YouTube版動画を製作!!
とびっきりの不良・ヤンキー伝説を持つ芸能人たち。彼らのエピソードを動画にしてみました!!
今ならコンプライアンス的にNGなエピソードばかり!
是非ご覧ください!!
杉本哲太
2021年に話題となったドラマ「日本沈没-希望のひと-」や2022年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」などの出演作が続く俳優の杉本哲太。演技を離れると物腰の柔らかい雰囲気が好印象な杉本ですが、かつては地元・神奈川県茅ヶ崎市で不良として有名でした。
暴走族から俳優への華麗なる転身!
中学生の頃から喧嘩に明け暮れていた杉本は、暴走族のメンバーにも名を連ねていたそう。しかし、横浜駅で不良5人に絡まれ喧嘩をしていた時、「おまえら、何やってんだ」と劣勢だった杉本に救いの手を差し伸べた人物がいました。それが横浜銀蝿のリーダー・嵐だったのです。
すると、かねてより横浜銀蝿に憧れていた杉本は、喧嘩も忘れて「嵐さんですよね?」「(横浜銀蝿の仲間募集の告知を知っていたので)僕も仲間に入れてくれないかな」と声を掛けました。そして、その出会いをきっかけに横浜銀蝿ファミリーのロックバンド「紅麗威甦(グリース)」のボーカルとしてデビューするに至っています。

CD「横浜銀蝿全曲集2021」

YouTube「杉本哲太 紅麗威甦 前の16歳当時」
映画初出演となった「白蛇抄」(1983年)では、性に対して強い興味を持つ高校生という難しい役を演じ、さらには丸刈りで撮影に臨んでいます。それまでの気合いの入ったリーゼントを止めた杉本の心意気が伝わるエピソードとなっています。
なお、2015年のテレビ番組で、地元が近かった中居正広が、杉本の評判を語る場面があり「本当の怖い人ですから」と発言。やはり地元では不良として名が知れた存在だったようです。

ポスター「白蛇抄」
Amazon.co.jp: 白蛇抄 ポスター 小柳ルミ子 仙道敦子 杉本哲太 ’83東映 監督伊藤俊也 原作水上勉 : Hobbies
≪プロフィール≫
生年月日:1965年7月21日
身長:181cm
出身地: 神奈川県
主な作品や活動:「白蛇抄」「代紋TAKE2シリーズ」「ビリケン」
安岡力也
イタリア・ジェノバ生まれの安岡力也。マフィアの有力者というイタリア人の父親を持ち、幼い頃すでに銃撃を目撃していたそう。6歳の時に父親が亡くなり、日本へと渡った安岡は、高校時代に千人規模の中で総番長として君臨していたと言われています。
安岡本人が高校時代を述懐し「校内暴力をする人間は陰湿で弱い人間。先生を殴るなんてもってのほか。俺は番長としかケンカしなかった」とコメントしていることから、ある意味で”気は優しくて力持ち”という存在だったのかも知れません。
一時は傷害事件の影響で消えるも・・・!
また、高校時代には内田裕也らに憧れ、バンド「シャープ・ホークス」を結成しています。”歌って踊れる異色の混血グループ”のボーカリストとして「遠い渚」などをヒットさせています。また、同時期にはキックボクシングにも熱中し、試合にも出場して4試合で3勝1敗の成績を残しています。
1973年には千葉真一の主演作品「ボディガード牙シリーズ」に出演したことを皮切りに、俳優業にも本格進出。しかし、187cmの恵まれた体格が仇となったのか共演者に対して傷害事件を起こし、一時ほされてしまいます。

EP「遠い渚」
しくじり期間を経て、兄貴と慕っていた梅宮辰夫の「不良番長シリーズ」に出演し、再び芸能界で活動を始めます。「オレたちひょうきん族」で生まれた「ホタテマン」は、強面の安岡とのギャップが人気となり、名物キャラにまで成長しています。

