プロローグ
Gacktを含む黄金期メンバーでの活動はわずか3年という短い期間でありながら、中世ヨーロッパをモチーフにした幻想的で独特な世界観と演劇的なパフォーマンスでヴィジュアル・ロックの歴史に多大な衝撃を与え、今なお伝説として語り伝えられるMALICE MIZER。
そのグループ名は「悪意と悲劇」というフランス語に由来するが、バンド絶頂期でのヴォーカルGacktの失踪、ドラムKamiの急死など、まさにバンド名をトレースするかのような彼らの栄光と挫折の歴史を追っていくことにする。

結成~GACKT加入
MALICE MIZERの結成は1992年8月。ギターのManaとKöziを中心に結成される。中世ヨーロッパ的な世界観、演出に強いこだわりをもったManaが中心となってコンセプチュアルなアイディアが固まっていったという。
Manaは当初から「女形」という役割を貫いていたが、このコンセプトが大きく花開く時がやってくる。1995年10月、バンドの「紅一点」をさらに引き立てる完璧な「王子」、2代目ヴォーカリストGacktの加入だった。

インディーズ期の快進撃
Gackt加入を記念して渋谷ON AIR WESTで行われたライブ「華麗なる復活劇」(1995年10月10日)は600人を動員してSOLD OUT。
独特な世界観を徹底したライブは大きな話題を呼び、ヴィジュアル・ロック・ファンの間ではMALICE MIZERは徐々に大きな位置を占めるようになっていく。
その後、全国9か所のワンマンツアーを経て、12月には黄金期メンバーとしての初の音源である1stシングル『麗しき仮面の招待状』をリリース。
また、1996年6月9日にはフル・アルバム『Voyage(ヴォヤージュ)』をリリース。初回限定版は、予約のみで完売。通常盤は、オリコンインディーズチャート初登場1位を獲得。
10月10日には新生MALICE MIZER 1周年を記念して当時としては珍しかったブックレット付CDシングル『ma chérie~愛しい君へ~』を完全限定予約生産でリリース。手に入れられなかったファンからクレームが殺到するなどバンドの存在はさらに大きく知られるようになっていった。
そして、この頃からメンバーはメジャー進出を視野に入れるようになっていく。

メジャー・デビュー前夜
1996年の秋、CDシングル『ma chérie~愛しい君へ~』の発売を受けてメンバーは各地で発売記念のトーク&サイン会やファンクラブイベントを行っていたが、そのかたわらメジャー・レコード会社各社は水面下でのMALICE MIZER争奪戦を繰り広げていた。
この時期にあった正式なライヴは、11月17日の目白学園女子短大の学園祭(800席が即日SOLD OUT)のみであったため、この会場へは各レコード会社が勢ぞろいする光景が見られた。
そんな状況下でもMALICE MIZERのメンバーはいつもと変わらぬ世界観で圧倒的なライヴを行い、メジャー各社は実際に見る彼らのステージの斬新さと徹底した演出に度肝を抜かれた。
この時すでに1997年1月10日の日本青年館公演は即日SOLD OUTになっており、その人気と実力に魅了された各社が何とかMALICE MIZERの契約を獲得しようとやっきになっていたのも当然の話だった。
中でも熱心にメンバーをくどいたのがソニー・ミュージックと日本コロムビアだった。ソニー・ミュージックはメンバーひとりひとりに担当者を付ける徹底ぶりだったが、「この担当者とやってみたい」というGacktの強い意志が反映されて最終的に日本コロムビアに決定したという。
その後、3月24日には大阪 メルパルクホール、4月1日には東京 渋谷公会堂を即日SOLD OUTさせ、メジャー・デビュー前のバンドとしては圧倒的な人気を誇るようになっていった。
そして、6月30日に発売された渋谷公会堂のLIVE VIDEOを最後にMALICE MIZERはメジャーへ進出することになる。

