80年代前半、ジュリー&エキゾティクスとして活動していた頃の沢田研二がステキすぎた!

80年代前半、ジュリー&エキゾティクスとして活動していた頃の沢田研二がステキすぎた!

80年代前半に沢田研二が取り組んだ歌謡曲仕立てのニューウェーブとでも言うべきシングルが楽しいんですよね!その当時、沢田研二の傍らにはエキゾティクスが。いや、これってステキすぎです。


沢田“ジュリー”研二

70年代の沢田研二の活躍は素晴らしかった!楽曲は最高で、何より華麗。「危険なふたり」「追憶」「時の過ぎゆくままに」「勝手にしやがれ」「カサブランカ・ダンディ」…ヒット曲は、もう数え上げるときりがないです。
そして忘れ難いのが、この時期のバックを務めていた井上堯之バンド。メンバーの大野克夫は「時の過ぎゆくままに」以降多くのシングル曲を提供していました。ジュリーの黄金時代ですね。
そして80年代。ここからの沢田研二がまた面白いんですよ。

1980年1月1日、シングル「TOKIO」発売。80年代のジュリーは この曲で幕を開けます!

恋のバッド・チューニング

お茶の間にセンセーションを巻き起こした「TOKIO」。「パラシュートを衣装にするなんて!」と、お茶の間の人々は腰を抜かしました。
が、腰を抜かしたのはお茶の間の人々だけではありません。「こんなんやってられっか!」と10年来の盟友である井上堯之バンドが決別を宣言。これには沢田研二も腰を抜かしました。結果、井上堯之バンドは1980年1月に解散してしまうのです。
おぅ、激動の80年代の幕開け!

井上堯之バンドなくして今後ジュリーはどうするのか?と心配されましたが、何事もなかったかのように、30枚目のシングルとなるゴキゲンなナンバー「恋のバッド・チューニング」を1980年の4月に発売します。

作詞:糸井重里/作曲:加瀬邦彦/編曲:後藤次利

恋のバッド・チューニング

「TOKIO」のパラシュート以上にお茶の間の人々が腰を抜かしたのは、当時まだ馴染みのなかったカラーコンタクトです。金色に輝くコンタクトを付けた沢田研二はダンディを飛び越えてコワかった。そう言えばこのコンタクト、当時は口の悪いお茶の間の人々の間では「金タクトレンズ」なんて呼ばれてましたね。

そのままでもインパクトはデカイが「モノクロ画面で観るとジュリーの顔が大変なことになっとる!」それはもうお茶の間ではこの噂でもちきり(すみません。一部です)。金タクトレンズはセンセーションを巻き起こし過ぎて、カラーコンタクトは早々に金から青へ。
まぁ、それでもコワいです。攻めに攻めるのが80年代の沢田研二。その真骨頂ここにありです。

ス・ト・リ・ッ・パ・ー

「恋のバッド・チューニング」から井上堯之バンドに代わってバックを務めたのはオールウェイズです。後に若干メンバーを入れ替えてエキゾティクスとなります。
このエキゾティクスと共に活動した80年代前半の沢田研二が最高なんですよ。70年代の歌謡曲的なものからロック的な物へと変わっていく沢田研二は見事でした。

エキゾティクスとしての最初のシングルは1981年5月に発売された33作目の「渚のラブレター」ですが、当時はバンド名がはっきりと決まっておらず、しっかりと打ち出されたのは、その次のシングル「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」からとなります。

作詞:三浦徳子/作曲:沢田研二/編曲:伊藤銀次

ス・ト・リ・ッ・パ・ー

このジャケットがイカス!もう、これだけでやられますよ。曲名よりも大きくエキゾティクスと打ち出したところにジュリーのやる気を感じます。

メンバーの外見から、サウンドは当時流行っていたデュラン・デュランなどに代表されたニューロマンティック的なのものと思い込んでいました。
が、改めて聴き返してみるとネオ・ロカビリーなんですね。と言うかストレイ・キャッツだ。

さすがに吉田建のベースはいいですね。曲調が曲調なだけに目立ってます。しかしこれは伊藤銀次のアレンジがいいのかもしれませんね。当時の伊藤銀次は佐野元春のプロデュースなどで勢いがありました。

