みんなハッピーエンド!?おなじみ童話の今と昔
子供のころ、誰もが読んだ、読んでもらった童話。大人になって子供のために読み聞かせしたら、あれ!?結末が違うぞ!ほとんどの童話がハッピーエンドになっているのです。そこで、ここでは童話の今の昔を比較してみましょう。

桃太郎

ある日、お婆さんが川で洗濯をしていると、そこに大きな桃が流れてきました。桃を切ると、そこからは男の子が。桃から生まれた桃太郎が、成長して、きびだんごを渡して犬、猿、キジを仲間に引き連れて、街を荒らす憎き鬼退治のため、鬼ヶ島へ・・・。鬼退治に成功した桃太郎は、鬼が奪っていたお宝を持ち帰り、おお金持ちに。
桃太郎の今と昔
(昔)鬼を退治して、宝物を取り返し、自ら持ち帰る
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(今)鬼と和解をして、宝を元の持ち主に返す
かちかち山

お爺さんが畑を耕して、豆を蒔こうとしていると、いじわる狸が全部豆を食べてしまったのだ。怒ったお爺さんはタヌキをつるし上げて縄で縛ったのだ。
ずる賢いタヌキは、反省したふりをして縄を解いてもらうと、杵をつくのを手伝うと言ってお婆さんを杵でつき殺してしまうのだった。
お爺さんは悲しみにくれ、お墓の前から動けないほどになってしまった。それを見たウサギが、仇を討つと約束する。
ウサギは、タヌキに、薪を拾うのを手伝ってくれと言い、狸の背負った薪に火をつけて狸に大やけどを負わせ、更には魚を食べさせると言って泥船に乗らせて溺れ死なさせるのだった。
かちかち山の今と昔
(昔)お婆さんはタヌキに殺されてしまう
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(今)お婆さんは一命をとりとめる
(昔)泥船でタヌキは溺れ死ぬ
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(今)ウサギに助けられ、狸は心を入れ替える。爺さん婆さんの元で手伝いをして暮らす。
昔はもっと酷かった「かちかち山」
元々のお話だと、タヌキはお婆さんを殺しただけでなく、婆汁にして飲んだという、今だったら完全にR指定になりそうな内容だった。
三匹の子ブタ

昔、三匹のコブタがいました。それぞれ生活をするために、一匹は藁の家を、一匹は木の家を、そしてもう一匹はレンガの家を建てました。そんなところに、オオカミが襲ってきたのです。藁の家、木の家のコブタはオオカミに吹き飛ばされ、食べられてしまいました。しかし、レンガの家は、オオカミがいくら息を吹き付けても吹き飛ばされず、逆にコブタが用意した煮えたぎる鍋一杯の熱湯で茹でられ、コブタに食べられてしまうのだった。
三匹のこぶたの今と昔
(昔)藁の家と木の家のコブタは、オオカミに食べられ、逆にレンガの家のコブタがオオカミを茹でて食べてしまう。
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(今)オオカミとコブタが和解して仲直りをする。
人魚姫

人魚の王の末娘(人魚姫)は、15歳の誕生日の時に船の上にいる美しい人間の王子を見かける。その王子は嵐に遭い瀕死の状態だったのを救い出したのだが、その王子に恋心を抱いてしまう。人魚は人間の前に姿を現してはいけない決まりを破ってまで助けたのだ。
人魚姫は、魔女に頼んで尾っぽを足に替えてもらう飲み薬を貰う。しかし、その引き換えに声を失ってしまう。また魔女からは、「もし王子が他の娘と結婚すれば、姫は海の泡となって消えてしまう」と警告を受ける。
王子と一緒に暮らせるようになった人魚姫だが、声は出せず、自分が救ったことも話せない。皮肉にも王子には、偶然通りすがった娘は命の恩人だと勘違いして、その娘との結婚を決めてしまう。
人魚姫の姉たちは、魔女からの伝言で王子を刺し、流した血で人魚の姿に戻れると伝えるが、どうしても刺すことはできず人魚姫は、死を選び、海に身を投げて泡に姿を変えたのだった。
人魚姫の今と昔
(昔)人魚姫は死を選び、泡となり消えていった。
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(今)事実が分かり、王子は人魚姫と結ばれる
シンデレラ

シンデレラの今と昔
シンデレラは、新しい継母と、その連れ子の姉たちにいつもいじめられていました。姉たちがきれいな服で着飾っているのに、シンデレラはいつも灰かぶりです。あるとき、お城で舞踏会が開かれたが、姉たちはきれいなドレスで向かったのに、シンデレラにはありません。かわいそうに思った魔女が魔法をかけて、きれいなドレスとガラスの靴を履かせ、カボチャの馬車で舞踏会に向かわせる。
ただし、魔法が解けてしまう0時より前に帰らないといけないと忠告される。
美しいシンデレラに王子は一目ぼれ、プロポーズをしようとしたときには0時の鐘が鳴っていた。慌てたシンデレラは、ガラスの靴を落としてしまったまま家に帰宅する。
諦めきれない王子は、ガラスの靴のサイズに合う女性を探し始める。姉たちは誰の合わないなか、シンデレラはもちろんぴったり合って、シンデレラは王子に見出され、妃として迎えられるのだった。
(昔)姉たちはガラスの靴に合わせようと自ら足の指を切り落とす
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(今)ガラスの靴を無理やり履こうとするも履けない
いかがでしたでしょうか?やはり子供の世界には残虐性は不要ということなのでしょうね。ただ、現実社会は全てがハッピーエンドではないので、すべてがハッピーというのはいかがなものかとも思ってしまいます。