タモリこと森田一義のこと(1) 最強の素人時代 戦後最大の素人芸でブレイク

タモリこと森田一義のこと(1) 最強の素人時代 戦後最大の素人芸でブレイク

タモリは、実は無計画、無責任、無反省、無目標、無国籍、無専門、無向上心。過去にも未来にも自分にも他人にも期待せず、ただひたすらその時、その時間を肯定していく。そう「これでいいのだ!」


福岡にいる理由がなくなったタモリだったが、親族に半ば強制的に就職させられた。
その仕事は朝日生命の保険の営業。
「理論で屈服させてやる」
と勧誘時にしゃべり続けたものの成績に結びつかず、
「人間は理論で押しまくられると感情で反発する」
と学んだ。
苦戦するタモリに、2歳上の先輩、春子が
「この人のところに行きなさい」
と自分の得意先を紹介。
これがきっかけになって2人は交際を始め、やがて結婚した。
「自宅に仕事とセックスは持ちこまない。
仕事に家庭は持ちこまない」
というタモリは、女性スキャンダルが少ない。
夫婦の間に子はいないが、常に犬や猫を飼った。
自称、「日本成猫餌付け協会会長」のタモリは、博多で2回、学生時代に2回、結婚後1回、「ノラ猫の餌付け」に挑戦し、2勝2敗1引き分け。
2勝はいずれもKO勝ちで、うち1回は薬物入りオレンジを使用。
ノラ猫は人間をなかなか信用せず、餌付けには、
「忍耐、努力、理解、暇」
を要する上、
「家と自分が傷つく危険、理解のない女房とのいさかいが起き家庭が破壊される」
などのリスクがあるというが、餌付けに成功した猫は、タモリより春子婦人になついた。
パトラという猫は、ほとんど家族以外になつかなかったが、なぜか黒柳徹子だけにはすぐに心を許し、マツコ・デラックスには、これまでみたことがないほどの敵意で威嚇した。

朝日生命を4年で退職したタモリは、早稲田大学の先輩、高山博光(後の福岡市議会議員)が経営する旅行会社「日田観光会館」に転職し、傘下のボウリング場(大分県日田市)の支配人となり、さらに数年経つと喫茶店のマスターとなり
「ウインナーコーヒー」
と注文されるとソーセージ入りのコーヒーを出していた。
あるとき博多で渡辺貞夫と山下洋輔トリオ(山下洋輔、中村誠一、森山威男)によるジャズコンサートが行われた。
学生時代からの友人が渡辺貞夫のマネージャーをやっていたため、公演後、タモリは彼らの泊まるタカクラホテル福岡に行き、一緒に飲んでいた。
午前2時頃、家に帰るために部屋を出て廊下を歩いていると、ドンチャン騒ぎする笑い声が聞こえてきた。
それは山下洋輔(ピアノ)の部屋だった。
ドア越しに会話を聞いて
「こいつらとは気が合う」
と思ったタモリは、ドアを少しだけ開けて中をうかがった。
すると浴衣姿の中村誠一(サックス)が頭に籐のゴミ箱をかぶって虚無僧となり歌舞伎口調で奇声を上げていた。
(俺の出番だ)
とっさに思ったタモリは、
「ヨォ~」
と同じく歌舞伎口調で部屋に乱入。
中村誠一からゴミ箱を奪ってかぶり、踊った。

山下洋輔(左、ピアノ)
森山威男(中、ドラム)
中村誠一(右、サックス)

中村誠一は、数年前、
「初めて日本語を聴いた外人に、日本語はどう聞えるのだろう?」
という疑問を発見し、以後、デタラメな日本語に始まり、デタラメな各国語を習得していった。
そしてゴミ箱を奪われると、ものすごい勢いでデタラメの韓国語をまくしたてた。
するとなんとタモリは、その3倍の勢いのインチキ韓国語で応戦してきた。
驚いた中村誠一は中国語に切り替えたが、タモリは5倍の速さで中国語を話した。
ちなみにタモリの中国語は

