「徹子の部屋」は、1976年2月2日から放送開始。
、毎週、月~金のお昼に放送。
1976年から1989年まで14年連続で、「主婦の選んだテレビパーソナリティーNO.1」に選出。
2011年4月27日には放送8961回を迎え、「同一の司会者による番組の最多放送回数記録」としてギネス世界記録に認定。
2015年5月27日には放送10000回を突破した。
毎回、ゲスト(徹子いわくお客様)を招いて対談をするトーク番組で、出演者は、司会者の黒柳徹子とゲスト出演者(複数、大人数もあり)のみ。
番組開始当時、徹子は42歳で人生の半分以上をこの部屋に捧げている。
ゲストとの会話はスタジオセットのソファに座って行われる、
黒柳とゲストの間に置かれている生け花は、フラワーコーディネーターが、ゲストや衣装を考え、毎回取り替え。
衣装は、すべて徹子が選んで用意していたが、放送8000回を超えた頃、スタイリストが用意した衣装も着るようになった。
しかし髪型は、ずっと「タマネギヘア(たまねぎ頭)」
38歳のときに
「マリー・アントワネットのような髪型
「着物と洋服、どちらにも似合う髪型」
というコンセプトで開発した「徹子のヘア」だが
「子供たちに会ったときにプレゼントするため」
とキャンディーを入れたり、大事な書類や海外へ行くときにパスポートも入れるなど収納スペースとしても活用。
徹子の部屋でもキャンディーを取り出しゲストにあげることもあった。
徹子やゲストの姿勢や衣装が崩れないように、ソファの上にはベニヤ板が置かれている。
机には飲み物の他にメモがある。
これは番組ではなく徹子お手製の「ゲストメモ」
まず担当ディレクターがゲストに話を聞き、その話を徹子が1時間くらいかけて聞き、A6サイズのメモ用紙に2Bの鉛筆でメモ。
本番の日、エピソードごとに分けて書いた数枚のメモを大きな画用紙に
「この話はこっちかな」
「これはこっちかな」
「この話はこっちにもってきたいけど大丈夫か」
と張っていき、それをみながらスタッフと最終的な打ち合わせ。
こうしてが完成したゲストメモを机の上に置いて番組を進めていく。
収録は、放送の約1~2か月前、毎週月、火の2日間で1週間分を撮るため、1日3人を撮影。
徹子は、その1人1人にゲストメモをつくり、本番では3人×30分のトークを台本なし、編集なしで行う。
たくさん撮って録画編集して、いいところだけを放送することは
「ゲストの方に失礼だ」
と生放送にこだわり
「一切編集をしない、ほぼ生放送の状態だから皆さん本心を話してくれるんでしょう」
といっている。
徹子の父は、NHK交響楽団のコンサートマスター(指揮者)でヴァイオリニストの黒柳守綱。
若い頃、天才ヴァイオリニストと呼ばれ、21歳でNHK交響楽団のコンサートマスターとなるとミスをした団員をにらみつけ
「みんな死に物狂いで弾いているのに、なんで間違えるんだ」
と怒ったり、自宅にレッスンを受けに来ていた生徒が帰り際、玄関で
「先生、今日は天気がいいですね」
というと
「今、君が考えなければならないのはヴァイオリンのことであって天気のことじゃない。
そんなことどうだっていいじゃないか」
と怒って
「怖い」
と恐れられた。
徹子は
「ヴァイオリンに関しては鬼だった」
という父親からクラシック音楽の大変さを知った。
「作曲家の人生って結構悲惨で、ベートーベンは途中で耳が聞こえなくなって自殺を考えたり、モーツァルトも随分貧しい生活を送ったようで、最後は無名墓地。
