岩本義行(松竹ロビンス)‐1950年 打率.319・39本塁打・34盗塁

岩本 義行
岩本義行 - Wikipedia
2015年に、山田哲人と柳田悠岐の両名が達成し、その年、現代用語の基礎知識選「ユーキャン新語・流行語大賞」にも選ばれたトリプルスリー。この快挙から65年前に当たる1950年も2名のトリプルスリー達成者が誕生しています。そのうちの一人が、岩本義行です。
明治生まれのプロ野球選手として、1940年から1957年まで南海、大洋ホエールズ、東映フライヤーズなどで活躍。戦前で唯一、1試合3本塁打を記録し、また、落合博満のバッティングスタイルとして後年有名になった神主打法を最初に案出し、実践した人物としても有名です。
別当薫(毎日オリオンズ)‐1950年 打率.335・43本塁打・34盗塁

大阪タイガース時代の別当薫
別当薫 - Wikipedia
この岩本義行と同じ年にトリプルスリーを達成したのが、千葉ロッテマリーンズの前身・毎日オリオンズで活躍した大打者・別当薫です。物腰柔らかな風貌と度の強い眼鏡がトレードマークで、「球界の紳士」と謳われていました。
が、一度グラウンドに出れば、強烈な打撃力を発揮し、プロ通算10年で155本塁打・打率.302という好成績をマーク。中でもトリプルスリーを成し遂げた1950年は出色の出来で、120試合出場で、打率.335・43本塁打・105打点という実績を叩きだし、その年の2冠王に輝きました。
中西太(西鉄ライオンズ)‐1953年 打率.314・36本塁打・36盗塁

中西太
中西太 - Wikipedia
現役時代はずんぐりむっくりとしていて、どこかプロレスラーを思わせるような体型をしていた中西太も、トリプルスリー達成者の一人。4年連続含む本塁打王5回、首位打者2回、打点王3回の打撃タイトルを持ちながらも、入団から数年間は俊足“豪打”の打者として鳴らしていました。
20歳でのトリプルスリー達成はいまだ破られない史上最年少記録。引退後は監督としてよりもコーチとして手腕を発揮し、数々の球団を渡り歩いて強打者の育成に務めました。
簑田浩二(阪急ブレーブス)‐1983年 打率.312・32本塁打・35盗塁

簑田浩二
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1950~1953年で3人も達成したトリプルスリーですが、1953年の中西太を最後に、なんと30年間、誰も成し遂げられない幻の数値目標と化していました。1958年にルーキーイヤーで打率.305・29本塁打・37盗塁という惜しい成績を残した長嶋茂雄のような選手も何人かはいたものの、あと一歩のところで達成できず仕舞いだったのです。
そんな「トリプルスリー・冬の時代」を打破したのが、阪急ブレーブスで活躍した簑田浩二でした。プロ生活15年のうち、規定到達で打率3割を超えたのも、本塁打30本オーバーも2シーズンのみ。しかし、トリプルスリーの神様が微笑んだのか、そのわずかな機会が偶然にもかみ合い、結果として、巨人の長嶋や広島の山本浩二といった「走れる大打者」でもなし得なかった大記録を、1983年に達成することになるのでした。
秋山幸二(西武ライオンズ)‐1989年 打率.301・31本塁打・31盗塁

秋山幸二
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同時代に活躍した巨人のウォーレン・クロマティから「メジャーリーグでも通用する」と太鼓判を押されたファイブツールプレイヤー・秋山幸二。西武時代、豪快にホームランを放ってホームベース一周後、華麗にバク宙する姿を目の当たりにし、その運動能力の高さに驚かされたものです。
そんな完全無欠の強打者・秋山に唯一欠落していたのが、アベレージヒッターとしての素養でした。プロ通算20年で3割を超えたのは、わずか2シーズンのみ。しかも、1989年に打率.301、1996年に打率.300と、いずれもギリギリの達成です。しかし、やはり持ってる男は違います。その人生2回しかなかったチャンスをしっかりと活かし切り、1989年にトリプルスリーを達成したのでした。
野村謙二郎(広島東洋カープ)‐1995年 打率.315・32本塁打・30盗塁

野村謙二郎
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90年代最初で最後のトリプルスリー達成者が野村謙二郎です。大学時代は東都大学野球リーグでの最多盗塁記録を樹立した走塁技術と、最多安打3回・通算2000本安打を達成したミート技術により、長らく、広島東洋カープのリードオフマンの座に君臨していました。
1995年シーズン、後半戦は、腰や背中に痛みを抱えて走塁に不安を抱えながらも、なんとか10月6日のヤクルト戦で30盗塁目を達成して、史上6人目の快挙を成し遂げたのでした。
金本知憲(広島東洋カープ)‐2000年 打率.315・30本塁打・30盗塁

金本知憲
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連続試合フルイニング出場世界記録を樹立した「鉄人」として語られることの多い金本ですが、その大記録を達成する道すがらで、トリプルスリーを達成したことも記憶に留めておくべきでしょう。
当時の監督だった達川晃豊の配慮により、ラスト2試合は打席数の多い1番打者として起用され、最終戦でなんとか30号本塁打を放ち、20世紀最後のトリプルスリー達成者として歴史にその名を刻みました。
(こじへい)