【空手家】八巻建志(前編) ~それはふざけた兄が入れたソリコミから始まった~

【空手家】八巻建志(前編) ~それはふざけた兄が入れたソリコミから始まった~

その肉体、その身体能力、その空手は圧倒的。極真空手の全日本大会と世界大会で優勝。100人組手という荒行も達成した。しかしその格闘技を始めたきっかけは、兄がふざけて入れた剃り込み、そしてイジメに対する報復だった。


八巻建志は、極真空手城南支部を見学に訪れた。
当日は昇級審査の日で組み手の真っ最中だった。
「バシン!」
濡れ雑巾を弾くような音がした。
上段回し蹴りをモロにくらった人間が目の前に吹っ飛んできた。
床に倒れピクピク痙攣している。
それをみて八巻建志は入門を決めた。
やめたではなく決めた。
同じような見学者は4~5人いたが、その中に入門者はいなかった。
極真空手に入門したのは、中学を卒業し2ヵ月後の事だった。
牛を倒し、プロレスラーやヘビー級ボクサー相手にKOの山を築いた大山倍達こそ八巻建志の最大のヒーローだった。
地上最強の格闘技、極真空手の道場。
「凄まじい、想像を絶する稽古をしているんだろうな。」
そう思うと武者震いした。

廣重毅師範

しかし実際に入門してみると、廣重毅師範は優しい先生だった。
先輩の指導も親切丁寧で、練習量も驚くほどではなかった。
基礎練習の突き蹴りは各々10本で終わった。
最初に入門した空手道場は蹴り1つ最低100回はこなした。
道場内は和気あいあいとした雰囲気で拍子抜けした。
廣重師範の指導は技の意味から嚊んで含むように説明した。
そして教わる側は乾いたスポンジが水を吸うように技を吸収していった。
それは魔術的に上手い指導だった。
だから城南支部は次々に強豪を輩出した極真の名門だった。
他にも本部道場をはじめ、城西支部、城西、兵庫、京都など数ある極真の名門道場の中で、城南支部の強さの秘密は、廣重師範の指導によって稽古を続けるうちに空手が面白くてたまらなくなるという点だった。
初心者は空手の面白さを学び、本気で強くなりたい者は徐々にハードなトレーニングに参加していく。
合同稽古を終えても各自が遅くまで自主トレに励む。
まさに切磋琢磨という言葉がピッタリな道場だった。
「廣重師範の空手は面白くてたまらず、ほとんど休まず道場に通った。
だが中学時代のイジメのおかげで、私の性格は暗く内向的になっていた。
あまり周囲と言葉を交わさず、なめられないように目つきばかり鋭いかなり不気味だった練習生だったと思う。
道場では『押忍』の一言で用は足りるので、口下手な私には好都合だった」

堺貞夫

当時、城南支部で一番練習していたのは堺貞夫だった。
身長157cm、体重58kg。
日頃から口数が少なく、基本の1本1本すべてに手を抜かず黙々と稽古に励んだ。
その姿はまさに鬼気迫るものがあった。
這、立禅といった中国拳法の修行法を60分ぶっ続けでやれたのも堺だけだった。
試合前には部屋を綺麗に掃き清め下着も新調した。
半ば死を覚悟して試合に臨んだのだろう。
空手に賭ける覚悟が並外れていた。
まさに武人であった。
1985年の極真空手第17回全日本大会では、小柄ながらも華麗な蹴り技で大柄な対戦相手を次々と撃破し続けた。
4回戦でこの大会に優勝する松井章圭と対戦した堺は、松井の猛攻をほとんど見切って、崩し、受け流し、本戦・延長戦ともに引き分けに持ち込んだ。
だが再延長戦に突入する直前、大山倍達総裁がクレームを入れた。
「何故一方的に攻撃している方に旗を上げないのか」
そして審判員が全員入れ替えという異常事態に発展した。
そして再延長の結果、副審4人のうち2人が引き分け、残りの2人と主審が松井の勝利とし、3-0の判定で松井の勝利となった。
堺は負傷らしい負傷もなくクールに試合場を立ち去った。
これが引き分けだったら大会規定により体重判定による勝敗決定となっていた。
(堺、60kg、松井85kg)
この判定に関して、当の堺本人は一切コメントはしていない。
松井は
「まるで勝てた気がしない」
と試合後に感想を述べた。

