【空手家】八巻建志(前編) ~それはふざけた兄が入れたソリコミから始まった~

【空手家】八巻建志(前編) ~それはふざけた兄が入れたソリコミから始まった~

その肉体、その身体能力、その空手は圧倒的。極真空手の全日本大会と世界大会で優勝。100人組手という荒行も達成した。しかしその格闘技を始めたきっかけは、兄がふざけて入れた剃り込み、そしてイジメに対する報復だった。


また城南支部には緑健児というカリスマがいた。
その大胆で華麗な空手は「牛若丸」、後に体重無差別の世界大会を165cmの小さな体で優勝したときは「小さな巨人」と呼ばれた。
緑健児の努力も瞠目すべきものがあった。
「おーい、八巻ィーちょっと来ーい」
緑がトイレから呼ぶ。
「押忍。
なんですか?」
「いいもん見せてやる」
手招きされ恐る恐る近づくと便器がまっ茶色になっている。
「なんですか、これ?」
「血尿だよ。
ケ・ツ・ニョ・ウ。
お前も血尿出すくらい練習積め。
俺なんかしょっちゅうなんだから・・」

リベンジ

八巻建志は、6月に入門し、9月に昇級審査で黄帯、12月に緑帯になるとケンカ修行を再開した。
「ケンカ買わない?」
黒のジャージ姿で川崎の盛り場をうろつき生意気そうな奴に売って回った。
素人のキックやパンチは道場の稽古に比べれば格段に遅い。
わざとパンチをきめさせて倍にして返した。
大抵は右回し蹴り1発で人形のように倒れた。
2、3人なら1分立たせておかなかった。
「下段、中段、上段、どの蹴りがいい?」
「なんだそれ?
お前頭おかしいのか」
「いいか。
下段は脚を折る。
中段は内臓破裂。
上段は首を折るんだよ。
どれがいい?」
ある日、近くの体育館でサンドバッグを蹴っていると中学時代にいじめられた不良グループがゾロゾロ近づいてきた。
人数は7、8人。
ニヤニヤしながら歩いてくる。
「おう!実験台がいるぞ」
「久しぶりにパンチを試してみるか」
八巻建志は上段回し蹴りを放った。
「ドスンッ」
蹴りがサンドバッグにめり込み衝撃音が響いた。
グループは無言で去って行った。

孤立

色帯になると初心者向けの優しかった稽古は一変した。
道場を縦横に移動し突き蹴りを連続で出す。
移動稽古、コンビネーションの反復、ミット打ち・・・
床に汗溜まりができた。
組手も本格的になった。
当時、すでに身長180cmを超えていた八巻建志は、練習生同士なら体力で圧倒できた。
問題は先輩たちだった。
身体も大きく無口で無愛想。
しかも目つきが悪い。
ここでも目の敵にされてしまった。
道場の組手稽古では
「まいりました」
といえば先輩は攻撃の手を休めてくれる。
しかし八巻建志は、たとえ先輩でも相手に屈服するのが嫌でたまらなかった。
極真の黒帯は生身の肉体そのものが凶器といってよい。
蹴りは圧縮バットをへし折り拳はブロック2枚を重ねて打ち砕く。
その手加減なしのパンチ、キックがうなって飛んでくる。
それも10発、20発と・・・
後に八巻が後輩と組手をしていたとき、廣重師範が注意した。
「もっと軽くやりなさい」
「押忍、軽くやっていますが・・・」
廣重師範はしみじみといった
「お前は軽い組手を経験しなかったんだな」
入門から先輩の手加減のない激しい組手に揉まれ軽い組手を知らなかったのである。
「軽い組手、受けてもらう組手など私には無縁だった。
ケンカと違って逃げる場所のないガチンコの組手はムチャクチャ怖い。
おそらく経験した者でないとわからないだろう。
小便ちびってしまいそうな怖さとでもいうか・・・
その怖さを振り払うためにガムシャラに突進し狂ったように暴れた」

