10月30日、3回戦、右膝蹴りを顎に決め技ありを奪って判定勝ち。
4回戦、富平辰文に重い突きと下段蹴りを連続で叩き込み、最後は胴回し回転蹴りを肩口に入れ、5-0の判定勝ち。
準々決勝の相手は、城南支部の後輩である塚本徳臣。
183cm、92kg
サウスポーに構え、ヘビー級には少ないステップを刻み、柔軟な身体体ら伸びのある蹴りを飛ばす。
捻りを加えた膝蹴りは特徴的である。
八巻建志が突きのラッシュをボディに入れると塚本徳臣は膝蹴りを急角度で突き上げ顔面を狙った。
勢い込んで前進する塚本徳臣のボディに八巻建志はカウンターで右フックを決める。
塚本徳臣はガクッとなって動きが止まった。
そこへ右下段を連続で蹴りこんだ。
塚本徳臣は必死に食い下がったが3-0で八巻建志の判定勝ち。
準決勝。
市村直樹はサウスポーから重い突きと蹴りを速射砲のように繰り出した。
八巻建志は延長で左右の下段蹴りを効かせ動きが止めて突きの連打から膝蹴り、胴回し回転蹴りを放つ。
5-0の判定勝ち。
決勝戦。
相手は城南支部の後輩で前年チャンピオンの数見肇。
180cm95kg。
腰を低く保ったまま流水のように滑らかに動く運足。
円を意識した捌き技。
重い蹴り。
そして何よりも強靭な精神力。
数見は、まるで水面のアメンボのようにスイスイと動き。
チャンスとみると下段蹴りを飛ばした。
八巻はその下段に合わせて突きを入れた。
すると数見はスッとステップバックで身体の軸をズラしてダメージを殺す。
そして後ろ回し蹴り、突きの連打で懐に飛び込んで下段を蹴ってきた。
八巻はそこに前蹴りをボディに刺し突き放し、中断、下段へ回し蹴り、そして接近して膝蹴り。
数見は火の出るような突きの連打で応戦した。
本戦はまったくの互角だった。
延長に入って数見の組手が変わった。
これまでの冷静な試合運びから先輩への気負いが出たのか、脚を止めて真っ向からの打ち合い出した。
突きのラッシュから左上段回し蹴り。
八巻はその蹴りを1歩踏み込み右肘でブロックし、そのまま左の突きをぶち込む。
数見は唸るように下段回し蹴りで逆襲。
この下段がヒットする直前に突きを入れ、バランスを崩したところへ右フックを脇腹に決め、左右の下段回し蹴りの連打。
5-0の延長判定勝ち。
5年ぶりの返り咲きだった。
胴上げしている生徒や仲間が泣いていた。
しかし自分は泣かなかった。
喜びに浸る暇はなかった。
100人組手と世界大会が待っているのだ。
100人組手
1994年12月、松井館長が100人組手挑戦を発表。
決行は1995年3月18日。
挑戦者は八巻健志とフランシスコ・フィリョだった。
1995年の八巻健志の目標は、3月の100人組手、11月の世界大会となった。
3月18日、100人組手当日。
西池袋の極真会館総本部の2階道場には全日本ベスト8を含む対戦相手が勢ぞろいした。
過去の100人組手達成者は
ハワード・コリンズ、
三浦美幸、
松井章圭、
アデミール・ダ・コスタ、
三瓶啓二、
増田章。
100人組手のルールは、1回の組手時間は1分30秒。
基本的に手による顔面攻撃を禁止する極真ルールだが、通常の試合ではとられることがない足払いから下段突きが決まると技ありとなる
この日は土曜日で病院は閉まっているため、廣重師範は知り合いの病院に頼んで待機してもらった。
これは増田章のアドバイスによるもので、増田は日曜日に挑戦し病院が休みだったために翌日に入院し、このために腎不全が悪化し入院は2ヶ月にも及ぶことになった。
松井館長によれば100人組手は
「70人目になると相手を殺したくなる。