メジャー・デビュー
1997年7月19日、MALICE MIZERは『ヴェル・エール~空白の瞬間の中で~』という作品で日本コロムビアからメジャー・デビューを飾った。
この作品もかなり異質なパッケージだったといえるだろう。シングルにVHSビデオがバンドルされ豪華ボックスに入った商品だったのだ。
前例がないのは形態だけではなかった。それ以上にファンや業界関係者の度肝を抜いたのが映像作品の内容だった。およそロックバンドの映像とは思えないメンバー主演の「短編映画」が収録されていたのだ。しかも、この「短編映画」をオール・フランス・ロケで制作したというのだからなお驚きだった。
その映像の最後は『ヴェル・エール~空白の瞬間の中で~』のミュージック・ビデオで締めくくられており、「短編映画」自体は別れや死をテーマにした『ヴェル・エール~空白の瞬間の中で~』のプロローグを綴る作品という位置づけになっている。
この「短編映画」はなかなか難解(破天荒?)であり、MALICE MIZERの謎めいた世界観を大きく盛り上げるものになっている。
この作品が難解なものになったしまった現実的な理由は、メンバーの出演時間を極力平等にしていったからではないだろうか?主演であるGacktはともかく、ストーリー上は重要な役ではないメンバーまである程度の出演時間を稼ぐために物語としてのメリハリが薄くなり、結果わかりづらいものになってしまったと考えるのはうがった見方だろうか?
とにもかくにも、この奇抜なメジャー・デビュー作品は大きな話題になりオリコンチャート20位、5万6000枚のセールスをあげることになった。
『ヴェル・エール~空白の瞬間の中で~』をひっさげてMALICE MIZERは、「STANDING TOUR '97 Pays de merveilles ~空白の瞬間の中で~」を敢行。7月20日、21日の赤坂BLITZ 2daysを含む全13のライブハウス公演を行う。全公演即日SOLD OUT。そして、秋には、日比谷野外音楽堂2daysを行った。
作品性の頂点を極めた『au revoir(オ ルヴォワール)』
12月3日にはMALICE MIZERの真骨頂ともいえるメジャー2ndシングル『au revoir(オ ルヴォワール)』をリリースする。
哀感溢れるヴァイオリンのイントロが印象的なこの楽曲はメンバー全員が考えるMALICE MIZERらしさを凝縮しきった作品に仕上がっており、ミュージック・ビデオ撮影時にはGacktが楽曲の世界観に合わせるため長かった髪をその場でばっさり切ったという。
MALICE MIZERの快進撃が大きなカーブを描くきっかけになったこのシングルはオリコンチャート初の10位を獲得。累計11万枚のセールスを上げた。
年末には、愛知勤労会館、大阪厚生年金会館、 渋谷公会堂2daysを行い、すべてSOLD OUTにさせている。
メジャーただ1枚のアルバム
1998年2月11日にはアルバムからの先行シングルとして『月下の夜想曲』をリリース。MALICE MIZERとしてはシングルの最高セールスである17万枚を記録するが、オリコン・チャートは惜しくも11位だった。
そして、3月18日には、メジャーで唯一のアルバムとなる『merveilles(メルヴェイユ)』をリリース。
各メンバーの個性がぶつかりあい、バラエティに富んだ楽曲が溢れているにもかかわらず、丁寧に織り込まれたMALICE MIZER独自のアートな世界観が通底する名盤に仕上がっている。日本ロック史に残る1枚と言っても過言ではあるまい。
初回盤はブック型パッケージ。この作品はオリコン・チャート2位。セールスは30万枚を記録し、メジャー・シーンでも押しも押されもしないスターダムに上りきったことがわかる。
武道館から横浜アリーナ、バンドは絶頂期へ
この追い風に乗った形で4月1日にバンド初となる日本武道館公演を行う。衣装、セット、照明すべてにこだわり抜いたMALICE MIZERの演劇的で幻想的なステージの集大成ともいえるこのコンサートは今も伝説として語りつがれている。
その後、アルバムからのリカット・シングルとしてシングル『ILLUMINATI [P-type](イルミナティ)』(5月20日発売。オリコン・チャート7位。セールス11万枚)をはさんで5月23日からは、アルバム発売を記念した全国11か所の大規模なツアーに出ることになる。
そのファイナルとして7月22日横浜アリーナが設定され、即日完売。MALICE MIZERはついにアリーナまで征するビッグ・グループにまで成長したのだ。
しかし、このコンサートが黄金期MALICE MIZERの最後のコンサートとなってしまう。
このコンサートを最後にGacktは失踪、そしてMALICE MIZERを脱退してしまう。
今まで騙しだましやってきたバンド内の小さな亀裂が、この頃には少しずつ、しかしどんどん大きくなり埋められないほどに広がっていたのだ。
Gackt脱退の真相
Gacktとそれ以外のメンバーとでは人間関係的に多少の溝があった。
それはGacktが後から加入したにもかかわらず、バンド内でのイニシアチブを次々と自分のものとしていったことと関係があるのかもしれない。
5人それぞれの意見を尊重することがMALICE MIZERのグループ運営の要となっていたが、バンドを大きくしたい一心だったGacktが建設的な意見を出せば出すほどそれを「面白い」と思うよりも「うっとうしい」と思う雰囲気が醸成されていった。バンド内は少しずつ空回りし始めたのだ。
それに加えて急激に大きくなっていったバンドを巡るビジネス、バンド内でのGacktの突出した人気と他メンバーとの格差、走り続けることに疲弊してしまい、自分のペースでやりたいと考える一部メンバーと、まだまだ先に行くというGacktとの意見の対立。明らかにmana寄りの事務所女性社長とGacktとの確執。。
決定的な引き金となったのは、今まで作詞はGackt、作曲はmanaかKöziという暗黙の了解で守られていた創作方法が、9月30日に発売されたメジャー5枚目のシングル『Le ciel ~空白の彼方へ~』ではGacktの作詞・作曲による単独の作品として制作され、この均衡が破れたことだった。
人気の面でも、バンド内でのイニシアチブでもGacktだけが突出していったことに加え、誇りである楽曲の作曲までGacktに握られてしまうことに危惧をいだいた他メンバーの不満は頂点に達していたのだ。
皮肉なことにこの『Le ciel ~空白の彼方へ~』は売上こそ通常レベルの11万枚であったが、オリコン・チャートは4位とシングルの最高位を記録することになる。
悪意と悲劇
そして、MALICE MIZERは終焉を迎える。
実際は新ヴォーカルを迎えMALICE MIZERと名乗っての活動は続けられたが、GacktがいないMALICE MIZERはもはやMALICE MIZERではなかった。
1999年1月には正式にGacktの脱退が発表される。
そして、同年6月21日にはドラムのkamiが急逝。
頂点にあったMALICE MIZERは、「悪意」の中で崩れ去り、最後には「悲劇」だけが残った。
しかし、彼らの作った音楽、世界は伝説となって今も語り継がれている。

MALICE MIZER黄金期メンバー紹介
Gackt

Gackt…ヴォーカル&ピアノ
Mana

Mana… MALICE MIZERのリーダー ギター&シンセサイザー
Közi

Közi…ギター&シンセサイザー
Yu~ki

Yu~ki…ベース
Kami

Kami… ドラム&パーカッション