EP「ホタテのロックンロール/怒りの天使」
なお、喧嘩エピソードとして上記、梅宮の「不良番長」からのご紹介。同作の撮影中に、腕っぷしの強さから”芸能界最強”とされた渡瀬恒彦と飲みへと出かけた梅宮、安岡一行は、街中で一般人と喧嘩に発展してしまいます。
血気盛んだった渡瀬と安岡は、警察沙汰は避けたい梅宮の心配もよそにあっという間に取っ組み合いの喧嘩を繰り広げます。運良く警察のお世話にはならずに済んだものの、梅宮はその時の様子を振り返り、誰もが携帯電話を持って簡単に動画を撮れる今の時代ではなくて、本当に良かったと安堵していました。芸能人にも品行方正が求められる現代では、一発アウトの行いだったのであろうと、容易に予想されます。

雑誌切り抜き
≪プロフィール≫
生年月日:1947年7月19日(2012年没)
身長:187cm
出身地:イタリアもしくは宮城県
主な作品や活動:「不良番長」「ブラック・レイン」「オレたちひょうきん族」
稲川淳二
怪談の語り部・稲川淳二も意外にも若い頃は不良でした。普段からユーモアとサービス精神に溢れ、人柄の良さから”稲川の悪い話は聞かない”と言われる程の稲川。しかし、出身の渋谷区ではガキ大将として育ち、何人もの弟分を抱えていたそう。

書籍「稲川淳二の怖い話 ザ・ベスト」
安岡力也も認める喧嘩の実力!
地元の渋谷区にある桑沢デザイン研究所を卒業し、工業デザイナーとしての顔もある稲川。高校は工業高校に通っていました。その頃の彼はいわゆるバリバリの不良だったそうで、チンピラ相手に喧嘩をするような生活をしていました。
その喧嘩の実力は、子供の頃からの顔馴染みだった安岡力也をして「アイツはキレたらヤバい」と言わしめた程です。
一方で稲川は2021年7月、自身のYouTubeチャンネル「稲川淳二メモリアル「遺言」」にて、安岡との思い出を振り返る動画を投稿。子供の頃に安岡の地元・港区の有栖川公園で出会って以来の付き合いだった二人。動画に寄せられた質問「安岡力也さんと殴り合いのケンカをしたのはほんとうですか?」に対して「してないよ、したら俺死んでるもん」と即答しています。
さらにかつて”ジャイアンとのび太”と揶揄された二人の関係については、マスコミが勝手に作り上げたイメージであると強く否定しています。
≪プロフィール≫
生年月日:1947年8月21日
身長:167cm
出身地:東京都
主な作品や活動:「心霊」「稲川淳二 恐怖の現場シリーズ」「稲川淳二の怪談ナイト」
岸谷五朗
俳優の岸谷五朗はかつて”三多摩の五朗”と呼ばれ、恐れられた存在だったそうです。喧嘩っ早かったという岸谷ですが、正義感は強かったといいます。演劇ユニット「地球ゴージャス」を共に主宰する寺脇康文が、2015年にバラエティ番組「TOKIOカケル」で、渋谷センター街でのエピソードを語っています。

映画「月はどっちに出ている」
センター街の裏路地で何が起こった!?
寺脇が披露したエピソードは、二人がまだ20代の頃の話。小倉久寛らとセンター街を歩いていた際に、当時すでに有名だった小倉がヤンチャな若者三人組に絡まれました。若者はわざとぶつかり因縁をつけ暴れ始めたそう。すると、岸谷が「君、ちょっとこっちに来て。いいからこっち来いよ」と裏路地へと誘導しました。
数分後、岸谷と共に姿を現した若者達は態度が一変。「どうも、すみませんでした!」と平謝りし、そそくさと立ち去ったとのことです。その際、岸谷本人は笑いながら多くは語らずといった様子で、今もって裏路地で何が起こったのか、真相は不明となっています。

映画「新・仁義の墓場」
そんな岸谷はTBSラジオ番組「岸谷五朗の東京RADIO CLUB(通称:レディクラ)」で共演した、後の妻であり、当時大人気ロックバンド・プリンセス プリンセスのボーカリストだった奥居香に「このアマ」発言をし、物議を醸しています。まだまだ俳優として駆け出しだった岸谷は、局の上層部からきつくお叱りを受けています。

