ロックミュージシャン・内田裕也との夫婦関係<夫という重し>
内田裕也さんと樹木希林さんは、1973年に結婚され半年後には暴力が原因で別居。
普通ならそのまま離婚となるはずですが、40年以上も別居のまま夫婦関係を続け、希林さんが亡くなると後を追うように裕也さんも亡くなられました。
女性問題や大麻所持事件など破天荒すぎる夫に振り回されてきた希林さんですが、「純なものがひとかけら見えるから。自分も逃げないで引き受ける」と離婚をせずに裕也さんを支えてこられたようです。
そして又、希林さんにとっての「夫・内田裕也」は自分を制御するための「重し」
希林さんは東京・港区内にある内田家のお墓で眠っておられますが、生前には「死んだ後は同居ね」と笑っておられたとか。
夫婦には夫婦にしかわからない絆があるものです。
無駄な物をそぎ落とした潔い生き方<モノがあるとモノにおいかけられます>
「トロフィーを電気スタンド」って大爆笑のコメントですが、TV番組で希林さんのご自宅が紹介された時、本当に電気スタンドに様変わりしたトロフィーが置いてありました。
余計なモノを増やしたくないので人からモノを貰うのが嫌いで、お中元をくれた人には「今後は二度と贈らないで下さい」と連絡されていたというエピソードもあります。
旧芸名「悠木千帆」をオークションで売って芸名を「樹木希林」に変更
樹木希林 - Wikipedia
新しい芸名は、辞書を引いて文字を拾いながら希林さん自ら決められたそうです。
「樹や木が集まり希(まれ)な林を作る=みんなが集まり何かを生み育てる」
樹木希林の実家「叶屋」が9月27日をもって閉店
樹木希林さんの実家として知られる横浜・野毛にある居酒屋「叶家」さんが、長い歴史に一旦幕を閉じられました。
「悠木千帆」時代の希林さんが手伝うことがあったり、一人 隅っこで静かに飲まれている事もあったそうです。
希林さんの姪っ子さんが切り盛りされていたようですが、想い出の場所というのはこうして消えてゆくこともありますね。
でも、希林さんの数多くの作品や名言は、いつまでも心に残ります。
相馬ミヨコ(設定18歳)ー浅田美代子(当時18歳)
東京都港区の自動車修理工場を経営する家庭に育った"浅田美代子"さんは、高校2年生の時に街頭でスカウトされます。
このスカウトの時に事務所関係者と一緒に居たのは、なんと!西城秀樹さんだったそうです。
ご両親が芸能界入りを反対された為、ドラマ「時間ですよ」の新人オーディションを受ける事になり、約25,000名の中から見事に合格。
1973年2月14日「時間ですよ」(第3シリーズ)のお手伝い「相馬ミヨコ」役でデビュー
「相馬ミヨコ」の名前は、「寺内貫太郎一家」へ引き継がれていますね。
「時間ですよ」は当時、ホームドラマの中でも国民的人気番組だった為、浅田美代子さんにも人気が集まり、劇中で歌ったデビュー曲「赤い風船」も大ヒットとなりました。
歌唱力には色々な意見がありますので、そこは置いておいて(笑)とっても可愛かったですよね。