「今年、結果が出なければクラブを置く」ジャンボ尾崎70歳の決意
男子ゴルフの日本ツアーで最多94勝を誇る尾崎将司(セブン・ドリーマーズ・ラボラトリーズ)が、24日に70歳の誕生日を迎えた。
千葉市内の練習場で取材に応じ「感覚としては非常にいい。(復活の)ヒントをつかんだ。今年は楽しみ」と2017年シーズンの意気込みを語り、さらに「今年は結果が出なければ、皆さんとお別れする。クラブを置きますよ」と進退を懸けた一年であることを宣言した。

取材に応対するジャンボ尾崎
昨年は12試合に出場し、腰痛の影響もあり、9試合で途中棄権。「昨年の醜態はみなさんご存じの通りで…。自分としては二度とやりたくないね。」と昨年の悔しさをにじませた。「自分の基準は、途中棄権をしない。時々は4日間プレーをしたい」とノルマを設定した。
「この2年間の体の故障は、自分自身としてもとてもつまらないことだった。まずは、体がちゃんとしないと前向きな気持ちが出てこない」と、新たな治療法を実施しているという。
また、「背筋が伸びるイスを使っている」と日常生活でも体の改善に努め、トレーニングにも励んでおり、「人と顔を合わせたくもなかった11月に比べたらすごくいい状態だ。今の感触は非常にいい」と効果を実感している様子。

70歳の誕生日を迎えても、精力的に練習する尾崎将司
自身が70歳を迎えたことに対して「70歳? ん~、自分の中では特に(感慨は)ない。大切なことはゴルフに対して前向きな気持ちがあるかどうかだ」と気力は衰え知らず。4月の今季国内初戦となる東建ホームメイト・カップに向け、照準を合わせている。
ジャンボ尾崎
1947年1月24日生まれ。徳島県海部郡宍喰町(後の海陽町)出身。
元プロ野球選手。所属チームは西鉄ライオンズだった。本名およびプロ野球時代の登録名は尾崎 正司(読みは同じ)。
プロゴルフ転向後、1971年の日本プロゴルフ選手権で初優勝を飾ると、1973年の出場2度目のマスターズ・トーナメントで東洋人初となる8位入賞を26歳で果たし、1974年の日本オープンゴルフ選手権も勝ち、破竹の勢いで日本プロゴルフ界の第一人者として名を高め、同世代のライバルの青木功、そして中嶋常幸と並び称されて「AON」時代を築いた。
1996年11月17日、ダンロップ・フェニックス選手権3連覇でプロ通算「100勝」を達成。

1997年頃のジャンボ尾崎
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