【空手家】八巻建志(後編) ~俺の前に立ったら30秒と立たせておかない~

【空手家】八巻建志(後編) ~俺の前に立ったら30秒と立たせておかない~

極真空手の全日本大会で初優勝した八巻建志 は、自分は日本一、世界一強いと思った。 しかしその後、バイク事故で彼女に大ケガを負わせてしまう。 以後、5年間、地獄をさまよった後、復活し、2度目の全日本大会優勝、100人組手達成、世界大会優勝。 最強の空手家となった。


俺の前に立ったら30秒と立たせておかない。

1989年12月23~24日、東京両国国技館で行われた極真空手第21回全日本大会で、八巻建志は優勝した。
それまで長い間、求め、悩み、苦しみ続けた末の日本一だった。
その後、生活が一変した。
連日のマスコミ取材、スタジオ撮影、インタビュー、対談・・・・・
夜は祝勝会で酒びたり。
後輩の取り巻きができ、バレンタインディにはチョコ50個をもらいファンレターも続々と舞い込み女性と交友が増えた。
いい気になって修行のために自ら封印していたバイクを解禁し、50ccから250ccに乗りかえた。
有頂天だった。
自分は日本一どころか世界一強いと信じた。
「プロレスラーだろうとマイク・タイソンだろうと俺の前に立ったら30秒と立たせておかない。
なんなら牛でも熊でも戦ってもいい」
浮かれ初めて半年後、知り合った女性と真剣に交際し始めた。
練習後、毎日待ち合わせて、映画、食事とデートを重ねた。
彼女をバイクの後ろに乗せ夜のドライブに出かけた。
辛く血尿を流した猛稽古の日々が嘘のようだった。
女性の親は交際に反対していたが2人は互いの気持ちを信じて交際を続けた。

君ぃ、土佐闘犬を倒してみたまえ

三好一男高知支部長の結婚式に出席するために高知県に出かけたとき、闘犬を見物に行った。
そこには大山倍達も同席していた。
土佐闘犬の凄まじい戦いをみていると突然、大山倍達がいった。
「八巻、戦ってきなさい」
本気の眼だった。
「君ぃ、土佐闘犬を倒してみたまえ」
「押忍」
(やばいなあ。
腹を2発3発思い切り蹴ればなんとかなるかな?
左手を咬ませて右正拳をぶち込むか?)
結局この異種格闘技戦は実現しなかったが、目の前に強いものがいたなら、たとえ闘犬であれ猛獣であれ手合わせしたいと考えてしまう大山倍達の戦う本能の凄まじさを思い知らされた

火木スパー

第22回全日本大会に向けて毎日の稽古は消化されていった。
しかし八巻建志に目標に向かって燃えるギラギラした気持ちはなく、稽古量はともかく蹴り1本突き1本にかける情熱は消えうせていた。
そして第22回全日本大会は4回戦まですべて本戦のみの判定勝ちで上がったが、準決勝ではじめて延長戦に持ち込まれ、延長2回目に焦って掴みの反則を犯して注意1をとられて判定負け。
最終的な順位は8位。
(優勝は増田章、準優勝は緑健児)
ディフェンディングチャンピオンとしては惨めな成績だった。
以後、マスコミの取材はバッサリ途絶え、次いで取り巻き連中は去っていった。
道場のなかの視線も冷ややかなものになった。
八巻建志は翌年開催される世界大会制覇を目標に定めた。

1991年1月、八巻建志は錆ついた心と技の勘を取り戻そうと独自の特訓を開始。
毎週火曜日と木曜日、すべての通常の稽古終了後、19時からそれは始まる。
勢いのある若手5、6人とスパーリングオンリーの稽古。
それも防具をつけずに真っ向から潰し合うガチンコの組手。
それを1時間半続ける。
通称:火木スパー。
2分交代で次々に替わる相手に思い切り蹴りと突きをぶち込んだ。
フっ飛ばされるもの、倒れる者が続出した。
骨を肉を打つ音が響き、倒れ込んではまた立ち向かっていく。
あるとき、胴回し回転蹴りが相手の顎を直撃し白目を剥いて失神した。
以後、胴回し回転蹴りは禁じ手となった。
またあるとき、前蹴りが相手の歯を折るなど怪我人を続出させたので、これも禁じ手となった。
この火木スパーにまだ茶帯の数見肇がいた。
当初、まったく問題にならずフッ飛ばされていたが、日がたつにつれ徐々に踏ん張れるようになり、春を過ぎ、梅雨の季節になると攻撃をガッチリ受け止めて反撃する場面も出てきた。
恐怖と負傷に耐えて確実に強くなっていた。

