マイケル・ハッチェンスの最期の地──シドニー「リッツ・カールトン・ホテル(現ダブルベイ・ホテル)」
オーストラリアを代表するロックバンド「INXS」のフロントマン、マイケル・ハッチェンス(Michael Hutchence)は、1960年1月22日にシドニーで生まれた。彼は圧倒的なカリスマ性とセクシャリティを武器に、1980〜90年代にかけて世界的な成功を収め、INXSは「Need You Tonight」などのヒット曲で知られるバンドとなった。
しかし、その栄光の裏で、彼の私生活は常にメディアの注目を浴び、精神的にも不安定な状況が続いていた。1997年11月22日、マイケル・ハッチェンスはシドニーの高級ホテル「リッツ・カールトン・ホテル」(現インターコンチネンタル・シドニー・ダブルベイ・ホテル)の客室で遺体となって発見された。享年37歳であった。

マイケル・ハッチェンス
警察の発表によると、死因は自殺。部屋にはアルコールや薬物の痕跡が確認され、当時の彼の精神状態は極めて不安定だったとされている。一方で、一部では「オートエロティック・アスフィキシア」」(自己発情窒息)の可能性も報じられたが、公式には自殺として処理された。
このホテルは現在、「インターコンチネンタル・シドニー・ダブルベイ・ホテル」として営業を続けており、リゾート地としても知られるダブルベイの中心に位置している。しかし、音楽ファンの間ではここが“INXSのボーカル、マイケル・ハッチェンスが最期を迎えた場所”として今も語り継がれている。
デビッド・キャラダインの最期の地──タイ・バンコク「スイスホテル ナイラート パーク ホテル」
アメリカの俳優デビッド・キャラダイン(David Carradine)は、1936年12月8日に生まれ、2009年6月4日にタイ・バンコクで死去した。彼は1970年代に放送されたテレビドラマ『燃えよカンフー』(原題:Kung Fu)で主人公クワイ・チャン・ケインを演じ、一躍スター俳優となった。また、2000年代には映画『キル・ビル』シリーズでのビル役によって、再び国際的な注目を集めた。

デビッド・キャラダイン
そんな彼の最期の地となったのが、バンコクにある高級ホテル「スイスホテル ナイラート パーク ホテル(Swissotel Nai Lert Park Hotel)」である。2009年6月4日、同ホテルの客室内で、キャラダインは首と腰にロープが巻かれた状態で死亡しているのが発見された。享年72歳であった。

スイスホテル ナイラート パーク ホテル
スイスホテル・ナイラートパーク・バンコク - Wikipedia
タイ警察は当初、自殺の可能性を示唆したものの、現場に遺書はなく、状況から「オートエロティック・アスフィキシア(性的興奮を高める行為中に偶発的に発生する窒息)」による事故死の可能性が高いと報道された。キャラダインは当時、映画『ストレッチ』の撮影のためバンコクに滞在しており、仕事中は元気な様子だったという。
遺族は自殺説を否定し、FBIに調査を依頼したものの、最終的な死因は断定されていない。
現在、「スイスホテル ナイラート パーク ホテル」は営業を終了し、「ナイラート・パーク・ヘリテージ・ホーム」として再開発されているが、この場所は今もなお“名優デビッド・キャラダインが最期を迎えた地”として記憶され続けている。
テレサ・テンの最期──タイ・チェンマイ「メイピンホテル」
アジアを代表する歌姫テレサ・テン(Teresa Teng/鄧麗君)は、1953年1月29日に台湾・雲林県で生まれた。1970年代から1990年代にかけて、日本・中国・東南アジア全域で絶大な人気を誇り、日本でも「時の流れに身をまかせ」「つぐない」などのヒット曲で知られる存在となった。
そのテレサ・テンが最期を迎えたのは、タイ北部の都市チェンマイにある「メイピンホテル(Mae Ping Hotel)」である。1995年5月8日、滞在中の同ホテルにて、ぜんそく発作による呼吸困難で倒れ、病院に搬送されるも死亡が確認された。享年42歳であった。

テレサ・テン
503:サービスが利用できませんService Unavailable Error
テレサ・テンは当時、病気療養と静養を兼ねてタイを訪れており、旅行中の突然の訃報はアジア全域に衝撃を与えた。報道によれば、発作時には吸入器が手元にあったものの、間に合わなかった可能性が指摘されている。

タイ・チェンマイ「メイピンホテル」
File:Chiang-Mai Thailand The-Imperial-Mae-Ping-Hotel-01.jpg - Wikimedia Commons
テレサの死を受け、日本・台湾・香港・中国各地で追悼の声が相次ぎ、葬儀は台湾で国葬に準じる形で執り行われた。彼女が最期を迎えたメイピンホテルは現在も営業しており、ファンの間では「聖地」として知られ、今なお多くの人々が訪れている。
レスリー・チャンの最期──マンダリン・オリエンタル香港での突然の死と残されたメッセージ
レスリー・チャン(張國榮、1956年9月12日生まれ)は、香港出身の人気歌手・俳優である。1983年に山口百恵の『さよならの向う側』をカバーした『風繼續吹』が大ヒットし、香港ポップス界のトップスターとしての地位を確立した。1989年には歌手引退を宣言し、カナダへ移住するも、半年後に香港に戻り、俳優として芸能界に復帰。1999年には日港合作映画『もういちど逢いたくて/星月童話』で常盤貴子と共演し、日本でも広く知られる存在となった。