八巻建志は、ウエイター、弁当屋、ガソリンスタンドなどアルバイトを転々として道場に通った。
しかしどこでも揉めた。
アルバイト仲間は大学生がほとんどだったが
「チャラチャラしやがって」
と思えてしかたなかった。
正社員には
「今時高校も出ないでどうするつもりだ?」
「空手やって強くなって何の意味があるの?」
「人生そんなに甘くないよ」
などといわれ、そういわれるたびに怒り、殴り倒して辞めた。
道場でも先輩に目の敵にされ、他の道場生とはほとんど口をきかなかった。
孤立していた。
やがて茶帯になり街のケンカで勝てる強さを獲得してしまうと、憧れの黒帯を目の前にして道場から足が遠のき始めた。
代わりにバイクに夢中になった。
皮のつなぎを着てブーツを履きチューンアップしたヤマハRZ350に跨り箱根の峠を攻めた。
100km/h以上でコーナーに突っ込んで膝を路面にするくらい車体を倒して回り込む。
タイヤが悲鳴を上げ、アクセルを吹かして車体を起こしコーナーを抜けた。
いつしか道場通いが月1回、2ヶ月に1回とどんどん疎遠になって行った。
ある日、バイクがコーナーを曲がり切れずガードレールに突っ込んだ。
右足が骨折し入院した。
「高校行き直そうか」
「どこかの社員になろうか」
悶々と考える毎日だった。
退院しても道場には行かなかった。
将来に何の展望も見出せないまま漠然とバイトをした。


初試合

父が一通の手紙を差し出しいった。
「空手の先生からだ」
便箋には丁寧な文字で
「息子さんは空手のチャンピオンになれる資質を持っています。
どうか1日も早く道場に復帰するよう、お父さんからもいって下さい。
お願いします」
と綴ってあった。
「いい先生じゃないか。
空手、もう少しやってみたらどうだ」
空手に反対し正業に就けと言い続けていた父がいった。
八巻建志は道場に復帰した。
すると廣重師範はウエイト制大会への出場を薦めた。
ウエイト制大会は、体重無差別を基本とする極真空手の中で、毎年夏に大阪で行われる体重別のトーナメントで、軽量級、中量級、軽重量級、重量級の4階級において優勝が争われる。
ちなみに毎年秋に行われる全日本大会と4年に1回行われる世界大会は体重無差別で行われる。
1984年4月、大阪で行われた第1回極真空手ウエイト制大会に八巻建志は参加した。
このときの体格は、187cm、79kg。
会場では、岩のようにゴツゴツした七戸康博が目を閉じて座していた。
外館慎一は191cm105kgもあった。
1回戦、八巻建志は遮二無二に攻めて判定勝ち。
そして2回戦の相手は西山芳隆。
180cm110kgの巨体はゴムマリのように柔らかく、蹴りがポンポン出た。
八巻建志は、蹴りから突きの連打を入れられ何もできないままズルズル後退し判定負けした。

ウエイトトレーニング開始

以後、稽古は精力的にこなしたが無愛想な態度は変わらなかった。
先輩との酒の席においても、
「お前、暗いよ」
「押忍」
「少ししゃべりなよ」
「押忍」
「ビールがいい、酒か?」
「押忍」
こんな会話が延々と続いた。
「僕が八巻先輩と口をきいてもらえたのは、入門して4年後でした。
無口で目つきの鋭い八巻先輩はひたすら怖い存在でした」
(八巻の後輩:岩崎達也)
国立競技場に通いウエイトトレーニングも開始した。
当初ベンチプレスが50kgだったが1ヶ月で100kgが挙がった。
1日に丼飯4~5杯を4回。
焼肉、トンカツ、ラーメン、アイスクリーム・・・
とにかく何でも食いまくり体重アップに努めた。
しかし型は大嫌いで、
「藤原敏男さんは型なんかやらないのに強いじゃないか・・・」
「サンドバッグ蹴りたいよ・・・」
「こんな稽古より組手のほうが強くなれるのに・・」
と型の稽古にはいるとため息をついた。
「何故あんなにチンタラ動いている八巻先輩がまったく注意されず、一生懸命やっている自分が叱られるのか不思議でならなかった」
(後輩:岩崎達也)