悲しい世界大会

1991年8月、第5回世界大会の日本代表メンバーとして湯河原の強化合宿に参加。
大山倍達の指揮で行われる特訓が1週間続いた。
大会までの3ヶ月だった。
東京へ戻った翌日、道場で夜の部の指導を終え帰ろうとすると声をかけられた。
彼女がこぼれるような笑みで立っていた。
バイクに2人でまたがった。
数分後・・・
突然目の前に道路工事現場があった。
警告灯がなかったのでわからなかった。
急にヘッドライトに黄色いゲートと標識がうかんだ。
「ギャーン」
バイクがアスファルトを削る音がしてオレンジの火花が飛び散った。
バイクは工事現場に突っ込み激突音が鳴った。
彼女は路上に投げ出され横たわっていた。
全身が痙攣し血が流れ出した。
黒い染みがアスファルトに広がっていく。
「誰か救急車を、早く救急車を呼んでください」
「ひどいよ、これ」
「救急車だ。
死んじまう」
救急車が到着し彼女は病院に運ばれ、パトカーで警察に連れて行かれ調書をとられ病院に駆けつけた。
医者は命に別状はないといった。
しかし全身を骨折する大怪我だった。
彼女の両親はすでに来ていてた。
「うちの娘をいったいどうしてくれるの」
「私の不注意のせいです。
本当に申し訳ありません」
翌日、お見舞いに行くとすでにそこに彼女はいなかった。
転院させられていた。
なんとか転院先を捜し出したが病室へは入れてもらえなかった。
彼女が退院するまで、毎日、暗くなるまで外で立ち、病室をみつめた。
退院後、自宅に電話を入れるとガチャンと切られた。
事情を説明し父親と一緒に彼女宅へ行ったが
「2度と顔を見せないでください」
と門前に払いされた。

空手の情熱は失せた。
世界チャンピオンなんてどうでもよかった。
しかし世界大会出場はすでに決まっている。
私情でキャンセルはできない。
そんな義務感で身の入らない稽古を続けた。
食事制限もやめた。
鶏のササミ、豆腐、卵40個、魚の白身を調味料なしに食べていた食事を無視し、ラーメンでもトンカツでもなんでも食べまくった。
牛乳、水、スポーツ飲料に限っていた飲み物制限も無視し、稽古後は飲み屋に直行し浴びるように酒を飲んだ。
一升、二升の日本酒を空けて泥酔し吐いた。
始めは後輩と一緒だったが、押し黙ったまま飲みまくる先輩の誘いを日に日に後輩は断りだした。
「空手なんてやっていていいのか」
罪悪感でまともな稽古ができない。
「やる気があるのか」
廣重師範は怒鳴った。
夜一人、道場でストレッチしながらポロポロ涙を流した。
自宅では膝を抱え涙にくれ、寝ても凄惨な事故現場の夢をみた。
彼女のことを思う度に泣いた。
少年の頃、酷いイジメにあったときでも1度も泣かなかったのに・・・
心身ともにまったく調子は上向かないまま、極真空手第5回世界大会に参戦した。