レスリー・チャン
Amazon.co.jp: レスリー フォーエバー - レスリー・チャン (DVD付): ミュージック
しかし、2003年4月1日、香港島中環(セントラル)にある最高級ホテル「マンダリン・オリエンタル香港」の24階から飛び降り、自ら命を絶った。享年46歳。前年からうつ病を患っていたとされており、死の当日に遺書が残されていた。

マンダリン・オリエンタル香港
File:Mandarin Oriental Hong Kong 1.jpg - Wikimedia Commons
この突然の死は、アジア中のファンに衝撃を与えた。命日には現在でも多くのファンがマンダリン・オリエンタル香港前に集まり、花を手向けてその死を悼んでいる。
京王プラザホテルの屋上で人生の幕を閉じた沖雅也(俳優)
俳優・沖雅也(おき まさや、本名:奥津雅也)は、1952年6月12日に宮城県仙台市で生まれた。1970年代から1980年代にかけて数々のドラマで活躍した。特に刑事ドラマ『太陽にほえろ!』で演じた“スコッチ刑事”役により、全国的な人気を博した。
1983年6月28日、沖は京王プラザホテル本館最上階(47階バルコニー・高さ170メートル)より警備員の制止を振り切って飛び降り、ビル7階の屋上プールに落ちて全身を強く打ち即死した。31歳だった。

沖雅也
自宅からは、1975年に養子縁組をした義父・日景忠男(1937年1月2日 - 2015年2月)に宛てた遺書が2通発見されている。その遺書に記されていた「おやじ 涅槃で 待つ」という一文は、当時社会に大きな衝撃を与えた。

京王プラザホテル(新宿)
沖雅也が最期を迎えた京王プラザホテルは、1971年の開業以来、東京のランドマークとして知られている。2021年には開業50周年を迎え、外壁改修工事などリニューアルされた。
新井将敬氏の最期の地──港区ホテルパシフィック東京23128号室での自殺と政治スキャンダル
新井将敬(あらい しょうけい、1948年1月12日生まれ)は、東京大学卒業後に大蔵省に入省し、のちに政界に転身した元衆議院議員である。1998年2月19日、東京都港区のホテルパシフィック東京23階・23128号室で自殺しているのが発見された。享年50歳だった。

新井 将敬
当時、新井氏は証券取引に関する不正疑惑が取りざたされ、逮捕許諾請求が衆議院で可決される直前であった。死因は睡眠薬の過剰摂取による自殺とされている。この事件は政界に大きな衝撃を与え、政治家による仮名株取引を禁止する法律の成立につながった。
新井氏は改革派として知られていたが、不正疑惑は政治家の倫理観に疑問を投げかけ、国民の政治不信を深める一因となった。また、新井氏は朝鮮系日本人であり、その出自が選挙戦で攻撃材料となった過去もある。この事件は政治家の倫理問題だけでなく、出自に関する社会的偏見や差別問題をも浮き彫りにした。

ホテルパシフィック東京
ホテルパシフィック東京 - Wikipedia
ホテルパシフィック東京は現在閉館しているが、23階23128号室は新井将敬氏の最期の地として記憶刻まれている。
加藤和彦の最期──万平ホテルでの自死と心を揺さぶる遺書の言葉
加藤和彦(1947年3月21日生まれ)は、日本の音楽シーンを代表するシンガーソングライターである。ザ・フォーク・クルセダーズとして『帰って来たヨッパライ』を1967年にリリースし、社会現象となる大ヒットを記録した。その後も『あの素晴しい愛をもう一度』『悲しくてやりきれない』など、時代を超えて愛される名曲を次々と生み出している。

加藤和彦
2009年10月16日、加藤は長野県軽井沢町にある「万平ホテル」の客室内で、首を吊った状態で死亡しているのが発見された。享年62歳。現場には2通の遺書が残されており、「世の中は音楽なんて必要としていないし。私にも今は必要もない。創りたくもなくなってしまった」との一文が記されていた。
加藤和彦の死については、うつ病の悪化や音楽活動の停滞、そして2004年に再婚した作詞家・安井かずみを亡くしたことなどが背景にあったとされる。

万平ホテル, 長野県軽井沢町
万平ホテルは、軽井沢を代表する老舗として知られ、加藤自身も音楽制作や静養のためにたびたび利用していた。また、三島由紀夫やジョン・レノンといった著名人が宿泊したことでも知られている。加藤にとって縁深いこの場所で、彼は62年の生涯を静かに終えた。