これまでの彼は「普通の少年」ですらなかった。
喘息と皮膚病のため何日も部屋に閉じこもっていなければならなかった。
孤独で寂しく、肉体的にも社会的にもハンディを負った小さな少年だった。
しかしさまざまな出来事が重なり、彼はずっと憧れていた「普通の」青年になった。
病気の許す限り練習し、競技会にも参加した。
痩せた体に筋肉がつくまで時間はかからなかった。
17歳のとき
高跳び、204cm
幅跳び、724cm
100m走、11.2秒
槍投げ、56m
薬を服用しなくてもよくなったため、学習能力は高まり、進学を勧められた。
しかしそれはもう遅すぎた。
ナチュラルマーシャルアーティスト
めざましい回復の後、バス・ルッテンはディスコやバーに出かけた。
たくさんガールフレンドができ、踊ったり、楽しく過ごした。
そして彼は自分がケンカに強いことに気づいた。
過去の彼は、たくさんのいじめや侮辱にあってが、まともに相手をしなかった。
しかし今や、自分からケンカを売ることはないが、誰かに挑まれれば闘った。
バス・ルッテンは極真空手とテコンドーを習った。
彼は天性のマーシャルアーティストだった。
20歳で両方のマーシャルアーツで初段となり、23歳のとき、初めて78kg級のキックボクシングの試合に出た。
その後2年間で16試合をして、うち14回KO勝ちした。
2敗はいずれも強敵で、そのうち1人はフランク・ロブマンだった。
Bas Rutten vs. Frank Lobman
用心棒
バス・ルッテンはレストランが終わると、コックからディスコやナイトクラブの用心棒になって働いた。
用心棒の仕事の1日の給料は、コックの仕事の1週間分より高かった。
しかも休みがとりやすく、格闘技やトレーニングを続けることができた。
根っからのエンターテイナー