書籍「岸谷五朗の東京RADIO CLUB『NAI NAI'91 そりゃなしだろ!!』」
現在では様々な役柄を演じて名優のひとりに数えられる岸谷ですが、ヤンキー漫画「クローズ」「WORST」の世界を原作にした映画「クローズZERO」では、暴力団組長を演じ、その圧倒的な威圧感と味わい深い演技力は高い評価を得ています。

ドラマ「仕掛人 藤枝梅安」
≪プロフィール≫
生年月日:1964年9月27日
身長:175cm
出身地:東京都
主な作品や活動:「月はどっちに出ている」「みにくいアヒルの子」「らせん」
赤井英和
”浪速のロッキー”の愛称で知られた元ボクサーの赤井英和。攻撃型のボクシングでジュニアウェルター級全日本新人王を獲得するなど、その強打は多くのボクシングファンを唸らせました。天然ボケも混じったユニークな喋りも話題となり、現役時代にはノンタイトル戦ながら全国中継もされています。

パンフレット「赤井英和vs武藤己治」
「弱きを助け強きを挫く」を地でいく高校時代の赤井英和!
そんな赤井ですが、中高時代の不良ぶりは有名です。地元の大阪・西成での知名度は抜群。高校生の時にはアイパーかパンチに剃り込みのセットで決め、中ラン&ボンタンという出で立ちだったそうです。
しかし、赤井が通う高校はいわゆる不良校ではなく、さらには赤井自身も恐れられる存在ではなく、クラスの人気者だったようです。ただ、友人が別の高校の生徒にやられたと聞けば「よっしゃ行ったる」とかっ飛んで行くなど、頼りになる存在でもありました。

DVD「どついたるねん」
実際に「おれらは世直し軍団や」と自称するなど、ヤンチャな一方で正義感の一面も持ち合わせていた赤井。カツアゲの場面に出くわせば颯爽とゲンコツをお見舞いしていたそう。
また、赤井の変わったエピソードに、電車でふんぞり返っている不良の足を蹴って回るというものがあり、それは本人曰く「赤井がまたやりおった」と噂されることで名前が売れるからという策士の一面も。
大阪を代表する不良となった赤井ですが、高校生活の途中からはボクシングに熱中。国体で有名選手に勝ち、雑誌に掲載されたことから一心不乱にボクシング漬けの毎日を送ります。朝4時からのトレーニング、放課後はジムへと通い、ボクシング界で成り上がっていくこととなりました。

書籍「赤井英和のごんたくれ―疾風怒涛の青春記」
この後本稿で登場する元プロレスラーの前田 日明は、赤井と同時代に同じ大阪で暴れていたこちらも伝説のヤンキー。二人が実際にかち合ったことは無いものの、当時は二人が出会ってしまったら大阪が壊れると噂されていたそうです。
今ではすっかり恐妻家として知られる赤井ですが、若かりし日を知る人々には数々の武勇伝が語り継がれていることでしょう。

DVD「双頭の龍2」
≪プロフィール≫
生年月日:1959年8月17日
身長:177cm
出身地:大阪府
主な作品や活動:「どついたるねん」「人間・失格」「セカンド・チャンス」
トミーズ雅
お笑いコンビ・トミーズのボケとして知られる前は、将来有望なボクサーとして注目されていたトミーズ雅。日本スーパーウェルター級1位まで上り詰めた逸材です。ボクシングを引退後、吉本の養成所「NSC」の1期生としてお笑いの世界へと足を踏み入れます。
そこでの同期にあのダウンタウンがおり、最初は切磋琢磨するいい関係でした。しかし、トミーズは関西の漫才コンクールで新人賞を獲った直後から態度がまさかの天狗化。その影響で、当初はお兄ちゃんと慕っていた松本人志と少しずつ溝が広がってしまいました。
松本人志に「3分で殺せる」と言ったことも!
2020年に松本が関西の情報番組「せやねん!」のスペシャルにVTR出演した際に、梅田花月の舞台袖で松本の態度が気に入らないと、トミーズ雅に因縁を付けられたと告白。シャドーボクシングをしながら「お前、俺のことゴチョゴチョ言うてるらしいな」とシリアスな雰囲気で言われ、恐怖を感じたと回想しています。
また、2021年にはトミーズ雅がバラエティ番組「マルコポロリ!」で、その時の様子を解説しています。梅田花月の舞台袖での一件前に、松本がラジオ番組で「トミーズはもうあれ、終わったね」と語っていたの聞き、怒りに駆られての行動だったと発言。
そして、実際には舞台袖にトミーズ雅の姿を発見した松本は、反対の袖から逃走したとのこと。それから半年後に会った際に、シャドーボクシングを行い、「3分で殺せるけど、やめといたるわ」と発言して松本を震え上がらせたそうです。微妙に食い違う両者の意見ですが、トミーズ雅が松本を煽ったのは事実ということで一致しています。

