1980年
1980年は、さぁ、いよいよ80年代に突入するぞということで、日本は浮かれに浮かれておりました。音楽的には10年も前に解散していたビートルズ関連のビッグ・ニュースが日本全国を騒がすことに!
先ず、1月16日に ポール・マッカートニーが初の日本公演に為に来日し、ファンを喜ばせます!

ポールマッカートニー&ウイングス
が、その喜びもつかの間、大麻不法所持により空港で捕まってそのまま刑務所へ。1月21~24日・31日~2月2日(日本武道館)、1月25日・26日(愛知県体育館)、1月28日(フェスティバルホール)、29日(大阪府立体育館)、1975年11月19~21日(日本武道館)の予定だったのですが、残念でした。
そして、更に残念だったのが、この年の12月8日、ビートルズのもう一方の雄であるジョン・レノンが銃殺されてしまったことです。この事で1980年といえば悲しい印象が強く残っていますが、邦楽に目を向けるとハッピーな曲が目白押しです!
第10位 哀愁でいと
トシちゃんです。そう、たのきんトリオの1人、田原俊彦です。デビューは1978年。ブレイクするのは1979年に放送開始されたテレビ・ドラマ「3年B組金八先生」でしたね。「哀愁でいと」はそんなトシちゃんのデビュー曲です。

哀愁でいと
当時のトシちゃん人気は凄まじく、「哀愁でいと」の売上70.0万枚というのも素晴らしいですが、ファンレターの数が月間最高で18万通もあったというのですから驚きですよね。
第9位 さよなら
些細なことではありますが、「さようなら」ではなく、「さよなら」としたところが当時は新鮮でした。オフコースです。デビューは1970年。既に素晴らしい曲を発表していたとはいえ、まだまだ知る人ぞ知るといった存在でした。ブレイクしたのはやはりこの曲ですね。

さよなら
ナイーブな曲ですよねぇ。それでもって、小田和正が若い!ま、これは当然ですが。
「さよなら」は小田和正が、売れることを強く意識して作った曲と自ら語ってます。売れる曲を狙って作れてしまうというのは、考えてみればもの凄いことです。
第8位 別れても好きな人
さて、第8位となったのはロス・インディオス&シルビアの「別れても好きな人」です。ムード歌謡の傑作。今尚、デュエット曲としてカラオケの定番!ということで、感覚的にはもっと売れてるような気がします。

別れても好きな人
「別れても好きな人」は、オリジナルは松平ケメ子が歌い、続いてパープル・シャドウズ、その後にロス・インディオスなのですが、最初は男性ヴォーカル・バージョンだったのです。ロス・インディオス&シルヴィアが歌ってようやく大ヒットしたという、息の長いというか、なかなか日の目を見ることのなかった曲なんです。
第7位 おまえとふたり
アイドル、ニューミュージック、ムード歌謡ときて、第7位には演歌の登場です。なんかバランスがイイですね、1980年は。84.7万枚を売り上げた五木ひろしの「おまえとふたり」です!

おまえとふたり
1965年の「新宿駅から」でデビューした五木ひろし。ブレイクしたのは1971年の「よこはま・たそがれ」で、以降はコンスタントにヒット曲を放ち既に不動の地位を確立していましたが、「おまえとふたり」のヒットによって80年代も五木ひろし健在を見せつけることになりました。
第6位 贈る言葉
たのきんトリオと言えば、トシちゃん。トシちゃんと言えば、テレビ・ドラマ「3年B組金八先生」。その「3年B組金八先生」の主題歌「贈る言葉」が第6位にランクイン!

贈る言葉
歌ったのは海援隊。それまでの海援隊といえば、「母に捧げるバラード」。当時は一発屋というかキワモノ的な存在だったかと思いますが、武田鉄矢が役者としても活動することで活路を見出し、「3年B組金八先生」で主役の座を掴んだことで、「贈る言葉」の大ヒットに繋がったのです。
この曲、1980年代以降は卒業式の定番ソングとなった感がありますね。
第5位 順子
さぁ、長渕剛の登場です。1977年にデビューし、「巡恋歌」のヒットはあったものの、一般的な認知度としてはまだまだの状況でした。人気を不動のものとしていくのはこの年の「順子」からですね。

順子
石野真子との結婚が話題となった際に、テレビで「順子」というところを「真子」と変えて歌っていたことが思い出されます。
ファンの間では良く知られているのでしょうが、一般的には余り知られていないんじゃないかと思うのですが、この人ギターとかハーモニカめちゃくちゃ上手いんですよね。
第4位 ランナウェイ
フォーク系が続いた後はドゥワップです。う~ん、これは素晴らしい!名曲です。間違いなく名曲。第4位はシャネルズで「ランナウェイ」です。

ランナウェイ
だいたいシャネルズっていうのがシャレていますよね。なんてステキなセンス!そこへ持ってきて井上忠夫の職人技炸裂の素晴らしい曲。作詞の湯川れい子もイイ仕事してます!
第3位 大都会
第3位なのですが、これはナント言ったらいいのでしょう?ロックでいいんですかね?ロックと呼ぶには違和感がある。かと言ってニューミュージックというのとも違う気がする。1979年の世界歌謡祭でグランプリを受賞した「大都会」。歌うのはもちろんクリスタルキングです。

大都会
当時は誰もが度肝を抜かれたツイン・ボーカル。個性的ですよねぇ。その個性を最大限に活かした楽曲です。
ツイン・ボーカルということもあり、クリスタルキングは7人組。ボーカルが4人ということで先のシャネルズは10人組。大所帯を維持するというのは実に大変な事なんですよね。ヒット曲を連発しないととてもバンドは存続できないというキビシイ現実が待っているようです。そんな中、クリスタルキングもシャネルズも良く頑張りました!
第2位 異邦人
「異邦人」は久保田早紀のデビュー曲です。それがいきなりの大ヒット!三洋電機がタイアップに付いたというのが大きな要因でしょうね。

異邦人
何故そんなに恵まれたスタートを切れたのか?そうですねぇ、曲の良さもさることながら、久保田早紀の美貌はやはり無視できないですよね。
オリエンタル・エキゾチック路線、これが功を奏しました。ただ、その後は「異邦人の久保田早紀」のイメージが強すぎて、結局「異邦人」を乗り越えることは難しかったようですねぇ。結婚を機に1984年一旦音楽活動を終了しましたが、現在は久米小百合として元気に活動しています。
第1位 ダンシング・オールナイト
1980年シングル売り上げの第1位は、もんた&ブラザーズの「ダンシング・オールナイト」。4月発売と言うこともあって売上枚数は伸びに伸びてダブルミリオンです。スゴイですね。

ダンシング・オールナイト
今にして思うと何故なんだろう?という感じですが、最初にこの曲を聴いたとき、というか、もんたの声を聞いた時、「これ女性が歌ってる?」と思った人が多かったんですよ。何故そう思ったのかは、今となっては謎です。
この曲もデビュー曲ですが、シャネルズの「ランナウェイ」もクリスタルキングの「大都会」もデビュー曲なんですよね。なんと、1980年は1位から4位まで全てデビュー曲という珍しいことになりました。いや、ホントに珍しい。強力な新人を多数輩出した年だったんです。
では、1981年はどうなんでしょう?それはまたの機会に!