1975年10月1日、モハメド・アリの4度目の防衛戦がフィリピンのマニラで行われた
相手は、ジョー・フレージャーだった。
2人は、これまで1勝1敗。
モハメド・アリは、軽いフットワークから、急に脚を止めて腰を落としパンチを浴びせる。
「人間機関車」ジョー・フレージャーは、アリのパンチをかわし突進あるのみ。
2人は壮絶な打ち合い、何度も形勢が逆転するシーソーゲーム、かつ消耗戦となった。
12R、モハメド・アリの渾身の右フックで、ジョー・フレージャーのマウスピースが観客席の10列目まで吹っ飛んだ。
それでも粘り強く戦うジョー・フレージャーの顔は凸凹だった。
そして15R開始時、彼のセコンドが試合を止めた。
イノキアリ
1976年6月26日、モハメド・アリは、アントニオ猪木と戦い、15R引き分け。
3度、世界ヘビー級チャンピオンとなる
1978年2月、モハメド・アリは、レオン・スピンクスと対戦。
36歳のチャンピオンより12歳若い挑戦者は、プロ8戦目。
しかし15Rを通じて、モハメド・アリを圧倒し、判定勝ちの大番狂わせを演じた。
1978年9月15日、モハメド・アリは、レオン・スピンクスと再戦。
前回の敗戦から半年後のことだった。
力でねじ伏せるボクシングではないが、老獪で洗練されたボクシングでレオン・スピンクスにレッスンをつけるように戦った。
そして15R、判定勝ちした。
25年間、ボクシングをやって、3度目の世界王座獲得という偉業をやってのけたモハメド・アリは、引退を表明した。
引退
しかし1980年10月2日、38歳のモハメド・アリは、リングにこだまする自分のコールが恋しくて、リングにカムバックした。
対戦相手は、世界ヘビー級チャンピオン:ラリー・ホームズ。
かつてはモハメド・アリのスパーリングパートナーだった。
しかしモハメド・アリは、いいところをみせることはできず10RTKO負け。
1981年12月11日、モハメド・アリは再びリングへ上がった。
5R、トレバー・バービッグをグラつかせたが、試合は判定負けした。
これがモハメド・アリの最後のリングとなった。
プロボクシング戦績は、61戦56勝(37KO)5敗。
通算3度、世界ヘビー級チャンピオンとなり、19度の防衛に輝いた。
闘病
1984年、モハメド・アリは、パーキンソン症候群と診断された