1981年
1981年といえば、映画界を悲しみが襲った年です。映画「ブレインストーム」を覚えていますか?覚えていませんか。そうですか。日本では、いえ、世界的に見てもそれほどまでにはヒットしません。と言うか、収益が製作費の半分程度だったそうなので、失敗作、いえ、大失敗といってもいい映画ですから、知らなくて当然ではありますね。

ブレインストーム
この映画の何が悲しいかと言えば興行収入ではなく、この映画の撮影中、ボートの転覆事故によってナタリー・ウッドが亡くなったことです。ナタリー・ウッドといえば、「ウエストサイド物語」や「草原の輝き」で知られている美しい女優です。まだ43歳という余りにも早すぎる最期でした。
しかし、悲しんでばかりもいられません。1981年、日本の音楽界に目を移してみれば実に様々な楽曲がヒットしています!さぁ、順に振り返っていきましょう。
第10位 守ってあげたい
「守ってあげたい」、ユーミンですね。ユーミンは荒井由実時代の1976年に「あの日にかえりたい」で53.9万枚を売り上げ、売上枚数「年間ベスト10」の10位にランクインしています。
売上枚数「年間ベスト10」2度目のランクイン、松任谷由実として、つまりは結婚後初の大ヒット曲がこれです。

守ってあげたい
この曲は、1998年にミノルタ、1998年に三菱自動車のCMとして、2001年にMoMAニューヨーク近代美術展イメージソング、2008年にはテレビドラマ「めぞん一刻」のエンディングテーマとして使われています。
更には、石川ひとみ、原田知世、タチアーナ、鬼束ちひろ、岩井久美子、CHARAなどなどホントに多くのアーティストにカバーされています。さすが名曲。貫録十分ですね。
第9位 チェリーブラッサム
さぁ、大物アイドルの登場です。松田聖子。言わずと知れたアイドルの中のアイドルですが、売上枚数「年間ベスト10」では初登場となります。どの曲も大ヒットしているイメージがありますが、聖子ちゃんのデビュー曲「裸足の季節」は1980年4月の発売ですから意外と遅いように思えますね。

チェリーブラッサム
もう、ジャケットからしてカワイイ。「チェリーブラッサム」は4枚目のシングルで、作曲をチューリップの財津和夫が担当しています。作詞はデビュー曲から引き続き三浦徳子で、松本隆が作詞を担当するようになるのは6枚目のシングル「白いパラソル」からです。
う~ん、こんなにカワイイ子が動くのか?!信じられん。しかも、歌まで歌うとは!でもって歌が上手いときたもんだ。そりゃ、人気でますよね。
第8位 恋人よ
天才少女と謳われ1972年10月にデビューした五輪真弓。キャリアは十分、1978年の「さよならだけは言わないで」などのヒット曲はありましたが、大ヒットとなると彼女の長いキャリアの中でもやはり「恋人よ」はダントツです。

恋人よ
「和製キャロル・キング」と言われ、70年代はフォークやシンガー・ソング・ライターといったカテゴリー(?)に入れられていた五輪真弓ですが、この曲を聴くと、もうなんというか独特の世界にいることがよく分かりますね。なんと言うか凄みを感じずにはいられません。
「恋人よ」は、第22回日本レコード大賞金賞を受賞しており、美空ひばりや淡谷のり子、八代亜紀などをはじめとして、これまた多くのアーティストたちにカバーされています。
美空ひばり。淡谷のり子。更には八代亜紀か。う~、この辺に、またまた凄みを感じてしまいますねぇ。もう、怖い。この世界観は凄すぎる。
第7位 街角トワイライト
前年にデビューし、デビュー曲の「ランナウェイ」ががいきなり97.5万枚の大ヒットなったシャネルズ。1981年も好調で「街角トワイライト」が第7位に入りました。

街角トワイライト
「街角トワイライト」は、シャネルズにとって3枚目のシングルですね。作詞、作曲・編曲はお馴染みの湯川れい子、井上忠夫のコンビによるもので、和製ドゥーワップの真骨頂ですねぇ。
シャネルズは、1983年で活動を終了させ、その後はラッツ&スターに改名して活動を続けていくことになります。まぁ、名前以外は特に変わったものではありません。
第6位 大阪しぐれ
実は「大阪しぐれ」は、前年の2月1日に発売されており、1980年の年間ヒットチャートでは第49位にランクインしていたんです。つまりロングセラー。ロングセラーは演歌の王道。