この大会最大の注目選手は前大会で準優勝したアンディ・フグ。
前回優勝した松井章圭が引退していた。
アンディ・フグは前回よりも身体が大きくなりパワーアップしていた。
しかし彼のトーナメントはかなり厳しい登山だった。
当たる選手すべてが超ヘビー級の大男ばかりだった。
それでもアンディ・フグは勝ち上がった。
そして4回戦の相手は、ブラジルのフランシスコ・フィリョだった
アンディ・フグの踵落としをフランシスコ・フィリョは蹴りで止めるなど、両者共に蹴り技が得意で、華麗で危険な蹴り合いとなった。
そして両者が接近しすぎて審判が「待て」をかけたとき、アンディ・フグは両腕のガードを下げた。
しかしフランシスコ・フィリョは故意ではないがすでに放っていた上段回し蹴りを振りぬいた。
そしてガラ空きのアンディの顔面を打ち抜き、アンディは糸が切れた操り人形のように倒れた。
フィリョの1本勝ちだった。
アンディ・フグのセコンドは審判の待ての後の攻撃であり反則だと主張した。
これを大山倍達は油断したアンディの敗北と一喝した。

八巻建志は5回戦でフランシスコ・フィリョと対戦した。
上段蹴りを警戒しガッチリ顔面をガードした。
しかしそれはイメージより鋭く速かった。
しかもリズムがランダムでどこから飛んでくるかわからない。
通常の下から蹴り上げる上段蹴りが上から振り下ろされてくる。
調子づくと手がつけられなくなりそうだった。
そこでフィリョの攻撃を連続させず、線から点に断ち切る作戦に出た。
ポイント、ポイントで前蹴り、下段回し蹴りでフィリョの連続攻撃を切った。
お互い決定打がないまま延長、再延長、3度目の延長にもつれ込んだが、ここで連打で押し切り4-0の判定勝ちした。

6回戦、八巻建志は格闘マシン:黒澤浩樹に体重判定により負けた。
悔しい気持ちはなく、やっと終わったという気持ちだった。
優勝したのは道場の先輩、緑健児だった。

男の責任

世界大会の1週間後、なんとか彼女と電話がつながり会うことができた。
しかし互いに会話がつながらなかった。
事故は2人に大きな溝をつくった。
「すまない」
ただ頭を下げ続けるしかなかった。
年が明け1992年1月、空手への気持ちは完全に冷えた。
これ以上続けても仕方ないと判断し、それを廣重師範に伝えるために道場へ行った。
すると廣重師範はまるでそれを予知したかのようにいった。
「八巻、そろそろ道場を持ってみないか?」
「はあ・・」
「どうも最近気持ちが乗っていないようだし、自分の道場を持てばまた空手の面白さもわかるんじゃないかと思ってな」
「押忍」
機先を制された形でそのまま道場の新設する準備に入った。
もちろん常設道場は無理だから幼稚園の空き時間を道場として借りることになった。
自分でポスターをつくり電柱に張っていった。
入門者が徐々に集まって、一から手作りの道場が始まった。

その後も彼女とは月1回程度会っていたが以前のような楽しい時間は戻らなかった。
数か月後のある夜、人気のない喫茶店で彼女がいった。
「もうこれ以上苦しみたくないの」
「俺が一生守り通す。
信じてくれ」
「八巻さん、あなたとはもう会えないの」
この一言ですべてが終わった。
喫茶店を出て2人押し黙ったまま駅まで歩いた。
彼女は何のためらいもなく電車に乗り込んだ。
サヨナラの一言もなかった。
彼女と別れて初めて廣重師範に事故から経緯を話した。
廣重師範はことの一部始終を聞き、そしてこういった
「彼女が今度、結婚などして新しい道が見つけるまでお前は見守ってやらなくてはいけない。
もし彼女の気持ちが変わって帰ってきたときはいつでも受け入れれるようにしておくべきだ。
八巻、辛いだろうが、それが今お前にできる唯一のことなんだぞ。
男が責任を取るとはそういうことなんだ」

どうして7位のお前が2位の数見より遅く来るんだ。

大ケガを負わせた彼女とは心が通じぬまま別れ、その上追い討ちをかけるように父親が役員を務めていた会社が倒産の危機に直面した。
父の報酬、家の貯金は会社につぎ込まれ、その上借金を重ねた。
家庭内にも暗雲が立ち込めた。
まさに心身ズタズタ、救いようのない四面楚歌の状態で第24回全日本を迎えることになった。
自分の道場を持ち自分の生徒が見に来た初めての大会は7位。