白熊?増田章

1985年2月、1日4回の大食とウエイトトレーニングで体重を90kgにまで増えた。
道場内の試合が行われたとき、ガッツポーズをして審判に注意を受けたり、足払いで倒されそうになると相手を掴んで引きずり倒し拳を振り上げ眉を寄せ睨んだり、スリップダウンしたときはネックスプリングで立ち上がったり・・・
無茶苦茶だった。
3月、首都圏交流試合においても不遜な態度は変わらなかった。
「あいつ格好つけやがって」
「生意気だ」
会場の声は完全に無視した。
2回戦、相手は身長の低く頭から突っ込んできた。
2度も相手の顎に拳が入り、3度目には相手が倒れ、4度目には顎が折れて病院送りになった。
八巻建志は悪いと思ったがなめられないようにと態度は改めなかった。
3回戦、中断回し蹴りで1本勝ち。
4回戦、周囲のひんしゅくを買いながら判定勝ち。
5回戦、相手は増田章。
若干19歳で全日本大会にデビューし、すでに世界大会にも出ている選手で、その爆発的なラッシュ力は「爆撃機」と呼ばれた。
まるで岩石に手足をつけたような体で、ベンチプレス185kg、スクワットは200kgを20回挙げ、肩幅が広く、背中は筋肉が発達し過ぎて猫背にみえ、お尻の大きさで道着の裾が跳ね上がり、拳が大きく前腕はまるでマグロみたいな形をしていた。
夏、海へ行きタンクトップを着ていると地元の子供が、
『ママ~、白熊がいるよ~』
といったという。
「なんで世界大会に出る選手がこんな小さな大会に出てくるんだよ」
八巻建志は内心そう思いながらも不遜な態度はやめなかったが、試合は一方的に技ありを2本取られ1本負けした。
技の1つ1つが身体の奥まで響き、世界レベルの選手の強さを思い知らされた。

内弟子となる

黒帯になった八巻建志に先輩が助言した。
「師範に内弟子のお願いをしてみたらどうだ?」
「押忍」
即決で空手一本の生活に入った。
内弟子は誰も希望すればなれるものではない。
師範が見込んだ道場生に限られる。
内弟子は道場生にとっても一大決心だが人生を預かる師範にとっても大きな覚悟がいる。
廣重師範はいう。
「空手の選手は恵まれていない。
レスリングも柔道も企業や学校という受け皿があって、選手は後顧の憂いなく練習に専念できる。
空手の選手も身を削って稽古を積んでいるのに現役を引退したらただの人になってしまう。
これはおかしい。
まして極真空手の稽古は仕事の片手間にできるほど甘くない。
私は空手を一生懸命やった人間が報われ社会的に評価を得られる道を切り拓いてやりたい」
内弟子は朝の掃除から事務処理、道場での指導まで行う。
月の給料は3万円。
八巻建志の同級生には社会人や大学生になっている者が多く、なかには妻帯者もいた。
「いい年してとか空手なんてなど散々いわれたが、私は他人より秀でているものは空手しかなく中卒で20歳を過ぎていまさらろくな働き口もあるはずもなく、この道で絶対に成功してやる。
日本チャンピオン、そして世界チャンピオンまでのぼりつめてやる。
そう誓って内弟子になりました。
もう後には引けない。
崖っぷちの心境でした」
以来好きなバイクは断ち原付きで道場に通った。
187cm100kgの八巻建志が50ccのバイクにまたがる姿は、まるでサーカスの熊だった。

