小泉政権下で進められた、記憶に新しい「郵政民営化」を経てこちらも民営化が進みました。
2003年(平成15年)4月1日から2007年(平成19年)9月30日までの4年半にわたり、日本郵政公社にて郵政三事業(郵便・郵便貯金・簡易保険)が運営された後、2007年(平成19年)10月1日に郵政三事業を含む全ての業務が日本郵政グループとして日本郵政株式会社及びその下に発足する4つの事業会社(郵便局株式会社、郵便事業株式会社、株式会社ゆうちょ銀行、株式会社かんぽ生命保険)へ移管・分割されました。
これにより内務省以来130年以上にわたり政府によって運営されてきた国営としての郵政事業は幕を閉じました。
国有林野事業 → 国有林野事業の企業的運営廃止
現在林野庁所管の国有林となっている土地の多くは、江戸時代には幕府や藩の所有する土地(御林)でした。版籍奉還によりそれらは国有となり、また地租の課税をするため全国の土地の調査を行った結果、上記の森林に加えて所有者が明確にならない共有林の一部が国有地と見なされ、国有林が誕生。
戦後の1947年(昭和22年)、林政統一により、それまで農商務省山林局、宮内省帝室林野局、内務省北海道庁によって管理されていた国有林を農林水産省が国有林野事業特別会計のもと一元管理することに。
その後、2013年(平成25年)4月1日をもって国有林野事業特別会計は廃止され、国有林野事業は一般会計の事業となりました。
日本銀行券、紙幣、国債、収入印紙、郵便切手、郵便はがき等の印刷の事業 → 特定独立行政法人国立印刷局
1871年に、大蔵省「紙幣司」が創設。その後、「勧工寮」を合併し「紙幣寮」と改称。
1872年 初代紙幣頭(現在の理事長に当たる)に渋沢栄一が就任。 同年、「太政官正院印書局」が創設。
1875年に、「太政官正院印書局」が「大蔵省紙幣寮」に合併。なお、当時政府の印刷工場が紙幣を印刷し、国立銀行に発行機能を持たせるとする構想から、紙幣寮から印刷局の初期にかけては銀行の監督業務も職掌に。
1877年に、大蔵省「紙幣局」に改称。
1878年に、大蔵省「印刷局」に改称(この時に銀行業務を分離)。初代局長に得能良介。
1898年に、内閣の「官報局」と統合され、内閣所管の「印刷局」に。
1943年に、再度大蔵省に所管が戻り「大蔵省印刷局」に。
1949年に、大蔵省の外局となり「印刷庁」に改称(長は長官)。
1952年に、再度大蔵省の内局となり「大蔵省印刷局」に改称。
2001年に、中央省庁再編により「財務省印刷局」に改称。
2003年に、独立行政法人「国立印刷局」へ改編。
2014年4月1日、虎の門工場と滝野川工場が再編され、東京工場と名称変更。
2014年11月4日、UR都市機構の、虎ノ門二丁目地区市街地再開発事業に伴い、虎の門工場を閉鎖。本局を共同通信会館の7、8階に移転。
【紙幣の移り変わり】私たちの幼少期、まだ500円はお札でしたね。 - Middle Edge(ミドルエッジ)
造幣事業 → 特定独立行政法人造幣局
1879年(明治12年)9月16日に大蔵省内で東京出張所が開設され貨幣製造のための地金受け入れ業務を開始。
1889年大阪本局の土地の一部が宮内省(現宮内庁)の所管へ移され、その後三菱合資会社(現三菱マテリアル)へ払い下げ。東京支局は1907年(明治40年)5月17日に廃止されるものの、1929年(昭和4年)7月1日に東京市麹町区内幸町へ東京出張所が再設され、1939年(昭和14年)11月20日に豊島区西巣鴨へ移転、1943年(昭和18年)9月1日に造幣局東京支局へ改称され、1945年(昭和20年)4月13日に空襲で全焼し事業を停止。同年6月7日に大阪本局も空襲で被災し工場の一部を焼失。
1945年(昭和20年)2月1日に広島県佐伯郡五日市町へ造幣局広島支局が開設。8月6日に広島市への原子爆弾投下により被災するものの、1946年(昭和21年)1月15日に貨幣製造を再開し、同月に東京支局も貨幣製造を再開。
1949年(昭和24年)6月1日から1952年(昭和27年)7月31日までは長官を長とする造幣庁と称し、後に造幣局に再度改称され、2003年(平成15年)4月1日に独立行政法人化されています。
東京支局がさいたま新都心隣接地へ移転し2016年度操業開始目標[5]と2012年(平成24年)9月に発表され、2016年10月3日にさいたま支局に改称されて開局される事となった。
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アルコール専売事業 → 新エネルギー・産業技術総合開発機構 → 日本アルコール産業
1937年(昭和12年)4月 - 石油に代わる軍需用液体燃料の自給等を目的とし、大蔵省専売局の所管としてアルコール専売を開始。
1942年(昭和17年)4月 - 大蔵省から商工省(のち通商産業省)へ移管。
1982年(昭和57年)10月1日 - アルコール製造部門を通商産業省から特殊法人新エネルギー総合開発機構(現新エネルギー・産業技術総合開発機構)へ移管し、同機構のアルコール事業本部に。
2001年(平成13年)4月1日 - アルコールが許可制となり、一般に開放。
2006年(平成18年)4月1日 - 新エネルギー・産業技術総合開発機構のアルコール製造部門が独立し、日本アルコール産業株式会社が発足。
2008年3月31日 - 同年1月の財務省による株式売出しの結果、日本アルコール販売の子会社へ。
70年代の小学校にはあったのに今の小学校ではなくなっているもの:アルコールランプ・プールの腰洗い槽・チャイムほか - Middle Edge(ミドルエッジ)
以上、五現業についても簡単にまとめてみました。
三公社五現業、いずれも国力の根幹を為す重要な産業だけに、官と民の関わり合い方が常に見直されてきた歴史といえそうですね。
