タモリこと森田一義のこと(1) 最強の素人時代 戦後最大の素人芸でブレイク

タモリこと森田一義のこと(1) 最強の素人時代 戦後最大の素人芸でブレイク

タモリは、実は無計画、無責任、無反省、無目標、無国籍、無専門、無向上心。過去にも未来にも自分にも他人にも期待せず、ただひたすらその時、その時間を肯定していく。そう「これでいいのだ!」


中学時代、タモリは毎日のように近所にあった平尾バプテスト教会に通った。
台風の日でさえ、神父、R.H.カルペッパーの話を聞きに行った。
そして
「今日、ココニ集マッタカタガタコソ信仰フカイデス」
といわれ
「アナタハ敬虔ナヒトデス」
と入信を進められた。
しかし
「人間は生まれながらすでに悟っている」
という主義であるタモリが洗礼を受けることはなかった。
彼が教会に通っていた理由は、キリスト教ではなく神父、R.H.カルペッパー。
日本人でもあまり使わない
「アマツサエ」
「ナカンズク」
などの単語を織り交ぜた往々しい口調と言葉の響きがとても好きだった。
タモリが通っていた中学校は、全校生徒2300人超のマンモス学校。
「たのしさ・きびしさ・やさしさ・たくましさ」
を校訓とする学校でタモリは生徒会副会長となった。
しかし議事録等をまったく残さず
「中学始まって以来の無責任っぷり」
と教師に怒られ、通信簿にも
「責任感がない」
と書かれた。
しかしタモリは凹むことなく、ただ
「俺は無責任なんだ」
「俺は責任感がないんだ」
と素直に受け容れるだけだった。

母親は、
「いまに日本中にゴルフ場が出来て、みんなゴルフをする」
と祖父の援助を得て、ゴルフ用品店「森田ゴルフ」を開業。
ジャズ好きの母親は仕事中、店に流した。
父親はフラメンコに夢中で、姉はクラシックピアノを習っていて、タモリもよく音楽を聴いていた。
県内有数の進学高校に進学し、吹奏楽部に入ってトランペットを担当。
剣道部とアマチュア無線クラブにも入り、居合の道場にも通った。
教科書で長谷川等伯の松林図をみてうなり声をあげたこともあった。
「必要最小限の描写で単純なのにゾッとするほどすごい」

近所の高校の後輩の家でアート・ブレイキー(Art Blakey、ナイアガラ・ロールと呼ばれる特徴的な奏法で知られるジャズドラマー)と出合った。
「何がなんだかわかんない。
こんなわけのわかんない音楽は初めてで、とても癇に障った。
俺にわからない音楽なんてないと思ってましたから」
ワケのワカらないことに興味を持つというのは今も変わらないタモリの特性の1つだが、ジャズにはこの後、激しく傾倒していった。
タモリは、ジャズの最大の魅力は「セッション」、つまり「即興」だという。
その場で居合わせ、その場でしかできないものだから、聴いている側もノッてくるという。

セッションは、お笑いでいえばアドリブ。
「笑っていいとも!」では生放送終了後、約30分間、フリートークを行い、その一部が「増刊号」で放送されるが、これは完全に即興。
また明石家さんまとの雑談は生放送中にコーナー化されたが、テレビでの「雑談」はこれが日本初。
「タモリ・さんまの雑談コーナー」
「日本一の最低男」
「日本一のホラ吹き男」
「もう大人なんだから」
と名称を変えながら11年間、続いたコーナーで、作為的なことが嫌いで、我がなく流れに身を任せ
「やる気ある者は去れ」
といっていたタモリと、どんな話も強引にウソまでついて面白くしようとする自己顕示欲の権化、さんまとのセッションは、脱線を繰り返し、ときに激しくスウィングした。