因みにエキゾティクスは、吉田建(ベース)、柴山和彦(ギター)、上原裕(ドラムス)、安田尚哉(ギター)、西平彰(キーボード)といったラインナップです。

おまえにチェックイン

「渚のラブレター」「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」「麗人」と3作続けて自身で作曲した後、目先を変えましょうととばかりに大沢誉志幸を起用して発売されたのが36枚目のシングル「おまえにチェックイン」です。
これはもう無性に楽しい楽曲となってます。大沢誉志幸もセルフカバーしているぐらいですから自信作だったのでしょうね。
因みに「おまえにチェックイン」が発売されたのは1982年5月1日。大沢誉志幸がソロデビューしたのは1983年6月22日です。大沢誉志幸まだデビュー前!「そして僕は途方に暮れる」が大ヒットしたのが1984年9月です。当時は全くの無名だったわけですが、才能が輝きまくってますねぇ。

作詞:柳川英巳/作曲:大沢誉志幸/編曲:伊藤銀次

おまえにチェックイン

大沢誉志幸の楽曲を見事に歌いこなした沢田研二。大沢誉志幸バージョンよりも好きという声は、ジュリーファン以外にも多いようです。

前曲の「麗人」では後藤次利が編曲していたのですが、この曲では再び伊藤銀次が編曲を担当しています。その伊藤銀次の意向でしょう、冒頭のコーラスは沢田研二、大沢誉志幸、佐野元春、伊藤銀次の4人で行っています。このコーラスが効いている。これやられた日には、否が応でも盛り上がります。

沢田研二は元々バンド志向の強い人のようで、エキゾティクスもバックバンドとは考えておらず、自分もバンドメンバーのひとりと考えていたようです。なので、こう言った曲では特に一体感が生まれるのでしょうね。
で、松田聖子がそうであったように、80年代のジュリーもまた様々なミュージシャンの楽曲を取り入れ、歌謡界を軽々と飛び越えていくんですね、

6番目のユ・ウ・ウ・ツ

「おまえにチェックイン」に続いて1982年9月10日に37枚目のシングルとして発売されたのは、「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」。いい曲です。

「ユ・ウ・ウ・ツ」と言うぐらいですから陰りのある曲ではあります。「おまえにチェックイン」のような疾走感はない。
が、エキゾティクスとしての一体感を感じさせる曲です。

作詞:三浦徳子/作曲:西平彰/編曲:白井良明

6番目のユ・ウ・ウ・ツ

作詞の三浦徳子は80年代に入ってからの沢田研二のシングルではお馴染みですが、作曲の西平彰は「誰?」って感じる方が多いのかもしれませんね。

西平彰、エキゾティクスのキーボード奏者でありサブリーダーです。一般的にはあまり馴染みがない方かもしれませんが、吉川晃司や氷室京介、宇多田ヒカル、大黒摩季、岡村靖幸など多くのミュージシャンへの楽曲提供、アレンジャー、キーボード奏者として知られています。オフコースからL'Arc〜en〜Cielまで幅広く日本の音楽界を支えている方なんですよ。

現在までのところ、シングルのオリコン10位以内のランクインは、「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」が最後となっています。
なんか意外な感じです。沢田研二と言えばシングルヒットを出し続けているイメージがありますからね。

晴れのちBLUE BOY

39枚目のシングルとなる「晴れのちBLUE BOY」は素晴らしい!もっとヒットして良かったと思うのは私だけではないはず。

作詞:銀色夏生/作曲:大沢誉志幸/編曲:大村雅朗

晴れのちBLUE BOY

アダム&ジ・アンツを思わせるジャングルビート。エイドリアン・ブリューを思わせる冒頭のギター。洋楽ファンにはおなじみのアレンジで嬉しくなってしまいます。

沢田研二の歌いっぷりには惚れ惚れするほどお見事。エキゾティクスも最高だ。作曲した大沢誉志幸もアレンジした大村雅朗も素晴らしいです。が、この曲を名曲に押し上げたのは作詞の銀色夏生ではないですかね。彼が最も大きな貢献をしたのではないかとにらんでいます。
「僕は朝までスポーツマン」とか「言いたいことはヤシの実の中」とか、分かるようで全く分からん不思議な言葉のオンパレードには圧倒されます。

この後エキゾティクスとは「きめてやる今夜」「どん底」「渡り鳥 はぐれ鳥」と3枚のシングルを残しますが、残念ながら1984年4月25日発売の42枚目のシングル「渡り鳥 はぐれ鳥」が最後となってしまいます。
シングル・ヒットがなくなっていき、口の悪い人はジュリーの時代は終わったとか何とか言いだすわけですが、そもそもライブではほとんどシングル曲を歌わないことで知られている沢田研二ですから、「一等賞が好き」と言いながらも、ヒット自体はそれほど気にしてないのかもしれませんね。

その後、沢田研二はテレビよりもライブに重点を置くようになり、アイドルからアーティストへと独自の進化を遂げることになります。
で、75歳を過ぎた今日でもアリーナクラスで元気にライブを行っているわけですからスゴイですよね。

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