それでも命を削るようにして素晴らしい曲を残したんです。
だからこそ受け継がれてきて、クラシック音楽というのは永遠なんでしょう。
クラシックがさらに贅沢なのは、作曲家だけでなく演奏家の方もプロになるまですごく時間とお金がかかっていることね。
世界の有名な楽団に所属している演奏家はみんな幼い頃からちゃんとした先生について、そこから留学したり、コンクールで勝ち抜いたりしているわけです。
そういう選りすぐりのプロの人たちの演奏が悪かろうはずがない。
たくさんの人が集まって1つの曲を呼吸と心を合わせて演奏する。
それだけでも素晴らしいのに、目の前で起こっていること以外にも作曲家や演奏家のたくさんの時間の積み重ねがあるのがクラシックなのです」
東洋音楽大学(現:東京音楽大学)、そしてNHK放送劇団と進み、日本のテレビ放送開始に立ち会いながら、俳優、声優、司会者として仕事をこなしてきた徹子は、芸事には非常に厳しい目を持っていた。
当初、徹子の部屋は、伝統芸能やバラエティ番組に出演しないような硬派な歌手、俳優を中心にゲストをキャスティングし、徹子は相手をリスペクトし、思いやりのある優しいトークを展開していた。
しかし番組がテレビ朝日宣伝部と連携すると、カジュアルな俳優や歌手も出演し始めた。
そして田原敦子プロデューサーが
「お笑い芸人の方も呼びましょう」
というと徹子は
「いろいろな人のVTRをみたけど、面白くない。
笑えない」
と消極的だった。
徹子にとってお笑いいといえば、落語や漫談であり、どこが面白いのかわからないお笑い芸人は呼びたくなかった。
しかし田原敦子プロデューサーは
「じゃあ、笑えないということをゲストに直接いってください」
といった。
そしてイザッお笑い芸人をやってくると徹子は不思議な化学反応を起こし「徹子の部屋」は爆発的に視聴率を伸ばした。
ゲストに対して常に優しく穏やかに語りかけていた徹子が、間寛平の
「かい~~の」
に対し
「どこがかゆいんですか?」
「それが芸なんですか?」
アンガールズに
「どこで拍手すればいいんですか?」
タカアンドトシを
「面白くない芸人の方」
と紹介したり、ゆりやんレトリィバァに
「笑わせるところなの?」
数々のボケを
「ああ、そうですか」
とマジメに、素直に、そっけなく返し、瀕死に追いこみ
「芸人殺し」
「芸人キラー」
と呼ばれるようになった。
1975年8月30日、タモリが「マンガ大行進 赤塚不二夫ショー」でテレビ初出演。
たまたま番組をみていた徹子は,すぐに赤塚不二夫に電話。
「今日、出ていた、誰?
すごいじゃない」
その後、タモリは黒柳徹子の番組で2回目のテレビ番組出演を果たした。
「今でも覚えています。
あのとき電話のすぐ横にいたんです。
赤塚さんから黒柳さんがお前のことみて、おもしろいから番組に出てほしいっていってるよって、その場でいわれたんですよ」
(タモリ)
ジャズをするために浪人をしながら早稲田大学に進んだタモリは、学費未納で退学。
数年後、福岡県で喫茶店のマスターをしていたタモリは、博多で行われたジャズコンサートを観に行き、公演後、渡辺貞夫のマネージャーをやっていた大学の友人と一緒にホテルで飲んでいた。
午前2時頃、家に帰るために部屋を出ると、ドンチャン騒ぎする声が聞こえた。
それは山下洋輔(ピアノ)の部屋で、ドア越しに会話を聞いて
「こいつらとは気が合う」
