ダイアナ妃ブームなどヒストリーを顧みる
今も、その気品ある美貌が記憶の中に鮮明に残っている人も多いのではないでしょうか?ダイアナ妃こと英国元王妃です。男性の心を掴んだだけではなく、女性にとっても憧れの存在だったダイアナ妃。彼女の波乱万丈ともいえるヒストリーを顧みてみましょう。

ダイアナ妃 プロフィール

氏名:ダイアナ・フランセス(Diana Frances)
生年月日:1961年7月1日
出生地:イギリスイングランド ノーフォーク地方
父親:第8代スペンサー伯爵エドワード・スペンサー
兄弟:姉(ジェーン)、姉(セーラ)、弟(チャールズ)
母親;フランセス・スペンサー
身長:178cm
血液型:A型
イギリスで500年の歴史がある名門貴族スペンサー伯爵家の令嬢として生まれた生粋のお嬢様。両親の結婚式には、後に義母となるエリザベス女王も出席したほどです。その頃の邸宅は王室から借りていた豪邸に住んでおり、皇太子との出会いは、出会うべきして出会った運命だったのかもしれませんね。
幼少期
6~7歳くらいには、早くもファッションに目覚めており、まるでファッションモデルのようなポージングをして写真に写っているものも多数。既にファッションリーダーの素質が芽生え始めている!?
当時のダイアナ元妃は、「幸せな結婚を手に入れ、大きな家族を持つこと」だったとか。果たして、その夢は果たせたのでしょうか?
学生時代

ダイアナ元妃、12歳のときに、2人の姉とともに、ケント州のウェスト・ヒース学校に入学。入学と同時に親元を離れなくてはならず、父親に「私のことを本当に愛していたら、ここに置いて行ったりしないわ」と言ったとか。姉より、弟と仲が良かったこともあり、またまだ12歳と幼い事もあってか、本当に嫌だったのかもしれませんね。
学業成績は、あまり褒められるものではなく、勉強よりスポーツのほうが好きな女の子でした。ただ、読書は好きで、イギリスの有名作家、バーバラ・カートランドの恋愛小説に熱中しており、勉強もサボって読んでいたほどでした。
この頃から身長が急激に伸び始め、180cmに達するほどに。そのため、これまで打ち込んできたバレリーナを諦めざるを得なかった。
また、学生時代には、不仲になっていた両親が離婚。このあたりもDNAを受け継いでいるのかもしれません。新たに継母になったダートマス伯爵夫人は、ダイアナ元妃を含む、子供たちを嫌っており、かなりの不仲だったらしい。
チャールズ皇太子との出会い

1977年(ダイアナ元妃16歳時)には、英国王室が主催をしている競馬(ロイヤルアスコット開催)で、チャールズ皇太子と運命の出会いを果たします。ただし、出会ったのはダイアナ元妃ではなく、姉のセーラ。チャールズ皇太子と恋仲となったのはセーラで、お姉さんの彼氏としてダイアナ元妃とチャールズ皇太子は初対面に出会っていたのです。チャールズ皇太子はダイアナ元妃に抱いた印象は、「陽気で明るいティーンエイジャー」という程度でした。
また、その頃、進学は断念し、花嫁修業のため、良家子女のための花嫁学校アルパン・ヴィデマネット学院に入っています。
チャールズ皇太子とセーラの別れ

一方、チャールズ皇太子とセーラの恋は、あっけなく終焉となります。理由ははっきりしていませんが、なんでもセーラが「私は愛していない男性とは結婚しません。例え相手がクズ屋でもイギリス国王でもね。もし彼が求婚してきても断るでしょう。」とマスコミに答え、それを知ったチャールズ皇太子が傷ついたと言われています。
ダイアナ妃は、継母との暮らしは嫌で、ロンドンでの一人暮らしを、父親の反対を押し切り始めることになります。そこでは、料理学校に通ったり、ダンス講師を夢見て、それに向かった職業を目指したりしています。異性関係は言い寄ってくる男性は多かったものの、誰とも恋仲までにはならなかったとされています。
チャールズ皇太子との交際

