晴山 さおり(はれやま さおり)プロフィール

本名 晴山 里織(読み方同じ)
改名後の芸名 浜崎章子(はまさき しょうこ)
生誕 1972年10月10日
出身地 神奈川県
学歴 神奈川県立大和西高等学校
ジャンル 演歌、ポップス
職業 歌手、シンガーソングライター
活動期間 1989年 - 2006年頃
経歴

神奈川県立大和西高等学校
1972年10月10日神奈川県で誕生した晴山さん。
小学生の時からビクター少年民謡会に参加する等、歌が大好きで1988年には、NHKのど自慢(NHK総合・ラジオ第1)に出場し、歌謡曲の部グランドチャンピオンを受賞されています。
一円玉の旅がらす

1989年の神奈川県立大和西高等学校時代(16歳の時)にNHK『みんなのうた』で『一円玉の旅がらす』を歌い、CDとカセットを合わせて65万枚の大ヒットとなり、この曲で11もの新人賞を総ナメにされていました。(オリコン15位)
「一円玉の旅がらす」のヒットに至っては1989年4月より消費税が導入され、一円玉が大切な時期に発表された歌で、一円玉の様子を演歌調に歌った事からだとも言われていました。
「出世音頭だよ!」

当初はこぶしを強く効かせた純演歌の歌唱法でしたが2ndアルバムからは子供向け音楽を意識したポップスな曲調に転向し「出世音頭だよ!」等をリリースされていました。
「 足利銀行CMソング」

1991年9月21日には足利銀行CMソング「アシカがよろしく」をリリースされていました。
「一円玉の九九の歌」

晴山さん1992年2月21日には 田中星児さんの「ラップ九九」のカップリングで「一円玉の九九の歌」なんてのもリリースされていました。
晴山さおりとして最後の曲

1992年4月21日にアニメ「サラダ十勇士トマトマン」の主題歌となった5曲目のシングル「ヴェジタブル・マイ・ラヴ」をリリースするも、その後CDリリースが途絶えました。
演歌からロックに!
「何度も何度も」

1995年5月に晴山さんはビクターから秋元康氏プロデュースにより「浜崎章子」に改名し事実上の再デビューを果たされました。
演歌歌手から脱却しガールポップを意識したロック調の楽曲で「何度も何度も」をリリースされていました。
因みにこの曲は、 山田邦子のしあわせにしてよのエンディングテーマに起用されています。
「夢のありか」

更に1995年9月6日には浜崎章子名義セカンドシングル「夢のありか」をリリースされていました。(最大公約ショー主題歌)
しか~しロック調の楽曲でシングル2枚・アルバム1枚をリリースしたが、再びリリースが途絶えました。
事実上の引退状態

アルバム「Day by day is getting better~今日よりも明日は…~」
その後も晴山さんは演歌歌手・晴山さおりではなく浜崎章子のまま、2005年頃まで有限会社「オフィス・ホッパーズ」に所属し、ライブハウスでステージボーカリストとして活動されていましたが2006年以降は活動実績が無く、事実上の引退状態となっています。
最後に・・・。

いかがでしょうか?
また面白そうなネタがあったらまとめてみたいと思います。
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