斉藤仁 鬼の指導者時代

斉藤仁 鬼の指導者時代

「理不尽、イソジン、斉藤ジン」(篠原信一)「いい意味で異常」(井上康正)「次元の違う怖さ、鬼以外のなにものでもない」(鈴木桂治)「オリンピックのプレッシャーなんて斉藤先生のプレッシャーに比べたら屁のツッパリにもなりません」(石井慧) オリンピックメダリストたちに恐れられた斉藤仁の記録。


2006年4月、全日本選手権の準決勝で石井慧が時間稼ぎをするような勝ち方をしたため、斉藤仁は
「あんなのはお前の柔道じゃあないだろう」
と渇を入れた。
石井慧は
「殺されるかと思った」
という。
決勝戦では、国士舘大学の先輩でアテネオリンピックメダリストの鈴木桂治と対戦。
両者ポイントが奪えないまま時間が過ぎていき、旗判定では鈴木桂治有利かと思われたが、残り6秒、石井慧が大内刈りで有効をとり勝利。
山下泰裕が持っていた全日本選手権最年少優勝記録、19歳10ヵ月を19歳4カ月に更新した。

2008年4月、全日本選手権の決勝は3年連続で鈴木桂治 vs 石井慧となり、石井慧が優勢勝ちし2年ぶり2度目の優勝。
北京行きのチケットを手に入れた。
その後、オリンピックまで木村政彦の「3倍努力」を超える「5倍努力」を目指した。
5時に起床し6時からトレーニング。
警視庁などに出稽古に行き、午後、授業に出た後、国士舘で練習。
練習前のウォーミングアップではトランス系の音楽が流れ、石井慧を含め103名の部員はそれに合わせてモチベーションを上げていく。
そこから3時間以上練習。
その後も出稽古。
電車の移動中は、試合で「外国の選手をボコボコに投げる」イメージトレーニング。
そして試合後、斉藤仁に「褒められるバージョン」と「怒られるバージョン」の2種類をイメージトレーニングを行った。
寮に戻るのは深夜だった。
6月、石井慧は右足親指を脱臼。
極度の不安に見舞われ抗ウツ剤を飲まなくてはならなかった。
そしてケガを不安視するマスコミに対し
「ウツでも金!」
と世の中の多くの悩める人を勇気づける名言。
8月14日、北京オリンピック男子柔道100kg級で鈴木桂治は、1回戦でツブシンバヤル(モンゴル)戦に1分26秒、もろ手刈りで1本負け。
敗者復活戦でも1回戦でベールラ(ドイツ)に34秒、横落としで1本負け。
2階級制覇を目指した2度目のオリンピックは120秒で終わった。

8月15日、北京オリンピック柔道競技最終日。
ここまで金メダルは、66kg級の内柴正人の1個のみ。
100kg超級としては小柄な180cmの石井慧は、初戦で190cm、145kg、ビアンケシ(イタリア)に内股で1本勝ち。
その後も
シェハビ(エジプト) 大内刈り 1本勝ち
トメノフ(ロシア) 横四方固め 1本勝ち
グゼジャニ(グルジア) 上四方固め 1本勝ち
と4連続1本勝ち。
決勝戦では、無難な戦い方でタングリエフ(ウズベキスタン)に指導2つの優勢勝ち。
畳を下りた直後、インタビューを受けた。
「自分が全日本選手権のチャンピオンなんで、自分が負けたらもう日本の負けだって、斉藤先生から耳にタコができるくらいいわれてたんで、勝ててよかったです。
まあオリンピックのプレッシャーなんて、あの、まあこんなんいうたら失礼ですけど、斉藤先生のプレッシャーに比べたら、もう屁のツッパリにもなりません」
『いま何がしたいですか?』
「いましばらく、あのぉ~遊びたいッス。
(何かに気づいたような顔をして)
アッ練習したいッス」

「北京オリンピックは、自分が描いていた最悪のイメージがピタッとはまってしまった。
最後に石井慧が勝ったけれども、それまでの負け方がひどかった。
メダルにも絡めなかったっていうのはね。
金丸(雄介)は肩脱臼しちゃったし、小野(卓志)もどうしようもなかった。
(泉)浩なんか論外、完全な減量失敗。
負け方でも次につながる負け方もあるけど、あれは次につながらない。
泉はカイロ世界選手権で優勝して、ちょっと慢心になっていたのかもしれません。
だからそれを考えたら4日連続で負けたあとに石井はよく勝ったと思う。
石井の「他人は関係ねぇ」というあの性格が、あの場面でうまくはまった。
考え方や人間性を除いたら、石井は素晴らしいと思いますよ。
自分の目的や目標を達成するためなら、人の足を引っ張ろうがお構いなし。
その貪欲さと、それに向かう実行力に関しては、本当に頭が下がる」
そういう斉藤仁は、山下泰裕監督下で重量級コーチを2期8年、監督として2期8年、合計16年間、柔道日本代表を現場で指導し続けた。
そして北京オリンピックの後、篠原信一に監督のバトンを渡した。

