西城秀樹さんのこういった仕事への姿勢や、スター気取りがまったくなく「気のいい近所のお兄さん」風の自然体なところが、ファンのみならず芸能界で共演者やスタッフから愛された所以でしょうね。
ヒデキの歌唱は「絶叫型」と呼ばれ、ハスキーな声を絞り出すように歌う姿がセクシーでしたね。
アイドル的な人気が高かった西城秀樹さんですが、歌唱力の方も一流アーティスト達が絶賛する歌声でした。
共演者で作曲家の小林亜星さんも
日本ではナンバーワンを争うような音楽性の高い歌手だったね。当時はアイドル的な人気が先行して、歌手としての実力が正当に評価されなくて、ほんとうにもったいなかったと思う。
https://tokyo.whatsin.jp/571554小林亜星と西城秀樹の出会いを演出した久世光彦のドラマ『寺内貫太郎一家』の全作品を観て | WHAT's IN? tokyo
リハビリを続けながらの歌手活動 最後のシングルは「めぐり逢い/Same old story 〜男の生き様〜」
西城さんは2001年秋に最初の「脳梗塞」を発症されて以降、厳しい闘病生活の中「再びステージに立つ」為にリハビリに励まれました。それは、最後お亡くなりになられる直前まで続けられていたそうです。
生涯、歌うことに情熱を注ぎこまれてきた"西城秀樹"さんですが、2018年5月16日 ご家族に見守られる中 63歳で旅立たれました。
「LOVE SONGを永遠に」 “戦友”西城秀樹と野口五郎の絆
野口五郎デビュー50周年 ステージは“戦友”西城秀樹さんと共に | 女性自身
「新御三家」の3人の中で家族ぐるみで仲の良かった「野口五郎」さんは、共にスターの座へ登りつめた「戦友」から、闘病生活を支え又、秀樹さんが亡くなった後は奥さまやお子さまの支えになられているようです。
「LOVE SONGを永遠に」優しくて心に染みわたるいい曲です。
寺内きん(設定70歳)ー悠木千帆のちに樹木希林(当時31歳)
樹木希林さんは高校時代 演劇部に所属していたものの大学へ進学して薬剤師になろうと思っていたそうです。
が、大学受験直前にスキーで足を怪我した為、大学進学を断念。
1961年に文学座一期生として付属演劇研究所に入り、芸名「悠木千帆」として女優活動をスタートさせます。
文学座研究所では付き人を務める程、杉村春子さんに可愛がられていて後に文学座の正座員となられています。(1966年に退団)
1964年にレギュラー出演したテレビドラマ「七人の孫」で一躍人気を獲得。
1970年から放送が始まった水曜劇場「時間ですよ」で個性派女優として不動の人気を得る。20代の頃から老婆役を演じ、老け役が当たり役になっていて、「寺内貫太郎一家」でもまさにリアルにお婆さんでしたね。
70歳の「寺内きん」さんを当時、31歳の悠木千帆(樹木希林)さんが演じられていました。
完璧に老婆を演じる為に、髪の毛だけでなく、まつげまでも脱色した上で老けメイクをされていたそうです。
「きん婆さん」がいつも指ぬき手袋をつけていたのは、手が露出すると若さが目立ってしまうからという理由でした。
腰の曲がり具合も完璧で、「ジュリー」が大好きな姿が可愛らしかったですね。
第29話では本物の「ジュリー」沢田研二さんがゲスト出演されたのも楽しかったです。
2012年に公開された映画「わが母の記」で「第36回日本アカデミー賞」の最優秀主演女優賞
に輝いた際、受賞スピーチで「全身ガン」を公表。
その後も数々の映画に出演され、個性派女優として記憶に残る作品を世に送り出し 2018年9月15日 75歳で永眠されました。
女優として自分の中に哲学を持ち、沢山の出演作と沢山の受賞歴を残された「樹木希林」さんですが、個性的な生き方も又、記憶に残っています。