1979年(ダイアナ元妃18歳時)王室のサンドリンガム邸で開かれたパーティにスペンサー伯爵家令嬢たちが招かれ、ダイアナ妃も参加しています。そこで、それまで子どもだったと思われていたダイアナ元妃が美しい女性になっていることに皆驚き、チャールズ皇太子とは、得意のダンスで意気投合、すぐに付き合うまではいかなかったものの、頻繁にダンスをしようと誘われる仲になります。
その頃、チャールズ皇太子は、現王妃のカミラ夫人と付き合っており、カミラ夫人が別の男と結婚したのちも関係が続く不倫状態だったらしい。
チャールズ皇太子は、自身がマウントバッテン卿の死を悲しんでいると、ダイアナ妃が「貴方の寂しさは理解できるし、貴方には誰かが必要だ」と言って慰め、その言葉に心を打たれたチャールズ皇太子は、本気でダイアナ元妃を結婚相手として考えるようになり、カミラ現夫人も反対しなかったため、本気になったとされています。
チャールズ皇太子との婚約
1980年(ダイアナ元妃19歳時)には、チャールズ皇太子との恋仲が始まっていたダイアナ妃。すぐにマスコミにもバレてしまい、プライベートもないような息が詰まる生活が始まってしまいます。
婚約後も、慣れない王室のしきたりや息苦しさ、更にはチャールズ皇太子とカミラ現夫人の中も知ることとなり、ストレス過敏となり、激やせをしてしまうほどになってしまいます。
ただ、チャールズ皇太子は、「貴女はいつの日か王妃となるのだ」と述べ、真剣にプロポーズをしていることをダイアナ元妃にアピールしたとされています。
結婚式
1981年(ダイアナ元妃20歳時)にはとうとうチャールズ皇太子との結婚式を迎え、王妃になります。結婚式前夜からイギリス中がお祭り騒ぎとなり、12,000発の花火で結婚を祝いました。二人が通るところには、イギリス国民が国旗を振りながら「ダイ(ダイアナ)万歳!チャーリー(チャールズ皇太子)万歳!」と大歓声をあげていました。
ちなみに新婚旅行は、エーゲ海と地中海のクルージングでした。
ウィリアム王子とヘンリー王子の誕生
1981年には第一子となるウィリアム王子を、1984年には第二子となるヘンリー王子が誕生します。二人とも、今までの風習とはことなり、一般人と同じ民間の病院で産み、育て方も極力民間人に近い形で色々と学ばせたと言われています。チャールズ皇太子も、いままでにはなかった公務を減らしてまで子育てを手伝う良きパパとなっていました。
別居そして離婚へ
ヘンリー王子を生んだ直後の1984年の頃から既に二人の仲は冷めきってしまっており、1992年には合意の元、別居生活を開始。1996年には正式に離婚を発表しています。
離婚後も、エイズ問題をはじめ、ハンセン病問題、地雷除去問題など国際慈善事業を積極的に行い、ダイアナ元妃人気は冷めることがありませんでした。
来日、空前のダイアナ妃フィーバー
離婚する前の1986年には初の来日を果たしており、気品漂うまさに王妃のお姿に、日本国民は皆、恋に落ち、空前のダイアナ元妃フィーバーが巻き起こります。
多くの人がダイアナ元妃のファッションに近づこうと努力をし、憧れのファッションリーダーとなっていました。