秋吉久美子のトンデモ発言「卵で産みたい」
現在、エッセイなどでも話題を集めている女優・秋吉久美子は、70年代に大ブレイクした。1979年1月、音楽グループ「青い三角定規」のメンバーで作曲家の岩久茂との婚約会見を開いた。そのわずか1か月後、妊娠が発覚。記者会見を開き、「(赤ちゃんを)卵で産みたい」と発言し、大きな話題を呼んだ。当時は、現在のように「デキ婚」が一般的ではなかった時代である。
3月9日にハワイで行われた結婚式では、ウェディングドレスを着た秋吉久美子の少し膨らんだお腹と愛くるしい 表情が印象的だった。同年7月28日、秋吉は男児を出産している。その後、1989年に岩久と離婚。
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秋吉久美子 (出演), 永島敏行 (出演), 根岸吉太郎 (監督) 形式: DVD](/assets/loading-white-036a89e74d12e2370818d8c3c529c859a6fee8fc9cdb71ed2771bae412866e0b.png)
秋吉久美子
2004年に日系二世の映像クリエイター・グレン・光と結婚。離婚、復縁再婚と2度結婚している。2013年1月13日、秋吉の長男は、都内の病院敷地内で遺体となって発見された。病院内の階段に飛び移ろうとして誤って転落死したとみられている。翌2014年10月にグレンが覚醒剤取締法違反で逮捕される。秋吉久美子はグレン・光とは、既に離婚していると発表した。
大原麗子「家庭に男が2人いた」
渡瀬恒彦と離婚後、1980年、当時 33歳の大原麗子は1歳年下の歌手の森進一と再婚した。総経費2億円、千人規模の豪華な披露宴が行われた。しかし、4年で破局を迎えた。大原は離婚会見で、その理由を「家庭に男が2人いた」と語り、話題となった。
「男が2人」とは、いかにも勝気なイメージの大原らしい表現であるが。実際は家庭の中に歌手と女優がいたのだろう。2009年8月6日、大原麗子が自宅で亡くなっているのが発見された。享年62歳。

大原麗子
8月23日に行われた 「お別れの会」には森進一も参列、事務所を通じて「お疲れさま、ありがとう」とコメントを残した。
10年後の2019年放送の番組では「大原麗子さんの孤独死の真相に迫る」として、実弟・大原政光氏から、大原麗子が森の子供を妊娠・中絶したという衝撃の事実が明かされた。
石原真理子、腰骨折の真相はDVだった
1985年2月、石原真理子は、玉置浩二とのただならぬ関係を告白する記者会見を開き、「奥さんがいたのは知っていました。でも、好きです」と大粒の涙を流した。
それから1年後、写真週刊誌『FRIDAY』に「玉置浩二がこっそり忍んだ『密会』の部屋から 石原真理子 救急車での脱出劇 一部始終」という記事が掲載された。記事では、3階のベランダから全身をぐるぐる巻きにされた石原が担架で降ろされ、病院に搬送される様子や、マンションから出てくる玉置の姿が、写真付きで報じられた。所属事務所は「階段から転落し、背部打撲と第三頸椎左横突起骨折で全治3~4週間」と発表した。

石原真理子
それから20年後の2006年12月、石原は自伝『ふぞろいな秘密』を出版。そこで初めて、当時玉置からのDVによって骨折したこと、さらに怪我の位置があと数センチずれていれば下半身不随になっていた可能性があったことを暴露した。
市川團十郎、かくし子発覚も「普通の世界」
2003年2月、十三代目 市川團十郎 白猿(当時は十一代目 市川海老蔵)は、日置明子との間に1歳の長女がいることが発覚した。会見では、子どもを認知し、養育費を支払っていることを説明した。
女性から「お腹に子どもがいます」と打ち明けられた際、海老蔵は「ああ、そうですか」と応じ、「産みたいのですが」と迫られると、「僕は今、結婚は考えられないのですが、それでもよければ」と伝えた。女性が「それでもいいです」と答えたため、海老蔵は「なら、どうぞ。きちんと認知もします」と答えたという。