2013年夏、52歳の斉藤仁の体に異変が起こった。
それまで糖尿病を抱えていたが、食事管理と適度な運動をしていればいい軽度なもので健康オタクの斉藤仁は、毎日薬を飲んで、毎月血液検査を受けていた。
ところが検査で肝機能の数値が基準値の数倍に急上昇。
薬が変わったばかりだったので様子をみることになったが、2ヵ月経っても改善されず、CT検査も受けたが
「画像に何か映っているけど、脂肪の塊かな?」
といわれた。
結果的におそらくそれが腫瘍だった。
11月、MRIを受けると
「胆管に影がみえます」
といわれ、年明けに入院が決まった。

大晦日から年明けまで斎藤家は沖縄へ家族旅行。
ホテルの部屋に入るなり、斉藤仁は息子に体落としの練習をさせ、レストランで順番待ちをしている間も
「おい、やってみろ」
と練習させた。
「人が見てるわよ」
嫁、三恵子に怒られても
「うるせえ、外野は関係ねえんだ!」
ときかなかった。

2014年1月、東大病院に入院して検査を行った。
「肝内胆管ガンで原発のガンは6cmくらいになっています。
すでにリンパ節に転移もみられます」
「ステージでいうとどの段階ですか?」
「ステージ4です」
手術はできず、通院による抗ガン剤治療が始まった。
斉藤仁は自分がガンであることを、山下康裕、上村春樹、岩淵公一などごく一部にしか明かさず、1人暮らしをしながら仕事を続け、合宿や海外遠征にも参加した。
数ヵ月後、食べてもガン細胞の栄養になってしまい、急激に痩せていったが、周囲には
「糖尿病のせい」
と話した。
11月になると全身にガン細胞が散らばり状態が悪化。
12月、会話ができるうちに少しでも多く家族と過ごすために東大阪の病院に転院。
やがて意識がハッキリしない時間が増えたが、うわ言でいうのは柔道のことばかりだった」
大晦日、大阪の自宅に一時帰宅。
介護タクシーで利用し、斎藤仁が乗るストレッチャーを、嫁、息子2人、運転手の4人がかりで移動。
斎藤仁は寝たままだったが、8時間、家族は一緒に過ごした。

それから19日後の2015年1月19日、数日前からインフルエンザにかかりっていた次男、立は、午前中、病院で
「もう登校してよし」
といわれた後、学校に行く前に父親を見舞いに行った。
(今日が最期になるかもしれない)
と思っていた嫁、三恵子は、目を閉じたまま寝ている斉藤仁に、
「今日は稽古に行かさんとここにいさせよか?」
と聞いた。
立は内心
(稽古、休める、ラッキー)
と喜んでいたが、斉藤仁は低い声で
「稽古に行け」
といったため、学校にいって夜まで練習。
久々の練習を終え、家に帰ると、次の日は朝練のために6時に起床しなければならず、すぐに寝た。
しかし夜中、
「起きろ」
と兄、一郎に蹴飛ばされ、起きた。
時間は25時。
叔父の車で病院に直行。
「お父さん、ありがとう。
教えてくれたことは全部覚えている」
(長男、一郎)
「お父さん、オレ頑張るから。
お父さんみたいに強くなるから」
(次男、立)
病室で家族に声をかけられた斉藤仁は目を閉じたまま涙をあふれさせ、直後、亡くなった。
まだ54歳だった。

「後悔はないと思うけれど、東京五輪とか息子たちのことを思うと、心残りはあったと思う」
そういう嫁、三恵子は、かつて小学校をお受験させようと長男、一郎を塾に通わせたことがあった。
斉藤仁に
「お前さ、一体コイツらに何をしたいの?
まさか医者とか弁護士とかそういうのになってほしいわけ?」
と聞かれ
「ええ、そうなってくれたら、すごくうれしいわ」
と答えた。
すると斎藤仁は納得できない様子でいった。
「そういうありきたりな人生でいいの?」
また中学校に上がった次男、立が問題を起こし学校に呼び出されたとき
「アカンわ、この子」
と報告。
すると斉藤仁は意外にも
「いいんだ、いいんだ」
といって怒らなかった。
どんな目に遭うのだろうとビクビクしていた次男も拍子抜けしたが、ただ一言、
「立、謙虚になれ」
といわれた。
斉藤仁にとって受験や就職などは大きな問題ではなかった。
一般的な学業や仕事では味わえない、ほんものの感動こそ人生の価値があると思っていた。
斉藤仁は柔道を通して、そういう心が揺さぶれれる瞬間を何度も経験していた。

次男、立は、ほんとうに父親の死を自覚できたのは、1ヵ月後、日本代表の強化合宿に参加したときだった。
父親の教え子が多く参加している合宿で、たくさん人に声をかけられ、心の中で何かが弾けた。
(お父さんは死んでしまったんだ!)
一気に悲しみがあふれてきて、あわててトイレに駆け込んで大声で泣いたという。
「本気でやらなアカン!!」
これまでの柔道は、常にやらされている感じがあった。
しかし生まれて初めて本気で
「強くなりたい」
「がんばろう」
と思った。

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