「痛いところ突きやがった」→「痛所指摘」
「じゃあな」→「後日再会」
「気をつけて」→「交通安全」
「よろしくお願いします→「愛玩希望」

など四文字熟語風なものが多い。
その後、ドイツ、イギリス、イタリア、フランス、アメリカを各国のデタラメ言葉で勝負が続いたが、すべてタモリが圧倒。
最後はアフリカ人になってスワヒリ語をしゃべり、中村誠一に敗北を認めさせた。
そうやって騒いでいるうちに夜が明け、
「あ、いけね。
帰ります。」
タモリがいうと山下洋輔は
「ちょっと待って。
アンタ一体誰?」
と呼び止めた。
「あっモリタと申します」

衝撃を受けた山下洋輔は、東京に帰った後、新宿ゴールデン街のバー「ジャックと豆の木」で
「九州にモリタというすごいやつがいる」
と話した。
するとママ、柏原A子(匿名ではなく通称)の発案で、山下洋輔、奥成達(詩人、編集者)、高信太郎(マンガ家)、長谷邦夫(マンガ家)、坂田明(ジャズサックス奏者)、三上寛(フォークシンガー、俳優)、長谷川法世(マンガ家)、南伸坊(イラストレーター、マンガ雑誌「ガロ」編集長)ら常連客が「伝説の九州の男・モリタを呼ぶ会」を結成。
「ジャズファンに違いない」
ホテルでの出来事から半年後、山下洋輔は、福岡で1番古いジャズ喫茶「COMBO」を訪ねた。
「モリタという男を知らないか?」
店主、有田平八郎は、
「知っているよ」
と答え、すぐに常連客だったタモリに電話。
こうして2人は再会した。
1975年6月、「呼ぶ会」から新幹線代をもらったタモリは7年ぶりに上京。
ジャックと豆の木で「呼ぶ会」の前で

・北京放送
・中国人の田中角栄
・中国製のターザン映画
・宇宙飛行士になった大河内傅次郎が宇宙船の中で空気漏れで苦しんでいるのを韓国語で
・日本製ウイスキーを、これは悪しき飲み物であると説教しながら飲み始めた中国人が、やがてこんなすばらしいものはないと言い始める
・4カ国語麻雀(ベトナム人が中国人の捨てた牌に『ロン』といい、中国人が『チョンボ』とクレームをつけ、アメリカ人が仲裁し、それを後ろから見ていた田中角栄が口を出して乱闘に発展する)
・アメリカの宇宙飛行士と中国の宇宙飛行士の絡み合い
・国連Aセット(台湾国連脱退をめぐる韓国、台湾、中国の演説、Bセット、Cセットもあった)
・強要特別番組、李参平と白磁の由来
・明日の農作業の時間
・松正丸事件の真相
・肥前ナイロビ・ケニヤ線乗換え
・産まれたての仔馬
・コンドルの着地

などを披露。
その後、福岡で生活しつつ、「呼ぶ会」のカンパによって月1回上京し即興芸を披露し、メンバーの家で一定期間居候するという二重生活を始めた。

8月、3度目の上京を果たしたタモリが芸をしてると噂を聞きつけた赤塚不二夫がジャックと豆の木に来店。
大学時代に「天才バカボン」を読んで、
「こんなバカなことやっていいんだ、こんなバカなこと書いて出版してもいいんだ、アリなんだ」
と衝撃を受け、大ファンだったタモリはビックリ。
赤塚不二夫もタモリの才能に一目惚れ。
(この男を福岡に帰してはいけない)
と思い、
「君はおもしろい。
お笑いの世界に入れ。
今月の終わりに僕の番組があるからそれに出ろ。
それまでは住むところがないから、私のマンションに居ろ」
と厳命。
タモリは、家賃17万円、4LDK、冷暖房完備の高級マンションで飲み放題食べ放題、服も着放題、ベンツ450SLC乗り放題、30万円の小遣い支給という好条件で居候を開始。

