中西太(1958年)
NPB史上、最も三冠王に近かった選手は、恐らくこの人でしょう。西鉄ライオンズの中西太です。現世代は、選手としてよりは、監督・コーチとして知る人が多いかもしれません。
惜しくも三冠王を逃したのは、1958年。大毎オリオンズの葛城隆雄にわずか1点及ばず、打点王を逃しました。実は、1956年にも4毛差で首位打者を逃して二冠に終わっており、1958年以前を含めると、僅差で逃した年は計4度もあります。
因みにこの年のセ・リーグでは、読売ジャイアンツの長嶋茂雄が、新人ながら首位打者、本塁打王の二冠を達成。打率も1分5厘差の2位でした。
打率 | 1位 | .314 | |
打点 | 2位 | 84点 | 1位と1点差 |
本塁打 | 1位 | 23本 |
長嶋茂雄(1961年、1963年)
惜しくも三冠王を逃した年が2度もあったのが、ミスタージャイアンツこと、読売ジャイアンツの長嶋茂雄。先述の1958年も含めれば3度になります。
1961年は、大洋ホエールズの桑田武に8点及ばず打点王を逃し、1963年は、同僚の王貞治に3本及ばず本塁打王を逃し、いずれも二冠でした。特に1963年は、9月に入った時点では本塁打もトップで三冠王が期待されていましたが、最後の最後で王に抜かれています。
1961年
打率 | 1位 | .353 | |
打点 | 2位 | 86点 | 1位と8点差 |
本塁打 | 1位 | 28本 |
1963年
打率 | 1位 | .341 | |
打点 | 1位 | 112点 | |
本塁打 | 2位 | 37本 | 1位と3本差 |
王貞治(1964年、1968年)
セ・リーグ初の三冠王といえば、世界のホームラン王こと、読売ジャイアンツの王貞治。1973年と1974年の2度達成しており、特に1973年は2位と圧倒的な差(打率は4分2厘差、打点は24点差、本塁打は14本差)で、三冠王を記録しました。
さらにすごいのが、僅差で三冠王を逃した年もあったということ。1964年は、中日ドラゴンズの江藤慎一にわずか3厘及ばず首位打者を逃し、1968年は、同僚の長嶋茂雄に6点及ばず打点王を逃し、いずれも二冠でした。
さらに、「あと5試合もあれば、三冠王が獲れていたかも!?」と考えたくなる年は他にもあります。
1965年:二冠(打点王、本塁打王)、2位(打率は1位と1分4厘差)
1967年:二冠(打点王、本塁打王)、3位(打率は1位と1分7厘差)
1969年:二冠(首位打者、本塁打王)、2位(打点は1位と12点差)
1970年:二冠(首位打者、本塁打王)、2位(打点は1位と12点差)
最後の二つの打点王は、同僚の長嶋。V9時代のONのすごさを物語るような記録です。
1964年
打率 | 2位 | .320 | 1位と3厘差 |
打点 | 1位 | 119点 | |
本塁打 | 1位 | 55本 |
1968年
打率 | 1位 | .326 | |
打点 | 2位 | 119点 | 1位と6点差 |
本塁打 | 1位 | 49本 |
加藤英司(1979年)
1958年の中西太に次いで、最も三冠王に近かった選手は、恐らくこの人でしょう。阪急ブレーブスの加藤英司です。
惜しくも三冠王を逃したのは、1979年。近鉄バファローズのチャック・マニエルにわずか2本及ばず、本塁打王を逃しました。後半は1本差でマニエルを追いかける日が続き、10月5日には35本でマニエルに追いついていました。マニエルは、前年まではヤクルトスワローズの選手。マニエルが移籍していなければ、とタラレバを考えてしまうほど、惜しかった成績です。
打率 | 1位 | .364 | |
打点 | 1位 | 104点 | |
本塁打 | 2位 | 35本 | 1位と2本差 |
イチロー(1995年)
三冠王を逃したと言って最も意外に感じる選手は、恐らくこの人でしょう。オリックスブルーウェーブのイチローです。イチローと言えば、首位打者のイメージは強いものの、比較的本塁打は少なく、打点王や本塁打王をイメージする人は少ないかもしれません。