と思ったタモリがドアを少しだけ開けて中をうかがうと浴衣姿の中村誠一(サックス)が頭に籐のゴミ箱をかぶって虚無僧となって歌舞伎口調で奇声を上げていた。
「俺の出番だ」
とっさに思ったタモリは、
「ヨォ~」
と歌舞伎口調で部屋に乱入し、ゴミ箱を奪ってかぶって踊った。
気がつけば4時になっていてタモリはあわてて帰った。
東京に戻った山下洋輔が新宿ゴールデン街のバー「ジャックと豆の木」で
「九州にモリタというすごいやつがいる」
と話すと「伝説の九州の男・モリタを呼ぶ会」が発足された。
タモリは新幹線代をもらって7年ぶりに上京し、ジャックと豆の木で様々な芸を披露。
以後、月1回上京し、呼ぶ会メンバーの家に泊まりながら、毎晩、新宿で
「めちゃくちゃのためならなんでもする」
といって芸を披露した。
何度目かの上京のとき「ジャックと豆の木」に来た赤塚不二夫に
「君はおもしろい。
お笑いの世界に入れ。
それまでは住むところがないから、私のマンションに居ろ」
といわれ、家賃17万円、4LDK、冷暖房完備のマンションに、飲み放題、食べ放題、服着放題、ベンツ450SLC乗り放題、30万円の小遣い支給という超好条件で居候を開始。
赤塚はまったく家に帰って来ず、
「別に住むところがあるんだろう」
と思っていたが、優しい赤塚は仕事場のロッカーを倒してベッド代わりにして泊まり、どうしても必要なものがあるときは
「今から行っていい?」
とお伺いを立ててから取りに帰った。
居候を始めて半年後、赤塚が仕事場で寝泊まりしていることに知ったタモリは
「もう出ます」
といおうと思ったが
「せっかくの好意がグチャグチャになっちゃあ居候道に反する」
と思い直し、福岡に残していた妻を呼び寄せ、2人で居候を続けた。
その末に「マンガ大行進 赤塚不二夫ショー」でテレビ初出演したのである。
1977年8月11日、まだ無名のタモリが「徹子の部屋」に初出演。
翌1978年から2013年まで、「徹子の部屋」の年末最後の放送回のゲストはタモリ。
前述のように、まだお堅い人しか出ていなかった「徹子の部屋」において唯一の笑い芸人だったが
・イグアナ
・産まれたての仔馬
・コンドルの着地
・久米明のものまね」
・ベッドシーンの外国人
・北京放送
・ペ・ヨンジュンのものまね
・各国のサンタクロース
・各国のおばさん
・4カ国語麻雀(ベトナム人が中国人の捨てた牌に『ロン』といい、中国人が『チョンボ』とクレームをつけ、アメリカ人が仲裁し、それを後ろから見ていた田中角栄が口を出して乱闘に発展する)
・明日の農作業の時間
・肥前ナイロビ・ケニヤ線乗換え
などの新宿ゴールデン街で恐れられた「恐怖の密室芸」や
・マヨネーズ石狩鍋
・たくあんを洗った水で作ったクリームソーダ
・チョコレートしゃぶしゃぶ
・あんこ鍋
などゲテモノ料理を作って2人で食べた。
1984年3月14日、黒柳徹子が「笑っていいとも!」に出演。
「久米さんが自分が翌日のゲストだろうと思って電話を待っているだろうけど、呼ぶのは久米さんじゃない」
といってそれを伝えるために久米宏に電話をするなど番組の進行を完全に無視し、通常、約15分のテレフォンショッキングで43分間しゃべり続け、レギュラーコーナーを1つ潰した。
21年後、2005年12月16日にも同コーナーでも39分間しゃべり続けた。
1991年、ダウンタウンが「徹子の部屋」に出演。
後に2人は
「ひとりで喋ってるだけやもん!
違うんです!
