伊丹十三
伊丹十三。ちょっと変わった方ですね。職業はと言えば、映画監督、俳優、エッセイスト、商業デザイナー、イラストレーター、CMクリエイター、ドキュメンタリー映像作家ということになります。一般に知られるようになったのは、やはり俳優としてでしょう。
伊丹十三
多くのテレビ、映画に出演していますが、「北京の55日」や「ロード・ジム」といった海外の映画にも出ているんですよ。晩年まで俳優としての活動は続けています。しかし、80年代からは映画監督としての存在感が大きいように思えますね。伊丹十三が監督した映画作品は全部で10本。そのほとんどの作品が話題となりヒットしています。
お葬式
厳密に言うと伊丹十三が監督した作品は11本あります。最初の監督作品は、1962年の自主短編作品「ゴムデッポウ」なのですが、その時の芸名は伊丹 一三。伊丹 十三に改名したのは1967年です。ですので、伊丹 十三名義での監督作品は全部で10本。最初となる監督作品は1984年の「お葬式」です。
伊丹十三DVDコレクション お葬式
不謹慎と思われた方も多かったようです。葬式をコミカルに描くなんて。または地味と思われた方も多かったみたい。映画の題材としてですね。しかし、そうした予想を覆してこの映画は大ヒットしました。そして日本アカデミー賞を始めとして多くの映画賞を総なめにしたのです。
宮本信子や山崎努など、この後、伊丹十三作品の常連となる俳優たちが圧倒的に素晴らしいです。伊丹十三の演出も妙に細やかで、とても初監督作品(商業映画としては)とは思えない完成度です。
タンポポ
2作目を作るのは難しいと言います。1作目が大ヒットした場合は特に。伊丹十三が2作目に選んだテーマはラーメンです。1985年公開作品「タンポポ」がそれです。
前作に続いて主演の山崎努、宮本信子を中心に、役所広司、渡辺謙、更にはこの後常連となる津川雅彦、大滝秀治等がしっかりと脇を固めています。
マルサの女
今でもファンの多い「タンポポ」ですが、収益としては「お葬式」には遠く及びませんでした。となると、これからも監督を続けていけるかどうかの勝負がかかる3作目。伊丹十三にとっては非常に重要です。2年間のインターバルを経て、満を持して持ってきたのは「マルサの女(1987年公開)」でした。
マルサの女
国税局査察官、通称マルサ。ということで、今回は脱税がテーマです。伊丹十三という人はホントにテーマの見つけ方が上手い。しかもシニカルなテーマをユーモアを込めて描くんですからね。結果、「マルサの女」は「お葬式」を超える大ヒットとなりました。
また、第11回日本アカデミー賞においては、最優秀作品賞、主演女優賞(宮本信子)、主演男優賞(山崎努)、助演男優賞(津川雅彦)、監督賞(伊丹十三)、脚本賞(伊丹十三)を受賞。ほぼ主要部門を独占しています。足の不自由な男を演じた山崎努も素晴らしいですが、オカッパ頭にそばかすという奇抜な役作りに成功した宮本信子は見事です。
前作が大ヒットし、“マルサ”という言葉が一般に普及したこともあり、第2弾「マルサの女2」が1988年に公開されました。これが「マルサの女」以上のヒットとなったのですから素晴らしいです。そもそも伊丹十三が国税局査察官を主人公にした映画を撮ろうと思ったのは「お葬式」で得た収益を莫大な税金に取られたことで、税金や脱税に興味を持ったからだそうですよ。
あげまん
「マルサの女」、「マルサの女2」の成功によって伊丹十三は映画監督の地位を不動のものにしたといっていいでしょう。勢いそのままに1990年に公開された「あげまん」。“マルサ”といい、“あげまん”といい、気を引くタイトルを付けてきますよねぇ。
宮本信子、津川雅彦、大滝秀治、橋爪功に菅井きん。いつものメンバーですが、いえ、いつものメンバーであるだけに安定感があります。役にもピッタリ。伊丹十三作品はどれも理屈抜きに面白いわけですが、その秘密はキャスティングの妙にもありますね。そう言えば、伊丹十三は役者のアドリブを一切認めなかったそうですよ。