夜は毎晩、新宿で宴会。
「めちゃくちゃのためならなんでもする」
というタモリは半裸、全裸もいとわない上、
「俺の尻は色白でプリンプリンしていてキュンと持ち上げってて、すごくかわいくてカッコいい。
芸能界一だね、この美しさは」
と自負している。
あるときは何も知らない客がいる銭湯で素っ裸でイグアナのモノマネをして洗い場を這い、湯船に飛び込んだ。
あるときは全裸で足を組んで週刊誌を読み、そこから火をつけたロウソクをケツに突っ込み上げ気味で、4足歩行。
あるときは前触れもなく静かに服を脱ぎ出し、小道具を入れた紙袋からムチを取り出し、足を差し出し
「おナメ!」
と「SMローソクショー」
あるときは金粉を塗って半裸で踊り、黄金に輝く愛染恭子(AV女優)の胸を鷲づかみにする「金粉ショー」
その裸芸は新宿ゴールデン街で「恐怖の密室芸」といわれ恐れられた。

自分が居候し始めると赤塚不二夫はまったく家に帰って来ず、タモリは
「別に住むところがあるんだろう」
と思っていた。
しかし赤塚不二夫は自分の家に帰りづらくなって仕事場のロッカーを倒してベッド代わりにして泊まっていた。
どうしても必要なものがあって取りに帰るときは
「今から行っていい?」
とタモリにお伺いを立てた。
着る服がなくなりやむなく一時帰宅したとき、探していた服をタモリが着ていたこともあった。
居候を始めて半年後、赤塚不二夫が仕事場で寝泊まりしていることに知ったタモリは
「もう出ます」
と言おうと思ったが
「せっかくの好意がグチャグチャになっちゃあ居候道に反する」
と思い直した。
タモリいわく居候の秘訣は
「卑屈にならないこと」
だという。
「堂々としてなきゃ。
お前はすごいぞ、俺を見つけたんだからすごい!
そう思わせないと向こうもなんでこんな奴に金かけてやってるんだって、出ていけってことになる」
そういうタモリは福岡に残していた妻を呼び寄せ、2人で居候を続けた。

赤塚不二夫の家での居候開始と同時に、柏原A子ママを社長、山下洋輔が常務とするマネジメント事務所「オフィス・ゴスミダ」が設立され、タモリはタレントとして所属。
1975年8月30日、テレビ朝日の「土曜ショー」という番組の夏休み特集「マンガ大行進 赤塚不二夫ショー」に出演しインチキ牧師などのパフォーマンスを披露。
たまたま番組を見ていた黒柳徹子は、その夜のうちに赤塚不二夫に電話。
「今の人、誰?
すごいじゃない」
そしてタモリは「徹子の部屋」の前身番組、「13時ショー」で2回目のテレビ番組出演を果たす。
秋になり京都大学の学園祭「11月祭」に出演。
このとき主催者と金銭トラブルが発生し、力不足を痛感したオフィス・ゴスミダは解散。
ステージ自体は好評で、タモリはその後、数年間、11月祭に呼ばれた。
「呼ぶ会」はすぐに次の所属事務所が探したが、特異な芸風から中々決まらず、やっと田辺エージェンシーと契約を結ぶことになったタモリは9ヵ月間の居候生活にピリオドを打ち、妻と共に赤塚不二夫邸を出た。

1976年、「欽ちゃんのドンとやってみよう」がスタートし、萩本欽一は素人イジりで大爆笑をとった。
素人をテレビに出すことに反対する意見もあったが、萩本欽一は
「プロを出せという人こそテレビの素人」
と素人や素人っぽさの重要性を主張。
同年、30歳のタモリは、バラエティ番組「金曜10時!うわさのチャンネル!!」の単独コーナー「タモリのなんでも講座」にもレギュラー出演。
半年後、深夜番組「空飛ぶモンティ・パイソン」内の「The TAMORI Show」という数分間のコーナーにもレギュラー出演。
萩本欽一の予言通り、会社勤めを経て30歳でテレビデビューを果たした最強のアマチュア、タモリは戦後最大の素人芸でブレイクした。
タモリは、萩本欽一と同様の意見を以下のように述べている。
「誰も厳密さなんて求めていないという気がするんですけど。
ナマだったらナマなりの期待があって、誰か失敗するんじゃないかとか・・・
少しくらい失敗してもそのほうがイキがいいわけでしょう。
テレビはそれをやったほうがいい」
「テレビは完成品には向いていない。
テレビっていうのは状況ですから。
状況を流すことに1番の威力を発揮するメディアだから、作られたものはちょっと向いていないかもしれない」