「結婚しようと思ったことはなかったのか?」という記者の質問には、「いえ、ありません」と即答。「それはなぜですか?」とさらに問われると、「なぜでしょう。わかりません」と答えた。また、「認知すれば済むのか」という問いには、「僕は子供の頃から歌舞伎の世界にいて、周りの環境がどうであれ、それが普通だと思っていました」と語り、会見は、終了した。
松田聖子、「今度生まれ変わったら…」&ビビビ婚
2025年にデビュー45周年を迎えた松田聖子。彼女は、40年前の1980年代に郷ひろみと交際していた。交際期間は4年に及び、結婚も噂されたが、1985年1月23日、松田聖子は決別記者会見を開いた。その場で彼女は、愛し合って別れるから、「もし今度生まれ変わった時には絶対一緒になろうね」と郷ひろみに伝えたことを、涙声で語った。
しかし、破局会見から5か月後、松田聖子は俳優の神田正輝と挙式した。翌年1986年には沙也加を出産するが、1997年に離婚した。

松田聖子
神田と離婚した翌年の1998年には、歯科医の波多野浩之さんと交際開始からわずか2カ月で再婚した。再婚会見では、彼と出会った瞬間に「体と心でビビビッときた」とコメントし、この結婚は「ビビビ婚」と呼ばれた。しかし、2000年に離婚。離婚会見では真相について語られ、原因の一つとして、娘の沙也加さんと波多野さんの間で、聖子がいない場面では「2人きりだと色々と遠慮があった」と打ち明けた。
この時は特に問題にはならなかったが、聖子が留守中に15歳の沙也加さんと波多野さんが2人きりで生活していたことに、驚いた。
江口洋介・森高千里「妊娠2週間」からの入籍会見
1999年6月4日、俳優・江口洋介(31)と歌手・森高千里(当時30)がそろって結婚会見を開いた。森高の妊娠について江口が「5月に病院で妊娠がわかった時は、まだ2週間で、今は3週間くらいだと思います」と、仰天発言!会場は一瞬、驚きに包まれた。
通常、妊娠週数は最終月経日から数えるため、妊娠2週はまだ排卵・受精直後。多くの場合、妊娠が判明するのは生理予定日を過ぎた4週目以降と言われている。それだけに、江口の「妊娠2週間」というフレーズは前代未聞。彼自身の体感によるコメントだったのかもしれない。

森高千里
江口洋介と森高千里は1995年に森高のラジオ番組に江口がゲスト出演したことで出会った。その後、阪神大震災チャリティーコンサートでの共演を機に交際に発展。
1996年1月には、森高のマンションに泊まる江口の姿が写真誌にキャッチされた。
1998年2月には、江口がスノーボードで骨折した際、森高が見舞い看病。その年の秋からは同棲をスタート。結婚を本格的に決めたのは、1999年初め頃だったという。
電撃発表の裏には、こんな経緯があった。5月31日、森高が急性腸炎による激しい腹痛で倒れ、江口が119番通報。救急車で病院に搬送された森高は、検査の結果、妊娠していることが判明した。その後、森高は2000年2月に長女を出産。ただし、誕生日などの詳しい情報は公表されていない。
貴乃花の会見に見る翻弄された人生
1993年1月、貴花田(後の貴乃花)は、婚約からわずか2か月で、19歳の若さで宮沢りえとの婚約破棄の記者会見を開いた。会見で貴乃花は、「自分の愛情がなくなりました」と宮沢りえに伝えたことを明かし、最後には「彼女のことをずっと好きでいられなかったことを申し訳なく思う」と、複雑な事情を感じさせるコメントを残した。
その後、1995年1月、22歳で第65代横綱に昇進。同年5月29日には、元フジテレビアナウンサーで8歳年上の河野景子と結婚し、費用4億円ともいわれる豪華披露宴を開いた。
結婚披露の会見では、少しふくらんだ景子さんのお腹に記者たちがしつこく「妊娠していませんか?」と質問を重ねたが、景子はこれを否定。貴乃花にも同意を求めた。
しかし、妊娠を否定してから4か月後の9月27日、長男・花田優一が誕生した。

河野 景子
2003年1月、貴花田は若干30歳で相撲界を引退した。その後、2018年には自身の部屋を閉鎖し、相撲協会も退職。さらに、河野景子との23年間にわたる結婚生活にも終止符を打った。河野が「円満離婚」と表現した一方で、貴乃花は「円満なら離婚しない」と発言し、心境の違いをにじませた。
現在、貴乃花は、2023年に初恋の一般女性と再婚し、穏やかに暮らしているが、これまでの会見を振り返ると、自分の意志だけではどうにもならない運命に翻弄され続けた人生がうかがえる。