長友佑都  一心不乱初志貫徹切磋琢磨   前進しか知らぬ熱きサムライ

長友佑都 一心不乱初志貫徹切磋琢磨 前進しか知らぬ熱きサムライ

抜群のスピード、運動量、1対1で絶対に負けない強さを持ち、「僕から努力をとったら何も残らない 」と語る長友佑都は、元をたどればボールを持てば誰にも渡さずドリブルで攻め続け、とられると守備に戻らない四国のガキ大将。それがいつのまにか攻めに守りに1番走ってチームに貢献する世界レベルのサイドバックになった。


このままではアカン。
このままみんなと同じようにやっても上にいるヤツらと勝負できひん。
体も小さいままや。
他の選手にはない武器を磨くほうがエエんとちゃうか?」
2年生になった長友佑都は思った。
100名を超えるサッカー部員の中で志波芳則監督に自分を認識させるためには長所を伸ばすべきだと。
すべてのことが平均的にできる選手より、足が速いとか、パスがうまいとか、誰にも負けないストロングポイントを持った選手が上にいけると。
「自分を客観的にみて、まずは武器をつくり、磨く。
その後、ウィークポイントを克服すればいい」
長友佑都にも誰にも負けない武器があった。
走力とスタミナ。
それを磨くにはフィジカルを鍛える必要があった。
それまでサッカー部で筋力トレーニングは、
「(筋トレを行うと分泌される成長ホルモンが骨端線を消すという説があり)身長が伸びなくなる」
「(筋肉が硬くなり関節可動域が狭くなり)体の動きが悪くなる」
と控えられていた。
しかし誰もやっていないということは逆に大きなチャンスだった。
長友佑都は、本を読んだり、トレーナーに聞いたりして筋力トレーニングの方法を学んだ。
まずは基本的のトレーニング種目、数種目を軽い重さを使って基本フォームの練習。
それができたら目的に合わせて、負荷(重さ)とボリューム(反復回数)を増やしていく。
大きく
「低負荷×高回数」
「高負荷×低回数」
に大別されるが、現場ではそれを融合させて行われることが多い。

長友佑都の筋力トレーニングは基本的に
「より多く、より重く」
というハードなものだった。
「キツいと感じれば感じるほどプラスになる」
と思い、重さも反復回数もドンドン増やして自分を追い込んでいった。
とにかく強くなりたかった。
ケガをしても
「弱いいうことやろ。
もっと鍛えろってことやろ。
今の量じゃ足りひんいうことや」
とさらにメニューを強化した。
1日の流れは、
5時起床。
朝食前にランニングなど筋トレ。
8時30分、登校。
ハードな練習を行う運動部の生徒が授業中に寝ることは珍しくなかったが、長友佑都は母親が必死に働いて払ってくれた授業料だと絶対に寝なかった。
その代わりに50分間の昼休みは数分で食べて爆睡した。
放課後、サッカー部の全体練習。
走る練習では、常に1番を死守し続けた。
その後、夜まで筋トレ。
こうして朝から深夜まで無我夢中で練習とトレーニングを続けた。
相変わらず走りでは誰にも負けない上に、ハードトレーニングで体を強さが増して1対1では負けなくなった。
「僕は豊かな才能を持ったサッカー選手じゃない。
だからこそ人の何倍も努力しなければ上へはいけない。
僕から努力をとったら何も残らない」