1976年10月6日、テレビでレギュラー番組を持ったタモリは、ラジオでも毎週水曜、25時~27時の生放送「タモリのオールナイトニッポン」をスタート。
(そして7年間継続)
きっかけは新宿ゴールデン街のメンバーの1人、マンガ家の高信太郎がパーソナリティを務めるオールナイトニッポン(火曜日)への出演。
ゲスト出演していたアグネス・チャンに、熱狂的中国人ファンとしてブッツケ本番で電話し、デタラメな中国語を一方的に喋りまくり、会話は成立しなかったが、反響を得て初冠番組につながった。
オープニングは、銅鑼が鳴り、アメリカンショー風ナレーションが流れ、最後に、
「Mr.タモリィ・ショー!」
そしておなじみのオールナイトのサンバにつながる。
タモリは提供読みで

「社長の顔がデカい角川書店グループ」
「堅実な経営を誇る東芝EMI」
「股間の恋人B.V.D.フジボウ」
「ニューミュージックから演歌まで社長自身がタレント化して売り込むキャニオンレコード」
「人事異動はまだか 、人事異動が待ち遠しいCBSソニー」
「何をつくってるのかわからない武藤工業」
「(ここを出ても職が無いと言いかけたがディレクターからの指示があったのか言い直し)ここを出ればあなたも一流カメラマン東京写真専門学校」
「社長の息子が慶應永谷園」
「レモンとコーヒーがドッキングポッカコーヒー」
「アイドル映画も制作する東宝東和」
「数々の名作を提供する日本ヘラルド映画」
「若者の股間を締め付けるビッグジョン」
「お菓子ひとすじブルボン」
「名前が清潔白泉社」
「一生、寛斎、森英恵は卒業していない東京デザイナー学院」
「南極物語もウケた学研」

などと勝手にスポンサーにキャッチコピーをつけた。

そしてユニークでマニアックなコーナーをつくっていった。
代表的なのがNHKニュースの音源をつなぎ合わせデタラメのニュースをつくる「NHKつぎはぎニュース」
リスナーからカセットテープで作品を募り、ハイレベルな作品が集まり盛り上がったが、3ヵ月後、無断で使用していたためNHKから
「面白いんですけど、やめていただけませんか」
とクレームが入り終了。
その他、「青年の主張」「夜の憩い」など数々のNHKのパロディコーナが登場した。
タモリが中国語の放送をパロディ化したレコードを出そうとしたらレコード倫理委員会から「待った」がかかり、その委員の中に慶應大学の教授がいたため「大学対抗悪口合戦」というコーナーを開始。
麻上洋子の「おはよう・・・・海!」、扇ひろこの「新宿ゴールデン街」などのレコードを本来、45回転のところ、33回転で流し、回転を遅くすることでオカマのような声になった。
あのねのねが「みかんの心ぼし」という新曲を出したとき、タモリは
「ただかけるだけじゃあ面白くない」
と清水国明に毎週電話をかけさせ、クイズで出して正解したら「みかんの心ぼし」をかけ、答えられなかったらライバル曲をかけることにした。
2ヵ月間、清水国明は毎週電話したが、タモリが絶対答えられない問題をつくったため新曲がかかることはなかった。
「ハードコアコーナー」は、タモリが女性リスナーと電話で話し、最後は女性リスナーとのキスで終わった。
「森繁の口調を真似ると、なんでもないことまで全部ジンセイを感じさせる」
と前置きした後、
「クルマで信号待ちをしておりますとネ・・・・・
赤信号が青にかわる・・・・
人の世のイトナミもまたこのように儚い明滅でありましょうか・・・・」
などと20分間、1日の出来事を森繁久彌風に語った。
いきなり女性の声を短く聞かせ、
「このひとはだれでしょう?来週までに正解をハガキで募集します!」
とリスナーに挑戦。
多くのハガキの中で正解したのは2人。
声の主は、春子夫人。
タモリは
「なんでわかったのかね?!」
と驚いた。
耕運機をプレゼントし、当選したのは横浜在住のリスナーだったこともあった。

