伝説のパンク・ロック・バンド、セックス・ピストルズ
「シド・アンド・ナンシー」はイギリスのパンク・ロック・バンド、セックス・ピストルズ(Sex Pistols)のベーシストであるシド・ヴィシャスの実話に基づく恋愛映画です。
映画についてご紹介させて頂く前に、セックス・ピストルズがどういったバンドだったのか、シドはどういう人物だったのかというご説明からまずはさせて頂きます。
セックス・ピストルズとは?
1970年代半ば頃のイギリスは深刻な経済不安に陥っており、景気も低迷していました。
そんな時代背景の中で斬新なファッションに身を包み、過激で攻撃的な歌詞を歌い上げるセックス・ピストルズはデビューします。
反体制的な歌詞ゆえに放送禁止やライブ会場での演奏中止も幾度と知れず、大手レコード会社との契約破棄も2度に渡ったピストルズでしたが、社会に不満を持つ若者達を中心に熱狂的な支持を得ました。
メンバーは4人(1975年のデビューから1978年の解散に至るまで)。
ボーカルのジョニー・ロットン(本名:ジョン・ライドン)、ギター及びベースのスティーヴ・ジョーンズ、 ドラムスのポール・クック、そしてベースは当初グレン・マトロックが担当していたのですが、1977年にシド・ヴィシャスへと変わります。
セックス・ピストルズ
セックス・ピストルズを代表する楽曲
セックス・ピストルズは短命なせいもあり、スタジオでレコーディングされたアルバムは1977年に発表された「勝手にしやがれ!! - Never Mind the Bollocks」のみです。
そのアルバムにも収録されている、ピストルズを代表する曲を2曲ご紹介いたしますので、彼らの曲をご存知ない方は一度聞いてみれらるとよいかもしれません。
どちらも過激な歌詞が特徴的で、世界中で放送禁止を受けたりしました。
シド・ヴィシャスとナンシー・スパンゲン
映画「シド・アンド・ナンシー」の主人公はシド・ヴィシャスとその恋人ナンシー・スパンゲンの2人です。
ここではこの2人の人となりを見てみましょう。
シド・ヴィシャス
本名はジョン・サイモン・リッチーと言い、1957年にイングランドに生まれました。
芸名の由来はセックス・ピストルズのヴォーカルであるジョニー・ロットンが昔飼っていたハムスターの名前から来ており、ロットンの父親に噛みついたことから「ヴィシャス(凶暴な)」という苗字がつけ加えられました。
ピストルズのファンであったシドは、専門学校時代からの友人でもあるジョニーから誘いを受け、グレン・マトロック脱退後にピストルズの一員となります。
シドが実際にピストルズで活動していたのは約1年という短さでしたが、そのカリスマ性と過激なパフォーマンスでピストルズを一気にスターダムにのし上げました。
パンク・ロックの伝説となった人物ですが、また重度の麻薬中毒者としても知られています。
麻薬の過剰摂取により、シドは1979年に21歳という若さで夭折してしまいます。
シド・ヴィシャス(Sid Vicious)
sid-vicious-la-canaille-du-punk | LABORATORY/BERBERJIN R
ナンシー・スパンゲン
ナンシー・スパンゲンは1958年にアメリカのフィラデルフィアで生まれました。
知的な賢い女性でしたが、家庭崩壊をきっかけに若くして薬にハマっていきます。
窃盗、麻薬の密売等で生計をたてて生活をし、ニューヨークに移住してからはストリッッパーや売春婦をしていました。
1977年にロンドンに移住し、シド・ヴィシャスと知り合いますが、翌年ナンシーは何者かによってバスルームで刺殺されます。
享年20歳。彼女もまたシドと同じく破滅的で短い人生でした。
ナンシー・スパンゲン(Nancy Spungen)
シドヴィシャス&ナンシースパンゲン : LIFE STYLE CREATION FOR MEN'S
出会い、それは破滅への序章
シド・ヴィシャスとナンシー・スパンゲンが出会った当初、ジョニー・ロットンは様々なバンドのグルーピーであったナンシーを嫌っていてシドから遠ざけようとしていました。
ですが結局二人は惹かれあい、一緒に生活するようになります。
一説ではシドを誘惑したのはナンシーだと言われていますが、孤独に苦しんでいたシドには唯一の理解者でした。
セックス・ピストルズも解散となり、やりたい事もやれず苛立ちの募るシド。
二人だけの世界の心地よさを追い求め、薬への依存はどんどん深くなっていきました。
同時にナンシーに対するシドの暴力もますます壮絶になっていきます。
そんな二人でしたが、1978年、ナンシーの死亡により二人の刹那的で激しい愛は終焉を迎えます。