1981年の大ヒット曲、イモ欽トリオの『ハイスクールララバイ』
「ハイスクールララバイ」は、フジテレビ系バラエティ番組『欽ドン!良い子悪い子普通の子』から誕生した、山口良一(ヨシオ)、西山浩司(ワルオ)、長江健次(フツオ)の3人からなるユニット『イモ欽トリオ』のデビューシングル。
1981年8月5日発売。
『ハイスクールララバイ』は売り上げ160万枚のミリオンセラーを記録。
売り上げ160万枚のミリオンセラーを記録。
TBSの『ザ・ベストテン』においては8週連続第1位を達成。
1981年9月17日放送の1位獲得時には、瞬間最高視聴率41.7%(ビデオリサーチ調べ・関東地区)を記録した。
欽ドンから生まれた『イモ欽トリオ』
イモ欽トリオ(イモきんトリオ)
『イモ欽トリオ』はいつ解散したの?
1982年3月、長江が大学受験専念を理由に「欽ドン!」を卒業、同時にユニットを脱退。
「欽ドン!」ではコーナー存続のため、二代目のフツオに後藤正を抜擢した。
3rdシングル『ティーンエイジ・イーグルス』もリリースしたが、初代のフツオほどの人気は得られなかった(このシングルを最後にイモ欽トリオとしての音楽活動は凍結した)。
後藤は放送期間中の1983年5月に番組を降板し、同時に芸能界を引退してしまったため、急遽三代目フツオを一般から募集して選出するオーディションが行われることになった。
しかしフツオに相応しい人材を絞り切れず、最終選考に残った三名を暫定仮採用として番組コーナーに出演させ、演技やアドリブなどを競わせたのちに決定するとした。
三名はそれぞれ「フッ君」「ツッ君」「オッ君」と呼ばれ、数週間コーナーに出演。
最終的にオッ君役だった境田晃一が三代目フツオに決定し、1983年3月にリニューアルした『欽ドン!良い子悪い子普通の子おまけの子』に起用された。
しかし、番組以外で「イモ欽トリオ」の活動をすることは無くなった。
長江健次の破門説について
『イモ欽トリオ』の再結成
『欽ドン!』終了後も現在までに、オリジナルメンバーで幾度か再結成し、テレビ番組に出演することがある。
2007年の24時間テレビでは、萩本欽一のマラソン応援の為にメンバーが集結したが、山口が寄席の為出演できず、勝俣州和が山口の代理として『ハイスクールララバイ』を披露した。
2008年には復活ライブを開催
2014年7月、神戸チキンジョージで行われた長江の50歳を記念したライブ『長江健次生誕50周年記念LIVE「健次の五十路」〜今回はバンドでやっちゃいます〜』に山口と西山がゲスト出演。