元大関・増位山 太志郎(ますいやま・だいしろう)
元大関増位山(本名:沢田昇)は、1948年11月16日に先代三保ケ関親方の長男として生まれる。
兵庫県出身、三保ケ関部屋。
幼いころの夢は歌手になること。中学になり水泳部に入ったが、その時には水泳より相撲に夢中で、角界入りを希望していた父親は反対、澤田 昇(増位山)の意志は固く、何度も志願を繰り返し入門をはたした。
先代の定年後は三保ケ関部屋を継承、大関把瑠都を育てる。
プロ並みの歌唱力で、現役時代に「そんな夕子にほれました」でレコードデビューもしている。
第179代大関、父親の増位山大志郎
角界のサラブレット増位山 太志郎の誕生
甘いマスクのイケメン力士
増位山は、31歳で史上初の親子大関になる
「角界一の美声」と言われた、増位山
部屋の打ち上げでカラオケを歌う増位山の美声を聴いた、父親(初代増位山、9代目三保ケ関親方)の友人で演芸評論家の小島貞二故人)が「レコードを出さないか」と声をかける。
そして、音楽プロデューサーの曽根一成のプロデュースにより、歌手デビューが決まる。
1974年(昭和49年)8月に120万枚以上を売り上げるミリオンセラーとなる、3曲目のシングル「そんな夕子にほれました」をリリースした。作曲は「いろは恋唄」の山路進一。作詞が初代林家三平師匠のおカミさんで知られる、海老名香葉子。
1977年には「そんな女のひとりごと」で130万枚の大ヒットを記録した。
増位山の歌う楽曲は、石原裕次郎「ブランデーグラス 」や 中条きよし「うそ」に代表されるムード歌謡と呼ばれた。