トンガッていたタモリは、日本文学、ミュージカル、演歌、評論家、名古屋人、さまざまな嫌いなモノや嫌いなヒトに牙を剥き、コキ下ろし笑いをとった。
タモリが埼玉県民を
「ダ埼玉」
といったこと語源となって
「ダサい」
という言葉が出来たという説もある。
タモリは日本の純文学と純文学作家が特に嫌いで
「何の役にも立たん!」
「日本の湿った文化風土」
「何がイヤってあの暗さ。
あれ最悪ですね。
暗ければいいという。
悩むことが人間の1番崇高なことであるとか。
なんかああいうのってイヤなんですね。
非常に」
「病人が作った文学でね。
本当、対処すりゃいいものをそこでとどまってジーっとねえ。
病んでいく自分が好きだとか」
「ワビ、サビっつうのは余計なおせっかいだと思うんですよね」
「芭蕉なんか日本の文化を悪くしているんだろうなあ」
と強く批判。
中でも五木寛之(「青春の門」などベストセラー多数)に対しては
「イカンなぁ。
あーゆーもんが文化人面してのさばられるとねえ……
あれはね、ちょっと殺さないかんのじゃない?」
「五木って人は、一体あのカッコつけたナリと態度で、どうやって女を口説いているのか。
遠くを見つめながら「人生は……」とか真面目くさって言うんだろうな。
イヤなやつ」
と悪意むき出し。
五木寛之はタモリと同じ福岡出身だが、福岡空港でスチュワーデスに
「お客様は禁煙席になさいますか?」
と聞かれ
「僕がタバコ吸わないの、君知らないの」
と横柄な態度をとる五木寛之をタモリが目撃したことに端を発するというが、深刻なフリ、高級なフリをして、威張ったりチヤホヤされたりすることにガマンならぬようだった。

音楽では、さだまさし、谷村新司、オフコースに代表されるニューミュージックを
「ハッキリいって音楽のガン」
「優しさ、思いやり、温かさ、青春、愛、こういう言葉を散りばめてりゃ、即ミュージシャンになっちゃうのがイヤ」
「彼らが売れるということは日本の文化も信用できない。
日本の音楽文化は絶望に近い」
「歌詞がまた愚劣なんです。
散文にもなっていない、文章にもなっていない」
と口撃。

音楽に対して
「思想のない歌こそ素晴らしい。
思想のある歌はゴミだ」
「歌は軽薄でいい」
「非現実的なほうがいい」
「無愛想で明るく単純に楽しむのが音楽」
というタモリは「ニューミュージック撲滅」を目的にテレビ朝日の「題名のない音楽会」をパロッた「思想のない音楽会」というコーナーをつくり、ニューミュージックとは対極にあるナンセンスソングを紹介。
高田浩吉が歌う「白鷺三味線」を
「この思想のなさ、ノリ1発という明るさ、コレですよ、コレ。
歌っていうのはこういうのではなきゃダメ」
と大絶賛。

「父親が飲み屋から持って帰ってきた」
という高校生リスナーから自主制作のレコードが送られてきて、タモリは謎の男性歌手がこぶしをつけずに淡々と歌うムード歌謡を気に入り毎週流した。
同曲、さいたまんぞう作、「なぜか埼玉」は、大手レコード会社から発売され、12万枚のヒット。
タモリのオールナイトニッポンにゲスト出演した井上揚水は
「僕の歌は今まで思想がありすぎました。
それに暗い。
これからは過去を断ち切って思想のない歌を歌います」
と反省の弁を述べ、タモリいわく、それから井上揚水の歌が明るく変わったという。