80人目になるとそんなことも忘れ、90人目以降は立っているのだやっと」
だという
実際に松井館長は67人目で頭突きと道着をつかんでの膝蹴りを入れ、増田は76人目で相手に噛みついた。
八巻建志のセコンドには先輩の緑健児や足立光がついた。
廣重師範、裕美夫人、城南支部の仲間、自分の道場の生徒たちも見守っている。
次の世界大会の優勝候補であるブラジル支部の磯辺師範、アデミール・ダ・コスタも鋭い視線でみていた。
八巻建志の挑戦の後、彼らの弟子であるフランシスコ・フィリョが挑戦することになっていた。
10時21分、太鼓が鳴らされ100人組手が始まった。
1人目は後輩の塚本徳臣。
塚本はやりにくいのか攻撃に出ない。
「チンタラやっていたらダメだよ!」
松井館長の檄が飛ぶ。
3人目の時、再度、松井館長が注意した。
「力を抜いてやったら中止にしますよ。
意味のない100人組手にしないでください」
この言葉で場内の空気が変わった。
それまで遠慮気味だった対戦相手の攻撃が一気にヒートアップした。
4人目。
ギャリー・オニールに左上段蹴りを決めて1本勝ち。
10人目を超えると汗で重くなった両腕のサポーターを外した。
20人目まで1本勝ち5、優勢勝ち14、引き分け1。
時々、足の裏を濡れた雑巾で湿らして滑り止めをする。
21~30人、1本勝ち5、優勢勝ち5。
上段、中段の蹴りがよく出て、膝蹴り、踵落とし、後ろ回し蹴りなどの大技も出ている。
31~40人、1本勝ち3、優勢勝ち7。
相手の軸足を刈って下段突きを決めるケースが増えてきた。
動きが遅くなり相手の攻撃を受け止めることが多い。
40人目が終わったところで右膝のテーピングとサポーターを手早く外しコールドスプレーで冷やした。
41~50人、1本勝ち2、優勢勝ち8。
折り返し地点に来て、負けなしで引き分け1つ。
相手の攻撃をブロックしてもブロックした箇所にダメージがたまっているので激痛が走る。
脚が重く相手の蹴りも突きも身体で受け止めることが多くなってきた。
51~60人、1本勝ち4、優勢勝ち5、引き分け1。
60人目を終えたところで15分のインターバルがとられた。
汗を含んで重くなった道着を着替え、大の字に転がりマッサージを受ける。
「大丈夫いける。
絶対いける」
緑健児が励ました。
61~70人、優勢勝ち9、引き分け1。
身体が鉄板のように重く、ガードが甘くなりなんでもない攻撃をもらう。
両脚、両腕は腫れ上がり相手の攻撃をブロックするたびに激痛が走る。
相手の攻撃に後退するシーンが目立つ。
71~80人、1本勝ち2、優勢勝ち7、引き分け1。
廣重師範が檄を飛ばした。
「八巻、100人組手はここからだ!」
(そうだ!これからだ)
「やめ」
「はじめ」
主審の声が遠くに聞こえる。
意識が薄い。
81~90人、1本勝ち1、優勢勝ち5、引き分け5、負け1。
初めて負けを喫する。
苦痛に顔が歪み、相手の攻撃を身をよじって避けようとする。
「あと10人」
「アーアー」
攻撃をもらうと泣き声とも呻き声ともつかない声が口から漏れる
100人目は数見肇。
数見は容赦ない突きと蹴りを叩き込んだ。
しかしその1発1発で先輩がんばれと励ましているでもあった。
2人は脚を止めて打ち合った。
終了の太鼓が鳴った。
91~100人、優勢勝ち1、引き分け5、負け4。
天を仰ぐと天井がグラリとゆれ身体がよろけた。
所要時間3時間27分。
1本勝ち22
優勢勝ち61(技あり23)
引き分け12
負け5。
八巻建志はすぐに車で病院に直行し治療が始まった。
「どうしてこんなひどいことになったの?
