ジョー・フレージャーに敗れた後、モハメド・アリは、その後、9連勝(6KO)した。
そして1973年3月、ケン・ノートンと対戦。
1Rに顎を砕かれ、12R判定負けした。
敗北後、「蝶は羽を失い、蜂は針を失った」といわれた。
モハメド・アリは、ジムの壁にこのフレーズを貼りつけて毎日眺め、「羽」と「針」を取り戻す決意を新たにした。
ジョー・フレージャーにリベンジ
1974年1月28日、ジョー・フレージャーと再戦。
前回のロープ・ア・ドープ(ロープ際のまぬけ)作戦の失敗から、ロープを背負うのを避け、フットワークを多用、12R判定で勝利。
キンシャサの奇跡
1974年10月30日、モハメド・アリは、ザイール(現:コンゴ)の首都:キンシャサ市外のジャングルを切り開き建てられたスタジアムで、世界ヘビー級チャンピオン:ジョージ・フォアマンと対戦した。
25歳のジョージ・フォアマンは、メキシコオリンピックボクシングヘビー級で金メダルを獲得し、プロ転向後は、ジョー・フレージャーやケン・ノートンをも2RでKOし、統一世界ヘビー級王座を獲得・防衛した。
そのパンチは、「象をも倒す」といわれた。
モハメド・アリは32歳。
全盛期は過ぎたと思われた。
ジョージ・フォアマンは、モハメド・アリをコーナーに追いこみボディー打ち込んだ。
モハメド・アリは、ロープに体を預け、ジョージ・フォアマンの強打をいなす「ロープ・ア・ドープ(ロープ際のまぬけ)」作戦に出た。
5R、突進力は弱まったジョージ・フォアマンに対し、モハメド・アリは、ロープを離れ、攻め始めた。
8R、モハメド・アリのコンビネーションパンチで、ジョージ・フォアマンは大きくよろけた。
モハメド・アリが、とどめの右を3連発を放つとジョージ・フォアマンの巨体が、ゆっくり倒れていった。
2度目の世界ヘビー級チャンピオンとなった瞬間だった。
ROCKY(ロッキー)
新チャンピオン:モハメド・アリは、初防衛戦で、チャック・ウェプナーと対戦し、TKOで下した。
当時、無名の俳優だったシルベスター・スターローンが、この試合を観て、映画「ROCKY(ロッキー、1976年)」のシナリオを書き上げ、自ら主演し、大ヒットとなった。
敬虔なイスラム教徒に
1975年、ネイション・オブ・イスラム(イスラムの民)の指導者:イライジャ・モハメドが死去。
新指導者となったウォーレス・モハメドは、白人を悪魔とする人種観を否定。
正統的なイスラム教を基調とする方針を掲げた。
しかしこれに反発する者たちにより組織は分裂した。
モハメド・アリは、ウォーレス・モハメドを支持した。
モハメド・アリにとって大切なのは、肌の色ではなく、心であり、魂であり、精神だった。