巨人入りを希望した荒木大輔。交渉権はヤクルトが獲得した!
1982年秋のドラフト会議ではヤクルトスワローズと巨人が1位指名し競合、抽選の結果ヤクルトが交渉権を獲得した。
しかし、荒木は根っからの「巨人ファン」であり、巨人以外からの指名の場合は早稲田大学への進学と公言していた。
その為、ヤクルトの関係者が荒木の実家を訪ねても、なかなか会ってもらえず、ついには当時の武上四郎監督が手土産を持参し、直接挨拶に出向いた。
しかし、その際も会うことは叶わず、武上は持参した手土産を玄関に置き、その場を離れた。
結局、その生もの(デザートとされている)は日を浴びて駄目になってしまい、「食べ物を粗末にするな」との批判が殺到。
その一件もあり、荒木はヤクルトと交渉の場を設け、ヤクルトの熱意に押される形で入団を決めた経緯がある。
ちなみに荒木の「外れ一位」で巨人が指名したのが、後に巨人の「三本柱」、「平成の大エース」と呼ばれる事となる斎藤雅樹であった。
斎藤は甲子園出場もなく、荒木とは比較にならない程に無名とも言える存在であった。
ヤクルトスワローズに入団した荒木大輔
1983年プロ入り間もない荒木。既に自伝的漫画が発売されていた!
女性ファンから逃れる為の神宮球場「荒木トンネル」
ヤクルトスワローズ入団後は「大ちゃんフィーバー」を巻き起こした高校時代をも超える大人気となった。
数多くの女性ファンが荒木見たさに神宮球場を取り囲んでいた。
球団はこうした混乱を避ける為に、神宮球場のクラブハウスと球場を結ぶ専用の地下道を作った。
この地下道は「荒木トンネル」と呼ばれる事になった。
ちなみに他の選手も使用することが出来る。
神宮球場の「荒木トンネル」入口
荒木トンネルへと続く階段
これが「荒木トンネル」!
主軸投手として成長するも、肘痛を発症! トミー・ジョン手術!
荒木大輔とは - goo Wikipedia (ウィキペディア)
酷使してきたヒジが激痛に見舞われてしまった・・・。
1992年、3シーズンぶりに復活!逆転優勝に貢献!
荒木大輔とは (アラキダイスケとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
1996年、ラストシーズンは横浜ベイスターズ!
1994年は1勝6敗の成績で先発ローテーションから外れ、翌年は一軍登板が無かった。
1995年オフに早実の先輩でもあり、自身がルーキー時代にバッテリーを組んだこともある大矢明彦新監督率いる横浜ベイスターズに無償トレードでに放出された。
しかし、結果を残せず、1996年シーズン限りで現役引退。32歳という若さでユニフォームを脱ぐ事になった。