全日本デビュー

八巻建志は第17回全日本大会で全日本デビュー。
1回戦、2回戦、3回戦は判定勝ち。
4回戦の相手は増田章。
試合は前回の敗戦とまったく同じ展開となり、正拳ラッシュから左の下段でダウン。
立ち上がったところをすぐに左下段をもらって2度目のダウン。
2つの技ありをとられ1本負け。
試合は30秒で終わった。
内弟子になり人生を空手に賭けた結果がこれかと思うと情けなくて仕方なかった。
悔しさで眠れない夜が続き、やっと寝たと思ったらKO負けが悪夢となって蘇った。
この悪夢を振り払うには稽古に集中し身体をクタクタになるまで苛め抜くしかなかった。
打倒、増田を唱えながらサンドバッグを蹴りバーベルを挙げた。

「お前は精神的に弱すぎる どうしようもない!」

1986年6月、第3回ウエイト制大会重量級に出場するも、掴みの注意をとられ予選敗退。
この試合で廣重師範はあることに気づいた。
以前から稽古で口を開いてハーハー荒い呼吸をする八巻を見て注意していた。
「苦しくてもちゃんと鼻で呼吸しろ」
「押忍」
しかしそれは直らなかった。
中学3年生の時、高校生2人にケンカを売って逆にボコボコにされたとき、鼻が折れて顔がパンパンに腫れながら病院に行かなかったせいで、そのまま鼻腔が詰まっていたのである。
鼻で息ができないと腹式呼吸ができない。
廣重師範はそれを見抜いた。
「お前、鼻が悪いんだろう」
そう行って病院に連れて行った。
すると完治には鼻骨を削る必要があり、そうなると空手の試合は難しいという。
結局、手術はしたが応急処置で済ませた。
手術が終わり麻酔が醒めないまま朦朧とする八巻に廣重師範はいった。
「今度の神戸大会に西山が出てくる。
お前が予選で負けた大会の優勝者だ。
その男を倒してみろ。
いいな」
「押忍」

第2回神戸大会(現・全関西大会)は、1回戦、2回戦を無難に勝ち、決勝戦は西山芳隆選手だった。
「最初の30秒を凌げばスタミナに難のある西山は間違いなく失速する。
そして後半勝負」
これが廣重師範の作戦だった。
試合場に西山選手が上がると地元の神戸の選手だけに大歓声が飛んだ。
その突きや蹴りが出ると会場全体が震えるような大声援が響いた。
西山選手は声援に後押しされるように攻めまくった。
八巻建志はなす術なく後退させられ、おまけに顔面殴打、つかみの反則を繰り返した。
そして判定負けした。
雪辱を果たすつもりが見事返り討ちにされてしまった。
廣重師範は呆れ怒り怒った。
「何故、たった30秒が我慢できないんだ!
お前は精神的に弱すぎる
どうしようもない!」

「お前に普通の練習は必要ない」
数日後の朝練から廣重師範は八巻建志にスペシャルメニューを課した。
スペシャルメニューは2つ。

1 ベンチプレス台に両足を乗せて腕立て伏せの姿勢。
 反った背中に10kgのバーベルプレートを3枚乗せる。
 この姿勢のまま15分間。
 プレートが落ちると
 「はい、もう1回」
 と15分間耐えられるまで何回でも続いた。

2 両手を頭の後ろに組んで中腰になる。
 くの字に曲がった脚の膝の後ろに木刀の刃を立てて挟む。
 この姿勢を15分間。
 膝を曲げれば木刀が肉に食い込み、膝を伸ばせば木刀が落ちてしまう。
 落ちればやり直し。