1979年(ダイアナ元妃18歳時)王室のサンドリンガム邸で開かれたパーティにスペンサー伯爵家令嬢たちが招かれ、ダイアナ妃も参加しています。そこで、それまで子どもだったと思われていたダイアナ元妃が美しい女性になっていることに皆驚き、チャールズ皇太子とは、得意のダンスで意気投合、すぐに付き合うまではいかなかったものの、頻繁にダンスをしようと誘われる仲になります。
その頃、チャールズ皇太子は、現王妃のカミラ夫人と付き合っており、カミラ夫人が別の男と結婚したのちも関係が続く不倫状態だったらしい。
チャールズ皇太子は、自身がマウントバッテン卿の死を悲しんでいると、ダイアナ妃が「貴方の寂しさは理解できるし、貴方には誰かが必要だ」と言って慰め、その言葉に心を打たれたチャールズ皇太子は、本気でダイアナ元妃を結婚相手として考えるようになり、カミラ現夫人も反対しなかったため、本気になったとされています。
チャールズ皇太子との婚約
1980年(ダイアナ元妃19歳時)には、チャールズ皇太子との恋仲が始まっていたダイアナ妃。すぐにマスコミにもバレてしまい、プライベートもないような息が詰まる生活が始まってしまいます。
婚約後も、慣れない王室のしきたりや息苦しさ、更にはチャールズ皇太子とカミラ現夫人の中も知ることとなり、ストレス過敏となり、激やせをしてしまうほどになってしまいます。
ただ、チャールズ皇太子は、「貴女はいつの日か王妃となるのだ」と述べ、真剣にプロポーズをしていることをダイアナ元妃にアピールしたとされています。
結婚式

1981年(ダイアナ元妃20歳時)にはとうとうチャールズ皇太子との結婚式を迎え、王妃になります。結婚式前夜からイギリス中がお祭り騒ぎとなり、12,000発の花火で結婚を祝いました。二人が通るところには、イギリス国民が国旗を振りながら「ダイ(ダイアナ)万歳!チャーリー(チャールズ皇太子)万歳!」と大歓声をあげていました。
ちなみに新婚旅行は、エーゲ海と地中海のクルージングでした。
ウィリアム王子とヘンリー王子の誕生
1981年には第一子となるウィリアム王子を、1984年には第二子となるヘンリー王子が誕生します。二人とも、今までの風習とはことなり、一般人と同じ民間の病院で産み、育て方も極力民間人に近い形で色々と学ばせたと言われています。チャールズ皇太子も、いままでにはなかった公務を減らしてまで子育てを手伝う良きパパとなっていました。
別居そして離婚へ
ヘンリー王子を生んだ直後の1984年の頃から既に二人の仲は冷めきってしまっており、1992年には合意の元、別居生活を開始。1996年には正式に離婚を発表しています。
離婚後も、エイズ問題をはじめ、ハンセン病問題、地雷除去問題など国際慈善事業を積極的に行い、ダイアナ元妃人気は冷めることがありませんでした。
来日、空前のダイアナ妃フィーバー
離婚する前の1986年には初の来日を果たしており、気品漂うまさに王妃のお姿に、日本国民は皆、恋に落ち、空前のダイアナ元妃フィーバーが巻き起こります。
多くの人がダイアナ元妃のファッションに近づこうと努力をし、憧れのファッションリーダーとなっていました。
パリで交通事故死
悲劇が起こったのは、1997年(ダイアナ妃36歳時)、人生で唯一愛した男性と言われているドディとのフランス旅行の際、パパラッチに追走を受け、交通事故死をしてしまいます。当時、まだウィリアム王子15歳、ヘンリー王子12歳の時でした。
まとめ
「ダイアナ妃ブームなどヒストリーを顧みる」をテーマにお届けしました。いかがでしたでしょうか?ダイアナ元妃の死から早30年余り経った今、キャサリン夫人は、ダイアナ元妃と同じ病院を選び、国民の前に出る時のファッションもダイアナ妃をオマージュしていたと言われていて、ダイアナの心は確実に今受け継がれています。