ミンボーの女
伊丹十三の6作目は1992年公開の「ミンボーの女」。ミンボー、これはまた面白いところに目を付けましたね。ちょうど「暴力団対策法」が施行された時だったので注目を集め、「マルサの女2」を上回る大ヒットとなりました。もう、伊丹十三はヒットメーカーですね。
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映画はまたしても大ヒットしましたが、事件が起こります。作品に暴力団を取り上げたことが災いしました。公開直後、刃物を持った後藤組のヤクザに伊丹十三が自宅近くで襲われ、全治3ヶ月の重傷を負ってしまったのです。それでも伊丹十三は気丈に「私はくじけない。映画で自由を貫く」と言い放ったものの、翌年公開された監督7作目の「大病人」の上映中に暴力団組員がスクリーンを切り裂くという事件も起こりました。
大病人
余命1年となった男の残りの人生をどう生きるかということをコメディを交えながら描いた1993年の「大病人」。病人です。癌なんです。シリアスなテーマを重くなりすぎないように描いているところが伊丹十三です。
死という重いテーマ。このテーマは伊丹十三が暴力団に襲われ生死を彷徨ったことと恐らく無関係ではないでしょう。
静かな生活
1995年に公開された8作目「静かな生活」は、伊丹十三作品において初めての原作ものです。原作はノーベル文学賞作家の大江健三郎による小説「静かな生活」。伊丹十三は大江健三郎にとって義兄になります。まぁ、そんな関係もあって映画化となったのでしょう。
良い作品です。渡部篤郎は日本アカデミー賞において新人俳優賞を受賞していますし、俳優陣は頑張った。しかし、障碍者というテーマがもしかすると重かったのかもしれません。商業的には大失敗。伊丹十三作品としては最低の興行成績となってしまいました。前作の「大病人」も思わしくなかったので、2作続けての失敗によって伊丹十三は追い詰められてしまいます。
スーパーの女
やはり「大病人」、「静かな生活」とテーマが重かったんでしょうか?敗北。そんな言葉が頭をよぎる程の大失敗。もう後がないということで、宮本信子を主役に据えて選んだテーマは分かりやすいスーパー再建。困ったときには宮本信子、タイトルからして彼女が主役と分かる「スーパーの女」が9作目として1996年に公開されました。
起死回生。そういって良いでしょう。「スーパーの女」は、伊丹十三最大のヒット作「ミンボーの女」とほぼほぼ肩を並べる程の大ヒットを記録したのですよ。やっぱり、この底抜けに明るい感じが良かったのではないでしょうかね。いや、伊丹十三作品は葬式だの病気だの脱税だのと、ネガティブに捉えられがちなテーマを扱ってはいても明るいんです。上質のユーモアが溢れているんです。それが受け入れられたんですねぇ。
マルタイの女
「スーパーの女」が大ヒットしたことでホッと一息つくのかと思いきや、翌年には早くも「マルタイの女」を公開します。また興味をひく上手いタイトルを付けたものですねぇ。「マルタイ」というのは警察用語で捜査や護衛の対象となる人間の事です。
ただ残念なことに、本作が伊丹十三の最後の監督作品となってしまいました。
「マルタイの女」が公開されたのは1997年9月27日。伊丹十三が亡くなったのが同年の12月20日です。死因は謎を残しつつも、ビルからの飛び降り自殺とされています。
伊丹十三作品の面白さを支えたのは個性的な俳優陣ですが、中でも宮本信子が居なかったならどの作品も成立しなかったのではないかと思われるほどです。良き女優であり、良き妻であった。最高の理解者が伊丹十三のすぐそばに居たからこそ、このような作品を作り出せたのでしょう。