美輪明宏の生い立ち
美輪明宏は、1935年(昭和10年)5月15日、長崎県長崎市に、5人兄弟(兄と姉と弟)の次男として生まれた。父の作一は、当時長崎市内にあった遊郭街「丸山遊郭」で、カフェーを経営していた。
本名は、丸山 明宏。1971年までは本名の丸山 明宏名義で活動していた。

三島由紀夫が絶賛した美少年・美輪明宏

この時期には三輪の実家のカフェーは廃業して、金融業を営んでいた。
しかし、経営状態が悪化していき、後に美輪明宏は学校を中退することになる。
1951年(昭和26年)美輪明宏は進駐軍のキャンプでプロ歌手としてのキャリアをスタートした。

美輪明宏と「ヨイトマケの唄」

放送禁止歌「ヨイトマケの唄」

1975年に発表された、美輪明宏のオリジナル・アルバム「白呪」のHQCD版にも「ヨイトマケの唄」は、収録されている。
「ヨイトマケの唄」の歌詞にふくまれる「ヨイトマケ」「土方」「ヤクザ」などの言葉が、「要注意歌謡曲指定制度」に抵触するとして、「ヨイトマケの唄」は、「放送禁止歌」とされていた。

ヨイトマケを使った土木作業
ヨイトマケの唄 美輪明宏(丸山明宏) cover:伸[nobu] - YouTube
力を入れる時の掛け声「エンヤコーラ」
個人的には、力を入れる時の掛け声の「エンヤコーラ」という言葉は、昭和の時代の運動会の時の綱引きで「お~~エス」と言う時に頭にうかんだものだ。
「ヨイトマケの唄」はイメージ的に炭鉱夫と思っていた。
高度経済成長の時期に日本の経済は飛躍的に成長を遂げた。
ヨイトマケは、いつごろまで使われていたのだろうか?
父ちゃん、母ちゃんのために「エンヤーコラ」と働いていた、当時の作業員のことを思う。
紅白歌合戦に初出場を果たした美輪明宏が「ヨイトマケの唄」を歌う
美輪明宏 ヨイトマケの唄 歌詞
「麗人」美輪明宏・36歳
36歳美輪明宏の名言
”雰囲気商売でしょ?
自分の1 m 四方に何かロマンが必要
贅沢で飾っているんじゃなくって
クラシックを聴いたり
そういう雰囲気っモノを身につけておいて
それをお客さんに買っていただく
つまり資本投下のようなもの ”
美輪明宏
美輪明宏「 オーラの泉」

美輪明宏の名言や格言に心が洗われる。
美輪明宏の人生にまつわる深みのある名言や格言に心が洗われる。
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