惜しくも三冠王を逃したのは、1995年。実は、イチローは、ロッテマリーンズの初芝清、日本ハムファイターズの田中幸雄と同点タイ記録ながら、この年、打点王を獲得しています。1番打者で打点王というのも、当時のオリックスの強さを象徴するような記録です。そして、2位に圧倒的な差をつけて首位打者を獲得しましたが、ダイエーホークスの小久保裕紀にわずか3本及ばず、本塁打王を逃しました。
打率 | 1位 | .342 | |
打点 | 1位 | 80点 | |
本塁打 | 3位 | 25本 | 1位と3本差 |
松井秀喜(2002年)
2000年代以降は、比較的最近の出来事なので、さらっと振り返ります。
読売ジャイアンツの松井秀喜が惜しくも三冠王を逃したのは、2002年。中日ドラゴンズの福留孝介に9厘及ばず、首位打者を逃し、二冠に終わりました。NPB最後の年で、翌2003年、堂々たる実績を引っ提げてニューヨーク・ヤンキースに移籍しています。
打率 | 2位 | .334 | 1位と9厘差 |
打点 | 1位 | 107点 | |
本塁打 | 1位 | 50本 |
アレックス・カブレラ(2002年)
西武ライオンズのアレックス・カブレラが惜しくも三冠王を逃したのは、2002年。日本ハムファイターズの小笠原道大に4厘及ばず首位打者を逃し、近鉄バファローズのタフィ・ローズに2点及ばず打点王を逃しました。カブレラのタイトルは本塁打王のみですが、他がいずれも僅差の2位でしかも好記録。三冠王に最も近かった選手の一人と言えるでしょう。
打率 | 2位 | .336 | 1位と4厘差 |
打点 | 2位 | 115点 | 1位と2点差 |
本塁打 | 1位 | 55本 |
アレックス・ラミレス(2003年)
ヤクルトスワローズのアレックス・ラミレスが惜しくも三冠王を逃したのは、2003年。阪神タイガースの今岡誠に7厘及ばず、首位打者を逃しました。ラミレスは、首位打者1回、打点王4回、本塁打王2回のタイトルを獲得しており、いつ三冠王になっても不思議のなかった選手と言えるでしょう。
打率 | 2位 | .333 | 1位と7厘差 |
打点 | 1位 | 124点 | |
本塁打 | 1位 | 40本 |
松中信彦(2005年)
ダイエーホークスの松中信彦は、2004年に三冠王を達成。実は、翌2005年は、惜しくも三冠王を逃しており、獲得していれば、王貞治、落合博満、ランディ・バースに比肩する、2年連続の三冠王となるところでした。この年は、同僚の和田一浩に7厘及ばず首位打者を逃し、二冠に終わっています。
打率 | 3位 | .315 | 1位と7厘差 |
打点 | 1位 | 121点 | |
本塁打 | 1位 | 46本 |
ウラディミール・バレンティン(2013年)
2013年に、NPBのシーズン最多本塁打60本を記録したのが、ヤクルトスワローズのウラディミール・バレンティン。実はこの年、本塁打王だけでなく、三冠王も目前でした。打率、打点ともに、DeNAベイスターズのトニ・ブランコに3厘、5点及ばず、三冠王を逃しています。首位打者、打点王の二冠を獲得したのはブランコで、バレンティンは本塁打王のみでしたが、本塁打はブランコに19本も差をつけており、一番近かったのはバレンティンと言えるでしょう。
打率 | 2位 | .330 | 1位と3厘差 |
打点 | 2位 | 131点 | 1位と5点差 |
本塁打 | 1位 | 60本 |
山田哲人(2015年)
ヤクルトスワローズの山田哲人が惜しくも三冠王を逃したのは、2015年。同僚の川端慎吾に7厘及ばず首位打者を逃し、同僚の畠山和洋に5点及ばず打点王を逃し、リーグ制覇を果たしたヤクルトの選手で三冠を分け合う形になりました。
その一方で、この年初めてトリプルスリー(打率.329、38本塁打、34盗塁)を達成。本塁打王、盗塁王のタイトルも獲得しており、三冠王に匹敵する成績を残しています。
打率 | 2位 | .329 | 1位と7厘差 |
打点 | 2位 | 100点 | 1位と5点差 |
本塁打 | 1位 | 38本 |