斉藤仁 鬼の指導者時代

斉藤仁 鬼の指導者時代

「理不尽、イソジン、斉藤ジン」(篠原信一)「いい意味で異常」(井上康正)「次元の違う怖さ、鬼以外のなにものでもない」(鈴木桂治)「オリンピックのプレッシャーなんて斉藤先生のプレッシャーに比べたら屁のツッパリにもなりません」(石井慧) オリンピックメダリストたちに恐れられた斉藤仁の記録。


大晦日から年明けまで斎藤家は沖縄へ家族旅行。
ホテルの部屋に入るなり、斉藤仁は息子に体落としの練習をさせ、レストランで順番待ちをしている間も
「おい、やってみろ」
と練習させた。
「人が見てるわよ」
嫁、三恵子に怒られても
「うるせえ、外野は関係ねえんだ!」
ときかなかった。

2014年1月、東大病院に入院して検査を行った。
「肝内胆管ガンで原発のガンは6cmくらいになっています。
すでにリンパ節に転移もみられます」
「ステージでいうとどの段階ですか?」
「ステージ4です」
手術はできず、通院による抗ガン剤治療が始まった。
斉藤仁は自分がガンであることを、山下康裕、上村春樹、岩淵公一などごく一部にしか明かさず、1人暮らしをしながら仕事を続け、合宿や海外遠征にも参加した。
数ヵ月後、食べてもガン細胞の栄養になってしまい、急激に痩せていったが、周囲には
「糖尿病のせい」
と話した。
11月になると全身にガン細胞が散らばり状態が悪化。
12月、会話ができるうちに少しでも多く家族と過ごすために東大阪の病院に転院。
やがて意識がハッキリしない時間が増えたが、うわ言でいうのは柔道のことばかりだった」
大晦日、大阪の自宅に一時帰宅。
介護タクシーで利用し、斎藤仁が乗るストレッチャーを、嫁、息子2人、運転手の4人がかりで移動。
斎藤仁は寝たままだったが、8時間、家族は一緒に過ごした。

それから19日後の2015年1月19日、数日前からインフルエンザにかかりっていた次男、立は、午前中、病院で
「もう登校してよし」
といわれた後、学校に行く前に父親を見舞いに行った。
(今日が最期になるかもしれない)
と思っていた嫁、三恵子は、目を閉じたまま寝ている斉藤仁に、
「今日は稽古に行かさんとここにいさせよか?」
と聞いた。
立は内心
(稽古、休める、ラッキー)
と喜んでいたが、斉藤仁は低い声で
「稽古に行け」
といったため、学校にいって夜まで練習。
久々の練習を終え、家に帰ると、次の日は朝練のために6時に起床しなければならず、すぐに寝た。
しかし夜中、
「起きろ」
と兄、一郎に蹴飛ばされ、起きた。
時間は25時。
叔父の車で病院に直行。
「お父さん、ありがとう。
教えてくれたことは全部覚えている」
(長男、一郎)
「お父さん、オレ頑張るから。
お父さんみたいに強くなるから」
(次男、立)
病室で家族に声をかけられた斉藤仁は目を閉じたまま涙をあふれさせ、直後、亡くなった。
まだ54歳だった。

「後悔はないと思うけれど、東京五輪とか息子たちのことを思うと、心残りはあったと思う」
そういう嫁、三恵子は、かつて小学校をお受験させようと長男、一郎を塾に通わせたことがあった。
斉藤仁に
「お前さ、一体コイツらに何をしたいの?
まさか医者とか弁護士とかそういうのになってほしいわけ?」
と聞かれ
「ええ、そうなってくれたら、すごくうれしいわ」
と答えた。
すると斎藤仁は納得できない様子でいった。
「そういうありきたりな人生でいいの?」
また中学校に上がった次男、立が問題を起こし学校に呼び出されたとき
「アカンわ、この子」
と報告。
すると斉藤仁は意外にも
「いいんだ、いいんだ」
といって怒らなかった。
どんな目に遭うのだろうとビクビクしていた次男も拍子抜けしたが、ただ一言、
「立、謙虚になれ」
といわれた。
斉藤仁にとって受験や就職などは大きな問題ではなかった。
一般的な学業や仕事では味わえない、ほんものの感動こそ人生の価値があると思っていた。
斉藤仁は柔道を通して、そういう心が揺さぶれれる瞬間を何度も経験していた。

次男、立は、ほんとうに父親の死を自覚できたのは、1ヵ月後、日本代表の強化合宿に参加したときだった。
父親の教え子が多く参加している合宿で、たくさん人に声をかけられ、心の中で何かが弾けた。
(お父さんは死んでしまったんだ!)
一気に悲しみがあふれてきて、あわててトイレに駆け込んで大声で泣いたという。
「本気でやらなアカン!!」
これまでの柔道は、常にやらされている感じがあった。
しかし生まれて初めて本気で
「強くなりたい」
「がんばろう」
と思った。

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