優勝は田村悦宏。
準優勝は後輩の数見肇だった。
「八巻は終わった」
「あんなに強かったのに・・」
そんな声が聞こえた。
ある先輩はこういった。
「(優勝した)21回大会はクスリでも使ってたんじゃないか?
誰にもいわないから本当のことをいえよ。
あの強さは尋常じゃなかったもの。
クスリの助けを借りたとしか思えないよ」
完全に過去の人になていた。
気持ちはますます腐り稽古にも身が入らなかった。
ある日、朝練に遅刻した。
廣重師範が怒鳴った。
「どうして7位のお前が2位の数見より遅く来るんだ。
この何分かの遅れで数見との差はますます開くんだぞ!」
(俺はいったい何をやっているんだろう)
苦悩する毎日が続いた。

八巻さんもあきらめないで 世界一になってください

1993年2月、1本の電話がかかってきた。
「八巻・・さん?」
彼女だった。
「私ね。
結婚することになりました」
「幸せになってください」
「八巻さんもあきらめないで。
世界一になってください」
もう迷っていられない。
世界一になるまで歩き続けるしかない。
朝6時に起きて走り始めた。
毎日10km。
心身のこびりつきを落としていった。

クラウチングスタイル

再生を誓い肉体改造に着手している最中、ある人物に出会った。
「是非コーチを買って出たい。
八巻君の才能をこのまま埋没させるには忍びない。
一緒に世界一になろう」
ボクシング経験者のその人はいった。
とにかく熱い人だった。
気分は明日のジョーと丹下段平だった。
練習初日、彼の第一声は、
「ボクサーは毎日練習するんだ。
1日も休まない。
空手家も同じようにやれるはずだ」
メニューは、
ロードワーク
ダッシュ
縄跳び
シャドー
・・
ボクサーのトレーニングそのままだった。
ウエイトトレーニングは
「スピードが鈍る」
と理由で一切禁止された。
このトレーニングと道場稽古を平行して行った。
13年間廣重師範の指導だけでやってきた。
それから1歩離れ自分なりの方法でニュー八巻を生み出そうと考えた。
とりあえず目標は6月の第10回ウエイト制大会だった。

特訓は体重コントロールに及び
「ボクサーの身体はこんなもんじゃない。
もっともっと減量しなくちゃダメだ」
と1日に許された水の量はコップ1杯。
汗を絞りに絞り黙々とトレーニングを積んだ。
105㎏あった体重は95㎏に落ちた。
減量が進むと次は空手のスタイルの改造に着手した。
「構えを小さくすれば攻撃をもらわない」
と、腰を落とし、身体を屈め、両手をぐっと狭めて構える前傾姿勢。
ボクシングのクラウチングスタイルだ。
廣重師範は心配した。
「絞りすぎなんじゃないか」
「その前傾姿勢では腹部が圧迫されて十分な腹式呼吸ができない。
第一、空手とボクシングはまったく違うんだ。
そんなスタイルは奇をてらうだけで意味がない」

1993年6月18日、極真空手第10回ウエイト制大会の初日。
1回戦はシード、2、3回戦は不戦勝で初日、2日目は試合がなかった。
大阪市内の宿泊先に戻るとロビーで女性が声をかけてきた。
「2日間を戦わずに終えるのってどんな気持ちですか?」
女性は屈託ない笑顔で尋ねた。
失礼な質問に八巻建志は睨んで返答したが、女性は臆することなく質問を続けた。
「なぜウエイト制に出たんですか?」
「調子はどうなんですか?」
「優勝できそうですか?」
「自信はあります」
「明日から頑張ってくださいね」
「はあ」
この女性は城西支部長:山田雅捻の会社で働く女性で、その関係で応援に来ていた。
6月20日、極真空手第10回ウエイト制大会重量級トーナメント。
「オオー」
八巻建志の細くなった身体とクラウチングスタイルの空手にどよもきがあがった。
そして準々決勝、判定勝ち。
準決勝、判定勝ち。
決勝戦、技あり2つで1本勝ち。
「ニュー八巻、発進」
「八巻、完全復活」
マスコミがこぞって煽る中、廣重師範は批判的なコメントを出した。
「稽古のときの八巻には、動きの良い八巻と悪い八巻がいる。
動きの良いときには誰も彼の前に立っていられないほどの力を発揮する。
その八巻を出すことが課題なのですが、残念ながら今回は出ませんでした。
運良く勝ったという感じで今ひとつ納得できませんね」

