自分が馬鹿だと思われたくないと思う家来たち
王様自身も同じ思いから「見えないものを見える」と言い張る。
子供心にも「馬鹿だな~」と思いつつ読んでいると案の定
パレードの見物に来ていた沿道にいた子供が真実を大声で叫び
見物人皆が同調する。
それでも尚、パレードを続ける王様以下その家来たち。
「なんとも馬鹿げた話だな~。」子供の頃の感想はこんなものでした。
さて、現在の僕はどう思っているか・・・
家来たちは馬鹿だと思われることで職を失うか、出世を諦めざるを得なくなることを
心配して本当のことが言えなくなってしまう。
王様も馬鹿だと思われたら家来たちに威厳を保つことが出来なくなることを心配し、
やはり本当のことを口に出せない。
でも本当にそれだけだろうか?
自分が偉くなりすぎると誰も本当のこと、本当の気持ち、本当の意見を言ってくれなくなる。
現代にも通じるこれこそが本当の意味での「裸の王様」なのではないでしょうか。
アンデルセンがこの話で本当に伝えたかった「話しの示唆」するところを
そのままタイトルにしたのではないのではないでしょうか?
最後に
子供に読み聞かせるのであれば、ハッピーエンドの話のほうが向いているというのは
大人たちの勝手な思い込みで、実は子供は子供なりにそれぞれの感じ方、
感動を覚えていたと思います。
また童話作家というのはそのていで、話しの中に何かしらの教訓めいたものを大人相手にも
伝えたかったのではなかったのでしょうか。
この感想はグリム童話にも共通する感触です。
さて、最後にアンデルセンの逸話のいくつかを引用でご紹介して終わりにさせていただきます。
お読みいただきまして、ありがとうございました。
追記
コメントはあくまでも僕個人の感想を書いたものです。皆さんもそれぞれの思いで
童話を読み返してみてください。
