プロフィール
概要

関西オープンゴルフ選手権競技開催 1975年
選手名 杉原 輝雄 (スギハラ テルオ)
生年月日 1937年6月14日
出身地 大阪府
身長 160cm
体重 57kg
血液型 O型
出身校 春日丘高校
趣味 将棋 囲碁
ゴルフ歴 15歳~

杉原親子プロ
経歴
JGT(日本ゴルフツアー機構)
参考および引用資料
長尾クリニック院長、長尾和宏さんの以下の記事を参考および引用させていただき、まとめました。医学的なことは、よくわかりませんので、杉原輝雄さんのプロゴルファーとしての生きざまがわかるようにしたつもりです。医学的内容も含めて、詳しくお知りになりたい方は、リンクを辿って長尾和宏さんの記事を読んでください。
【あの有名人から学ぶ!がん治療】プロゴルファー杉原輝雄さん、前立腺がん治療を拒否した理由 (1/4ページ) - 芸能 - ZAKZAK
【あの有名人から学ぶ!がん治療】プロゴルファー杉原輝雄さん、妻への言葉 10年後にがん再発 (1/5ページ) - 芸能 - ZAKZAK
■長尾和宏(ながお・かずひろ) 長尾クリニック院長。1958年香川県出身。1984年に東京医科大学卒業、大阪大学第二内科入局。阪神大震災をきっかけに、兵庫県尼崎市で長尾クリニック開業。現在クリニックでは計7人の医師が365日24時間態勢で外来診療と在宅医療に取り組んでいる。趣味はゴルフと音楽。著書は「長尾先生、「近藤誠理論」のどこが間違っているのですか?」(ブックマン社)、「『平穏死』10の条件」(同)、「抗がん剤10の『やめどき』」(同)。
抗がん剤 | 長尾和宏オフィシャルサイト
杉原さんの生きざま
杉原輝雄さんは、2011年12月28日、前立腺がんのため、ご自宅で死去(74歳)。

杉原プロへ「お疲れさまでした」と別れの挨拶
ゴルフ一色だった杉原さんが前立腺がんを宣告されたのは1997年12月のこと。
前立腺肥大を気にして病院に行き、細胞を取り出して行う生検で確認された。
発見された前立腺がんは、比較的初期であった。
医師は、外科手術によって患部を摘出する方法と、ホルモン療法で患部の拡大を抑制していく方法があることを説明した。
ホルモン療法は、前立腺がん増殖の原因となる男性ホルモンを薬剤によって抑える方法。
現役を続けることしか頭にない杉原さんの選択は、ホルモン療法しかなかった。
なぜなら、手術すれば完治する可能性が高いと言われても、クラブが振れるまでに3カ月かかるということだから。
「仮に寿命が縮まっても、ゴルフ人生を第一に考えたい」と。
しかし、前立腺がん治療とトーナメントプロを両立させるのは至難の業だった。
というのは、競争心は男性ホルモンのなせる業だから。
ホルモン治療を続けたら、賞金稼ぎ的、狩猟社会的パワーが生まれない。
しかしホルモン治療をやめたら、前立腺がんを増殖する。
案の定、ゴルフのプレーに大きな影響が出始めた。
ゴルフと抗男性ホルモン剤が両立しないことを悟った杉原さん。
結局、数ケ月後でホルモン治療をやめた。
「ジャンボを倒すまでやる。自分には時間がない」と。
2008年。とうとうリンパ節転移による再発が判明。
8月の長野オープンで、杉原さんはこのようにインタビューに答えた。
2010年後には、喉、腹、肺の周辺など11ヵ所への転移が認められた。
つまり全身の臓器にがんが飛び散った状態。
再度ホルモン治療を行い、また放射線治療も始めた。
1ヵ月の照射予定を18日間で断念。
しかし、放射線治療開始から3日で喉に違和感を覚えるようになり、
喉は紫色に腫れ上がった。このとき、杉原さんはこう語った。
在宅医療は約1年間。2011年7月、再び病院へ入院。
さらに約半年弱の闘病生活ののち、12月23日に眠るように旅立った。
晩年、杉原さんはこのように語った。
杉原さんの最期の言葉は、奥様への「すまんかったな」。
杉原さんは、シンボルマークだった白いハイネックに緑のセーター、ベージュのスラックスというゴルフウェアを家族に着せてもらって棺に入った。他、手袋や帽子、さらには用具契約を結んでいたデサントの来季の契約書。「天国でもすぐにゴルフができるように」と。

TOKEN・HOMEMATE CUP 杉原輝雄
2000年 大会フォトギャラリー|ゴルフトーナメント開幕戦 東建ホームメイトカップ
私の場合、妻も子もあり、杉原さんと同じような状況に立った場合、どんな選択をしたかと考えると、手術の方だと思います。
杉原さんが是で、私が非とも思いませんし、私が是で杉原さんが非とも思いません。
私には…もちろん…杉原さんのような偉大な方の壮絶な場面に合ったこともありませんし、これからもないと思いますが。

杉原輝雄モデルのパター
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