声をかけられないので
「かけられればいい」
とピンで「プレステージ」に出て、ご指名を待つ作戦に出た。
最初のオーディションの日、過去最大の緊張をしながら、「イタリア人」という芸名で漫談をして合格。
そして「プレステージ決勝」は1位。
入れ替え戦、「ガブンチョWAR」で敗退。
しかしプレステージでの活躍が認められ、「ガブンチョライブ」の出演権を獲得。
用意していたネタが尽き、急遽、日本人形と漫才。
日本人形をデートに誘い、キスをするネタでスベりまくった。
次にやったタンバリンを叩きながらテーブルマナーを説明するネタも空調の音が聞こえるほど、シーン。
極寒地獄を味わった山里亮太は、
「人見知りなんていってられない!!」
と相方探しに本腰を入れた。
これまでの相方は、男前ばかりだったが、芸人の中で有名な大女に目をつけた。
それが山崎静代。
通称「しずちゃん」
182㎝という高身長と骨太のがっちりした体格を持つ、2歳上の女性だった。
幼い頃からおニャン子クラブや南野陽子などのアイドルに憧れ、中学時代に全日本国民的美少女コンテストやモーニング娘などの数々のオーディションに応募したが書類選考で落ち続けた。
「そのうち『自分、大っきいな』って思うようになって。
中学卒業時には身長が170㎝あって、アイドルはかわいらしくて小さいし、正直そういうタイプの人間じゃないのかなって」
高校では「心斎橋筋2丁目劇場」で雨上がり決死隊とジャリズムの追っかけ。
短大に入ったものの、
「中学高校ではスポーツ(砲丸投やサッカー)に打ち込んで誤魔化せてたけど短大には部活もないし、自分が嫌で人前に出たくなくなって。
昔、廊下で男子に「岩石女」っていわれて、睨み返すことしかできなかったのを思い出してクヨクヨして」
となにもやる気が起きず、就職活動をせずに卒業。
「さすがにヤバい!」
と複数のアルバイトを掛け持ちして、食費を最小限に抑え、半年で30万円を貯め、劇団ひまわりの研究生に。
そして
「フリー演技の授業で無茶振りされたとき、どうやったら笑ってもらえるやろう、笑わせないと意味がないなあって1番に思ったんです。
そこで、あっ、私は笑わせたいのやと。
自分はお笑いなんやと気づけたんですよね」
と気づいた。
山崎静代は、コントのネタを書き始め、
「相方誰かおらんかな」
とNSCを卒業した中学の同級生、前野里美に声をかけた。
こうして1999年に「西中サーキット」を結成し、ひたすらネタを書き、公園で練習。
オーディションを受けて吉本興業に入った。
そのうち誰かにみせたくなり、baseよしもとの「プレステージ」に参加。
「あまりにも落ちて諦めかけたとき、相方が薦めたネタで受かりました。
ウケるとこんなに気持ちいいんやっていうのを体感して、決勝に残るように。
1ステージのギャラが500円。
手取りは450円でしたね」
やがてABCお笑い新人グランプリ審査員特別賞を獲得し、東京の深夜番組のオーディションにも受かり、まさに順風満帆。
だが、予期せぬ事態が。
「深夜番組の最初の収録で相方が『もう辞める。ここまでの人間じゃなかった』って言い出して。
始まったばかりやし、わからんやんって説得を続けたけど、番組終了と共に辞めちゃって」
と2002年、前野里美の引退により解散。
2003年、自他ともに認めるイケメン好きの山崎静代は
「男前すぎて漫才どころではなかった」
「少し好きになりつつあって、ネタ合わせでドキドキして面白いことをいえなくなった」
という二宮伸介と「山崎二宮」を結成。
その後、山里亮太にラブコールを受けた。
西中サーキット時代のファミレスネタ、
「店員呼ぼう」(といって呼び鈴を押す、前野里美)
「たんぽ~ん」(山崎静代)
「ピンポンだろ!」(前野里美)
をみて、
「面白い」
「自分の活かし方を知っている」
と感心した山里亮太は、
「自分の味方になってくれたら、どれだけすごいだろう」
「カネになる大女だ」
と胸を躍らせながら、山崎静代の情報を収集。
そして
「女性は甘いものの前では無力」
とケーキバイキングへ誘い出した。
山崎静代は、眼鏡をかけたマッシュルームヘアーの男に誘われて、
「告白される」
と思い、どう断るか考えていた。
店に入ると山里亮太は、
「目の前で一心不乱にケーキを食べ続ける大女」
にしゃべり続けた。