テーブルいっぱいの我々の資料があって『あなたたちは、このとき、こうしてこうしてこうして、こうしたんですよねー』っていわれたら・・・」
(浜田雅功)
「はいっていうしかない。
テーブルに般若心経みたいに(自分たちの情報が)書いてあるし」
(松本人志)
と出演時の雰囲気を表現し、笑いをとった。
2003年2月3日、俳優の小沢昭一が13回目の出演。
1回目の出演時に
「セーラー服が好きだ
あなたがセーラー服を着て、僕が学生服を着る」
という小沢のアイデアを聞き入れ、徹子がセーラー服を着たのをきっかけに
2回目 「 国民服」
3回目 「老後の茶飲み友達」
4回「パイロットと客室乗務員」
5回「医者と看護婦」
6回「神主と巫女」
7回「コックとウェイトレス」
8回「新郎新婦」
9回「クレヨンしんちゃんとセーラームーン」
10回「おひなさま」
11回「茶髪少年とガングロ」
12回「大国様と白うさぎ」
とテーマを決めて2人でコスプレ。
13回目、徹子は「セックスシンボル」といわれていたメイ・ウエストに扮し、ドレスの胸元をめくり右のバストを露出。
「これは自分のだったら出せないですけども」
と特殊メイクで作られたものであることを明かした。
2005年9月9日、「ヨン様」ことペ・ヨンジュンが「徹子の部屋」に出演。
普段、あまりゲストをリクエストしない徹子だが、韓国ドラマ「冬のソナタ」をみて大ファンになってしまい
「どうしても会いたい」
と強く希望。
ヨン様人気があまりにもすごいため、スタッフが混乱を避けるために楽屋に名前を書くべきか、書かないべきか話し合っていると、徹子が
「永六輔って書いときましょう」
と提案。
「徹子の部屋」は3本撮りなので、他の2人のゲストは自分たち以外のもう1人は永六輔だと思ったいた。
そして番組は、昨日が誕生日だったというペ・ヨンジュンに大きなケーキを用意。
タキシードを着てスタジオに入ったペ・ヨンジュンを、韓国の民族衣装を着た徹子が
「♪ハッピーバースデートゥーユー♪」
と歌ってお出迎え。
そして徹子が
「あの、みんなに分けたいので・・・一緒にケーキカットしてもいいですか?」
というとペ・ヨンジュンは優しい笑顔で応じ、右手でナイフを持って左手で徹子の肩を抱いた。
「えっ、こう?」
徹子はニヤけながら、ペ・ヨンジュンの右手を両手で包むようにしてナイフに添え、ケーキを切った。
ペ・ヨンジュンは、切り分けられたケーキをスタッフにも配ろうとした。
2005年10月6日、「徹子の部屋」にキングコングが出演。
「いろんなことがありますけれど、まあハンドボール部のキャプテンだったとかね」
という徹子に
「ああ、そうなんで・・」
と西野亮廣が応じようとすると
「それはいいです」
と遮断。
「ちょっと・・・」
ツッコんんでくる西野を
「ハンドボールのキャプテンですごいじゃない。
はい、結構です」
と再びカット。
「結婚したんですよ」
と仕事を休んでいる間に結婚したという梶原雄太に対しは
「それからすぐ離婚したんだって、アナタ?」
と笑いながら質問。
笑いすぎて両手で顔を押さえる徹子に
「なにがおかしいんですか?」
梶原はキレ気味にツッコんだが、笑いすぎたせいか徹子の耳からイヤリングが落下し、逆に爆笑してしまった。
2006年5月5日、「徹子の部屋」にゴリエ(ガレッジセール、ゴリ)登場。
徹子のリクエストで「ペコリナイト」をアカペラで歌い、踊った。
徹子は腰を振る動きを
「げっひ~ん!」
といいながら、大喜びで2人で一緒に腰を振った。
ゴリエに
「黒柳さんはペリーの黒船来航の際に通訳を買って出たというのは本当ですか?」
と聞かれ
「見たかもしれない」
と否定せず、と答えている。
「世界・ふしぎ発見!」に初回から解答者として毎回出演し