「最後まで諦めずやろうや」

3年生になると、長友佑都はサッカー部でトップチームに入り試合に先発することが増えた。
そして学校からは、志望校の提出を迫られた。
長友佑都は東京の明治大学に行きたかったが自分の成績でかんたんに入れるとは思えなかった。
サッカー部は、最後まで部活を続ける者、夏に引退し進学や就職の準備を進める者にわかれた。
長友佑都は最後までサッカーを続けたかった。
でもたとえ続けたからといっても、たとえもし全国大会に出られたからといっても、プロのなれる保証はない。
実際、高卒でプロ入りできる選手は少なかった。
受験に切り替えてより良い大学への進学、卒業、就職を目指すほうがよいかもしれなかったが、
「これからどんな人生が待っていようと今を頑張らなければ明日はない。
今を頑張ることができれば、将来、頑張れる自分になれる。
何事にもチャレンジできるん、そんな人間になりたくて今まで頑張ってきた。
だったらこれからも頑張り続けるしかない。
明治大学の指定校推薦枠に選ばれるように勉強を頑張る。
そして部活も手を抜かず続ける」
と長友佑都が選んだのは1番ハードな道だった。
夏で引退することを決めたサッカー部員たちのやる気は自然と小さくなっていったが
「最後まで諦めずやろうや」
と長友佑都は彼らにもサッカー部の一員として最後まで全力で走り切ることを求めた。
それはサッカーだけではなく彼らの人生に関わる重大事に思えたからである。
2005年1月、東福岡高校サッカー部はシード校として全国大会の2回戦から出場。
相手は、同大会4度優勝の市立船橋高校(千葉県)。
1万3500人の大観衆が見守る中、長友佑都は赤いユニフォームを着てピッチに立った。
試合は1対1で終わり、PK戦となった。
5人蹴っても決着がつかず、東福岡の6人目の蹴ったボールを相手ゴールキーパーがセーブし、長友佑都の高校サッカーは終わった。
「頑張れる自分を貫いた。
もう1度やれといわれても戻りたくはない。
それほど自分を追い込んだ3年間。
だからこそ価値のある3年間を過ごせた」

明治大学

2005年春、勉強も頑張って指定校推薦枠に滑り込んだ長友佑都は明治大学に進学。
プロになる夢も諦めずサッカー部に入った。
明治大学サッカー部は、1921年の創部以来、大学サッカーのタイトルをいくつも獲り、たくさんのOBが実業団をプロに在籍する名門だった。
1学年20名弱の少数精鋭制で、スポーツ推薦で入学すれば入部は決まるが、長友佑都を含むそれ以外の新入生は、1ヵ月ほど練習に参加した後、部に残れるか判断された。
無事、サッカー部へ入ることが認められた長友佑都は、5時に起床し、三鷹台の自宅を自転車で出て、途中、コンビニでパンやおにぎりを買い、6㎞先の世田谷区の八幡山の練習場で行われるサッカー部の朝練に向かった。
2時間ほどの練習後、今度は杉並区永福にある和泉キャンパスへ向かった。
長友佑都は、プロのサッカー選手になれなかった場合、卒業後の就職を考え政治経済学部を選んだ。
また中学時代の井上博先生のように中学教師になる道も考え、教職免許がとれるカリキュラムも選択していた。
そのため授業数は多く、サッカー部の練習レベルも高いため、入学当初は忙しい日々を送った

椎間板ヘルニア

しばらくすると椎間板ヘルニアを発症。
おそらく一生続く腰痛との長い戦いが始まった。
椎間板ヘルニアは、背骨(腰椎)の間にある椎間板がはみ出し神経を圧迫するために痛みが生じる症状。
はみ出した部分(ヘルニア)を切除する手術もあったが、長友佑都は、運動選手として背骨にメスを入れるのは回避し、休養、安静によって自然にヘルニアが元の場所に吸収させる自然治癒を選んだ。
その結果、サッカー部の練習は休みリハビリを続けた。
「焦ってはダメ」
と思いながらも、何週間もサッカーができない生活はつらかった。
少し痛みが軽減すれば練習へ復帰し、しばらくすると痛みを再発させる。
数ヵ月間、そんなことを何度も繰り返した。