山崎静代がマンガ好きで部屋には「AKIRA」や「ドラゴンボール」のグッズが並べられているという情報があったので
「鳥山明先生のマンガを全部持ってる」
とウソをつき、西中サーキットのネタに鈴木雅之がよく出ていたので
「鈴木雅之ってなんかひっかかるよね」
ダウンタウンが好きな山崎静代に、
「ダウンタウンさんに憧れている」
「ダウンタウンさんのあのコント面白いよね」
などと話しかけた。
しかし手応えがないまま時間が過ぎ、山崎静代が
「今の相方と東京に行こうと思ってる」
といったとき、
(ヤバイ)
と思った山里亮太は、東京を知ってるフリして
「東京のディレクターから聞いたんだけど、東京ってバラエティ一切やらないらしいよ」
「もし東京行こうとかいう人がいたら気をつけてね」
と東京の悪口やつくり話をした。
山崎静代は、その最中にケーキのお代わり。
山里亮太は、つくってきた自分と山崎静代の漫才の台本を渡し
「この台本に未来を感じたら、今のコンビを解散して僕とコンビ組んでくれないですか?」
山崎静代はゆっくりした口調で
「わかったぁ」
山里亮太は、そのまま家に帰り、早速メール。
「明日1時に、公園でネタ合わせしましょう」
「はい」
次の日、ネタ合わせ。
略奪愛で南海キャンディーズが誕生した。
最初にやったのは、ファッションショーネタで、
「ではトップモデル、SIZUYO、登場ぉ~」(山里亮太)
「・・・・・(モデル歩き)」(山崎静代)
「SIZUYOぉ~、上から100、100、100」(山里亮太)
「・・・・・・(マサイ族の動き)」(山崎静代)
「それでは最後に一言お願いします」(山里亮太)
「グエッ(タンがからんでしゃべれない)」(山崎静代)
というものだったが、まったくウケなかった。
「しずちゃんにコンビを組もうと誘われた」
とウソをいっていた山里亮太は、劇場で1日3回舞台に立つ仕事が入ると出番の合間の1時間半に風俗店へ。
戻ってきた後、漫才で突っ込まれながら山崎静代は、
「相方は女やのに…
そんなこと考えたら漫才、気持ち悪くてできない。
女心、全然わかってない」
と思った。
コンビ結成1年6ヵ月後、南海キャンディーズは、2003年のM-1グランプリの決勝で準優勝。
これをきっかけには忙しくなり、仕事が急増。
特にオットリおっとりとした口調や見た目のインパクトで山崎静代に注目が集まり、どの番組に出てもイジられるのは山崎静代。
山崎静代だけCMなどの大きな仕事が来るようになると山里亮太は、
「俺の考えたネタを台本通りにやってるだけになのに・・」
「番組でボケなくてもチヤホヤされている」
と嫉妬。
事前にトーク番組の台本を取り寄せ、山崎静代の発言をどうやったら減らせるか考え、使う当てのない宿題を山崎静代に課すなどの嫌がらせ行為。
山崎静代に映画「フラガール」の出演オファーが来るとマネジャーに、
「コンビとして今が大事な時期なんだからダメに決まってんだろ。
すぐ断って。
それと余計な野心を持って欲しくないから、このことはしずちゃんにはくれぐれも内緒にしてね」
といった。
しかし山崎静代は映画に出演し、純粋で真っすぐな演技で日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞した。
嫉妬でますます狂った山里亮太は、、正月に旅行に行くという山崎静代に
「もう失望しました。
もうこれ以上あなたとやっていけません。
もし旅行に行くなら帰ってきたらエピソードトークを何百個も披露してください」
とメール。
山崎静代は、一気にテンションが下がって旅行に行きたくなくなった。
キャンセルすれば一緒に行く友人に迷惑がかかるので、そのまま出かけたが、オフをまったく楽しめなかった。
その後、山里亮太の自宅でロケをしたとき、山崎静代がパソコンを開くと
「しずちゃんの悪口をいうスレッド」
という掲示板が立ち上がっていた。
芸人仲間は、
「ワザとやろ」
と山里亮太を非難。
それ以外にも山里亮太の山崎静代に対する態度は悪く、芸人仲間は
「あれはひどいな」
といっていたが、山崎静代が、
「わたしは山ちゃんに拾ってもらったから、絶対に解散しません」
というと芸人は涙ぐみ、山里亮太も反省。
しかし山崎静代は、
「山里亮太」
という名前を携帯電話に入れるのが嫌で、
「泥」
と登録していた。