八巻建志の体はブルブル震え、脂汗が浮き出た。
「15分経ちました」
「バカヤロウ!!
俺が止めていいというまでだ。
もう10分!」

内弟子の生活

廣重師範は稽古が終わると内弟子全員を自宅に呼んで飯を食わせた。
フライドチキン、サラダ、煮物、おにぎりなどが大皿に山盛りになってドンと置かれた。
「さあ食べろ」
内弟子たちはそれを腹へ詰め込んでいった。
弟子の食いっぷりがいいほど廣重師範は喜んだ。
この食事会では廣重師範の修行時代の話がついてくる。
それは大山倍達のケンカ修行、初期の極真空手の猛者たちの凄まじい練習などである。
「時々、俺もチャンピオンになっていればなあと思うことがある。
お前たちに具体的なアドバイスをしてもっともっと強くしてやれるのに・・・
頑張ればチャンピオンになれるんだと自信を持って言えるのに・・・
残念だよなあ」
廣重師範は、25歳で極真空手に入門し、28歳で全日本大会にデビュー。
全日空大会での最高成績は4位である。
八巻建志は、廣重師範のこの言葉を聞いて目頭を熱くした。
廣重師範の指導する空手が世界一であること自分が証明してやろうと思った。

当時の内弟子のスケジュールは、朝9時、道場入りし掃除と事務処理を行う。
10時から14時まで朝練。
柔軟運動、サンドバッグ、ミット、自由組手。
その後、道場生の指導。
水曜と土曜は国立競技場へ行ってウエイトトレーニングをみっちりと2、3時間。
帰宅は22時くらい。
日曜日が休日となった。
「周囲は「何が楽しいの?」と聞いてきたが、もちろん目的はただ1つ最強の男。
強くなることが楽しいのだ。
彼女が欲しい、旅行がしたい、洒落た趣味の1つ2つもやってみたい。
これでは絶対に勝てない。
「趣味は?」と聞かれると決まってウエイトトレーニングですと答え失笑を買っていたが冗談でもなんでもない。
ウエイトを1人黙々とこなしている時間が1番心安らぐ時間だった」
腹いっぱいに食い物を詰め込みウエイトトレーニングをこなし全身に筋肉のよろいをまとっていった。
体重はすぐに100kgを超えた。
相手の攻撃はがっちり受け止め、逆に突進し体重を乗せた突きと蹴りを叩き込んだ。
道場内の試合では右フックで相手の肋を折った。
相手はその後2年間はまともな組み手ができなくなった。

天才空手家 松井章圭

極真空手第18回全日本大会に八巻建志は110kgの体で挑んだ。
1回戦~準々決勝の4試合は、1本勝ちはないが延長無しの判定勝ちで順調に勝った。
準決勝の相手は松井章圭だった。
スピード抜群の蹴りが上段中断下段とビュンビュン空気を切り裂いて飛んでくる。
それはまるで意志を持つ生き物のように変化した。
突きとのコンビネーションも抜群でつけ入る隙がない。
その華麗な組み手を前に体力とパワーにモノをいわす組み手は空転し、5-0の判定負け。
完敗だった。
最終的に3位入賞。
自動的に来年行われる第4回世界大会への出場権利を得た。
大会後、大山倍達総裁に招かれた。
「よくやった」
大山倍達は分厚い手で肩をたたいた。
「君たち世界は広いよ。
想像もつかないような強豪が山ほどいる
もっと体を大きくしなくちゃ勝てないよ」