八巻建志の次の目標は第25回の全日本だった。
ウエイト制で大会で優勝した翌日から10kmの走り込みをした。
1日も休みを設けなかった。
次第に強迫観念が生まれ休むのが怖くなった。
「ボクサーに休みはない。
毎日練習だ」
「ここで手を抜いたら元に戻ってしまう」
そうやって大会前日さえ9時から16時までしっかり練習した。
頬は削げ目ばかりギラギラ光っていた。
身長が187cmで体重は89kg。
骨と皮だけのガリガリの身体だった。
その皮はカサカサになっていた。
かつて「強さ=大きさ」と考え120㎏まで上げて世界大会に挑んだときと正反対の状態である。
「これで身体のキレ、スピードは最高になった」
こうしてついに1日も休まず第25回全日本大会を迎えた。
大会前に父親の会社が倒産し、役員だった父親は家の貯金、自動車などを差し押さえられた。
しかし父はいった。
「大丈夫だ。
必ず再起するからお前は空手に集中しろ」
1993年10月30~31日、極真空手第25回全日本大会。
八巻建志のコンディションは悪く鉛のように体が重く動きにキレがない。
これまで分厚い筋肉で跳ね返した相手の攻撃が薄くなった肉を通して骨まで響いた。
ガツンガツンと骨ばった拳で身体を突かれ奥歯を嚊んで耐えた。
内蔵を揺さぶる決定的なダメージこそなかったが痛みで身体がのけぞり上体が起きてクラウチングスタイルは形を成さなくなった。
1回戦から4回戦までなんとか勝ったが覇者の勢いはなかった。


1993年10月30~31日、極真空手第25回全日本大会。
八巻建志のコンディションは悪く鉛のように体が重く動きにキレがない。
これまで分厚い筋肉で跳ね返した相手の攻撃が薄くなった肉を通して骨まで響いた。
ガツンガツンと骨ばった拳で身体を突かれ奥歯を嚊んで耐えた。
内蔵を揺さぶる決定的なダメージこそなかったが痛みで身体がのけぞり上体が起きてクラウチングスタイルは形を成さなくなった。
1回戦から4回戦までなんとか勝ったが覇者の勢いはない。
準々決勝は七戸博。
185cm110kg。
決して速くないが、攻撃が重く絶対に下がらないパワフルなファイトスタイルの選手。
「ウォー」
七戸は阿修羅の形相で蹴り突きを放つ。
「ドスン」
「バチン」
互いの身体を打ち合う音が響く。
2回目の延長で魔が差した。
(体重判定なら勝てる。
それにこの後、岡本徹、数見との戦いがある。
スタミナを温存するか)
両者の体重差は21kg。
このまま引き分けで終われば体重判定で勝てる。
悪魔のささやきは攻めから守りへ変えた。
そして七戸はガンガン出た。
結局判定負けになった。
結局この大会は7位。
優勝は後輩の数見肇だった。
「あいつは確実に強くなっている
オレは低迷していくばかりだな・・・」
廣重師範は失意の弟子に声をかけた。
「あんな練習で勝てないことがわかったろう。
いい勉強になったな。
これからまた一緒にやろうや」
この後、練習メニューを見直し、再びウエイトトレーニングに取り組んだ。
極真空手ではある程度の脂肪と筋肉がなければダメージが大きすぎる。
勝ち上がるためには適正なウエイトトレーニングが必要と判断したのだ。

幻の佐竹雅昭戦

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