テレホンカード「チンピラぶるーす ど・アホ!」
また、トミーズ雅を語るうえで、外せない人物に赤井英和がいます。同学年の彼らは、高校の受験会場でメンチを切り合ったというとんでもないエピソードから関係がスタート。高校時代はあまり言葉を交わすことはありませんでしたが、ボクサーから芸能界という同じ境遇からか徐々に打ち解け、2001年から2016年まで続いていた関西のバラエティ番組「ごきげん!ブランニュ」では二人揃ってMCを務めあげています。
赤井によると最初はトミーズ雅を嫌いだったそうで、その理由は「顔が嫌いやった」とのこと。何とも赤井らしい笑劇の理由ですが、トミーズ雅は赤井からの”衝撃”で長年苦しんでいました。
それは1981年のこと。赤井とスパーリングした際に鼻の骨折負傷をしてしまい、それが原因で長らく気道が圧迫され鼻呼吸に不便を抱えることになってしまったというのです。トミーズ雅はそのスパークリングを振り返り、赤井は2階級下ながら、左ジャブは物干し竿で鼻を突かれるような衝撃で、鼻血が止まらず「こいつには勝てない」と痛感したといいます。
2013年に大阪市内の病院で、鼻を治療する手術を受けています。

シングルCD「トミーズ雅」
≪プロフィール≫
生年月日:1959年12月24日
身長:177cm
出身地:大阪府
主な作品や活動:「上方お笑い大賞」「伊東家の食卓」「ごきげん!ブランニュ」
前田日明
新日本プロレスやUWFのリングで活躍したプロレスラーで、引退後は不良を集めた総合格闘技イベント「THE OUTSIDER」のプロデューサーとしても活躍している前田日明。
新日本プロレスへの入団後にアントニオ猪木とスパーリングした際、レスリングについて無知である新人の立場を利用し、目突きや金的攻撃を仕掛け、先輩レスラー達にボコボコにされた前田。肝の据わったエピソードですが、その片鱗はすでに素人時代から。

DVD「燃えろ!新日本プロレス vol.16 覚醒!前田日明、”格闘王”誕生伝説!」
腕試しで力士に喧嘩を売ろうとするも、輪島の威圧感にたじろぎ...!
一般人相手には無双状態で、前述の赤井同様に電車での通学時に、態度の悪い不良には顔面への蹴りをお見舞いしていたという前田。小学生の頃から習っていた少林寺拳法や空手はかなりの腕前で、さらに190cmを超える巨漢の前田を相手にできる同世代はおらず、大人数に襲撃された以外は無敗だったと本人が語っています。
喧嘩の腕試しを望んでいた前田は「序二段ぐらいだったら勝てるだろう」と力士にターゲットを絞ります。春場所で大阪を訪れていた手頃な力士を見つけ、近づくと後ろから何やら気配を感じます。思わず振り返ると、そこいたのは当時横綱として一時代を築いていた輪島。その当時、イケイケだった前田も喧嘩屋の本能からか、あまりもの威圧感にたじろぎ「輪島さんお疲れ様です。僕ファンです」とおべっかを使い、退散したと後年語っています。80年代後半にプロレスのリングを盛り上げる二人の思わぬ出会いとなりました。