サイドバック

4年生が引退し、新チームを立ち上げなければならない秋、神川明彦監督は練習中にみんなを集めた。
「長友、ちょっとみんなの前で1対1やってみせてくれ。
みんな長友をみるんだ。
コイツは1対1の練習では誰にも負けないぞ」
1年生の長友佑都は褒められうれしかった。
そして翌日の紅白戦でミッドフィルダーからサイドバックへコンバートされた。
小学時代はフォワード、その後、ミッドフィルダーを経験したが、サイドバックの経験はなかった。
初めてのポジションでプレーした紅白戦は散々だった。
「サイドバックなんてできるわけがない」
フォワードは、相手ゴール前、最前線のポジション、ミッドフィルダーは中盤前方サイドのポジションで、どちらも攻撃のポジションだった。
サイドバックは味方ミッドフィルダーの後ろの位置。
相手ミッドフィルダーに対するディフェンスのポジションだった。
長友佑都は守備に自信がなかったし、サイドバックとしてどうやってパスを出してクロスを上げ攻撃参加するかわからなかった。
なによりも攻撃のほうがカッコよかった。
悩んだ末、
「やっぱりサイドバックはやりたくない。
監督に攻撃のポジションがやりたいと直訴しよう」
と決断した。
監督への直訴は異例のこと。
しかも長友佑都は、先発ではなかったがすでにトップチームに入っていた。
それが2軍に落とされるかもしれない。
しかし覚悟を決めて監督に自分の気持ちを告げた。
神川明彦はそれを黙って聞いていた。
(気持ちは伝わった)
長友佑都は思ったが、次の日の練習で
「今日の紅白戦のメンバーを発表する。
サイドバックは長友・・」
と神川明彦監督は直訴などなかったかのようにサラリといった。
(もうやるしかない)
長友佑都は腹をくくってサイドバックのポジションまで歩いていった。
そこからは積極的に行動した。
先輩サイドバックのプレーをみて盗み、周りを活かし周りに活かされるサイドバックになるため、闘志あふれるプレーをみせ、たとえタッチを割りそうでも全速力でボールを追いかけ、チームメイトにコミュニケーションをとり続けた。
数ヵ月後、トップチームの練習試合で長友佑都は初めてトップチームで先発出場し、1対0で勝った。
走力。
スタミナ。
1対1の強さ。
そしてチームに尽くすことができるメンタリティ。
最初は戸惑い、手探り状態で始めたサイドバックだったが、すぐに自分の武器を活かせる場所であることが理解できた。
新しいポジション、仕事についたことで、今までと違った目でサッカーをみることができ、今までと違う面白さも発見できた。
「自分の気持ちや決意、信念を通すことは大切。
でも第3者の客観的な言葉に耳を貸すことも同じように重要。
周囲の人の声を聞き、その上で考えて決意する。
考え方が違うとかわかっていないと耳をふさぐのはもったいないことなんだと、この経験を通して思うようになった。
そしてできないと決めつけるのではなく、まずはやってみる。
挑戦することで新しい可能性が広がるということも学んだ」

椎間板ヘルニア再発 「もうええわ」

2005年の秋にサイドバックに転向し、2006年に入る頃にはトップチームのレギュラーに定着しつつあったが、その矢先、腰に鈍痛が走った。
椎間板ヘルニアの再発だった。
またリハビリ生活に戻らなくてはならなかった。
「なんでやねん」
「もうええわ」
「どうせもうサッカーはできひん」
自暴自棄になってパチンコ屋に通うようになった。
数ヵ月後、2年生のなる前の春休み、長友佑都はキャプテンの金大慶(キム・テギョン)に呼び出された。
「佑都、お前に頼んだこと、やってないだろ」
1年生はグラウンド整備や寮の掃除、ボール磨きなどさまざまな雑用があった。
リハビリ中の長友佑都も例外ではなかったが、それらの仕事をサボってパチンコ屋にいっていた。
「ヘルニアが再発して大変なのはわかる。
でも俺はやるべきことはやらない選手を黙って見逃すわけにはいかない」
「すみませんでした」
長友佑都は頭を下げて部屋を出ようとした。
「お前、ちゃんとわかっていないだろう」
金大慶は、口先だけで謝る後輩を怒鳴りながら追いかけ殴った。
(なんで怒られなアカンねん)
(殴ることないやろう)
最初は思ったが家に帰る頃には逃げている自分に気がついた。
「こんなことも乗り越えられへんようでは愛媛のみんなに合わす顔がない。
ヘルニアごときに負けてどないすんねん。
俺は誰にも負けんヤツやないか」
金大慶の1発は長友佑都の目を覚ませた。
たとえプレーができなくてもチームのためにやれることに全力を尽くそうと決めた。
試合の日は駐車場で車の整理係をした後、スタンドで後輩と一緒に応援した。

体幹トレーニング 「一生モンの体幹をつくらなアカン」

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