開催国が内紛の危機をはらんでいた1984年のサラエボオリンピック

サラエボのメイン会場
サラエボ、イェーテボリ(スウェーデン)、12年ぶり2度目の開催を目指す札幌(日本)の3都市が立候補し、終盤まで激しい誘致合戦が繰り広げられた。既存の施設がほとんど利用できるとされた札幌が一時は最有力とも伝えられ、実際IOC委員による第1回目の投票では最も多い票数を獲得していたが、結局、大会会場をコンパクトに集約したサラエボが決戦投票で逆転し開催権を獲得した。旧ユーゴスラビアは当時共産圏に属していて、共産圏では初めて冬季オリンピックが開催されたことになる。
このオリンピックでは北沢欣浩(スピードスケート男子500m)が唯一日本人で銀メダルを獲得している。(大本命の黒岩彰が敗退!!)
大会後に勃発したユーゴスラビア(ボスニア・ヘルツェゴビナ)紛争でメインスタジアムなど多くの競技施設が破壊され、墓場になった場所まであった。破壊された施設は戦後に再建されたものもあるが、大半の競技場が放置され現在も廃墟と化している。
サラエボオリンピックと言えばこの人でしょう!?
ところで、サラエボオリンピックのテーマ曲ってなんだったけ??
実はヤドランカは日本とも”深~い”関係があった!!

Hvala(フヴァーラ~ありがとう) ヤドランカ・ベスト
商業主義がまかり通ったロサンゼルスオリンピック!!

1984年ロサンゼルスオリンピックのメイン会場
開催するために必要な費用は、普通は公的資金で賄われるのが当たり前であったが、このロスの大会では、
1.テレビ放映料とテレビ放映権の大幅な吊上げ:それまでの常識を超える金額を提示
2.スポンサー協賛金の高騰:スポンサーは1業種1社にしぼり、合計で30社と数を減らして
価値を高めた。ロサンゼルス五輪のマークを自由に使える、というのが条件だった。コカ・
コーラとペプシ・コーラが激しいスポンサー争奪を演じ、他業種もスポンサーに次々に名
乗りを上げ、高額の協賛金が集まった。
3.入場料収入
4.記念グッズの売上など・・・
その徹底ぶりは、聖火ランナーからも参加費を集めるなど、増大する運営経費と商業主義が話題となる。
また、ロス大会の話題として、モスクワ大会の報復として、ソビエトや東欧諸国など16の国と地域が参加をボイコットしたのも記憶に残っている。
競技の話題としては、アメリカのカール・ルイスが陸上で4冠王となったこと、男子体操で、具志堅幸司が個人総合優勝。森末慎二が鉄棒で10点満点を出して優勝したこと、また、柔道・無差別級で、山下泰裕が2回戦で負った右足のケガをおして優勝を遂げたことだろう。
総合的に見ると、アメリカが221種目中83個の金メダルを獲得したが、これは東側諸国の不参加によって起こった異常事態であると見るべきであろう。また、日本は10個の金メダルを獲得した。
スターウォーズがロス大会を侵略し始めた!!
ロス大会の開会式でロケットマンが登場したのは記憶に新しいが、何とロス大会のテーマ曲とファンファーレをあの「スターウォーズ」で音楽監督として辣腕を揮った”ジョン・ウィリアムス”が作曲し世界的に有名になったのだ。
スピードスケート競技が初めて屋内で実施され、記録ラッシュに沸いたカルガリーオリンピック!!

Canada olympic park summer 2005
女子フィギュアでサラエボに続きカルガリーでも金メダルを掴んだカタリナ・ヴィット
カタリーナ・ビット/1988 カルガリー五輪 フリースケーティング - YouTube