柏鵬拳銃密輸事件

若羽黒 朋明

千代の山 雅信
現役横綱2名(柏戸、大鵬の両横綱)が拳銃を密輸~
発端は5月場所3日前の1965年5月6日、元大関・若羽黒の草深朋明氏が拳銃を不法所持していた上、暴力団にも売り渡していた容疑で逮捕される。
この時点で草深氏は既に協会員ではない立場であったが、事件は思わぬ方向に角界に飛び火する。
5月場所3日目にあたる5月11日、元横綱・千代の山の九重こと杉村昌治氏が拳銃1挺と実弾5発を持って出頭し取り調べを受ける。
弟子から預ったという証言し、九重部屋の現役力士が拳銃を不法所持していることが発覚。この時点では捜査当局は場所中である事を考慮し、協会による独自の調査を求めた。
協会の調査の結果、他に現役関取2名が拳銃を所持していた事が判明。それが柏戸、大鵬の両横綱であった。
両横綱とも拳銃は隅田川に捨てたと述べ、証言に基づいて捜索が行われたが、発見されなかった。6月15日、両横綱は罰金3万円の略式起訴処分を受けた。この他に元横綱・千代の山の九重、豊国、北の富士が書類送検され一応の決着がついた。
今の時代だったら間違いなく実刑でしょうね💦

柏戸 剛

大鵬 幸喜
横綱北の富士懸賞金事件

北の富士
1971年11月場所(昭和45年)横綱北の富士が暴力団関係者からの懸賞金などを受けとっていたとして戒告処分。

現在
無気力相撲

前の山
1972年3月場所(昭和47年)
大関どおしの、前の山と琴櫻の一戦は無気力相撲と判断され、両力士注意処分を受けた。
押尾川独立騒動

押尾川 (大麒麟)
1975年9月二所ノ関の後継になれなかった押尾川が反旗。
押尾川(大麒麟)が後継になるだろうと思っていたが。
ここで大鵬の後援会長である萩原吉太郎氏から待ったがかかった。
萩原氏は二所ノ関死去後は大鵬が二所ノ関を継ぐという念書が存在すると主張、一方の押尾川も後継になるべく師匠の体調面を考慮しわざわざ現役引退をしたのだからそんな話は飲めるわけがないと述べた。
押尾川は強硬手段に出た。小結・青葉山、幕内・天竜の含む16名を引き連れ東京は谷中にある瑞輪寺に籠城した。
独立問題はこの後も話し合われたが、合意には至らず9月場所を迎えた。やはり師匠のいない力士は本場所に出場出来ないので一時休戦し、力士は部屋に戻り土俵に上がった。場所中も一門内で話し合いは持たれ、小結・青葉城を含む6名の力士の移籍と部屋独立で合意が結ばれた。
トンガ力士廃業騒動

朝日山部屋
1975年九州場所前(昭和50年)
トンガから新弟子が入門してきたのは1974年10月。
きっかけは朝日山部屋後援者の娘がニュージーランドに留学し、トンガ国王の娘と知り合いになったことから始まる。
朝日山親方が1975年10月14日に亡くなる。
部屋は元小結・若二瀬の北陣が朝日山を襲名し、部屋を継いだ。ここで先代の妻と新朝日山がゴタゴタを起こしてしまった。
トンガ力士6名は先代夫妻に恩義を感じており新しい朝日山には従えないと主張し、そのまま1976年10月13日に廃業となってしまった。

二瀬山 勝語(先代の朝日山親方)
勝負審判泥酔事件

國登國生
元小結・国登の佐ノ山が泥酔。物言いの協議に参加できず
1980年11月場所12日目、序二段の取組で物言いがついたが、元小結・国登の佐ノ山が上がってこない。
泥酔で協議に加われないということはとんでもない大失態で、翌日の理事会で佐ノ山は勝負審判を解任された。
道交法違反

水戸泉眞幸
1985年(昭和60年)
水戸泉と蔵間が相次いで交通事故を起こす。
これがきっかけとなり、相撲協会は現役力士の運転を禁止した。

蔵間竜也
輪島廃業事件
元横綱・輪島の花籠が年寄株を担保に借金をし廃業
1981年3月場所途中に引退を表明。師匠の長女とも結婚していたので部屋を継ぐ準備は万全だった。引退と同時に花籠を襲名しそのまま部屋の師匠に収まった。
師匠としていきなり躓いたのは82年4月に夫人の自殺未遂騒ぎである。原因は花籠の先代遺族との金銭トラブルではないかと言われている。
さらに花籠の妹が経営していたちゃんこ店が倒産。この店の借金の担保になんと年寄名跡「花籠」を入れていた事が85年10月25日に判明。
事態を重く見た協会は九州場所中に花籠を委員から平年寄へ二階級降格に処した。借金の総額は3億円以上とも言われ、借金の返済を求めて債権者が部屋に集結し騒ぎにもなった。
琴天山が失踪
1986年7月場所(昭和61年)
期待されたカナダ人力士、琴天山が相撲界の水になじめず土俵に上がらず失踪してしまう。序ノ口、序二段、三段目でいずれも7戦全勝で優勝していたので、無敗のまま廃業となった。
力士時代の最高位は東幕下43枚目。プロレス転向後はアースクエイク、ビッグ・ジョン・テンタなどのリングネームで活躍した。
2006年6月7日、フロリダで膀胱癌のため42歳の若さで死去
北尾騒動

