Philip David Charles Collins

Phil Collins
1980年代から90年代にかけては出す曲すべてが大ヒットとなっていたフィル・コリンズ。シングルとアルバムの総売り上げ枚数はなんと1億5000万枚にもなります。
フィル・コリンズは、1951年にロンドンに生まれました。5歳の時から子役として演劇界で活躍し、映画「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!」にも観客役のエキストラとして出演しています。
一般にフィル・コリンズが注目されるようになったのはジェネシスに参加してからですが、ジェネシスの前にフレミングユースというバンドに参加しています。

Phil Collins
1970年ということはフィル・コリンズ19歳ですか、さすがに若いですね。
このバンドでもボーカルとドラムスを担当しています。
Genesis
ジェネシスには3作目にあたる1971年発売のアルバム「怪奇骨董音楽箱」からドラムとして参加しています。それまでボーカルを担当していたピーター・ガブリエルの脱退に伴い1976年発売のアルバム「トリック・オブ・ザ・テイル」よりフィル・コリンズがボーカルも担当するようになります。
それに伴い音楽性は大きく変化し世界的なポップバンドとして高い人気を獲得するようになります。
1981年よりジェネシスはフィル・コリンズのソロ活動として並行して行われることになります。
フィル・コリンズのソロ活動の成功もあり、1983年にはシングル「That's All」が初の全米トップ10入り(最高位6位)を果たします。
1986年のアルバム「インヴィジブル・タッチ」はジェネシス史上最大のヒット作です。アルバム・タイトル曲「インヴィジブル・タッチ」も初の全米1位に輝いています。

インヴィジブル・タッチ
Amazon.co.jp: ジェネシス : インヴィジブル・タッチ(紙ジャケット仕様) - ミュージック
また、グラミー賞で最優秀コンセプト・ミュージック・ビデオ賞を受賞した「混迷の地」は本作に収録されています。
Face Value
ジェネシスと並行しながらのソロ活動ですが、1981年に発売されたソロ1作目のアルバムから大成功を収めます。最高位は全英1位、全米7位ですが、これ以降出す曲、出す曲大ヒットするわけで、それはもう呆れてしまうほどです。

夜の囁き
Amazon.co.jp: フィル・コリンズ : 夜の囁き - ミュージック
良い曲だとは思いますが、シングルとしては地味すぎはしないでしょうか?という心配をよそに全英2位、全米19位とヒットしました。フィル・コリンズに勢いがあったんだと思わずにはいられません。
Hello, I Must Be Going
1982年にリリースされた2枚目のソロ・アルバム全英2位、全米8位となっています。シングル・カットされたスプリームスのカバー曲「恋はあせらず」は、全英1位、全米でも10位とヒットしました。

フィル・コリンズ 2:心の扉
「恋はあせらず」。これは楽しいです。ヒットしたのも素直にうなずけます。
No Jacket Required
フィル・コリンズの曲で忘れてはならないのが、1984年発売の「見つめて欲しい」でしょう。この曲は映画「カリブの熱い夜」の主題歌として使われ初の全米1位(全英2位)となっています。
1984年には、「見つめて欲しい」以外に2枚のシングルを発売しており「Easy Lover(全英1位、全米2位)」、「One More Night(全英4位、全米1位)」と、どの曲も大ヒットしています。
そして、全英、全米共に第1位となり、全世界で2000万枚を超える売り上げ枚数を記録しているフィル・コリンズ最大のヒット・アルバム「フィル・コリンズIII」が1985年に発売されます。
オファーを受けた仕事は極力断らないということで、この時期「世界一忙しい男」と呼ばれていました。

フィル・コリンズIII
Amazon | フィル・コリンズ | フィル・コリンズ 3(ノー・ジャケット・リクワイアド) 通販
...But Seriously
80年代最後の1989年に発売となったアルバム「 バット・シリアスリー 」でもフィル・コリンズの勢いは衰えることなく全英、全米共に1位を記録しました。
しかし、内容はシリアスで、北アイルランド紛争、人種差別、貧困問題など様々な問題提起がなされた曲が並んでいます。

バット・シリアスリー
この後、90年代以降も素晴らしい活動を続けているフィル・コリンズ。2010年に発売となった現在のところ最新アルバム「ゴーイング・バック」も全英1位、全米34位と、その人気は衰えることを知らないようです。