大阪しぐれ
都はるみの歌いっぷりも、そりゃぁ見事なものです。作曲の市川昭介は、「アンコ椿は恋の花」「涙の連絡船」「好きになった人」など、都はるみの一連のヒット曲を手掛けた大物。相性も良いのでしょうが、楽曲に恵まれて大ヒットとなったわけです。
因みに「大阪しぐれ」は、1982年に美空ひばりもカバーしてるんです。ライバルの大ヒット曲を歌うってのはどんなものなんでしょうか?歌に自信があると、良い曲であれば、そんなことはどうでもいいってなものなんでしょうねぇ。
第5位 長い夜
オリコン・シングルチャートで1978年の「季節の中で」以来となる1位に輝いた松山千春の「長い夜」が、年間でも第5位となりました。
でもってこの曲は、自信最大のヒット曲であり、現在のところ最後のオリコン1位曲です。

長い夜
この後は、アルバムではオリコン1位に何度も輝いているのですが、シングルでは1位がとれていません。髪型か。もしかすると、髪型が原因かもしれませんせんね。女性ファンが多いだけに見た目は大事ですもんね。しかし、歌の上手さはその後も健在。今でも一定の人気をキープしているのは流石です。
第4位 ハイスクール・ララバイ
バラエティ番組「欽ドン!良い子悪い子普通の子」から誕生した、長江健次、山口良一、西山浩司の3人からなるイモ欽トリオ。そのユニットのデビューシングルが「ハイスクールララバイ」ですね。
作詞は松本隆、作曲・編曲を細野晴臣が担当しただけあって、一度聴くだけですぐに覚えてしまいそうなポップな曲です。それにしてもよく売れましたねぇ。

ハイスクールララバイ
この曲は、なんと言ってもハンドクラップ音に合わせて、山口良一と西山浩司が即興で演じたといわれる振り付けが楽しいです。思わず見とれてしまいますもんね。
実はこの曲、バラエティ番組から生まれたユニット、そこからヒット曲を生み出すということの先駆けになったと言われています。
「ハイスクールララバイ」が大ヒットしたことで、「欽ドン!良い子悪い子普通の子」の視聴率が大きく伸びたため、この手法が受け継がれていくことになったんですね。
第3位 スニーカーぶる~す
そして、いよいよ第3位。マッチのデビュー曲「スニーカーぶる~す」です。このちょっとシャレた感じにひねったタイトルは、作詞:松本隆の真骨頂ってところでしょうか?!良いタイトルですよね。

スニーカーぶる~す
「スニーカーぶる〜す」は、オリコン史上初めて「デビュー・シングルで初登場1位を獲得したシングル」なんです。実はなんかスゴイんです。この曲は。
まぁ、近藤真彦は既に1979年10月からテレビドラマ「3年B組金八先生」で俳優として一足先にデビューをしていて人気がありましたからね。満を持しての歌手デビューですから納得は納得ですよ。
しかし、「デビュー・シングルで初登場1位を獲得したシングル」よりも意外なのは、この曲はジャニーズ事務所、初のミリオンセールスとなったシングルなんだそうです。ホントになんかスゴイんです。この曲は。
第2位 奥飛騨慕情
奥飛騨とは、岐阜県北部の神通川支流にある高原川流域をいいます。竜鉄也の「奥飛騨慕情」が流行った当時、その事を知っている若者は少なかったのではないかと思います。
その若者も今では奥飛騨までいそいそと出向き、温泉に浸っているというわけです。時代は変わったということですね。第2位にランクインしたのは「奥飛騨慕情」です。

奥飛騨慕情
竜鉄也のデビューシングルである「奥飛騨慕情」。作詞、作曲ともに竜鉄也が自ら行っています。
演歌の人にしては珍しいですよね。しかし、なめてもらっては困ります。竜鉄也は25歳にして失明しているのですが、その頃から作詞、作曲も手がけつつ、流しとして独学で学んだアコーディオンを抱えて活動を開始したという苦労人です。
デビュー曲である「奥飛騨慕情」がヒットしたのは竜鉄也が44歳の時です。遅咲きですが、鍛え抜かれた楽曲、歌手としての実力派十分だったということですね。
2010年12月28日、竜鉄也は惜しまれながらもクモ膜下出血により74歳で亡くなられました。
第1位 ルビーの指環
1981年を象徴するアーティストは、ダントツで寺尾聰でしょう。メガヒット「ルビーの指環」の他にも「SHADOW CITY」、「出航 SASURAI」も大ヒットとなりました。
作曲は寺尾聰自身で、作詞はまたもや松本隆です。ビリー・ジョエルの「ストレンジャー」を思わせる曲調も覚えやすく良いですが、やっぱり歌詞が良いですよねぇ。

ルビーの指環
肩の力を抜いた歌い方が、大人っぽくもあり、曲調とマッチしています。そこんところは流石に自作曲って感じですね。ムードがありますしね。
福山雅治、桑田佳祐、高橋真梨子などがカバーしていますが、曲が良いだけに誰が歌っても決まるんです。名曲とはそうしたものなんでしょうね。
役者が歌い、アイドルが歌い、演歌からロックまで1981年も幅広いジャンル、アーティストが活躍した1年でした。さて、それでは1982年は?それはまた次の機会に!