DVD「大相撲名力士風雲録 8―月刊DVDマガジン 輪島」
2021年4月、勝俣州和のYouTubeチャンネル「勝俣かっちゃんねる」に前田が出演。その際に兼ねてより都市伝説として信じられていた「大阪で高校時代、電車のなかで赤井英和とケンカして、元野球監督の岡田彰布に仲裁された」というエピソードについて回答しています。
大阪の東淀川区に位置する北陽高校に通う前田と住吉区に位置する浪速高校の赤井とでは沿線が全く異なっており、高校時代に赤井とは会ったことがないと発言しています。また、岡田は前田にとって北陽高校の2学年先輩であり、当時は当然野球に明け暮れていたので喧嘩を止める暇などなく、噂はデマであることを認めています。
かつて大阪でヤンチャをしていた人なら一度は名前を聞いたことがあるであろう前田と赤井。彼らをモデルにしたオリジナルビデオがあるのをご存じでしょうか。1996年から続くシリーズ「喧嘩の花道」で、スポーツジャーナリストの二宮清純原作の同名ノンフィクションをもとに、前田と赤井らの高校時代のエピソードを盛り込んだ作品となっています。
第1作目は監督が三池崇史を務め、前田をモデルとした登場人物・浜田タケシを北村一輝が、赤井をモデルとした玉井カズヨシをやべきょうすけが演じています。2013年には監督・主演を引き継いだ新シリーズがDVD化されています。

DVD「大阪最強伝説 喧嘩の花道」
≪プロフィール≫
生年月日:1959年1月24日
身長:192cm
出身地:大阪府
主な作品や活動:「WWF(現WWE)インターナショナルヘビー級王座」「HERO’S」スーパーバイザー、「THE OUTSIDER」プロデューサー
宇梶剛士
10代の頃は喧嘩に明け暮れ、オートバイでの爆走を繰り返していた宇梶剛士。暴走族の総長にまで登りつめたのは超有名な話。若気の至りから少年院に収容された経験も持っている本物の不良でした。
暴走族「ブラックエンペラー」では7代目名誉総長に!
生まれた時すでに5,000gもあり東京都の健康優良児の表賞を受けた宇梶。もともとは巨体を活かして高校野球に没頭する日々を過ごしていましたが、事件を起こして逮捕されてしまいます。
少年鑑別所出所後は高校を退学し暴走族に入ることに。そこからはあれよあれよという間に全国に名を轟かせていた暴走族「ブラックエンペラー」の三多摩地区ヘッドとなり、2000人以上の構成員を抱えるとされた7代目名誉総長になっています。

書籍「不良品」
荒れた生活を送り、少年院に収容されていた18歳の時、母親からの差し入れだった喜劇王・チャップリンの自伝を読み「自分の求めていた世界はこれだぁっ!これしか無いっ!」と気付き、俳優になろうと決意をすることに。その後、高校復学を目標に生活を改め、翌年には明治大学付属中野高等学校定時に編入しています。

書籍「チャップリン自伝 上 ―若き日々」
タレントのヒロミは、不良時代の宇梶に対して「とても有名で怖かった」とコメントを残しています。ヒロミ自身も暴走族出身で、さらに地元も八王子なので、宇梶の悪名をよりリアルに感じていた様子。
改心後の宇梶は錦野旦の付き人、菅原文太の弟子を経て俳優デビューします。売れるまでには10数年もの歳月を要し、1997年の大ヒットドラマ「ひとつ屋根の下2」のピカリン(前園俊雄)役でブレイクした時は、すでに35歳となっていました。
しかし、舞台で鍛えた演技力には定評があり、出演作は途切れることはなく、ドラマ「ストロベリーナイト」や「逃げるは恥だが役に立つ」といった人気作に多数出演しています。

書籍「転んだら、どう起きる?―壁を打ち破る人生論」
≪プロフィール≫
生年月日:1962年8月15日
身長:188cm
出身地:東京都
主な作品や活動:「お父さんのバックドロップ」「20世紀少年」「ストロベリーナイト」
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