「みんな回答が遅いから収録が延びて、この26年間、収録後に人に会えなかった。
だから私の婚期が遅れているの。
いつも番組で新婚旅行先はどこがいいか考えていたのに」
といったり板東英二に
『お母さん』
と呼ばれて
「年齢はあまり変わらないのに。あなたのような子供を産んだ覚えはない」
と答えたり、番組キャッチコピー「アタマもはしゃぐサタデーナイト」にたがわぬトークを展開。
野々村真の21.9%をはるかに上回る59.4%という東大卒の草野仁も驚く驚異的なクイズ正解率を誇り
「黒船をみた女」
といわれていた。
2007年2月1日、ゲストの清水ミチコが徹子の席に座り、翌日2月2日もさだまさしが徹子の席に座って、ゲストとなった徹子の幼い頃からの足跡をたどる特別企画が行われた。
画面タイトルはちゃんと
「ミチコの部屋」
「まさしの部屋」
に差し替えられ「まさしの部屋」ではテーマ曲も、さだが歌った。
2007年6月、「徹子の部屋」にタキシード姿の村上ショージが出演。
オープニングでいきなり
「ウェルカム、腕噛む、どこ噛むねん」
と得意の3段落ちをブチかましたが不発。
徹子はうなずき、
「で、あの、えー別にウケなくても、スベっても、スベリ芸というものを開発なさいまし・・・フフフフフフ、もう笑っちゃいます。
楽しみにしてます。
村上ショージさんでーす」
と紹介。
本編が始まってもオープニングのギャグについて
「関西弁がわからなかったということもあるんですよ」
「ちょっと笑いそこなちゃって・・・」
と優しく追い込んでいった。
そして
「これぞっていうのあります?」
とフレれたショージは
「ボンジュール、まどまじぇーる・・・かきまぜーる」
と何かをかき混ぜるジェスチャー。
「フフフフフッ
あのね、今日のお客さんは本当によくお笑いになります」
「ちょっと勝手が違うんで・・・」
「じゃあ他にあります?」
「あのぉー3段重ねで・・・」
「はい」
「九州、チャーシュー、みなの衆」
「あっ、それ面白いかもしれませんね」
笑顔だが笑わずに答える徹子。
「他にもあります?」
「はい、アイウォンチュー(i want you)、ホッペにチュー、ボク3チュー(3つ)」
「それスゴイですね」
スゴイのは徹子だった。
2008年4月23日、くりぃむしちゅーが出演。
「あなたたち面白いんですって?
何かやって」
とフラれ、上田晋也はパンダ好きの徹子に、パンダの尻尾は白いが、ぬいぐるみのパンダの尻尾が黒いのパンダの背中がみえなかったので想像で黒にしたというウンチクを披露。
有田哲平は得意な料理を聞かれ、
「手作りの熊本ラーメン作るから自宅に来てください」
といい、その後は徹子を口説きにかかり、プロポーズや徹子がいつもノーブラであることまで話を広げていった。
暴走してしまうという点で徹子と有田は似ていたが、2人の話がかみ合うことはなかった。
2008年5月5日、
「そんなの関係ねえ!」
で大ブレイクした小島よしおがが海パンスタイルで登場。
その不思議なネタを徹子は
「面白いリズム」
と分析。
さらに「そんなの関係ねぇ!」のやり方を教わった。
一方、小島は、「アメトーーク!」で芸人たちから以下のようなアドバイスや注意点を教わっていた。
・ツッコミとボケをハッキリしておく
(コンビ出演の場合、必ずどちらがボケかツッコミか聞かれる)
・「珍しく吉本じゃない」といわれるので、どうして吉本ではないか、明確に答えられるようにしておく。
(サンドウィッチマンからのアドバイス、小島よしおも吉本ではない)
・ネタは短めに
(「なにかおもしろいことをやって」などと何回もアレコレと無茶ブリされるので短いネタをたくさんつくっておく)
・意外と下ネタはOK
(チュートリアルの徳井が、オチでオチンチンというワードを使ったところ、徹子にものすごくウケた)