ガンダム

1987年3月、八巻建志は20人組手達成し2段となった。
世界大会を8ヵ月後に控え稽古は激化した。
拳で肋骨を折られる者、上段回し蹴りで昏倒する者、上段前蹴りで歯が吹っ飛んだ者・・・
負傷者が続出し、組手の稽古が成り立たなくなっていった。
そこで廣重師範は、八巻建志の相手に胴を覆うプロテクター、手足に分厚いサポーターとグローブ、顔面はヘッドギアをつけさせた。
これで怪我は軽減でき思い切った組手ができた。
この稽古はガンダムと名づけられた。
ガンダムは防具が攻撃力を吸収してしまう。
打っても打っても相手は前に出てくる。
「ガンダムがなかったらお前なんか1発だ」
突然、八巻建志はガンダムを無茶苦茶に殴り蹴りまくり突き飛ばした。
ガンダムは恐れをなしてトイレへ逃げ込んだが八巻建志はトイレまで追いかけた。
他の道場生が止めに入ってなんとか暴走は収められたがガンダムの目には涙が滲んでいた。
「せっかく相手をしてくれているのに、いったいお前は何を考えているんだ!」
廣重師範は怒った。
「とても試合に出場する資格はない。
明日から道場へ来ないでよろしい」
そういってスタスタと去った。
破門宣告を受けた八巻建志に湯沢元美が声をかけた。
湯沢は城南支部で最も古参で廣重師範の片腕的存在だった。
「やばいよ、八巻。
師範、本気だぞ。
あの怒りようはただ事じゃない」
「どうしたらいいんでしょう」
湯沢は顔を曇らせながら腕組みをした。
しばらく思案すると二カッと笑顔をみせた。
「五厘刈りだよ」
「五厘苅りですか?」
「そう!
本当に悪いと反省したときは頭を丸めてお詫びするもんだ。
八巻、今すぐ床屋に行って五分刈りに丸めてこい」
八巻建志は、その日のうちに床屋にいき頭を丸め師範宅を訪ねた。
廣重師範は玄関に出てきた。
「いったいお前は何を考えているんだ」
「押忍、申し訳ありませんでした」
一応これで一件落着となった。

太り過ぎ

10月、世界大会1ヶ月前、
「体重アップが1番」
という八巻建志の体重は120kgに達した。
しかしここで異変が起きた。
階段を上がるだけで息が弾み胸が苦しくなった。
明らかに体重オーバーだった。
急激に減量に転じて110kgまで落とした。


11月6~8日、極真空手第4回世界大会が東京九段の日本武道館で行われた。
ヨーロッパ最強の男:ミッシェル・ウェーデル、ブラジルの業師:アデミール・ダ・コスタ、黒豹:マイケル・トンプソンなど外国強豪選手の出現。
中村誠という絶対王者の引退。
日本の王座死守は危ないと思われた。
15人の日本代表の控え室には異様な雰囲気が漂った。
選手は空手母国のプライドとプレッシャーに苦しめられ、まるで殺し合いに出て行くような、そんな殺気が充満していた。
八巻建志は1回戦、2回戦、3回戦は判定勝ち。
4回戦の相手は、優勝候補の一角、ブラジルのアデミール・ダコスタ。
試合が始まるとアデミールは柔軟な上段への蹴りを飛ばした。
八巻建志はがっちりブロックし突きと蹴りを返すが軽快なステップで逃げられる。
本戦、延長1回、2回と決着はつかず勝負は体重判定へ。
10kg以上の差があれば軽いほうの勝ちとなる。
アデミール・ダコスタ、85kg。
八巻建志、110kg。
25kg差でアデミールが勝った。

決勝戦は、松井章圭 vs アンディ・フグだった。
アンディ・フグは戦前はノーマークの選手だったが爆発的な強さで勝ち上がった。
その踵落としはスピーディーで破壊力があり1本勝ちを量産した。
過去にも極真空手の選手でも踵落しを使う選手はいるにはいたが、一撃必殺の技にまで磨いたのはアンディ・フぐが初だろう。
しかし松井章圭は踵落としに下段後ろ回し蹴りを合わせた。
アンディが軸足を払われて倒れた
0.何秒の間違いで踵落しが顔面が入るかというタイミングのカウンターだった。
しかし互いに決定打はなく一進一退で本戦が終わる。
延長戦でアンディの突きが誤って松井の顔面に入り、反則による注意1が与えられた。
アンディ・フグは両手で顔を覆った。
その後、逆転を狙ってアンディ・フグのパワフルな攻撃が松井章圭を襲うが松井章圭を崩すことはできず、松井章圭の勝ちとなった。
結果的に大きいと思っていた外国人選手にしても、
2位のアンディ・フグ、89kg
3位のマイケル・トンプソン、83kg
5位のアデミール・ダ・コスタ、85kg
197cmのミッシェル・ウェーデルでも100kgあるかないか。
八巻建志の110kgは明らかに太り過ぎだった。
体重=強さというのは幻想だった。

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