下積み時代の”Gackt”は、老舗ホストクラブのホストだった
Gacktは沖縄県出身で、本名は大城ガクト。彼はロックバンド「MALICE MIZER(マリスミゼル)」のボーカルとしてブレイクした。東京に出る前の1993年20歳の頃に、京都祇園の老舗ホストクラブでホストをやっていた。

GACKT
上京後に街で女性に声をかけて夢を語り、経済的な支援を頼みスポンサーを発掘したことがあるというGACKTだが、ホスト時代の営業は、どのようなものだったのか。
石井竜也は、新宿・歌舞伎町のホストクラブで皿洗い&ヘルプ
米米CLUBのカールスモーキー石井(石井竜也)も、下積み時代に敏いとうが経営していた新宿・歌舞伎町のホストクラブ「ヴェルサイユ」で働いていた。石井はヘルプにつくことはあったが、プレイヤーではなく、皿洗いやウェイターのような仕事に従事していた。

石井竜也
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石井竜也は、1959年9月22日生まれ、茨城県北茨城市出身。身長175cm。ロシア人の血を8分の1引いていている。”カールスモーキー石井”名で、米米CLUBメンバーでメインボーカルとして活動。1990年にJAL沖縄キャンペーン」CMイメージソングに起用された「浪漫飛行」のヒットにより、一躍国民的人気バンドとなった。
浅田真央の父親はホスト?!
浅田真央(1990年9月25日愛知県名古屋市生まれ)の父親・敏治さんは、身長が180cmに近く、長身で玉置浩二似ていると言われている。20代の頃は、名古屋のホストクラブで売れっ子ホストとして知られた存在だった。その後、独立して複数の飲食店やホストクラブを経営。お金がかかると言われるフィギュアスケーターを目指す娘の舞と真央を経済的に支えた。やがて浅田真央の名が知られるようなり、企業スポンサーがつき、国民的アイドルになった。その頃に父親は夜職から引退した。

浅田真央
2000年代~2010年代に活躍した女子フィギュアスケート選手の浅田真央。現役時代から、父親がホストだという噂が囁かれていた。2013年に週刊誌の報道により、父親は小学生の頃に死去。ホストとして働いていたことが明らかになった。2015年には、父親の浅田敏治氏(56歳)が交際相手への暴行容疑で逮捕されていたことが発覚した。現在、60代の父親は健在で名古屋の実家で暮らしているという。
沢田亜矢子の元旦那・松野行秀は、ホストクラブ「愛」で働いた
松野行秀は、沢田亜矢子と離婚後に整形して、ホストクラブ「愛」でホストデビューした。約2年間、お店の顔として働いた。その後、AV男優としても活動し、2002年にはプロレスに進出。現在も”ゴージャス松野”名でレスラーとして活動している。
女優の沢田亜矢子のマネージメントをしていた松野行秀は1995年に沢田と結婚した。
松野のプロポーズの言葉「地獄の底までついていきます」が印象的だった。
しかし、結婚生活は破綻、3年以上に渡る泥沼の離婚騒動が話題になった。
2001年3月に協議離婚が成立した。
”新加勢 大周”こと坂本一生は、歌舞伎町でホストをやっていた
坂本一生(旧芸名:新加勢 大周しんかせ たいしゅう)千葉商科大学付属高等学校卒業後、オーストラリアのブリスベンに2年間留学。22歳で留学から帰国した際、成田国際空港でスカウトを受けたことをきっかけに芸能界入りしたスカウトされ、1993年7月7日、新・加勢大周としてデビューしたが、芸名に関する問題が原因で騒動が巻き起こった。同年7月27日に現在の「坂本一生」に改名してデビューを果たした。1995年12月24日号、週刊女性にて袋綴じヘアヌードを披露。4年ほど活動したのち芸能界を離れる。2005年4月に芸能活動を再開した。
2006年、35歳の時、新宿歌舞伎町のホストクラブ『Ryugujo』で働いていた。そして、2008年3月まで、湘南のカフェで店長をとして働きながら、週1回は新宿歌舞伎町でホストをしていた。
デビュー当時は、タンクトップ姿でマッチョな肉体を強調していた坂本一生。若い頃から女性にモテたという。2023年には、経験人数が1000人を超えている事を公表した。私生活では、20代と30代に結婚、2回の離婚歴がある。ホスト時代の接客の得意技は、“お姫様抱っこ”。
2017年6月に地元の千葉県八千代市で完全プライベート型パーソナルジム「坂本一生スポーツジム」設立した。
坂本一生パーソナルジム – 地元千葉県八千代市の坂本一生短期目的型パーソナルトレーニングジム
羽賀研二は、服役した後に還暦を過ぎてホストデビュー
2023年7月7日から、5日間限定で新宿・歌舞伎町の老舗ホストクラブ「愛本店」にて、ホストデビューをした。羽賀の芸能界や営業で培ったトークスキルは、ホストクラブで人気を集めた。九州や北海道、関西から新幹線や飛行機で来店する客もいた。高額な指名料を支払ってでも、羽賀に会いたいという熱狂的な支持者がいるのだ。なんと5日間で1千万オーバー売上げたという。数々の女性タレントと浮名を流した羽賀研二のプレイボーイぶりは、還暦を過ぎても健在なようだ。
羽賀研二は、1961年、アメリカ人と日本人の間に生まれた。高校生のときに街でスカウトをきっかけに芸能界入りした。1982年には、テレビ番組『森田一義アワー 笑っていいとも!』の初代『いいとも青年隊』のメンバーとして注目を集める。
1994年には、梅宮アンナとの交際を開始するも、巨額の借金が発覚する。アンナとの「ペアヌード」写真集を出し話題になる。しかし、6年後に破局した。2006年、元テレビ制作会社社員の女性と結婚し、2人の娘が生まれるが離婚。
2007年に「未公開株詐欺事件」で、逮捕・起訴される。2011年の控訴審で懲役6年の実刑判決が確定し、沖縄刑務所に服役した。2019年には強制執行妨害罪で逮捕・起訴され、その後保釈される。2020年10月、懲役1年6か月の判決が確定。羽賀は、彼は再び沖縄刑務所に収監され、21年まで服役していた。沖縄刑務所から出所後は、上京して、芸能関係で復帰の道を探っていた。
芸能界転落から契約金1億円ホストへ…。/羽賀研二のホストデビューに密着【愛本店】 - YouTube
押尾学は、出所後にホストクラブ顧問に就任
2009年以降、芸能界を退いていた押尾学は、2022年11月、13年ぶりに夜の世界で活動を開始した。東京都新宿区歌舞伎町で複数のホストクラブを展開する『シンスユー』グループの中で、唯一30歳以上のホストだけが働くホストクラブ、『シンスユークラシック』をプロデュースする。押尾は、曜日、組数限定でプレイヤーとして接客するという。20代の若手ホストが主流となっている現在、『シンスユークラシック』は、いわゆる30代以降の「おじホス」が在籍する“大人ホストクラブ”として知られている。
押尾学は、1978年5月6日生まれ、東京都出身。公称身長184cm。子供の頃はアメリカで過ごした帰国子女であり英語は堪能。2000年代には、俳優・ミュージシャンとして活動。研音、エイベックス・マネジメントに所属していた。
2006年11月13日にドラマ『夢で逢いましょう』で共演した女優の矢田亜希子と結婚、2007年11月19日に長男が誕生した。事件が発覚した2009年8月に離婚した。
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