・持ちギャグだと思っていない
(徹子は芸人の活躍を常日頃みているわけではないので、お決まりのギャグでも知らないことが多く、予想もしない返しで吸収されてしまう可能性がある)
・貧乏話に食いつく
(戦争中、貧乏を経験し、ユニセフ親善大使でもあるので貧乏話にはものすごく食いつきがいい。
麒麟の田村が学生時代バスケをやっていたと話すと
「貧乏なのにバスケをやっていたのか」
といったり、次課長の河本が子供の頃、一番のごちそうが
「給食」
と答えると笑いが止まらなかった)
・オチを先にいってしまう
(トーク内容は徹子の手元にあるメモに則って進んでいき、その中で
「○○の話をしてもらいましょう」
などとオチを先にいわれてしまい、どうしようもなくなることがある)
・メモに関係ないことを話すと怒る
(徹子の手元にあるメモに書かれていないことを発言しても次にいってしまう)
・必ずフランソワーズ・モレシャンのモノマネをする
(徹子に『外国人のモノマネができますか?」とふると必ずモレシャンさんのモノマネをするので時間がほしいときは使える)
そして本番、小島よしおは、ガッレジーセル、ゴリの
「メモの上に飲み物を置いてこぼす」
というリクエストに応えようと飲み物を置いたが、徹子に
「アナタ、それしたら何も読めなくなっちゃってどうなっても知りませんよ」
といわれ未遂に終わった上に
「他の芸人さんからいろいろやって来いっていわれてきてるんでしょ」
とクギ刺されてしまった。
「ウィィ~」
「はい、オッパーピー」
も
「そこでおしまい?」
と間髪入れずにいわれてしまい不発。
弾け切れず、中途半端な感じで終わってしまった小島よしおは、12年後、2度目の「徹子の部屋」ではスーツを着て出演。
お笑い芸人でありながらギャグを封印し、真面目なトークに終始した。
2009年2月2日、さまぁ~ず(大竹一樹、三村マサカズ)、優香をゲストに迎え、徹子は
「さまぁ~ずの大竹さんでございます。
ボケがご担当」
「ボケがご担当でございます」
(大竹)
放送開始34年目に突入した番組の歴史を振り返るVTRで王貞治、北島康介に興奮した徹子は、ゲストほったらかしで語った後、
「もうこれで今日この番組終わってもいいと」
「いや早すぎるでしょ」
(三村)
「ありがとうございました」
(大竹)
「いや終わってねぇーよ」
(三村)
子供の頃、三村はプロ野球巨人と漫画が大好きな少年で、大竹は自宅でバイオリンを習っていたと紹介されると、徹子のリクエストで大竹がバイオリンを弾き、その演奏に合わせて三村が歌うという不思議な展開に。
「セッション!」
(三村)
「なんだそれ!」
(大竹)
「でもモーツァルトってそういう所から・・・」
(徹子)
優香は横でずっと爆笑していた。
2009年2月5日、ココリコが出演。
結成30周年のココリコは、小中と同級生。
中学では共に野球部だったが遠藤章造は野球推薦で高校に入り、田中直樹は野球の道を諦めてデザイナーを目指した。
数年後、夢破れ、お笑いの道を歩み出そうとした遠藤が、専門学校の卒業制作に取り組んでいた田中に目をつけ。2人でツテもなく東京へいき、1ヵ月後に受けたオーディションに合格して吉本興業入り。
これを聞いて徹子は
「お笑いの人って、普通もう少し考えてなるものじゃないの?」
そして何か面白いことをするようにリクエスト。
するとココリコは、生徒の出席を取る学校のコント。
田中は、徹子に
「名前を呼んだら返事をしてください」
とお願いした後、クセのある点呼をする先生となって
「よく見れば黒柳」
徹子は食い気味に
「はい」
「お前は黒柳じゃないだろう。
黒柳じゃないのにどうして返事をするんだ?」
徹子が困った表情をしていると遠藤が
「先生、よくみてください」
と田中をたしなめ、2人揃って徹子を凝視。