「森田ゴルフ」は、大量に商品を仕入れて準備をしたが、1年経っても2年経ってもゴルフは流行らず、3年目に閉店。
その後間もなくゴルフブームが到来したが、母親は3度目の結婚をして横浜に移住。
母親は、生涯で3度結婚し、それぞれ2人、計6人の子供を生んだ。
タモリは、数多くのプロを輩出している「早稲田大学モダンジャズ研究会」、通称「ダンモ」の存在を知り、早稲田大学に行きたくなった。
そして1963年、18歳のとき、早稲田大学を受験し不合格。
高校卒業後、1年間、東横線の「都立大学駅」近くに住む、早稲田大学法学部に入っている友人のアパートに居候しながら浪人。
このときタモリは
「ひょっとして日本で1番スケベなのはオレじゃないか」
と思うほど性欲が強く、友人の六法全書の売春防止法の項目、
「金銭を目的に不特定多数と成功する・・・・」
を読むだけで、激しく妄想してしまい勉強に集中できない。
向かいの部屋には新婚夫婦が住んでいて、夜中、泣き声のような声が聞えてきて、最初タモリはアパートに住んでいる「マロン」という猫だと思い
「マローン、マローン」
と呼びかけると泣き声がピタリと止んだ。
「おかしいな」
と思ったが、ハッと気づいたタモリは、翌晩、始まるのを待って、開始されるとドアを開けて顔を出して、その声を聞いた。

初体験は、渋谷の喫茶店のウエイトレス。
一目ぼれしたタモリは、友人の援護射撃を得て付き合うことになった。
数ヵ月後、彼女の1人暮らしの部屋に
「ご飯食べにこない」
と誘われ、コタツに入っていた彼女を押し倒した。
しかし彼女とはこの1回だけで終わってしまい、ますます性欲の塊となってしまったタモリは風俗に行くことにした。
手当たり次第、エロ雑誌を漁って情報収集。
川崎のソープランドに決め、
「早い時間に行ったほうがいい」
という情報から朝8時に家を出て9時半に到着。
まだ開店前で近所をブラブラし時間を潰し、数時間後、入店。
「入浴料」しか持っていなかったタモリは、ここで初めてそれ以外にも料金が発生することを知った。
アリ金を全部出した上、少しだけマケてもらい、イザッ夢の国へ。
おっぱいをさわろうとして、緊張して急に黙ってしまい、
「ダメッ」
といわれ
「ハイ」
と手を引いた。
イキそうになったとき、先っぽがこっちを向いていたので
「ヤバえ、伏せろ」
とよけたが、よけた方向に飛んできてかかった。
お金を使い果たしてしまったタモリは、交番で電車賃500円を借りて帰った。

あまりの雑念の多さにタモリは座禅を組むことにした。
足の組み方など正式なやり方はわからなかったが、とにかく部屋の隅でアグラをかいて目をつむった。
数時間続けていると、
「変な状態」
になっていき、
「とにかく目だけは閉じておこう」
と続けたが、やがて、
「もうどうでもいい」
とヤケクソの心境になってフッと目を開けると、窓の外の木が目に飛び込んできて、見慣れたはずの木がなぜか新鮮で美しく思え、感動した。
そのとき
「言葉は余計だ」
と確信した。
「もしかしたら小さい頃はいろんなものがこの木のように見えていたのかもしれない。
それがだんだんそう見えなくなったのは、言葉のせいではないか」
と思ったという。
以来、
「言葉が邪魔をしている」
という感覚が常にあるという。
活字や本は
「危ない」
「怪しい」
という意識を持って冷めた目で読む。
言葉に関しては
「話せばわかる」
ということも信じておらず、
「話せば話すほどますまずわかんなくなる。
話せばわかるじゃなく離せばわかる」
といっている。
やがてタモリは言葉を壊すしかないと考えるようになった。
言葉から逃げることは出来ないなら、面白くして「笑いものにして遊ぶ」しかないと。


