アンデルセン童話
アンデルセン童話 (ポプラ世界名作童話) | ハンス・クリスチャン アンデルセン, 西本 鶏介, shino, H.C. Andersen |本 | 通販 | Amazon
はじめに
ハンス・クリスチャン・アンデルセン
グリム童話との違い
童話作家の中で双璧をなすグリム兄弟とアンデルセン、両者ともに
たくさんの童話を残していますが、両者の決定的な違いはアンデルセンの童話作品は
グリム兄弟のような民俗説話からの影響は少なく、創作童話が多いということでしょう。
グリム兄弟は分担して口述伝承の収集と文献の収集から宗教的に子供に対して
読み聞かせて構わない程度まで何度も加筆、修正を重ね現在に知られている童話集に
仕上げていますが、アンデルセンはそういったものからの影響を受けることなく自身で創作しています。
マッチ売りの少女
A. J. Bayes (1889) による挿絵
欧米では、クリスマスが日本で言う元旦であり、この物語はきっとクリスマスイブの夜のお話だったと
僕は思っています。
想像してみてください。クリスマスイブの夜にひたすらマッチを売らなくてはいけない少女に姿を・・・
僕が知っている、海外のあるダウンタウンの1月1日の朝はゴミだらけで、
まさに「祭りの後」の風景でした。
そう。日本で言う元旦はクリスチャンにとってただのお祭りなんでしょう。
本当の「新年を迎える日」はクリスチャンにとってはクリスマスなんです。
まさにこの物語はクリスマスイブの夜の出来事だったはずです。(僕の勝手な解釈です)
このお話はとても悲しいように感じるかもしれません。事実、僕も子供の頃そう感じていました。
しかし今、この年齢になって改めてこの話を読み返してみると貧困の辛さ、苦しさは感じますが
ラストシーンで幸福感に包まれながら天国に召されていくハッピーエンドなのではないだろうか?
そんな感じ方の変化を感じています。
人魚ひめ
人魚姫 ハードカバー
人魚姫 - Wikipedia
声と引き換えに足を得る人魚ひめ。
目的を達することが出来ず却って恋を失うことに。
人魚に戻るために愛する王子を手に掛けることが出来ず
最期は天国へと昇っていく。
でももし声を失うことなく、自分があなたの命の恩人だと伝えられたら
王子はどう感じただろう?
まるで恩義せがましい心の醜い女だとは感じなかっただろうか?
王子の愛を得ることは本当に出来たのだろうか?
彼女の王子に対する愛は本物ではあったろう。
であればこそこの物語の最期のシーンへと続くのは必然だったと
今の僕は考えたいです。
子供の頃は何故事実が伝えられないのかとハラハラドキドキ、イライラしながら
読んだようなおぼえがあります。
しかしやはりこの年齢になって読み返してみると、違う感想を持つものなんですね。
純真さを失ってしまったような寂しさも感じますが、今の自分自身を見つめなおせる
いい機会になったなと思っています。
はだかの王様
はだかの王さまのパレード
裸の王様 - Wikipedia