双羽黒光司(力士時代)
1987年12月27日、立浪との若い衆に関する意見の対立から部屋を脱走、そのまま「(破門同然の)廃業」という事態になった。
発端は、同日の夜に部屋の若い衆が「『あんなちゃんこが食えるか』と横綱(双羽黒)が言っている」と立浪に言いつけたことだった。立浪の主張によれば、ちゃんこの味付けについて立浪と大喧嘩した北尾は、仲裁に入った女将を突き飛ばし、「二度と戻らない」と言って部屋を出て行ったという。
一方、北尾自らの著書では「(ちゃんこが)美味い・不味いの問題ではなく、若い衆が料理を作れないほどたるんでいることで、(立浪)親方に再三指導するよう求めてきたが全く取り合ってもらえず、逆に親方から若い衆に謝罪するよう求められた。
それが納得できず、部屋脱走を試みるも女将が止めに入ったため、それを振り切る形で部屋を後にした。
すると親方がそれを見て『(女将に)暴力を振るった』と新聞記者を煽って大騒ぎになった」と明かしている。
南海龍 酒乱事件
1988年9月場所(昭和63年)
南海龍が酒の飲み過ぎにより休場する失態を起こす。「1晩でビール100本」「一度飲み出したら翌々日まで飲んでいた」と言われる程の大酒飲みで知られる彼は、泥酔してホテルのボーイを殴るなど度々事件を起こしており、親方や兄弟子が心配して何度も厳重注意、特に小錦は問題を起こす度に解決すべく現場に駆けつけては叱責して改善を命じ、時には張り倒して失神させて事態を収めることもしたがなかなか変わらなかった。
場所後に、師匠の髙砂親方「酒と相撲とどっちをとるんだ」の問いに「酒」と答えサモアに帰国してしまう。その後廃業。
九重親方 脱税事件

九重親方
1995年6月(平成7年)
元横綱・千代の富士の九重親方が約1億3000万円の申告漏れで修正申告に応じ追徴課税。
理事長より口頭注意をうける。
2016年7月31日(日)17時11分、東京大学医学部附属病院にて膵臓癌のために死去。61歳没。

※画像はイメージです。
貴ノ花申告漏れ事件

貴ノ花利彰
1996年9月に発覚した元大関・貴ノ花の二子山が二子山の年寄株取得の際に後援会から贈与された3億円を申告しなかったと一件である。
二子山株のもとの所有者は元横綱・若乃花(初代)である。相撲ファンならご存知だろう、若乃花は貴ノ花の実兄である。実の兄弟間で3億円ものやりとりがあるのは世間の常識と照らし合わせると尋常とはいえない。
貴ノ花の二子山は巡業部長を解任され、当たり前だがセットで元横綱・若乃花も3億円の所得の申告漏れを指摘され相撲博物館館長を辞任し、角界を去った。

若乃花幹士 (初代)
前乃森失踪事件

前乃森
幕内では5人による優勝決定戦が行われた1996年11月場所後に元小結・前乃森の山響が突如として失踪した。
翌97年の1月場所にも姿を出さず、無断欠勤。協会は1月31日に当時としては異例の解雇処分を下す。
相撲協会申告漏れ

国技館の吊り屋根と土俵
1998年6月(平成10年)
相撲協会が地方場所の経費など前年までの3年間に総額3億5000万円の申告漏れ。約1億円の追徴課税。
若貴絶縁騒動
兄弟横綱の不仲が明るみに、世間は大騒。
1998年9月1日、スポーツ紙に衝撃的な記事が掲載された。
「若乃花の相撲には基本がない。どうやって横綱の地位を守れるのか、私には不思議です。もう若乃花と話す必要はない」これは弟の横綱・貴乃花のコメントである。絶縁宣言が飛び出した。
9月9日に双子山がTV番組で「貴乃花は洗脳されている」と発言。同時に親子であり師匠と弟子なのにもう2年以上会話がないことも明らし、洗脳している人物は東京は四谷で開業している整体師と証言した。
不仲は現在も続いている。
陸奥親方 申告漏れ
1999年4月(平成11年)
元大関・霧島の陸奥親方が5年間に約2億2000万円の申告漏れ。約9000万円の追徴金。
相撲協会より6カ月間20%減給の処分。
人身死亡事故

闘牙進
2000年12月(平成12年)
闘牙が自動車人身死亡事故を起こす。理事会は翌初場所への出場辞退を勧告。師匠の高砂親方へも「役員待遇」から「年寄」二階級降格の処分。
最後に・・・
いかがだったでしょうか?
また面白そうなネタがあったらまとめてみたいと思います。
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