1浪の末、またしても早稲田大学を不合格となり、1965年、2浪の末、20歳で早稲田大学第二文学部に合格。
念願の「早稲田大学モダンジャズ研究会」、通称「ダンモ」に入った。
ダンモは、1960年の創立以来、数多くのプロを輩出してきた伝統あるサークル。
早稲田だけでなく他大学生も入会でき、初心者からプロを目指す者まで様々な部員が在籍。
地下にあるスタジオには、ドラムセット、グランドピアノ、ウッドベースなどの設備があり自由に使用可能。
週1回のセッション、2ヵ月に1回のライブ、年1度の合宿が行われる。
合宿は毎年夏に行われ、朝から晩までバンド練習やセッションをして技術の向上を目指し、最終日の夜、発表ライヴが開かれる。
花火やバーベキューなどもあって部員同士の親睦が図られる。
このとき先輩から
「ただ今よりキーム使用」
と号令がかかった。
「キーム使用」とはパンツを「むく」、つまり脱がすことを意味し、先輩は新人のパンツを次々に脱がしていった。
自分の順番が回ってきたタモリは、自らパンツを脱いで全裸になり、
「ハーレム・ノクターン」
といいながらストリップを始め、大絶賛された。
その後、タモリは、色っぽく流し目で体をよじりながらスルスルと脱ぎ、1枚ずつ落としていくストリップ芸をはじめ裸芸を極めていく。
鶴瓶の家を訪ねたとき、ガラスのテーブルを支える裸体の彫刻をみて、
「この人、ずいぶんと長い間、同じ姿勢で苦労してるな。
俺も少しでも役に立てるかな」
といって全裸になって頭に花瓶を乗せ、無言でひざまずいた。

マイルス・デイビスに憧れていたタモリは、トランペッターを目指していたが、先輩に
「マイルスのペットは泣いているが、お前のは笑っている」
と酷評された挙句、
「司会をやれ」
といわれマネージャー兼司会に転向させられてしまった。
その後、マイルス・デイビスが、「マイルス・スマイル」というレコードを発売したため、先輩と
「マイルスも笑ってる」
と大笑いした。
モダン・ジャズ研究会は、春の1ヵ月、夏の2ヵ月、全国を回ってコンサートを行っていた。
この間、マネージャー兼司会のタモリも大学に行く暇もなく全国を演奏旅行。
コンサートの打ち合わせや段取りなどはマネージャーの仕事で、接待などで夜、飲むこともあった。
「貧乏で特急とか乗れませんからね。
急行に乗るんですけど1番長いので鹿児島から青森までいったことがありましたね。
鹿児島から東京へ朝着いて、上野を午後発つんです」
司会としてもドンドン頭角を現し、
「通常は先輩から学年順でやるのが普通ですが、今日は顔のいい順に紹介します。
まずは司会の私!」
という鉄板ネタに始まり、演奏よりもタモリのトークの方が長いときもあり、
「お前のしゃべりの間に演奏が入る」
「俺たちはお前のツナギじゃねえ」
という苦情が出るほどしゃべった。
コンサートではギャラが出て、演奏旅行に出ると、大卒の初任給が2万円だった時代に1ヵ月でに30~40万円をもらえた。

また早稲田大学の同期同学部に、清純派女優の吉永小百合がいた。
かつて吉永小百合は芸能活動のために進学高校を中退。
そして大検を合格し20歳で早稲田大学の夜間部に入学した。
(2人は同級生。
そして吉永小百合は次席で卒業、タモリは中退)
熱狂的サユリストだったタモリは学食のおばさんにリサーチをかけ、吉永小百合は週2回は友人と夕食を食べに訪れ、メニューは決まって中華丼であることを聞き出した。
以後、10日間、18時になると学食で中華丼を食べ続けたが、会えずじまい。
しかしその後も学食に通い続け、ついにそのときはきた。
タモリが、かき揚げが1つ入った「栄養ラーメン」をすすっていると、前の席にコーヒーとトーストを持った吉永小百合が座ったのだ。
そして吉永小百合はトーストを1切れ食べた後、2切れ目は少しかじっただけで残し、席を立った。
目の前に残されたパンをみながらタモリは煩悩に身をよじらせた。
『持って帰ろう』
「いやオレは硬派だからダメだ」
『でもやっぱり欲しい』
強い自分と弱い自分、悪魔と天使が戦いを繰り広げているとウエイトレスが全部持って行ってしまった。

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