交通事故?」
医者が驚くほどの惨状だった。
極度の全身打撲で筋肉の組織が破壊され急性腎不全を併発していた。
尿道に管を差し小便を出すと色がドス黒くポツポツと肉の塊のようなものが浮いていた。
破壊された細胞の破片だった。
点滴がうたれ酸素マスクを口に当てられた。
八巻建志の後に行われたフランシスコ・フィリョの100人組手は
1本勝ち26
優勢勝ち50(技あり38)
引き分け24
負け0
という史上初の無敗で達成された。
フィリョは軽やかなフットワークと華麗な足技を駆使し戦い、大したダメージもなく翌日には全関東選手権大会を観戦しブラジルに帰った。
その頃、八巻建志は病院でウンウン唸っていた。
医者は
「人工透析しなきゃダメだな」
といったが自然治癒を希望したため
「10日して尿の潜血などの数値が下がらないようだと透析に踏み切らざる得ない」
ということになった。
食事は最初は液状の栄養食。
その後、流動食にかわっていった。
塩分、油、タンパク質は一切禁じられた。
身体全体がむくんで顔は黒くパンパンに腫れた。
幸い数値は日ごと下がった。
それは超人的な回復力だった。
しかし100人組手に挑戦したとき107kgあった体は90kg台まで落ちた。
組織が分裂しようと関係ない。選手はひたすら最強を目指す。
4月11日、八巻建志が入院3週間後、病院の外では、大山倍達の死後、一枚岩だった極真空手の分裂が激化していた。
見舞いに訪れた関係者がいった。
「分裂は悪化する一方だ。
君にはいろいろ吹き込みにくる人間も多くなるはずだ。
一刻も早く退院したほうがいい」
医者はもう1ヶ月の入院を進言したが八巻建志は強引に退院した。
極真空手の分裂は、大山倍達が遺言で示した松井館長を長とする派とその遺言が疑わしいとする遺族派に分かれ、この後、さらに分裂を繰り返すことになる。
廣重師範が率いる城南支部は遺族派に属した。
4月12日、退院翌日、早朝に自宅の電話が鳴った。
「記者会見を開くから2時間以内に来て下さい」
緊迫した声だった。
歩くことさえ困難だったが這うようにタクシーに乗って都内のホテルへ向かった。
マスコミの前で延々と説明がなされる中で意見を求められた。
「自分は選手なので、今まで以上にしっかり練習して頑張ってまとまっていきたいと思います」
このコメントに後から嫌味をいわれた。
「なんだ、お前のあの話は。
いうべきときにいわないのは武道家ではない。
もっといろんなことを言えばよかったんだよ」
(一体何を言えというのか?
松井館長への誹謗中傷か?
松井館長にも大変お世話になっているし、一方の言い分を聞いただけで判断するような軽率な真似はしたくない。
それに選手は世界の強豪と覇を競うため血のにじむような苦しくて辛い稽古に耐えているのに、極真が大山倍達総裁の遺志を受け継いで一致団結していくこと以外、何を望むというのだ。
それに私の師は廣重師範1人だ。
弟子として師範の選択に従うのは当然だろう)
廣重師範は八巻に尋ねた。
「お前はどうしたいんだ」
「強い人間のいるところで戦いたい。
それだけです」
「そうだな。
そうしたほうがいいな」
廣重師範は静かに頷いた。
世界大会には世界中の強豪らが極真世界一をかけて集ってくる。
中でも、フランシスコ・フィリョ、グラウベ・フェイトーザを中心にしたブラジル選手の強さは恐ろしいほど強いといわれている。
極真の門下生は皆、最強という共通の志で入門したはずだった。
それが分裂し、世界大会が2つになり選手も2つに分かれてしまった。
中でも廣重師範が率いた城南支部は支部内で2つに分裂するという最悪のケースだった。
廣重師範は松井館長の下へ戻り、緑健児をはじめとする残りの者は出て行くことになった。