「失礼しました。
よく見れば黒柳でした」
笑いは起こらず、微妙な空気が流れるスタジオに田中は失笑。
徹子は
「これがどういう風に面白くなっていくのかなと思って」
と冷静にコメント。
「冒頭から不機嫌にさせてしまい、申し訳ありません」
謝る遠藤に
「私もできることなら笑いたい。
笑いたいと思っていました」
といって、さらに遠藤をタジタジにさせた。
番組後半、徹子は遠藤にテッパンネタ「ホホホイ」をリクエスト。
いきなりの無茶ブリに緊張した遠藤は、カメラが自分を捉える前に自分の頬を叩き出してしまった。
2009年2月6日、アナウンサーの小宮悦子が出演。
徹子は「ザ・ベストテン」で、小宮は「ニュースステーション」で、久米宏と共演していたが、お互いに
「鍛えられた」
と奇妙な三角関係を告白した。
2009年8月10日、小学生兄弟漫才コンビ、まえだまえだが「徹子の部屋」に出演。
いたいけな小学生にも、徹子がキラーぶりを発揮するのか。
それともまえだまえだが百戦錬磨の兄さんたちを差し置いて徹子を爆笑させるのか。
注目が集まる中、小5の兄、航基と小3の弟、旺志郎は元気に登場。
まずはネタみせでテッパンのサバネタ漫才を披露。
「関西弁なので、とってもなんかね、漫才らしい気がします」
徹子がいうと
「漫才らしい感じやなくて漫才やから。
ネタやから」
と臆せずツッコんだ。
「隣に好きな子が来たときは短くて、嫌いな子がいるときは長いんや」
という小3の旺志郎に徹子は
「そういうとき自分は運が悪いな、人生っていやなものだなっとか思わない?」
「そんなことは人生とは遠いことや」
徹子は、大人のように悪いことに引きずられず、いつも前を向いて明るく生きている子供の力に驚かされた。
2009年8月31日、出川哲朗が出演。
前回(3年前)の出演時には「哲朗の部屋」にチャレンジして惨敗。
その後、数々の修羅場をくぐり抜けてきた出川だが、
「俺はビビリながらスタジオの扉を開けた。
その後の記憶がない」
と告白している。
2010年2月2日 、ゲストに次長課長が登場。
河本準一が徹子の席に座り、徹子は生年月日が「徹子の部屋」の放送開始日という井上聡と共にゲスト席に座って「準一の部屋」がスタート。
転校生で友達がいなかった河本が、野球部でキャッチボールのコンビを組んだことで井上と親しくなったというエピソードを話した後、
「本当のキャッチボールから、会話のキャッチボールをするコンビになるとは」
とピカっと輝くコメントをするも、徹子は
「そう、そう、そう、そう」
とスルー。
井上が
「ウマいこといったけどね」
とフォローすると
「あ、ゴメンね。
もう1回いって」
とまさかのやり直しを要求。
河本が
「本当のキャッチボールから、会話のキャッチボールをするコンビになるとは」
というと
「それだけ?
その後にもっと何かあったのかと思った」
とまったくキャッチボールができなかった。
さらに
「じゃ、何か面白いことやってもらっていいですか」
といい、井上が
「占い師(のネタ)なんですけど、占いが外れているのにさも自分発信でいったんだよという雰囲気を出す占い師」
と解説すると
「そんな風に説明しないと通じないようなものをやろうっていう・・」
とチクリ。
ネタをみた後には
「笑いました」
と喜んだものの
「はじめの説明は必要なかったと思いますよ」
と再びダメ出し。
ムチャぶりは続き、曲も何も流れない中、河本はタンバリンを叩き、井上は歌った。
逆に2人のリクエストで「ジェスチャーゲーム」が始まったが、徹子は歌い出したり
「バッ!バッ!」
と効果音を発したり、ルール無視で暴走。
ジェスチャーに手こずると
「このゲームおもしろくないんじゃない?」
と打ち切りを要求するなどやりたい放題で芸人殺しの実力をみせつけた。