1977年3月20日、グイグイ知名度を上げたタモリはファーストアルバム、「タモリ」をリリース。

1 序曲“タモリのテーマ”
2 ハナモゲラ相撲中継
3 教養講座“日本ジャズ界の変遷”
4 CMブラジャー・ミシン
5 世界の短波放送
6 お昼のいこい
7 歌舞伎中継“世情浮名花模越”
8 料理の時間~大混線
9 FEN(ニュース~スリラーアワー~コミックショー)
10 第一回テーブル・ゲーム世界選手権大会 於 青森
11 武蔵と小次郎 part1~討入り前の蕎麦屋の二階
12 武蔵と小次郎 part2~演歌“けねし晴れだぜ花もげら”
13 武蔵と小次郎 part3~町の民謡教室
14 武蔵と小次郎 part4~アフリカ民族音楽“ソバヤ”
15 武蔵と小次郎 part5~中国語のハワイアン・メドレー~終曲

とタモリワールド全開の全15曲。
この後、1978年にセカンド・アルバム「タモリ2」、1981年にタモリがハードボイルドなナレーションをはさみ、歌いまくるサードアルバム「ラジカル・ヒステリー・ツアー」も発売された。
奥成達(詩人、ジャズ評論家)に
「思考活動をもはや中止してしまおうとするような思考活動」
と評された3作品は、いずれもレコードで、マニアの間で長年、高値で取引されていたが、2007年12月19日にCD化され3作品同時に再発された。

1977年8月11日、「徹子の部屋」に「森田一義」の名前で出演。
以後、「徹子の部屋」には毎年の最後の回に出演し、2013年12月27日で37回という番組最多出演数を記録した。

タモリの初主演テレビCMは、キャノンのカメラ、110EDデートマチック。
「こんばんは。
春はハナモゲラ。
今天然のモレカケサはハレしていまはゲシクナレヘコキシタ。
我命モノコトの我コユビロはハラモレタ。
パラモレカネフケモレサッサ。
そして今日付はヘケモシタ。
どうも失礼しました」
と意味不明の言語で撮影日が記録されるカメラを宣伝した。

1980年代に入ると、NHKの深夜番組「ばらえてい テレビファソラシド」、日テレ土曜日23:00~ 23:30の「今夜は最高!〜WHAT A FANTASTIC NIGHT!」、夕方の時間帯に生放送されたラジオ番組「だんとつタモリ おもしろ大放送!」など活躍の幅を広げた。
「だんとつタモリ おもしろ大放送!」では、主婦に
「昨日○○した方お電話ください」
などと呼びかけ、日常だけでなく夜の生活まで食いこんできわどいトークを展開し人気を集めた。
またお笑いオーディション番組「お笑いスター誕生!!」に審査員として出演。
とんねるずの革新的なネタに他の審査員があまり評価しない中、タモリと赤塚不二夫だけは
「なんかわけわかんないけど、お前等は面白い」
と絶賛。

工作舎の立ち上げて雑誌「遊」を創刊し編集長を務めた松岡正剛との対談企画では、大いに盛り上がって3時間経っても話が尽きる気配がなく、次の予定が入っていた松岡正剛は
「今日でも遅くてよければ再開したい」
と持ちかけた。
その予定とは絵本作家のレオ・レオーニの来日と新作「平行植物」の翻訳版発売を記念しイタリア大使館で行われるレセプション。
興味を持ったタモリは大使館に同行。
大使、大使館関係者、レオーニ夫妻、谷川俊太郎(詩人、翻訳家、絵本作家、脚本家)、勝美勝(美術評論家、フランス文学者)、中原祐介(美術評論家、京都精華大学名誉教授)、高橋康成(英文学者、東京大学教養学部名誉教授)・・・
そうそうたるメンバーによって厳かに行われていた晩餐会でサングラスをかけたタモリは

デタラメのイタリア語によるイタリア映画の1シーン
イグアナのモノマネ
ショウジュウバエのモノマネ
4ヵ国語マージャン
デタラメ放送
天皇のモノマネ

など反文化的な芸で狂乱の宴に変えた。

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