緑健児

また城南支部には緑健児というカリスマがいた。
その大胆で華麗な空手は「牛若丸」、後に体重無差別の世界大会を165cmの小さな体で優勝したときは「小さな巨人」と呼ばれた。
緑健児の努力も瞠目すべきものがあった。
「おーい、八巻ィーちょっと来ーい」
緑がトイレから呼ぶ。
「押忍。
なんですか?」
「いいもん見せてやる」
手招きされ恐る恐る近づくと便器がまっ茶色になっている。
「なんですか、これ?」
「血尿だよ。
ケ・ツ・ニョ・ウ。
お前も血尿出すくらい練習積め。
俺なんかしょっちゅうなんだから・・」

リベンジ

八巻建志は、6月に入門し、9月に昇級審査で黄帯、12月に緑帯になるとケンカ修行を再開した。
「ケンカ買わない?」
黒のジャージ姿で川崎の盛り場をうろつき生意気そうな奴に売って回った。
素人のキックやパンチは道場の稽古に比べれば格段に遅い。
わざとパンチをきめさせて倍にして返した。
大抵は右回し蹴り1発で人形のように倒れた。
2、3人なら1分立たせておかなかった。
「下段、中段、上段、どの蹴りがいい?」
「なんだそれ?
お前頭おかしいのか」
「いいか。
下段は脚を折る。
中段は内臓破裂。
上段は首を折るんだよ。
どれがいい?」
ある日、近くの体育館でサンドバッグを蹴っていると中学時代にいじめられた不良グループがゾロゾロ近づいてきた。
人数は7、8人。
ニヤニヤしながら歩いてくる。
「おう!実験台がいるぞ」
「久しぶりにパンチを試してみるか」
八巻建志は上段回し蹴りを放った。
「ドスンッ」
蹴りがサンドバッグにめり込み衝撃音が響いた。
グループは無言で去って行った。

孤立

色帯になると初心者向けの優しかった稽古は一変した。
道場を縦横に移動し突き蹴りを連続で出す。
移動稽古、コンビネーションの反復、ミット打ち・・・
床に汗溜まりができた。
組手も本格的になった。
当時、すでに身長180cmを超えていた八巻建志は、練習生同士なら体力で圧倒できた。
問題は先輩たちだった。
身体も大きく無口で無愛想。
しかも目つきが悪い。
ここでも目の敵にされてしまった。
道場の組手稽古では
「まいりました」
といえば先輩は攻撃の手を休めてくれる。
しかし八巻建志は、たとえ先輩でも相手に屈服するのが嫌でたまらなかった。
極真の黒帯は生身の肉体そのものが凶器といってよい。
蹴りは圧縮バットをへし折り拳はブロック2枚を重ねて打ち砕く。
その手加減なしのパンチ、キックがうなって飛んでくる。
それも10発、20発と・・・
後に八巻が後輩と組手をしていたとき、廣重師範が注意した。
「もっと軽くやりなさい」
「押忍、軽くやっていますが・・・」
廣重師範はしみじみといった
「お前は軽い組手を経験しなかったんだな」
入門から先輩の手加減のない激しい組手に揉まれ軽い組手を知らなかったのである。
「軽い組手、受けてもらう組手など私には無縁だった。
ケンカと違って逃げる場所のないガチンコの組手はムチャクチャ怖い。
おそらく経験した者でないとわからないだろう。
小便ちびってしまいそうな怖さとでもいうか・・・
その怖さを振り払うためにガムシャラに突進し狂ったように暴れた」

八巻建志は、ウエイター、弁当屋、ガソリンスタンドなどアルバイトを転々として道場に通った。
しかしどこでも揉めた。
アルバイト仲間は大学生がほとんどだったが
「チャラチャラしやがって」
と思えてしかたなかった。
正社員には
「今時高校も出ないでどうするつもりだ?」
「空手やって強くなって何の意味があるの?」
「人生そんなに甘くないよ」
などといわれ、そういわれるたびに怒り、殴り倒して辞めた。
道場でも先輩に目の敵にされ、他の道場生とはほとんど口をきかなかった。
孤立していた。
やがて茶帯になり街のケンカで勝てる強さを獲得してしまうと、憧れの黒帯を目の前にして道場から足が遠のき始めた。
代わりにバイクに夢中になった。
皮のつなぎを着てブーツを履きチューンアップしたヤマハRZ350に跨り箱根の峠を攻めた。
100km/h以上でコーナーに突っ込んで膝を路面にするくらい車体を倒して回り込む。
タイヤが悲鳴を上げ、アクセルを吹かして車体を起こしコーナーを抜けた。
いつしか道場通いが月1回、2ヶ月に1回とどんどん疎遠になって行った。
ある日、バイクがコーナーを曲がり切れずガードレールに突っ込んだ。
右足が骨折し入院した。
「高校行き直そうか」
「どこかの社員になろうか」
悶々と考える毎日だった。
退院しても道場には行かなかった。
将来に何の展望も見出せないまま漠然とバイトをした。


初試合

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