1973年末の賞レース
1973年末の賞レースでは、日本歌謡大賞を沢田研二の『危険なふたり』、日本有線大賞を内山田洋とクール・ファイブの『そして、神戸』が受賞。そして、日本レコード大賞の最有力候補は、沢田研二の『危険なふたり』と見られていました。
一方の五木ひろしは、その年のリリースで最もヒットした曲が『ふるさと』。日本歌謡大賞は『ふるさと』でエントリーしており、NHK紅白歌合戦も『ふるさと』を歌うことになっていました。
五木ひろしは『夜空』で勝負!
日本レコード大賞の前哨戦とも言える日本歌謡大賞では、沢田研二の『危険なふたり』が大賞を受賞。五木ひろしは『ふるさと』で大賞を逃しました。『ふるさと』は『危険なふたり』と比べるとセールスも知名度も下回っており、客観的に見ても妥当な結果だったのかもしれません。
そこで、レコード会社は思い切った作戦に出ます。なんと、日本レコード大賞のエントリーを、10月にリリースしたばかりの『夜空』に切り替えたのです。楽曲としての実績はまだなかったものの、前年のちあきなおみが9月リリースの『喝采』で大賞を受賞していたことから、一か八かの勝負に出たのかもしれません。
【あの時・日本レコード大賞<6>】五木ひろし、勝負曲「夜空」に急きょ変更 - スポーツ報知
ジュリーはまさかの大衆賞
日本レコード大賞当日。この年も、大賞発表のクライマックスに向けて番組は進行し、途中には最優秀新人賞や最優秀歌唱賞など、様々な賞の発表がありました。
その中の一つが、"大衆賞"。
大衆に特に支持された、その年を代表する楽曲に与えられる賞です。
大衆賞を受賞したのは3組。
麻丘めぐみの『わたしの彼は左きき』、
ガロの『ロマンス』、
そして、
沢田研二の『危険なふたり』
でした。
まさかここでジュリーの名前が呼ばれるとは!
お茶の間の驚く光景が目に浮かぶようです。
因みに、その年のオリコンシングルチャートは、
年間3位が、ガロの『学生街の喫茶店』、
年間5位が、沢田研二の『危険なふたり』、
年間11位が、麻丘めぐみの『わたしの彼は左きき』でした。
セールスだけ見れば、いずれも大賞をとってもおかしくない面々です。
これで、大賞の行方がわからなくなりました。
【あの時・日本レコード大賞<6>】五木ひろし、勝負曲「夜空」に急きょ変更 - スポーツ報知
涙の日本レコード大賞!
いよいよ大賞の発表。発表はもちろん、おなじみの司会・高橋圭三です。
日本レコード大賞はー
『夜空』を歌った五木ひろしさん!
驚きの受賞で、自分の名前が呼ばれたとき、
五木ひろしは、頭の中が真っ白だった、といいます。
祝福に来た横綱・輪島が
五木ひろしを抱きかかえるシーンは、
今も多くの方の記憶の片隅に残っているかもしれません。
感動で涙あふれる歌唱。。。
日本レコード大賞の長い歴史の中で、
最も感動的な受賞シーンの一つとなりました。
翌1974年に本格的ヒット
『夜空』は、日本レコード大賞を受賞したことで、年明けの1974年に大ヒット。オリコンシングルチャートで最高位4位、年間チャートで19位を記録しました。因みに、1973年の年間チャートにはランクインしていません。この年の大賞は、年間チャートランク外の楽曲が大賞を受賞するという、極めてまれなケースだったと言えるでしょう。
因みに、前年の受賞曲である、ちあきなおみの『喝采』も翌1973年に大ヒットしますが、1972年も1973年も年間チャートにランクインしています。
『夜空』を紅白で初披露
日本レコード大賞の受賞曲が、NHK紅白歌合戦で歌われなかったのは、史上初めて(当時)のこと。2007〜2008年のNHK連続テレビ小説『ちりとてちん』では、1973年のNHK紅白歌合戦で五木ひろしが『ふるさと』を歌う映像が流れ、「え?『夜空』じゃないの?」と不思議に思った方もいたことでしょう。
その26年後の1999年。五木ひろしは、デビュー35周年を記念して、NHK紅白歌合戦にて『夜空』を初披露。2017年にも、作曲家・平尾昌晃の追悼で『夜空』を歌っています。