これに対し極真空手の長、大山倍達は
「極真空手は武道であるッ!
これは試合とはいえ真剣勝負であるッ!
真剣勝負には待てなど存在しない
待ての合図があったなどという言い訳は通用しない
明らかにこの試合は気を抜いたアンディの負けである」
という非常に厳しい裁定が下した
4年後の世界大会優勝に向けて
チューブトレーニング
こうして優勝候補だったアンディ・フグに勝ったフランシスコ・フィリョだったが
トーナメントで優勝することはできず、ベスト16となり、敢闘賞を受賞した。
フィリョの師、極真空手ブラジル支部長、磯部師範はこういう。
「そのときはベスト8で判定で負けてしまったんです。
ラテン気質というか
目標まではがんばるがそれを達成したらそれでおしまいという感じですよね。
(試合前、フィリョは「打倒、アンディ・フグ」を目標に練習していた。)
これじゃあチャンピオンになるというのは生易しいことではない。
選手育成はやめたと彼達を呼んで宣言したんです。
そうするとフランシスコが「本当に辞めてしまうのか」っていうんですよね。
「次の世界大会までの4年間だけ教えてくれないか」って頼むので
「本当に投げ出さないでがんばるか」って聞いたら、
「どんなことでも我慢しますから教えてくれ」っていったんです」
こうして4年後の世界大会優勝に向けて
フィリョはハードなトレーニングをこなしていった。
また新しいトレーニングも導入された。
チューブトレーニングもその1つで
フィリョは手足に太いゴムチューブをつけてサンドバックを突いて蹴る。
ゴムチューブを外すと羽が生えたように体が軽かった。
K-1でアンディー・フグとの対戦
しかし世界大会での大山倍達の裁定がきっかけとなって
アンディ・フグは極真会館を去り、正道会館に移籍することになった。
このアンディの引き抜きに対し、大山倍達は怒り、一方的に正道会館との絶縁を宣言した。
こうして極真会館と正道会館は犬猿の仲となり、互いにしのぎをけずりあった。
そして大山倍達が死後、、松井章圭がその跡を継いだ。
松井は正道会館との絶縁の解消し、フィリョのK-1参戦が決まった。
戦前の予想は「アンディ有利」だった。
その理由は、
フィリョは顔面アリのルールは初めてであること
(極真空手のルールは顔面への攻撃は蹴り技のみ、突きや肘などの手技を認めない)
アンディが前年度のK-1の王者であることだった。
が、結果は、1R、フィリオの右フックでアンディは失神してしまった。
フィリョはその後も快進撃を続け「一撃ブーム」を起こした。
この年のK-1GPは準決勝まで進んだ。
(準決勝で王者となったアーネストホーストに判定負け)
その強さでK-1のリングでブームを起こし多くのファンを獲得し愛されたフィリョだったが
彼の最大の夢はあくまで極真空手の世界大会だった。
(体重別の世界大会ではすでに世界王者だったが無差別の世界大会では勝っていない。)
このような状況で1997年当時のフィリョは稽古とトレーニングに明け暮れていた。
「彼は常に私の前を歩いている人でした」
フランシスコ・フィリョとアンディフグは犬猿の仲になってもおかしくないのだが
2人は尊敬し合っていた。
特にフランシスコ・フィリョにとってアンディ・フグは先輩であり、目標であり、憧れだった。
フィリョはアンディについて語っている。
「彼は常に私の前を歩いている人でした」