27クラブ
27クラブというのをご存知ですか?27歳で死亡したミュージシャン、アーティスト達の一覧のことです。
近年でも27歳で亡くなったミュージシャン、アーティスト達は後を絶ちませんが、そもそもは70年前後に27歳で相次いで亡くなった4人の有名、有能なミュージシャンたちを発端としています。
イギリスの医学誌「ブリティッシュ・メディカル・ジャーナル」によると、27歳に限定されるものではないとしながらも、ヤングアダルトミュージシャンの死亡率は他のヤングアダルトのそれより高いという結果を報告しています。
偶然かもしれませんが、27歳で多くのミュージシャン、アーティストが亡くなっているのは事実です。
エリック・バードンのアルバム「ティル・ユア・リヴァー・ランズ・ドライ」には、27クラブをテーマにした「27フォーエヴァー」という美しい曲が収録されています。
それでは、70年前後に亡くなったミュージシャンをまとめてみました。
ブライアン・ジョーンズ
特定されているメンバーでもっとも古いのは、日本では余り馴染みがないアーティストですが、1892年に亡くなった作曲家でありピアニスト、指揮者でもあったアレシャンドリ・レヴィです。
ローリング・ストーンズやエリック・クラプトン等が敬愛し、ブルース・ファンの間では神様のような存在でもあるロバート・ジョンソンは3番目のメンバーになります。
ロバート・ジョンソンは1938年8月16日に27年と100日で亡くなりました。
そして、そのローリング・ストーンズのメンバーだったブライアン・ジョーンズが10番目です。
彼は、1969年7月3日に27年と125日で亡くなっています。

Brian Jones
ザ・ローリング・ストーンズの創設者及びギタリストで、最初はリーダーでもあったブライアン・ジョーンズ。直接の死因は溺死ですが、自殺とも他殺とも言われており、謎の死を遂げたということでも伝説となり、ここからが27クラブのはじまりといってもよいでしょう。
亡くなる直前にザ・ローリング・ストーンズを解雇されていますが、ドラッグの影響もあり精神的にボロボロでとてもミュージシャンとして使いものにならない状態だったようです。
1968年、ジャン=リュック・ゴダール監督による映画「ワン・プラス・ワン」が公開されます。
これは、ザ・ローリング・ストーンズの代表曲のひとつ「悪魔を憐れむ歌」のレコーディングのドキュメンタリーと、社会運動にかかわるドキュメンタリーが交互に挿入されたもので、撮影はブライアン・ジョーンズが亡くなる約1年前の1968年6月に行われました。
この映画の中のブライアン・ジョーンズは、覇気がないというか既に死人のように見えます。
ジミ・ヘンドリックス
エレクトリック・ギターの革命児、ジミ・ヘンドリックス。エクスペリエンスやバンド・オブ・ジプシーズを率いて確認的なギター・サウンドを作り上げた、まさに伝説の男です。
そのジミ・ヘンドリックスが亡くなったのは1970年9月18日(27年と295日)のことでした。

Jimi Hendrix
数々の名曲、名演を世に送り出したジミ・ヘンドリックスですが、もっとも強烈な印象を我々に与えたのが1969年8月に行われたウッドストック・フェスティヴァルでの演奏でしょう。
中でも「星条旗よ永遠なれ」は泥沼のベトナム戦争に苦しむ当時のアメリカを音で表現したといってよい素晴らしいものです。
死亡原因は、アルコールとバルビツール酸系睡眠薬を併用したことで睡眠中に嘔吐し、それが原因で窒息死したとされています。
デビューから僅か4年のことです。
ジャニス・ジョプリン
衝撃を与えたジミ・ヘンドリックスの死から一か月も経たない1970年10月4日に、今度はジャニス・ジョプリンがオーバードーズにより亡くなります。

Janis Joplin
今なお女性シンガーのお手本とされ高い人気を誇るジャニス・ジョプリン。特徴的な歌声と圧倒的な歌唱力は、間違いなくロックの歴史を代表する女性シンガーです。
ジャニス・ジョプリンが生前最後に公の場に姿を現したのはテレビ番組で、それは1970年6月と8月に放映されています。
スターになる以前のかなり早い時期から麻薬の常習者だったジャニス・ジョプリンですが、覚醒剤やヘロインの他にアルコールを大量に摂取していたことでも知られています。
因みに彼女のお気に入りは「サザン・カンフォート」だったそうです。サザン・カンフォートとは中性スピリッツにオレンジ、ピーチ、レモンといった数種類のフルーツとハーブを組み合わせたリキュールの一種です。
アメリカやイギリスではとても人気があるショットですから、彼女のファンでなくとも一度飲んでみたいものですね。
但し、くれぐれも飲みすぎにはご注意ください。
ジム・モリソン
ジム・モリソンが心臓発作で亡くなったのは、ジャニス・ジョプリンの死の翌年1971年7月3日のことです。

Jim Morrison
センセーショナルにデビューし、今なお語られることの多いアメリカを代表するバンド「ドアーズ」。
このちょっと変わったバンド名は、オルダス・ハックスレーの「知覚の扉」という本を元にしたウィリアム・ブレークの詩「忘れがたい幻想」から採られたのだそうです。このエピソードからしていかにもインテリといった感じですね。
ジム・モリソンは、そのドアーズのソングライターでありボーカルを担当していました。
バンド活動とは別に詩集を数冊発表していますが、ドアーズの活動においても詩人という感じがとてもします。勿論すばらしいボーカリストでありパフォーマーでもあるのですが、やはり詩人といった趣があります。
そのあたりが単なるボーカリストとは違い、いまだに衰えない人気のひみつなのかもしれません。
著作に専念するため移り住んだパリで心臓発作を起こし死亡したジム・モリソン。埋葬されたペール・ラシェーズ墓地はパリの人気観光名所となっており毎日多くの花が捧げられています。
その後の27クラブ

カート・コバーン
僅か2年の間にブライアン・ジョーンズ、ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリン、ジム・モリスン、この4人が偶然にも皆27歳で亡くなったことから様々な議論が巻き起こり、そして、それから約25年後に、ニルバーナのカート・コバーンが27歳で亡くなったことで「27クラブ」という考え方が定着するようになりました。
その間にも、1975年4月24日にバッドフィンガーのピート・ハム、1988年8月12日には人気の画家ジャン=ミシェル・バスキアなど、偶然とは思えないほど多くの才能あるミュージシャンやアーティストが27歳で亡くなっています。
近年では2011年にイギリスの人気歌手だったエイミー・ワインハウスがアルコール依存症により亡くなったのは記憶に新しい出来事です。
「27クラブ」のメンバーは、現在でも毎年のように増え続けています。